そんなつもりはありません―1
騎士が現れるたび追い返し、騎士の妹が現れるたびなだめたりおだてたりして家に帰すことを繰り返しながら、数日経ったある日。
朝一でシェーラが、見たことのない女の子を連れてきました。
「新人よ、アルテナ。教育してくれってアンナ様が」
「わたくしが?」
「あなたと、私の二人で」
わたくしは喜びました。新人の教育は初めてです。わたくしの修道も人に教えられるほど、少しはさまになってきたのでしょうか。
名前はレイリアさん。年齢は十八歳で、わたくしたちより年下です。王都の出身だということで、シェーラと話が合いそう。そこはシェーラに譲るとして。
「星の巫女志望?」
「はい」
レイリアさんは大人しそうな顔でうなずきました。
シェーラが虚空を見て、言葉を探します。
「ええと……じゃあまず、もう知ってると思うけど星の巫女になるまでの道のりを復習しようか」
修道院には星の声を聴く『巫女』と、巫女見習いがいます。
厳密に言えば、星の巫女を目指していないふつうの修道女もいるのですが、この国では一般的に『修道女』=『星の巫女見習い』です。
見習いは行儀作法、勉強と、いくつかの技術を習います。星の巫女になれる者は一握り、そのためなれなかった者は修道院を出る可能性があり、そのときに困らないよう、手に職をつけようという試みです。ちなみにわたくしは簿記と造花作りを習っています。
星の巫女見習いは毎夜、祈りの間に集まります。そして、星の声に耳を傾けます。それを『
このとき、何人かは実際に声が聞こえるのです。
わたくしも何回もお声を賜りました。それは託宣と言うよりは、空の機嫌がいい悪いなどの、ささやかなお声であることが大半です。
ごくまれにこのときに重要なお言葉を聞く巫女もいます。例えば五年前の勇者の登場は、この御声拝受の際に一人の見習いが告げたそうです。
要は、星と同調する能力がここで試されるのです。
御声拝受によって、同調力が高いと証明された者だけ、三ヶ月に一度の星祭りの日に祭壇にのぼることになる――。
わたくしたちはそのとき初めて、一人前の星の巫女と認められます。
ひと月前、晩夏の星祭りの日。
わたくしは初めて祭壇にのぼりました。その数日前、アンナ様に『星の巫女として認める』と告げられたときの、わたくしの気持ちはお分かりでしょう。それこそ、天にも昇る心地でした。
けれど、浮かれてはいけないと自分を叱咤して精進に望んだのです。身を清め、食事を制限し、一日の大半を祈りに費やし……
そして当日。
あれほど気合いの入っていた日に、あんな託宣を自分で下すことになるなど、わたくしだって想像もつかなかったのです。
「あの……失礼ですけど」
一通りの話を終えたところで、レイリアさんはわたくしの顔をおずおずと見ました。
「? なんでしょう?」
「……アルテナ様は、このまま星の巫女をお続けになるのですか?」
「―――」
わたくしは絶句しました。胸を、見えないナイフでつかれたような心地でした。
シェーラが慌てて、
「そりゃあ続けるわよ。やめる理由がないもの」
「はあ」
レイリアさんは小さくうなずきました。「図太いんですね、アルテナ様は」
これに怒ったのはシェーラでした。バン! と机を叩き、声を張り上げます。
「ちょっと、失礼でしょう! そりゃあアルテナはこう見えてけっこう図太いけど、あなたに言われる筋合いはないわ!」
「……全然フォローになってないわよシェーラ……」
頭痛がしてきました。たぶんシェーラはまじめに言っているのでしょうが。
レイリアさんは納得していないようです。ということは……おそらくこの子は、託宣の日に起こった出来事を知っているのでしょう。
星の巫女たるもの清く正しく。不純異性交遊などもってのほか。
……あの日、無理矢理とは言え唇を奪われてしまったわたくしは、巫女の資格を失っています。
大げさではありません。御声拝受に臨んでも、星の声が聞こえなくなってしまったのです。最初こそ混乱しているからだと自分を励ましていたのですが、ひと月も続いてしまうと……もう認めるしかありません。
けれどわたくしは――騎士と結婚するつもりはないにしても――この修道院を出て行くことを考えませんでした。
星の巫女ではなくなっても、修道女としてここにいることはできるのですから、そこは問題ありません。
……周囲の目がだんだん冷たくなっていくことを除けば。
怒るシェーラ。まるで動じないレイリアさん。新人なのに彼女のほうがよほど図太……いえ精神的に強いなと思いながら、わたくしは二人を仲裁しました。
悲しいけれど、レイリアさんの言いたいことはもっともなのです。このまま平気な顔で修道院に居残るほうが、よほど異常だということ――
午後三時。個人学習の時間が終わり休憩に入るころ、わたくしは呼び止められました。
「アルテナ様。お客さまです」
「騎士ヴァイスなら追い返して」
「違います、魔術師カイ様です」
わたくしは目を丸くしました。
幸い今の時間、レイリアさんにも自主学習をお願いしているので、お客さまに会う時間はあります。修道院の前庭でお待ちだと聞き、わたくしは急いで向かいました。
建物を足早に飛び出し広い前庭を見渡しますが、人がいません。
わたくしは慌てませんでした。適当な場所に立ち、呼びかけてみます。
「カイ様」
するとどこからか、か細い声が聞こえてきました。
「……お姉さん……」
声で居場所のあたりをつけます。前庭にある大きな木々の一本に近づき見上げてみると、木の葉に隠れて小さな人影が見えました。
か細い声は、そこから落ちてきます。
「……あの……こんなところからで……ごめんなさい……」
わたくしはくすくす笑いました。
