お約束はできませんが、――。5
だいたいこの国は、とラケシスの苛立ちの対象はだんだんと大きくなっていきました。
「――この国の王宮はどうかしてる! あんな長男と長女でこの先やっていけると思っているのか」
「ラ、ラケシス」
こうなってしまうとこの妹は止まりません。ひとしきり言いたいことを吐き出してしまうまで独壇場です。でも……
わたくしはラケシスの言葉を聞きとがめました。
「ご長男とご長女? それって王太子様とエリシャヴェーラ様のことじゃ」
「そうだよ」
「……何か、問題があるの?」
自慢ではありませんがわたくしは一般人です。しかも二年前まではサンミリオンから出たことなどなく、正直王族の方について『王族が提供してくれる』話題以上のものを知りません。
一般に言われる話では王太子シュヴァルツ様は立派な跡継ぎであらせられるし、エリシャヴェーラ様は大人しやかな淑女のはずなのですが……
わたくしのきょとんとした反応に、ラケシスは口をひん曲げました。
「……姉さんが王都に行ったあとにね。王太子たちがうちに来たことがあるんだよ」
「え?」
「ほら、うちの町は育児関連で成功しただろう。それについてぜひ話を聞きたいとかで、半年前に」
育児――。
出生率が増大したこの国の中でも、サンミリオンは育児の福祉関連をいち早く強化した町でした。育児に関するあらゆる可能性を模索した結果、失敗ももちろんありましたが、総合的にうまくいったのです。
父いわく、この町は自給自足のできない町だけに、なおさら人口の増加は歓迎だとのこと。働き手の増加は町のためになる、と。
そんな父の信念が幸運にも実を結んだと言えるでしょう。それにしても、まさかそれで王宮から人が来るなんて。
「本当はシュヴァルツ様と大臣だけがお付きの人をつれて来る予定だったんだけどさ。エリシャヴェーラ様もついてきたんだよ。『観光がしたい』とか言って」
「観光……?」
わたくしは首をひねりました。我が町のことながら、観光地などあったでしょうか。まったく思いつきません。
ラケシスは――
拳で力いっぱい傍らの小テーブルを叩きました。
「あの、とんでも姫! 父さんと私の前で何て言ったと思う? 『まあ噂通りに何もないところ! ここは何もないことに価値があるのかしら?』」
「……」
「おまけに滞在中あれが欲しいこれが嫌のわがまま放題。いくら王族でも許されることと許されないことがあるんだ!」
ガンガンとテーブルを連打。ラケシス、あなたの力でそれをやるとテーブルが……あ、折れた。
「あ」
ラケシスは慌てて折れたテーブルの脚をくっつけようとして……くっつくわけもなく、そっとテーブルを横に倒し、咳払いをしました。
「と、とにかく、王太子といい、あの王族には不安しかない」
何事もなかったように話を続けようとします。姉さんあなたのそういうところ嫌いじゃないわ。
でも後で、ちゃんと宿に謝りにいきましょうね。
「王太子様もそんなに困った方なの……?」
「情けない、を絵に描いたような方だよ。優柔不断、意気地なし、何かにつけて後ろ向きで前に進もうという気がない」
なるほど、それが事実ならラケシスが一番嫌いなタイプの男性です。
それにしてもずいぶんと容赦がありませんが、王太子様との間によほどのことがあったのでしょうか。
わたくしはため息をついて、カイ様を見ました。
「こんな話は初めて聞きました。本当なのでしょうか?」
するとカイ様は前髪に隠れた額をかりかりとかいて、
「……うちの王宮は隠蔽工作が大得意でして」
「……はい?」
「例の……前回託宣を無効とされた巫女の話も、大半の人が知らないのは風化するに任せたのではなく隠蔽した結果かと……」
「……」
「どんな王宮なんだよ!」
ラケシスが吠えます。実際、呆れた話です。
たしかに古今東西、王宮は秘密でできているものではあるのでしょうが……
(……エリシャヴェーラ様はわがまま姫?)
ラケシスが嘘や誇張で人を貶めるとは思えませんので、たぶん事実。そうなると……
(そんな人が、騎士を?)
