お約束はできませんが、――。4
騎士ヴァイスの妹ソラさんは、毎日のように修道院へ遊びに来ていました。
けれどシェーラのことがあったり託宣の無効があったりでわたくしのほうが忙しく、このところ修道院に来ても構ってあげられないことが多かったのです。
もちろん、実家に帰ることをソラさんには言っていません。ソラさんに言えば騎士にも伝わってしまいますから。
でも――。
「巫女」
ソラさんはわたくしをじっと見つめました。
手に、抱えるほどの皮の袋を持っています。その中身が、なんだかうぞうぞと動いているような……。
「ソ、ソラさん?」
ソラさんの目が、その年齢に似つかわしくないほど据わっていました。彼女は革袋の紐を解き――。
その中身をわたくしに向かって、思い切りぶちまけました。
「――!?」
チーチー、チチッ、ギギッ
肌を這う大量のおぞましい感触、聴覚を埋め尽くす耳障りな鳴き声。すぐ隣にいたラケシスが悲鳴を上げます。
「なんだコレ!? ネズミじゃないか!」
チーッ
馬車の中を大量のネズミが駆け回る、異様な光景がそこにはありました。
ソラさんは人形遣い。自分で作った人形を動かすことができるのです。相変わらずネズミならばとんでもなく精巧。わたくしは頭にネズミをのせたまま声を上げました。
「ソラさん!? どうしてこんな!」
「――よくも」
大げさなことを言うときはいつも低いソラさんの声が、急に高い子どもの声へと変わりました。
「よくも黙って帰ったな! うわああああん!!!」
そしてソラさんはわたくしに抱きつき、盛大に泣き出しました。(わたくしとの間に自分の作ったネズミをむぎゅっと挟みながら。)
「ソラさん……?」
「あああの、ソラちゃんはお姉さんを捜していたんです……」
カイ様がこっそりドアの陰から顔を出し、言いました。「ちょうど今日修道院に行ったらいなかったから、ずっと捜していたんです。会いたかった、みたいです」
「――……」
わあわあと泣きじゃくるソラさん。
それはいたずらな人形遣いでも何でもなく、純粋な子どもの泣き声でした。
(……そんなに懐かれているなんて)
わたくしはネズミを何匹か払いました。
それから、ソラさんを軽く抱きしめ返しました。
「ごめんなさい。――ごめんなさい」
他人の好意を軽んじることの罪を、重く感じながら。
*
幸いなことに馬に怪我はありませんでした。わたくしたちは次の宿場で、予定を変更して一晩泊まることにしました。
宿場には簡単に診察のできる医師がいます。診てもらったところ、体の頑丈なラケシスは大丈夫でしたが、わたくしの打身の多さが問題でした。
けれどそれだけで済んだことが
カイ様はサンミリオンまでついてきてくださるとのことで、別に部屋を取ることになりました。
御者のレイモンドも一晩休ませたのち、明日には別の馬車を手配してサンミリオンまで運ぶ予定です。
ソラさんは……王都に戻るように言ったのですが、ついてくると聞きません。
カイ様が責任を持って帰りも送り届けてくださるそうなので、わたくしは仕方なく、ソラさんの同行を許可しました。
そして、せめてものお詫びに――今夜はソラさんと同じ部屋に泊まることにしたのです。
*
「巫女! 遊ぼう、ネズミで」
「ネズミはちょっと」
思わず拒否すると、ソラさんはえーと口をとがらせました。胸にネズミの人形を一匹抱え、
「ネズミはかわいい。ほらほら」
「近い近い近いやめて」
(……機嫌が直ったみたいで、良かった)
あちこちじんじんする体をさすりながら、わたくしはひたすらソラさんの話し相手をしていました。
王都を出るころには強かった風も、すっかりおさまったようです。天気もよく、この分なら明日はもっと順調に馬車を走らせられるでしょう。
――また襲撃されたりしない限りは。
(あれは誰だったのかしら?)
怪我が痛むたび、そのことを考えずにはいられません。
カイ様には結局答えを教えてもらえないままです。ラケシスの言う通りわたくしたちには知る権利があると言うものの、聡明なカイ様が『言えない』と言うものを無理やり聞き出すのは、不利益を生むのではないかと思うのです。
かと言って、このままカイ様にすべてをお任せしてよいのでしょうか?……
と。ドアがノックされ、ラケシスの声が聞こえてきました。
「姉さん。入るよ」
ドアを開けるラケシス、、そしてその後ろにカイ様。人間が苦手なカイ様は特に背の高いラケシスが怖いのか、ぶるぶる震えながら陰に控えています。
廊下は寒いでしょうから入っていただいて、ソラさんを含めた四人でわたくしたちはベッドに腰かけました。
「それで、どうしたの? わざわざカイ様まで」
「話が宙ぶらりんになってたからさ。はっきりさせとこうと思って」
ラケシスは重々しい声音。わたくしも、たった今考えていただけにすぐにぴんときました。
「……わたくしたちの馬車を襲った人たちの正体ね?」
肯定のうなずき。そして、
「カイ様、ひとつお伺いしたい。今回狙われたのは――私ではなく、姉ですね」
「は、いえ、あの」
カイ様はとても気まずそうにわたくしを見ました。
その目はどんな返答よりも雄弁でした。
(――わたくしを?)