「いいんですよ。それよりよく勇気を出して他の
「……だって、お姉さんを呼んでほしかったんです……」
人影は一段階低くまでおりてきます。
ようやく姿が見えました。ローブを着込んだ十三歳の男の子です。蒼い髪は短く切りそろえていますが、前髪は伸ばして目を隠しています。それでどうやって物を見ているのか、わたくしはずっと疑問なのですが。
カイ・ロックハート様は勇者アレス様の一行の一人。ご一行の中で、わたくしが唯一以前から知っている人物です。極度の人見知りですが、とても優しくいい子なんですよ。
「今日はどうなさったのですか?」
わたくしは上を向きながら問いました。ちょっと首が疲れます。
「は、はい……ええと……ヒィィィッ!」
突然カイ様は悲鳴を上げて、がさがさと上のほうへ登っていってしまいました。
何事かとわたくしが周囲を見渡すと、猫が一匹のんびりと前庭を歩いて行くところでした。最近修道院に居着いてしまった猫で、みんなが餌をやるためとても人なつっこいのです。
「カイ様、大丈夫です。あの猫は恐くありませんよ」
「わ、わかっているんですが……ヒイッ!」
にゃー、と猫が一声鳴くと、カイ様は木の幹にしがみつきました。カイ様の動きで木ががさがさと揺れます。どちらかというと猫より木の揺れかたのほうが恐いです。
「ねねねねこここここ恐いですううううう」
「大丈夫です。何かあってもわたくしがいますから。ね」
「あああああうううううう」
「………」
言葉で励ましても効果がなさそう。わたくしは少し考えてから、猫のほうを動かすことにしました。
逃げ出さないよう抱き上げ、前庭のずっと向こうのほう――とりあえずカイ様の視界に入らないところ――まで移動させひとりで戻ってくると、カイ様はまだ半泣きでした。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「いいんですよ」
わたくしは笑って、気の小さな魔術師様に言いました。
カイ様は人間や猫だけではなく、動く生き物全般が苦手なのだそうです。自分の力で動くものがとにかく恐いとか。
それなのによく勇者様一行として働けたものだと思いますが、魔物が動くことに対する恐怖が、彼の魔術の威力をアップさせるのだそうです。
彼は幼いころから、恐がりだと周囲に笑われたり怒られたりしてきたとか。魔術師として頭角を現してからは、さすがにそういった声も減ったようですが……ゼロになったわけでもありません。
でも、理由なく何かが恐いというのは、わたくしにもあります。だから少なくともわたくしは、カイ様を情けないだなんて思いません。
「恐いときはいいですよ。でも触ってみたくなったら言ってくださいね。とても気持ちがいいですよ、猫を撫でるのは」
「……はい……」
こくこくとカイ様は長い前髪を揺らしてうなずきます。そんなところもかわいいと思います。
元はと言えば、町中でカイ様が犬に吠えられていたところを助けてあげただけの縁。
けれどカイ様はそれ以来、暇があればわたくしを訪ねてきてくれます。
声変わりのしていない声で「お姉さん」と呼ばれるのは、弟のいないわたくしには楽しい経験です。
「カイ様、王都に戻っていらしたんですね。また魔物討伐に出られたと聞いていたのですが」
シェーラは王都の近郊に勇者様が向かったと言っていました。「無事に帰ってきてくださって、嬉しいです」
「ははははい。ちゃんと倒してきました……」
「手強かったですか?」
「ててて手強かったです。でも、今回はヴァイスがいてくれたので」
「え?」
わたくしは驚きました。「騎士ヴァイスも一緒だったのですか? 最近は魔物討伐には参加していないのでは」
「今回は久しぶりに参加してました……。お、お姉さんに手土産だ! と」
「手土産……?」
「ああああのう、今回の魔物は宝石を食らう魔物で、腹の中にたくさん宝石がありまして……」
それをお姉さんに、と告げる声がとても申し訳なさそうです。カイ様の責任ではありませんのに。
「……魔物のお腹の中……」
わたくしはひくりと引きつりました。
宝石は嫌いではありませんが、そんな高価なものを頂く筋などありません。
それ以前に魔物が食らった宝石を喜んで受け取る自信がちょっとありません。宝石の価値自体は、変わらないにしても。
騎士が来襲したら気をつけよう。胸に固く誓いながら、わたくしはふと顔を上げました。
「カイ様、今日はどんな御用が? 顔を見せてくださったのですか?」
「ああああいえ、違うんです」
とても高い位置まで登っていたカイ様は、ローブをもろともせずするすると下りてきます。運動神経はとても良いのですね、さすが勇者様のお仲間です。
「……あ、あの。お姉さんに、気をつけてほしいと思って……」
「騎士ヴァイスのことですか?」
わたくしが即その名を出すと、「違うんです違うんです」とカイ様は、上でふるふる首を振りました。
「お、お姉さんが下した、託宣のことで……」
わたくしは口をつぐみました。朝に新人のレイリアさんに、それについて突っ込まれたばかりです。
考えると胸がちくちく痛みます。
「……わたくしの託宣が、どうかしましたか?」
「あの、ですね」
カイ様は迷うような態度を取りました。
木の幹にしがみついたまま、視線をわたくしからそらしてしばらく口を閉じます。
それから、意を決したように、わたくしに顔を向けました。
「あの託宣は無効です。王宮でそのように判断が下りました。それで、まもなく王宮から取り調べの者がお姉さんのところに来ると思います。どうか、気をつけて」
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