そんなつもりはありません―2
宮廷魔術師、という職があります。聞いて名のごとく、王宮に雇われている魔術師の方々です。
実はカイ様はそれにあたります。弱冠七歳で宮廷魔術師となり、十歳のときに勇者様の旅に加わったそうです。
そんなわけで、今では魔物討伐に忙しいとは言え、カイ様は王宮に頻繁に出入りします。そのため王宮の話にはとても詳しいのです。
何でも人に会わないよう陰や隙間を選んで移動しているうちに、見たり聞いたりしてはいけないものに触れ合ってしまうのだとか。
……早いうちにその習慣は直したほうがよいと思うのですが。
いえ、そんなことは今は横に置いておきます。
「託宣が無効? どういうことですか?」
わたくしは声に動揺がにじむのを隠せませんでした。
「あ、あの託宣は一度、公にされているはずです。今さら無効なんて」
星の託宣は、星祭りの日に下されたあと、王宮によって公式に広められます。
今回もそう。だから国民の中で託宣の内容を知らない者はほぼいないのです。
一度公表された託宣が無効になるなど――聞いたことがありません。
「実は、過去に一度あったんです」
カイ様は本当に申し訳なさそうに言いました。「――星の巫女が、自分自身のことを託宣で告げたことが」
「え……?」
そんな事例はあったでしょうか。覚えがなくて、わたくしは勉強不足かと焦りました。
「知らなくて当然です」とカイ様の口元が苦笑しました。
「そのときは即却下され、なかったことにされたんです。そのときの巫女の託宣はこうでした。『この国の王子と自分が結ばれ、子を成すだろう』」
「………」
「無効になった理由は、その巫女が以前から王子を思慕していたことが修道院から密告されたためです」
カイ様は静かに言いました。「……ただし、真偽のほどは分かりません」
「そんな」
わたくしは息を呑みました。
そんな出来事があったなんて。王子を慕っていたことが本当かどうか分からないまま、その託宣は否定されてしまったなんて。
「それで……その巫女はどうなったのですか?」
「………」
カイ様の長い前髪が揺れました。彼は、顔を伏せたようです。
「……国を追われました。今は隣国にいると聞いています」
「―――」
「で、でも、お姉さんもそうなるとは決まっていませんから!」
カイ様の声が、必死なものに変わりました。「だから、受け答えに気をつけてほしいんです。うまくすればきっと切り抜けられます! 仮に託宣は無効のままでも、国外追放はまぬかれるはず――」
わたくしは下を向きました。
これ以上、カイ様の優しい顔を(口元しか見えないのですが)見ていることができませんでした。
うまくすれば、最悪の事態はまぬかれる。それはそうなのかもしれません。だからこそ、カイ様はこうして早めに教えにきてくれたのです。
でも。
……託宣が無効とされた時点で。
わたくしの星の巫女としての立場は、完全に否定される――
カイ様は最後まで謝り続けました。どうしてカイ様が謝る必要があるのか分かりませんでしたが、わたくしは大人しく聞いていました。
そしてカイ様がお帰りになって……
すぐに自習室まで戻る気にもなれず、わたくしはふらふらと庭を歩いておりました。
――ふと。
視界に人影を見て、足が止まります。あれは……
(レイリアさん……?)
新人のレイリアさんが庭の片隅で誰かと話しています。
見たことのない男の人です。身なりからして修道院の下働きなどではなく、どこかいい家の使用人、といった風情でしょうか。
こんなところで隠れるようにして、何を話しているのでしょう?
レイリアさんは男性から何かを受け取ったようです。
そして男性は、またたく間に姿を消しました。わたくしは目をぱちくりさせました。今のは術か何かでしょうか?