信じられない思いが胸を埋め尽くします。だって、なぜわたくしなのでしょう? 託宣を無効と言い渡され、国中の前で恥をかいてすごすご故郷に帰っていく元巫女の命を取ろうなんていう輩が、はたしているのでしょうか。
「やっぱり」
ラケシスはうなずきます。わたくしは「どうして分かったの?」と妹の腕を掴み尋ねます。
「カイ様が『言えない』と言ったからだよ。たぶん相手は身分が高いんだろうと考えた。そして……そっちの子が、思わせぶりなことを言っていたからね。『邪悪は聖女を妬む』――相手は姉さんを妬んでいる人間だ」
「……ソラさんの言葉はあまり気にしないほうがいいと思うけど……」
「失礼だぞ巫女よ。託宣ならば我もできる。ただし我の託宣は邪悪による魔の福音」
自分の世界に入ってしまったソラさんの隣で、カイ様がますますうつむきました。
……どうやら図星、のようです。
ではソラさんまで、それを知っているのでしょうか? わたくしを狙った相手を。
ラケシスは立ち上がり、カイ様をにらむように見下ろしました。
「はっきりお聞きします。姉を狙ったのは
―――!
「ラケシス! いくらなんでもそれは――!」
非難の声を上げたわたくしの向かいで、ソラさんが「ほう」と感心したように大げさに眉を上げました。
「聖女の妹は賢者なり。わずかな手がかりを大いなる光へと導く」
それは――
そんな。冗談でしょう?
「そんなはずがないわ。だって王女様とは一度もお会いしたことがないのよ!」
わたくしは激しく首を振って否定しました。けれど、
「……お願いですから、大きな声では言わないでください」
カイ様がため息をつきました。
それが、答えのすべてでした。
わたくしは愕然としました。口が開きっぱなしになるのも許してください。
だって、いったい誰がこんな一般人の命を国の王女が狙うだなんて考えますか?
ありえるわけがない。そう、ありえるわけが――。
「――ありえない」
わたくしが繰り返すと、ソラさんがむっとしたような顔になりました。
「巫女よ、そなたは自分の託宣の意味を軽く考えすぎではないのか」
「託宣の……?」
訝しく思って眉をひそめます。あの託宣がどう王女につながるのでしょうか。たしかに『国の救世主』というフレーズは入っておりましたが、あの託宣はあくまでわたくしと騎士の問題で……。
(……騎士?)
次の瞬間、わたくしは飛び上がるほど驚きました。自分の、とんでもない思いつきに。
『邪悪なるものは聖女を妬む』……
「ま、まさか……王女様が?」
ラケシスは再びわたくしの隣に腰かけました。
疲れたように息をつき、首を振ります。
「……けっこうよく言われてる噂なんだよ。エリシャヴェーラ様はヴァイス様を慕ってらっしゃると」
「……嘘でしょう?」
わたくしは否定されることを期待してカイ様を見つめました。切実に見つめました。
カイ様はわたくしから目をそらしました。――本当に、嘘でしょう?
あの騎士が、そんなに高貴なる人から慕われているなんて――。
やがてカイ様は目をそらしたまま、か細い声でつぶやきました。
「……その。実は王女からは求婚もされていまして……。ヴァイスは断ったんです。王宮としても、いくら勇者の仲間でもよりによってヴァイスは困るので、もみ消してしまいまして……。でも王女だけが納得されて、なくて」
ぐ、と息を吸い込む音。
そしてカイ様はきりっとわたくしのほうを向きました。
「……正直に言います。お姉さんの託宣を王宮が取り消したのは、王妃様のご意向です。王妃様は……お子様方を溺愛しております。ですから」
そ……。
そんな、という簡単な単語さえ口から出ません。
「ちょっと待ってください、それはおかしい。それならなぜ託宣を初めから却下していなかったんです?」
ラケシスが異議を唱えます。
カイ様は怯えながら答えてくれました。
「そそそその、当初託宣を認めたのは宮廷の実力者たちのほうで……ええと、えと、彼らはヴァイスが宮廷に来るなんて『断固断る』『冗談じゃない』『っていうか宮廷を壊す気か』派ですから」
「……」
「だからむしろあの託宣は好都合だったんです。でも最近になって王女が病みついて荒れるようになりまして」
「王女が、荒れる……?」
「それに手を焼いた王妃様まで癇癪を起こしまして。こんなことになったのはすべてあの託宣のせいだ、と――」
本来は王妃様も『ヴァイスは断固反対』派なんですけどね、と付け足すカイ様の笑いがとても乾いていました。
「――」
そんな理由で、託宣は取り消されてしまったの?
情けないやら滑稽やらで、笑い出したい気分です。
でも……実際に口から出たのは、暗いため息だけ。
「……ふざけるな」
ラケシスの声が震えていました。膝の上に置いた拳も。
「そんな理由で姉の人生を無茶苦茶にしたのか……? どいつもこいつも、ふざけるな!」
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