お約束はできませんが、――。3

 わたくしの生まれ故郷ランス州サンミリオンは商業都市です。周辺を農業の盛んな土地に囲まれ、その収穫物を王都やその他の都市へと運ぶことで主な利益を得ています。


 わたくしの父はサンミリオンの町長です。元は州内の商家に生まれ、商業よりも政治を志した結果、その地位までのぼりつめました。


 とてもおおらかで優しい父。ですが、筋を通し芯の強い人です。きっとラケシスはこの父に似たのでしょう。わたくしも受け継ぎたかったのですが、ちょっと違ってしまったかもしれません。


 何にせよ、わたくしは父をとても尊敬しています。その父に逆らって修道女になることを決めたときは、もちろん心を引き裂かれる思いで――。


 え、母ですか?

 ……それはまた別の機会に。ええ、はい。



 馬車はゆっくりと走ります。長旅なので途中の宿場でたびたび休むのですが、消耗は避けるに越したことはありません。


 二頭立て、四輪の箱馬車です。エバーストーンは砂埃が起きやすい土地柄ですので、すべての窓はしっかり閉められるようになっています。


 ですがわたくしは、御者台に続く窓以外は解放させました。やはり自然を眺めるのは気持ちがいいものです。


「お父様たちはどう?」


 わたくしとラケシスは向かい合って座っていました。

 わたくしの問いに、ラケシスはすらすらと答えます。


「母さんはいつも通りだよ。父さんは少し忙しいかな。最近北のザカーリ山のふもとに洞窟ダンジョンができたらしくって」

洞窟ダンジョン!?」


 わたくしは身を乗り出しました。


 洞窟ダンジョンと言えば、強力な魔物が存在するとそれに影響されて自然発生する場所です。その上その中からはさらに魔物が発生します。文字通り魔物の『巣』であり、文字通りの環境破壊です。


「だからさ、私も姉さんと一緒にしばらくサンミリオンに留まる気でいる。腰をすえて洞窟の主を倒さないと――かなりの強敵らしいから」


 ラケシスは顔の前で手を組み合わせ、真剣に語ります。

 その目はまさしく討伐者ハンターの目――。


 その凜々しくもしなやかな表情に、わたくしは見入ってしまいました。


(強くなったのね、ラケシス)


 それが妹の本望であることを思えば、強くなってくれて嬉しい。


 けれど一方で、複雑な思いがあります。わたくしはそもそもが苦手なのですから。

 それは相手が妹であっても同じで――。


(……?)


