あなたらしくありません。―3

 三日後――。


 わたくしの怪我の痛みもだいぶ和らぎ、勉学の邪魔にはならない程度になったころ、魔物学の先生は家の門を叩きました。



「あの~……初めまして」

「は、はい。初めまして」


 立ち上がったわたくしが緊張して頭を下げると、目の前の男性は”にへら”っと笑いました。


「いや~カイの言う通りきれいなお嬢様ですね……。僕うれしいですー」

「……はあ」


 きれい? わたくしが?


 そんな言葉はあの軽々しい騎士の口からも聞いたことがありません。あまりに聞いたことがない言葉すぎて反応さえできないではないですか。


 おまけに、何ですか、カイ様がそう言ったのですか?

 ……カイ様あの前髪のせいでよく見えてないのかもしれませんね。


「いいお宅ですねぇ~。僕こんな家にお邪魔したことないです~。……あ、他人様の家自体入れてもらえたことないですあはは」

「……???」


 わたくしはおそるおそる尋ねました。


「あの……ヨーハン・グリッツェン様……ですよね?」

「そうですよ~。ヨーハンと呼んでください~」

「……」


 ……この方が、カイ様が太鼓判を押す学者さん?


 信じられなくて、わたくしはまじまじと彼を見つめました。二十五歳だと言う彼は一応年齢相応の外見ですが、髪の毛が寝癖でぴんぴん跳ねています。目はねぼけまなこと言いますか……どうにもぼんやりして見える目です。言動といい、とてもふわふわしていて心配なのですが。


(で、でも、カイ様のご紹介だもの)


 あの心配性で慎重なカイ様がお薦めしてくださったのです。相当信頼できる方に違いありません。第一印象で人を決めては駄目――わたくしは気持ちを入れ替え、改めて頭を下げました。


「ヨーハン様、お忙しいところありがとうございます。どうかわたくしに魔物についてご教授ください」


 するとヨーハン様は眠たそうな目をしばたいてわたくしを見ました。


「真面目ですね~。嬉しいです……魔物について学びたいっていう女性、あんまりいないんですよねぇ~」


 寝癖だらけの髪を片手でかき回し、にこりと笑います。そんな顔をすると本当に嬉しそうで、わたくしはほっとしました。


 客室のひとつに用意したテーブルと、椅子二脚。


 お互い椅子に腰かけると、ヨーハン様はガサゴソと手荷物の中から書類を取り出しました。不器用なのでしょうか、書類が折れたりしています。やっぱり見ていて心配になる人です。


「あの、わたくし、魔物について本当に何も知らなくて……」

「そりゃそうですよぅ、世間一般には魔物の情報なんざ流れちゃいません~。だって魔物の正体なんて、僕たち学者でさえ分かってないんです」


 わたくしは目を丸くしました。




 存在自体は大昔からあったと言われる、魔物――。

 それは一般の動物のように当たり前に、あらゆる国あらゆる時代にいた、と言われているようです。


 ただし数自体は一般の動物よりも圧倒的に少なく、専門家が知っていれば十分対処できる程度だったそう。


 姿形は動物に限りなく似ているものもいれば、魔物特有の形をしているものもあります。倒せば骨ひとつ残さず塵となって消えるため、修道院では魔物を生物として認めていません。もし生物として認めていたなら、今ごろ修道院はハンターギルドと犬猿の仲だったでしょう。


