そんなつもりはありません―6

「だれ!」


 中から鋭い一声。こんな深夜なのに起きている――?


「シェーラ」


 わたくしが呼ぶと、はっと驚くような気配が空気に伝わってきました。

 寝室の大きなベッドの上に、シェーラはいました。枕元にランプを置いて、こんな時間なのに読書をしていたようです。


「シェーラ」

「アルテナ!」


 シェーラはベッドから飛び降りて、駆け寄るわたくしを抱き留めてくれました。お互いに強く、強く抱き合い、無事を確認します。


「シェーラ……良かった。心配したのよ」

「アルテナ、ごめん。ごめんね」


 シェーラは泣いていました。この間はごめん、と繰り返します。そんなことはいいのに。あのときはわたくしが無謀だっただけです。


 今回はさらに無謀ですけれど。


「いやー無事で良かった」


 騎士は少し離れて立ち、のほほんとそんなことを言いました。

 シェーラは騎士を見て、「え……ヴァイス様!?」と口に手を当てました。


「アルテナ、ヴァイス様と一緒に来たの!? こんな深夜に!?」

「それについては深く聞かないでお願い」


 シェーラがにやにやと怪しい笑みを浮かべます。良かった、いつものシェーラです。

 でも……やっぱりやつれているような……?


「シェーラ、いったいどうしたの?」

「うん……」


 わたくしはシェーラをベッドに座らせました。見れば見るほど、やっぱり顔色が悪いのです。

 あんまり眠っていないの、とシェーラは言いました。


「眠る気にならなくて。だったら勉強していようかと思って」


 と、先ほどまで読んでいた本を指し示します。


「何の本?」

「基礎魔術……」

「ま……!?」


 シェーラは肩を落としました。


「……魔術でも使えるようになったら、ここから逃げられるかなって」

「シェーラ……」

「私、結婚させられそうなの」


 わたくしは息を呑みました。シェーラは、わたくしをまっすぐ見ました。


「噂は本当だったのね」

「そう。ミハイル伯爵のところのマックスと」

「マックス……?」


 ミハイル伯爵家のご長男はマクシミリアン・ミハイル。マックスは愛称で、近しい人しか使わないはずです。ということは……


「マックスは昔なじみなのよ。あいつは子どものころから王都に留学に来ていたから。縁があったの」


 シェーラは不満そうに唇を突き出しました。「で、昔からプロポーズされていたわ。私はずっと断ってきた」


「どうして?」

「だって!」


 シェーラは爆発するように何かを吐き出そうとしました。

 けれど、その視線が別のものを気にしました。――騎士ヴァイスです。


「……だって」


 やがてシェーラは騎士に聞こえないように、わたくしに顔を近づけ、小さな声で言いました。


「あ、あいつ、『貧乳は我慢してやるから嫁に来い』って言ったのよ……!」

「………」


 わたくしはひとつ、うなずきました。「なるほど……」


 わたくしとシェーラが仲良くなったのには、ひとつ大きな共通点があったからでもあります。


 女でこの特徴を持つものは誰しもその言葉を忌み嫌っている……きっとそうです。いえ、たぶんですけど!