奔放な騎士と、別の意味で奔放な姫が結婚。
……なるほど。王宮に面白おかしい――もとい、大変な未来しか見えません。というより、そもそも成り立つように思えません。おまけに気の弱い王太子の義弟が騎士とか、どんな笑い話でしょうか。そんな系図になってしまっては、そのうち王宮が騎士に乗っ取られるかもしれません。
(でも騎士は、結婚を断った)
「……カイ様。騎士はいつごろ姫に求婚されたのですか?」
わたくしがぽつりと問うと、カイ様は前髪を揺らしました。
「え、ええと。一年前――ですね。僕らが魔王を倒した直後です。王宮が主催してくださった凱旋パーティの際に見初めたそうで」
「――騎士は、なぜ断ったのでしょう?」
王宮に縛られるのが嫌だった? それとも姫と相性が悪いことを分かっていた?
「わがままだったから!」
大声を出したのはソラさんでした。「だってあの姫は偉そうだし、自分に手に入らないものはないと思ってる。そういうの、お兄ちゃんは大嫌い!」
「……でもそれは、ヴァイス様も似たようなものだよね」
ラケシスがぼそりと言うと、「なんだと!」ソラさんはラケシスをにらみました。
「だってそうだろ。ヴァイス様があそこまで姉さんを追い回せるのは、もう姉さんを自分のものだと思っているからだよ。いくら託宣があったからって、異常だ。手に入らないものはないと思ってるとしても驚かない」
「違う! お兄ちゃんは本当に好きなだけ!」
ソラさんがベッドに放置していた人形をわし掴みました。ネズミではなく、いつぞやの藁人形です。わたくしは慌ててソラさんをなだめようとしました。また人形を暴走させられては大変です――。
「大丈夫ソラさん、わたくしはラケシスのようには思っていないから」
「……うー」
「大丈夫。本当に」
……本当に?
自問自答を皆さんに悟られるわけにはいきません。わたくしはめいっぱいの笑顔で続けます。
「わたくしはサンミリオンに帰るのだし、王都を離れてしまえば姫様もあまり手を出す気にはならないでしょう? しばらく経てばわたくしのことなんて忘れてしまうわ。だって、他にも楽しいことがたくさんあるお姫様なんだもの」
「それは脳天気すぎるよ姉さん」
ラケシスは呆れたようにため息をつきました。
「……楽しいことがたくさんある姫君だからこそ、一度悪感情に取り憑かれたらしつこいんだ。姫は、姉さんを妬んでいるんだよ」
「――」
僕が王宮に話をしておきますから、とカイ様が言いました。
「必ず止めます。ただ、完全に止まるまで……気をつけてください」
「カイ様……」
「どうやって気をつけろというんだ」
ラケシスの嘆きはそのままわたくしの嘆きでした。
カイ様が慌てて弁解を始めます。カイ様のせいではないのに、彼は冷や汗をかいて一生懸命です。
自分のために動いてくれる人がいることのありがたさ。そして申し訳なさ。わたくしはそれ以上笑顔を作ることができず、ただ目を伏せました。
「あ、そうだ。……あの、お姉さん」
ふとカイ様が、おずおずとわたくしに手を差し出しました。
見ると、その手には粉薬のようなものがのっています。
「……これ、どうぞ。リリン草っていう花で作った薬です。心身共に疲労回復に役立ちます」
「リリン草?」
わたくしは声を上げました。ラケシスが驚いて「どうしたの、姉さん」とわたくしを見ます。
「い、いえ。たしかとても希少な花だと聞いていて」
「よくご存じですね、さすが。でも大丈夫です、この薬のリリン草は種を増やすために栽培されたリリン草のほうで、野生じゃありません。安全性と効き目は僕が保証しますから、安心して飲んでください」
「……」
聞けばリリン草の数が少なくなったのは、薬としての効果が高く採取されすぎたためとのこと。
「ゆ――有名なこと、なんですか? リリン草が疲労回復に効くというのは……」
「有名というか……そうですね。ハンターなら知っていると思いますよ。ラケシスさんもご存じでしょう?」
知ってるよとラケシスが肯定します。
わたくしはカイ様のくださった薬をてのひらに載せ、じっと見つめました。
『珍しい花を見てくれ!』
いつぞやそう言って飛び込んできた騎士――。
――疲れているな、と言った、あのときの彼の言葉が胸を巡ります。
そういう……意味だったのでしょうか? 彼はリリン草を、そのつもりでわたくしに……?