 このエバーストーン国においては、十一年前に数が激増し――。

 それは魔王が原因とされました。


 魔王とは、魔物の中でも限りなく人に近い存在だったそうです。なんでも……

 人間の体を乗っ取ることで、それを可能としたのだとか。




「つまり『魔王』は『憑依型』の魔物なんですよ~」

「『憑依型』?」


 ヨーハン様はわたくしの手元に、一枚の紙を差し出しました。


 絵が描かれています。何だか妙な形の……魂、のような存在が、人間に乗り移ろうとしている絵です。


「まあ、魔王の元の姿はだーれも知らないんですけどねえ~。とにかく一人の人間を操って、魔王として君臨したわけですねえ」


 ヨーハン様の語り口調はのほほんとしています。重要なことを話しているのに緊張感がありません。


 もっとも、おかげでわたくしも肩の力が抜けています。わたくしのような考えすぎの人間には、これくらいの気楽さがちょうどいいのかもしれません。


「魔物は他の魔物を生み出し……操り、エバーストーンを攻めました~」

「なぜエバーストーンだったのですか?」

「それはですねぇ」


 わたくしは唾を飲み込みました。とても知りたかったことのひとつです。


「よく分かっていないんですよねぇ~。魔王は公言してくれなかったんですよぅ。言ってくれれば僕ら楽だったのに」


 そんなこと言っても。

 ヨーハン様はどうやらそのことに本気で憤っているようです。


「おかげで推論を立てるのにさえ苦労したんですよ~。魔王軍の動きをつぶさに観察して目的を見極める……大変ですようほんと」

「そ、そうですよね……」


 今度は愚痴になってしまいました。呆れるわたくしの前で、「でも」ヨーハン様はぐっと拳を握りました。


「それらしき理由は見つかりました。エバーストーンの土壌に、魔物の好む石が豊富に含まれているらしい、ということです。石が多いでしょう、うちの国」


 その話なら、わたくしもちらっと聞いたことがあります。やっぱりそれが一番の説なのですね。


「その石が魔物の力を増幅させてしまう……のですよね?」

「そう言われていますが、単純に魔物にとっておいしい餌なのかもですねぇ。石が」


 とにかく狙っている石があったんですよ、と彼。


「こう、魔物が石をがりがり食ってる姿なんて、想像するとやっぱり魔物っていいなあって思いますよ~。歯が欠けないなんてうらやましい」

「………」


 何言ってるんですかこの人。


 わたくしの視線を気にした様子もなく、ヨーハン様は言います。


「僕はですねえ~、魔物が嫌いなんですよ~。それでハンターになったり学者になったりしたんですが……ずっと調べていますとねぇ、やつらの異常さに愛着も湧いてきたりしましてー」

「愛着……ですか」

「ずっと飼ってるペットみたいなものですねぇ」


 その表現はおかしいのでは。


 わたくしはブルックリン伯爵の変貌ぶりを思い出し、ぶるりと身震いしました。あれも、魔王と同じ憑依型なのでしょうか。


「あの、以前友人のお父上が魔物に取り憑かれて……そのときに、魔物は欲求が強いと聞いたのですけれど」

「ああ、聞いていますよー。ブルックリン伯爵ですねぇ~……ええと」


 彼は手元の帳面をめくり、「あったあった」と嬉しそうに目を細めました。


「ヴァイス様からうかがっています。爪がびょーんと伸びたそうですねぇ」

「………」


 びょーん……。


「魔物は自分の得意な部位に憑依することが多いんですよ~。そこから意識まで操るんですが……そいつは爪だったわけですね。びょーん」


 子どものように言って楽しげです。楽しまれても困るのですが。


「魔物は欲求が強いというより、人間のように理性がありませんから~。欲望に忠実になるんですよぅ。食べたい、寝たい、殺したい」

「!」


 突然飛び出した恐ろしい単語。わたくしはびくっと体を跳ねさせました。


 ヨーハン様は何も気づかなかったかのように、さらに続けました。まるで歌うように。


「さらに人間に取り憑くことで初めて知る『金銭欲』『所有欲』などが著しく跳ね上がるという研究結果がありまして~。ま、人間らしい欲というやつですね。『思い』と言い換えてもいい」

「思い……」


 例えばブルックリン伯爵が『シェーラを取り戻したい』と願ったように。


 けれど理性があるから、伯爵も実行には移さずにいた。それが……魔物に取り憑かれてしまったために爆発した――。


 あるいは、伯爵の思いが魔物を呼び寄せてしまったのでしょうか?


「ま~難しいところですね。ちなみに迷いのある人間には魔物が近づきやすい傾向があるという研究結果はありますよ~」

「………!」


 どきりと胸が打ちました。迷いのある人間には……。


(ではわたくしは、魔物を寄せやすいの?)