 わたくしのごとく男性が苦手な女でも、気にはなるのですよ! それなのに、シェーラはそれをまともに指摘されてしまって――。


「シェーラ。逃げる気持ちよく分かったわ」

「分かってくれる? 分かってくれるのねアルテナ!」


 わたくしたちはもう一度ひしと抱き合いました。

 ……抱き合っても胸がぶつかることはない。それがわたくしたちです。


「お父様は裕福なミハイル家との繋がりを強くしたいのよ。で、ミハイル家は田舎の新興貴族だから……王都組で古いうちとの繋がりがほしいの。王都との繋ぎ、足がかりね」


 なるほど貴族らしい理由です。そういった親同士の打算も、シェーラが反発したくなる原因なのでしょう。


 わたくしはシェーラの手を握りました。


「でも独学で魔術はあまり感心しないわ。魔術はちゃんとしたところで修行しなければ危険な力でしょう?」

「そうなんだけど……」

「別の方法を考えることはできない?」


 そう言いながら、わたくしも自分でその言葉の虚しさを感じていました。別の方法? そんなものがあるのでしょうか。


「別の方法ならあるぞ」


 突然、騎士がそんなことを言いました。

 わたくしとシェーラは揃って騎士を振り返りました。

 騎士は、指を二本立てました。


「ひとつ、伯爵に堂々と願い出る。ふたつ、今ここで俺たちと一緒に逃げる」

「どちらも論外です」


 わたくしが即答すると、騎士は首をかしげました。


「どうしてだ?」

「どうしてって――」

「俺から言わせればこのふたつは成功率が半々だ。なんせ

「あなたが――?」


 騎士がいると何の得があるというのでしょう? 分からなくて、わたくしはきつく顔をしかめました。


「冗談はよしてください。真剣な話なんです」

「俺はいつでも真剣だぞ、巫女よ」


 まあたしかに真剣だからこの人は始末が悪い――のはどうでもよくて。


「ヴァイス様」


 シェーラが身を乗り出しました。

 その疲れた顔が、今は鬼気迫るものに変わっています。


「ヴァイス様。本当に協力してくださいますか?」

「シェーラ! 何を言っているの?」

「ヴァイス様がおっしゃっているのはたぶん本当よアルテナ。お父様は、ヴァイス様がいると態度を変える」


 シェーラはわたくしを見つめてうなずきます。


「何しろ今でも毎日アレス様やヴァイス様に遣いを出してご機嫌うかがいをしているくらいだから――。大半の日は、ご本人に会えないみたいだけどね」

「え……?」

「私ね」


 身を乗り出すのをやめ、シェーラはベッドの端に腰かけ直しました。


「……王都の貴族の子女に生まれたから、昔からたくさん社交界に出ていたの。たくさん、同じ貴族の子女に会ってきたわ」

「………」

「多くの子が、親が決めた道を歩くことを強いられていた。そして、半分の子はそれを受け入れていたけど――半分の子はそれを嘆いていた」


 彼女は嘆息しました。


「難しい話よね。昔は受けれて当たり前だったのよ。でも今は多少自由になったからこそ……不満に思う人が増えてしまったってことみたい」


 そしてそれは、私も。シェーラは目を伏せます。


「でも私は――貴族に生まれたことを、この環境を、嘆くだけで何もしない人間には、なりたくなかった」

「シェーラ」

「お父様には何度言っても無駄だった。だから家を飛び出したの」


 目線を上げ、わたくしの顔を見て、シェーラは真顔で言いました。「正しいやりかたとは思ってない。でも他にやれることが当時の私には思いつかなかった……いえ、きっと今の私でも同じことをするわね」


「………」

「ごめんなさい。修道院に迷惑をかけて」


 わたくしは首を振りました。


「誰も怒っていないわ。ただシェーラの心配をしているだけ」

「アルテナ……」

「シェーラ、あなたの勇気は本当に素晴らしいものよ。わたくしにはできないと思う」


 わたくしも両親と一悶着ありました。けれど最終的には、渋々ながらも修道院入りを許してもらった身です。

 断固として反対されたときに、シェーラのように徹底的に抵抗することができたかどうか。

 まして許可のないまま、ひとり家を飛び出すことができたかどうか。


(シェーラの心を守らなければ)


 わたくしは強くそう思いました。

 シェーラの志は守られるべきもの。そして志は、本人が一人で守る必要などないのです。周囲の人間の協力こそが重要――!


「もうひとつ、いいか」


 わたくしの気合いの腰を折るように、騎士が口を挟んできました。


「どうかしましたか? ヴァイス様」


 シェーラが受けると、騎士は「いやあ」と後頭部を撫でてあいまいな顔をしました。


「……こっちの選択肢は絶対なしか? 『マクシミリアンとよく話し合う』という――」


 とたん、シェーラが「う」と苦虫を噛みつぶしたような顔になりました。

 騎士は自身も悩むように視線を空中でさまよわせながら、付け足しました。


「マックスは俺も知り合いでな。けっこう懐かれているんだ。俺が言ってもしょうがないが、そんなに悪いやつではないぞ?」

「そ――そんなことありません!」


 弾かれたように、シェーラは声を上げました。「あんな、プライドが高くて人の話を聞かない男、願い下げです!」


「人の話を聞かない……」


 わたくしはじとっとした目でシェーラを見ました。「でもシェーラ、あなたわたくしにヴァイス様をおすすめしたわよね?」


「ヴァイス様とは話が違うわ。まだ自力で何の結果も出していないくせに、自分の家が裕福なのを笠に着て本当に偉そうなんだから!」


 シェーラは顔を真っ赤にしてまくしたてます。このことに関して、彼女の中に溜まったものがあったようです。

 けれど騎士は呑気に言いました。


「だがなあ。マックスの性格からして本気でなければ求婚などしないだろうから、相当シェーラ殿に惚れていると思うぞ?」

「……それは……」

「騎士ヴァイス、それは別問題です」


 わたくしは思わず口を挟みました。「一方的に好きになられたら結婚が決まってしまうのはおかしい」


 声に思わず実感がこもってしまったのは、この際許してください。


 たしかに、本気で好きなんだと言われたら――それを振り切るのは胸が痛みます。

 けれど、そんな中途半端な気持ちを理由にして求婚を受けることは、かえって失礼なのではないでしょうか?


「俺は何が何でも惚れさせるがな、巫女を」


 騎士がそんなことを言い出すので「それはともかく!」わたくしは断ち切りました。


「マックスと話し合うのは……」


 シェーラは両手で口元を覆い、悩んでしまいました。


 シェーラがマクシミリアン様と直接話したがらない理由は、何となく分かる気がします。

 たぶん――直接本人と話してしまうと、情が動いてしまうのでしょう。


 そしてそれではいけないと、シェーラ自身が思っているのです。


 例の、失礼きわまりないプロポーズが拒絶の直接の原因。けれど付き合いが長いならもっとたくさん――先ほどシェーラが力いっぱい主張したように――断る理由があるに違いありません。


 同じくらい、受けれてもいい理由も。


「シェーラ、ひょっとして」

「い、言わないで」


 わたくしが言いかけるのを、シェーラは激しく首を振ってとめました。両手で頭を抱え、


「だから考える時間がほしかったのよ! それなのにお父様たち、今すぐ結婚しろ結婚しろって――!」

「シェーラ、落ち着いて」


 心を乱した彼女を、わたくしが何とかなだめようとしていたとき――。


 騎士が動きました。突然寝室を出て行くと、戻ってくるなり重々しく告げました。


「伯爵が帰ってきたらしい」

「――え」

「侵入者に気づいてこの部屋に向かってるようだ。どうする巫女、シェーラ殿?」


 わたくしは心臓が止まるかと思いました。思わずシェーラと手を取り合い、息を呑みます。


 一気に混乱する頭の中で、ひとつだけ明確な疑問が浮かんでいました。どうして騎士には、伯爵の動きが分かったのでしょうか……?

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