 ふと、何かが心に引っかかりました。何かを思い出すような……


「……からね、姉さん」


 ラケシスが何かを言っています。それに気づいて、わたくしははっと妹を見ました。


「姉さん?」

「ご、ごめんなさい。今何て言ったの?」

「ぼーっとしてたの? やっぱり疲れてる?」


 ラケシスは心配そうな顔になりながら、「“姉さんのことはちゃんと守るから”って言ったの。討伐には出るけど、できる限り時間を節約して傍にいるから」


「そ――そんなに気を遣わなくていいのよ?」

「だってヴァイス様がきたら大変だろ。父さんは忙しいし、母さんでは相手ができないよ」


 たしかにそうなのですが……

 わたくしは首を振りました。


「大丈夫。騎士が来るならわたくしが自分で追い払います」

「……本当に?」


 そのときのラケシスの目が本当に不審そうで、わたくしは心外に思いました。


「本当よ? どうしてそんなに疑うの」

「……姉さんさあ、ひょっとしてヴァイス様に情が移ってきてる?」

「……」


 妹のじとっとした目。さすがに、一緒に育った妹の目はごまかせません。


 わたくしは目を伏せます。情が、移る――


「……少し違うわ。わたくしはあの人に“憧れて”いるの」

「憧れ?」


 ラケシスが驚きの声を上げました。他人の口から聞くとますますふしぎな言葉で、わたくしは小さく苦笑しました。



 騎士への気持ちが変わってきてしまった――。


 そのことに気づいたわたくしは、その正体を見極めようと必死で考えました。そのまま放置しておくには、あまりに大きな感情でしたから。


 迷惑なのは変わりなく、けれど以前ほどの嫌悪感はない。彼をにらみつけたい気持ちに変わりなく、けれどにらむ理由が変わってきている。


 答えを出すのにはとても苦労しました。そして、最終的には一番認めたくなかったことを認めるしかなくなりました。


 つまり自分は、彼に好意を持ち始めたらしい――ということ。


 そして、迷惑だと思いながら好意を持つ矛盾が自分で理解できず困惑しました。自分はいったい彼に何を求めているのか――


 いったい、彼のどこに好意を持ったのか。



「考えてみたらあの人は、わたくしが苦手としているものの象徴みたいな人なの」

「苦手としているもの……? それって」

「……力。強引さとか、押しの強さとか。できれば近づきたくなかったものすべて」


 ラケシスが訝しげに眉を寄せます。わたくしはそっと微笑みました。


「けれどね。それらはわたくしにとって“一番興味のあるもの”でもあったの。わたくしは力ある存在に、心が惹かれずにいられない」


 馬車の窓から外を眺めます。

 流れていく山脈。雄大な草原。すべての悩みもちっぽけになりそうな、大いなる自然。


 『苦手』は突き抜けてしまうと、逆に心を奪われる。

 あの騎士はその強引さでとうとうわたくしの心の防御壁を貫いて、中にある心に触れてしまいました。


 あの人は力ある者。だからこそあれほどに生き生きと生命力にあふれて、無邪気に好きなように生き、まぶしいほどに。


 だから……


 ――今は、憧れ。そこで止まってくれればと願うのです。


 これ以上この好意が深まるのは恐かった。修道女になりたい、それがずっと夢だったのに、彼の存在ひとつが人生の何もかもを覆していく。信じていた道が壊れていく。


 今ならまだ――彼が別の女性と結ばれても祝福できます。そして自分には修道女に戻る道が残される。それがいい、それが一番幸せなんだと思うのです。

 彼も、自分も。



「――騎士にちゃんとした恋人ができてくれることを願っているの。本当よ」


 わたくしの言葉に、「そうだね」とラケシスは難しい顔で答えました。


「ヴァイス様ってあれでけっこう浮いた噂がない人だよね。女性と遊ぶより友達と遊ぶほうが楽しい、を体現してるような人だし……あ、擁護してるわけじゃないんだよ!」


 そんなに激しい口調で否定しなくても。

 ついでにあの騎士に浮いた噂がないのは、ついていける女性がいないだけではないでしょうか。


(あの人の相手ができる人がいるなら、それはさぞかし強くて、しなやかで――)


 ……少なくとも自分ではない。心の中で自嘲が漏れます。強さとしなやかさなんて、自分とは真逆です。


「ただ――」


 ラケシスは何かを言いかけて口をつぐみました。


「どうしたの?」

「……いや、何でもない。ただの噂なんだ。こういうのを軽々しく言うのはフェアじゃない」


 自分を叱るように、ラケシスは厳しい顔をします。わたくしは首をかしげました。何の話でしょう?


「ちょっと馬車を急がせようか。早く帰りたいし」


 まるでごまかすようにラケシスは言い、御者台につながる小窓を開けました。


「レイモンド、悪いけど速度を上げて」


 我が家お抱え、なじみの御者さんの「はい」という返事が聞こえ、二頭の馬の速度が上がります。

 相変わらず整備の悪いエバーストーンの道の上、わたくしは妹とともに、無言で馬車に揺られ続けました。


 と――


「うわっ!?」


 レイモンドの悲鳴とともに、馬車が急停止しました。何事かとラケシスが小窓を開けます。


 小窓からは信じられない光景が飛び込んできました。二頭の馬が突然荒ぶり前脚を高々と上げ――

 それぞれに速度を上げて駆け出そうとしたのです。


 しかし二頭が違う方向を目指したため、前に進みません。代わりにわたくしたちが乗る箱が大きく跳ね、ガシャンと音を立てて地面に落ちました。


「きゃあ!」


 わたくしは慌てて床にしゃがみこみます。すかさずラケシスがわたくしに覆い被さり、抱きしめてくれます。


「レイモンド! いったい何が起こった……!」

「何かが飛んできたんです! 馬の鼻っ面にぶつかって……うわああ!」

「レイモンド!」


 馬がさらに暴れ、レイモンドが御者台から弾き飛ばされるのが見えました。


 わたくしは思わず立ち上がりかけました。けれどラケシスがすぐにわたくしを抱き留めます。馬は荒ぶったまま二頭それぞれに見当違いの方向へ行こうとしました。衝撃で箱は何度も跳ね上がり、わたくしたちは箱の中を転げ回りました。


「姉さん、外へ飛び出そう!」

「え、ええ」


 床に這いつくばってドアまで来ると、ラケシスがドアを開け放ちました。とたんにまた箱が跳ね、わたくしたちの体が滑ってドアから離れてしまいます。諦めずにもう一度。ラケシスと手を取り合って、必死に出て行こうとしました。


 しかし――


 何の拍子なのか、突然馬たちは二頭揃って同じ方向を目指し始めました。つまり、馬車がまともに走り出したのです。


 とても荒い走りでした。ふだんなら避けて通る大きな石に、ガコンガコンと車輪が乗り上げます。わたくしは再び悲鳴を上げました。先ほどから何度も体を打ち付け、あざができています。


 何が起こっているの、どうしてこんなことになったの。心の中で問うも、答えなど分かりません。


「止まれ!――止まれ!」


 ラケシスが叫んでいますがほとんど意味はありませんでした。馬車はひたすら駆けていきます。飛び降りるには危険な速度です。もう、どうしたらいいのか――。



『―――』



「え?」


 外から、誰かの声が聞こえてきました。


 知っている声のような気がして、わたくしは顔を上げました。馬車は変わらず暴れ続け、車輪の立てる音が激しく、妹の声さえ聞くのに苦労します。


 けれど今の声ははっきりと聞こえました。たしか『そのまま――』と、


!」


(今のは……!?)