 ヨーハン様は続けて言います。


「魔物が苦手なものとして、一直線な人間があります。あと生命力。活力。死とは対局に位置する人間。迷いなどかけらもなく、憑依型でもつけいる隙がない。気持ちの強い人間」


 え、それって……。


 わたくしが顔を思わず顔を上げると、ヨーハン様はご自分の帳面を眺めながら、何でもないことのように言いました。


「例えばヴァイス様なんかは魔物討伐には適任ですねぇ。アレス様はあれで迷いの多いかたなので、むしろ魔物を寄せてしまう体質でしたし~。アレス様が寄せてヴァイス様たちが始末する。そんな感じだったようですよぅ」

「そ、そうなんですか……」


 それは意外でした。


 でもアレス様はたしかにお優しいから、迷いもあったのでしょう。それがどんな種類の迷いかは、さすがにわたくしの知るところではありませんが。


 反対に……騎士には迷いがあるのでしょうか? どんなことでも即断即決、面識のないわたくしに求婚することさえ迷わないような人です。


 わたくしは少しだけ苦い思いを噛み締めました。


 ――迷いのない人というのも、少し、苦手かもしれません。


 こちらの言葉を聞いてくれる気がしないのです。……まあ、騎士だけかもしれませんが。


「アルテナ様」

「あ……は、はい?」


 また一人で考えこんでしまいました。わたくしは慌ててヨーハン様に向き直りました。


 ヨーハン様は、テーブルの上で身を乗り出しました。広げていた書類をぐしゃぐしゃにしながら、わたくしをじっと見つめます。


「アルテナ様は、たしか魔物に対してできることを知りたい、とのことでしたね~?」

「は、はい」

「でしたらアドバイスはひとつです。魔物の前では気を強く持つこと。絶望しないこと」


 急に、口調から間延びが消えました。


 わたくしははっと彼の瞳を受け止めました。眠たげだった目が、完全に覚醒してわたくしを見ていました。


 空が夕刻から夜へと変わる間の、紺碧がそこにありました。


「これからの授業で魔物の種類やそれぞれの弱点、強みをお教えします。でも実際はおおむねこれだけで終わるんです。どの魔物も絶望を好む。どの魔物も生きると決めた人間には弱い。その気力を削ぐためにやつらは知恵を絞るのです」

「それは――」


 わたくしは唾を飲み込みました。


「……それは、ハンターだったころの経験から得た答えですか?」

「ご存じなんですか。ええ、大体そんな感じです」


 そう言って、ヨーハン様は「たはは」と頭に手をやりました。


「と言っても僕は弱っちくていつも死にかけてまして~、あんまりに迷惑かけるのでいつからか討伐に出るのを諦めたんですよぅ」

「弱い……? 本当に?」

「そりゃあ弱いですよ。魔物を斬るのが嫌になったんですから」


 のほほんとした返事。たいした意味などないですよと言いたげに。


 わたくしは何も言えず、ただ彼を見つめました。


 何だか……この人には私が苦手とする男性の雰囲気を感じません。全体的に頼りない雰囲気のせいでしょうか?


 それに――そう。この人に感じるものは彼を包んでいるゆっくりとした空気。


 騎士のように慌ただしくない。振り回さない。わたくしはふいにそう思いました。


 なぜ騎士と彼を比べるようなことを思ったのか、やっぱりまったく分からなかったのですが――。


(この人のことを知りたい)


 わたくしは強くそう思いました。

 そして、これから続く授業への楽しみが増したと感じたのです。




 その日から、ヨーハン様による個人授業は続きました。


 間延びした口調が語る内容はいつでもとても興味深いもので、わたくしは熱心に聞き入りました。魔物のことだというのに、楽しい授業となっていました。授業外もヨーハン様に薦められた本を読み、充実した時間を過ごしました。


 今思えばわたくしは熱中することで、他のすべてを忘れたかったのかもしれません。



 そんなわたくしが現実に引き戻されたのは一週間後。

 ずっと我が家に滞在しているソラさんからの、ひとつの報告がきっかけでした。



「カイが報せてきたぞ。アレス一行が洞窟に入るそうだ」



 次の星祭りまでもう間近――。


 季節が、完全に変わろうとしています。

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