(言葉が足らなすぎます、騎士よ)
わたくしは薬を両手に包んで、祈るように額に当てました。顔を隠すようにして。
だからそのときのわたくしの表情は、誰にも気づかれなかったでしょう。きっと。
*
夜のとばりが落ち始めました。そろそろ就寝の時間です。
「見ろ巫女よ、これが手動式のびっくりネズミだ!」
一番早く眠ったほうがいいソラさんは、旅行気分で興奮しているのか、全然寝付く様子がありません。
「手動式?」
ソラさんが抱えているのは、いつもより一回り大きく丸っこいネズミの人形です。それを両のてのひらに包むように持ち、
「こうして手であっためる。熱が起動のスイッチになってる。そうして――ほら!」
手を放すと、ぴょん! とネズミがソラさんの手から飛び出しました。
「きゃっ……」
スカートにのっかられ、わたくしは思わず手で払ってしまいました。
払いのけたネズミは動かずぐったり倒れたまま。どうやら魔力で動かしているわけではなさそうです。
ソラさんがえっへんと胸を張りました。
「私が発明したびっくりネズミは、魔力のない人間でも使える! 巫女でも使えるぞ。どうだ、すごいだろう」
「え、ええと」
すごい、とは思いますが……
いったい何に使えばいいのか。いまいち分からず、わたくしは返答に窮しました。
ソラさんはベッドの上でぴょんぴょん飛びはね力説しました。
「魔術はすごいんだぞ。他にも瞬間移動したり、他人に自分の位置を報せたり、遠くにあるものを引き寄せたりできるんだ!」
「ソラさん座って。……ソラさんもできるの? その……瞬間移動とか」
「それはできない! 他ならできる」
「自分の位置を報せるとか?」
「できるが怪我をする!」
「……遠くにあるものを引き寄せたりとか?」
「1m以内のものなら!」
それは手が届いてしまうのでは。
要するに、まだ彼女は幼い、という話です。
その上わたくしの言う通り大人しく座ったソラさんが何だか微笑ましくて、わたくしはつい彼女の頭を撫でてしまいました。
「こらっ! 人の頭に軽々しく触れるな!」
「あっ、ごめんなさい」
「だが本当の姉になるなら許すぞ、どうだ?」
「――」
ソラさんが期待するような目でわたくしを見上げます。
彼女の姉になる――。
それはつまり、騎士と結婚するということです。
「……ソラさん。わたくしは、騎士とは結婚する気はないの」
「なぜだ。託宣をたがえる気か?」
「託宣は却下されたのよ。知らない?」
「知ってる。だがあれは王宮が決めたことであって、星の託宣の正当性は変わらない」
ソラさんはきっぱりと言いました。
正当性は変わらない――?
(……久しぶりに聞いた、そんな言葉)
それはわたくしまでが忘れかけていた、とても大切なこと。
胸があたたかさであふれ、知らず涙がこぼれそうになります。わたくしは慌てて目元をぬぐいました。
「信じてくれるの? あの託宣がわたくしの作り物じゃないって」
「お前がそんな卑怯なまねをするわけない。だってお前はばかみたいに真面目じゃないか」
ソラさんはわたくしの服を掴んで意味もなく揺らします。
そうして、ふんと鼻を鳴らしました。
「国の連中は託宣を軽んじた。今にきっとしっぺ返しをくらう。これは我の魔の託宣がなくとも分かることだ!」
「……ソラさん、それは誰が言っていたの?」
「親父殿が」
案外あっさりと白状して、ソラさんはわたくしの胸に飛び込んできました。
「巫女はあったかい。だから信じてやる」
「ソラさん……」
……ソラさんは母親を早くに亡くしているのです。甘えん坊なのはそのせいでしょう。
わたくしも……拒絶する気にはなれません。
わたくしはソラさんを抱き寄せました。ソラさんの髪の毛が肌に触れ、何だかくすぐったい気持ちになります。
わたくしの胸元に顔をすりよせ、ソラさんは言いました。
「胸がなくても許してやる。巫女はやわらかいからな!」
「……」
前言撤回。放り出してもいいですか。
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