 わたくしは反射的に馬車に伏せました。同じ声が聞こえたのか、ラケシスがわたくしに覆い被さり、ただ耐える姿勢を取ります。


 ドアは開け放しにされたままでした。そのドアの向こうで――


 青く光る何かが見えました。図形と多数の文字列を組み合わせた陣。魔法陣!


 瞬く間に魔法陣は巨大化しました。すべての文字が輝き、図形が分解され、空中に展開し、

 やがて輝く青い光の雨となって、馬車に降り注いだのです。


「……!」


 それは箱の天井を透過しました。まるで恵みの雨のように優しく、わたくしたちの肌に触れるなり、吸い込まれるように消えていきます。そうすると、恐慌をきたしていた心がすうと凪いでゆきました。大丈夫、焦らず防御の姿勢を取ればいい。そんな確信が、どこからか生まれてきます。


 わたくしはラケシスと抱き合い、心の囁きのままに、ただ大人しく床に伏せ続けました。


 馬のいななきが――まるで何かに返事をするかのようないななきが聞こえ、かと思うと馬車の速度が落ち始めました。まるで馬にも『冷静になれ』と囁く雨が染みこんだかのように。


 馬車はそのまましばらく駆け続け、やがて静かに止まりました。


 わたくしとラケシスはおそるおそる身を起こし、辺りを見渡しました。


 そこは平原の真ん中――。


 開け放しのドアから見えるのは、やっぱり変わらない山脈と草原です。道を外れたのかどうかさえよく分かりません。わたくしが目をこらしていると、どこからかとても通りのよい声が聞こえてきました。


「この馬車に乗る者にこれ以上横暴な真似をするなら僕が許さない! 僕はお前たちを知っている、立場を悪くしたくなければ大人しく引け!」


(誰に……言っているの?)


 いえ、わかりきっています。先ほど馬に飛んできたという何か。それを投擲とうてきした人物。

 この馬車は明らかに。――いったい誰に?


「お姉さん、ご無事ですか!」


 やがてドアから一人の男の子がひょっこり顔を覗かせました。


「カイ様……」


 わたくしは箱の中に座り込んだまま、ぼんやりと彼の顔を見つめました。勇者ご一行のお一人、カイ様。魔法陣を含む魔術の天才です。


 カイ様はわたくしとラケシスを交互に見て、相好を崩しました。


「良かった。遅くなってすみませんでした」

「そんな、とんでもないですカイ・ロックハート様」


 ラケシスが敬礼しそうな勢いで言いました。どうやらラケシスにとってカイ様は尊敬の対象のよう。


 カイ様は「え、えっと」ドアの陰に半身隠れながら、ぼそぼそと言います。


「御者さんは骨折なさいました。他にも打撲を……で、でも命に別条はありません」


 後ろの馬車に乗せています、と言われ、振り向くといつの間にか立派な四輪馬車が後ろについてきています。カイ様たちの馬車なのでしょうか。


「そう……良かった」


 わたくしは胸をなで下ろしました。けれど骨折と打撲です。さぞ強く体を打ったでしょう。これは父にちゃんと処置をお願いしなくてはなりません。


「いったい何が起こったのでしょう? カイ様はご存じなんですね?」


 ラケシスがカイ様に丁寧な口調で問うと、カイ様は半分隠れたまま視線を泳がせました。


「知っては……います。でも今はまだ言えなくて」

「なぜですか。狙われたのは姉か私のはずです。私たちには知る権利がある」

「そ、そうなんですけど。ごめんなさい、言えませんっ」


 カイ様がいっそうドアの陰に隠れていってしまいます。ラケシス、それくらいにしてあげて――。


「姉さんも、何でそんな他人事みたいな顔をしているの」

「他人事だとは思っていないわ。ただ、カイ様がお困りだから」

「それでも私たちには知る権利があるじゃないか!」

「そうだけど……!」

「あわわ、すすすすみません僕のせいですでも言えなくて……!」


 思わず喧嘩になりかけたわたくしたちを、カイ様が仲裁しようとした、そのとき――。



「……邪悪なるものは聖女を妬む。勇者の寵愛を受けし聖女の死を望む」



「………」


 わたくしはひくつきました。

 この声、この、妙に大げさな言葉の羅列……。


 誰かが、カイ様の後ろから姿を現します。カイ様よりさらに幼い女の子――。


「ソ、ソラさん……どうしてあなたまでここに!」

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