「そんなところでどうされたのですか、アルテナ様」
声をかけられ、わたくしはぎょっと身を縮めました。
「逢い引きをのぞき見なんて、趣味がお悪いですよ?」
気がつけばレイリアさんがこちらを見て笑っていました。受け取ったもの――小さな瓶――は胸に大切そうに抱いています。
「あ、逢い引き?」
「冗談ですよ。今のは家の者なんです。私の薬を持ってきてくれて」
薬……
レイリアさんはこちらまでやってくると、わたくしにも瓶を見せてくれました。
何の変哲もない、液体の入った瓶です。こんな薬瓶なら、わたくしも何度も見たことがあります。
何の薬でしょうか。そんな疑問をのせてレイリアさんを見ると、彼女は微笑みました。
「眠り薬なんです。実は不眠症で……そういう自分の精神の弱さがいやで修道院へ来たのですが、簡単には直せそうにないので」
「……修道院には、薬のたぐいを全部提出するようにという決まりがありますよ」
「分かっています。すぐに提出します」
伏せていた目を上げて、レイリアさんはにこりと笑う。「あ、彼が来ていたことだけは内緒にしておいてください。お願いします」
「………」
わたくしは黙って肩をすくめました。しょうがないわね、の意思表示でした。
カイ様がそうだったように、外部の人の入ることができる場所は限られています、今回くらいは目をつぶろうか。そもそも今のわたくしはそれどころではありません。このことをアンナ様に告げたら教育係のわたくしたちもろとも今すぐお説教になります。
いつもなら当然のこととして構わなかったのですが、今は……そんな元気がありませんでした。
早くシェーラに会って、カイ様の告げたことについて相談したい。心の中はそんな思いで一杯だったのです。
ですが――
異変は、それから三日と経たないうちに起きました。
「シェーラが……いなくなった!?」
その報せに、わたくしは愕然と声を震わせました。
急いでシェーラの部屋を見に行くと、シェーラの荷物がひとつ残らず消えていました。二人部屋のためがらんどうではありませんが、相部屋の修道女は泣きそうになりながら事情を話してくれました。
「昨夜シェーラ様と二人で夜の勉強の間にお水を飲んだんです。そうしたら、突然眠くて眠くて仕方がなくなって――」
眠り薬。その言葉が、わたくしの脳裏を駆け巡りました。
眠らされたのはこの子だけなのでしょうか。まさかシェーラ自身も……?
(……眠り薬? と言えば――まさか!)
わたくしはレイリアさんの居所を捜しました。
――いません。
案の定、と言うべきなのか。荷物ごといなくなっています。
修道院はにわかに騒然となりました。
どんな方法をとったのか分かりませんが、シェーラはさらわれたようです。そしてレイリアさんは、そのことに関わっているらしい――
わたくしはアンナ様に、数日前にレイリアさんと交わした、眠り薬に関する会話を報告しました。
とても叱られました。もっと早くにそれを報せていれば、シェーラは今もこの修道院にいたかもしれないと。
ただちにシェーラの捜索隊が出されました。
中には、シェーラが自分で出て行ったのでは、と言う人もおりました。もちろんその可能性もなくはないのです。
ですがわたくしには、とても信じられませんでした。シェーラはここ数日、わたくしの悩みを親身になって聞いてくれていました。『私がアルテナを守るからね!』と力強く請け負ってくれた彼女が……何も言わずわたくしのそばからいなくなってしまうとは、どうしても思えなかったのです。
胸にもやもやとした暗雲を抱えながら、わたくしは捜索隊の結果を待ちました。
勇者アレス様とカイ様が、心配して様子を見に来てくれました。騎士には『絶対来るな』と厳命したそうで……ふしぎなことですが、騎士はそれを忠実に守っているようです。
祈りの間でシェーラの無事を祈ること二日――
シェーラは、わたくしの思いもよらない場所で見つかりました。
つまり、彼女の実家――王都郊外にある、ブルックリン家の別荘――で。
*
「ブルックリン伯爵から正式に書状が来たそうです。『娘は連れ帰らせてもらった』と」
わたくしはアレス様とカイ様を前にして、消沈した声でそう説明しました。
「アンナ様は抗議してくださいました。でも……元々伯爵は、シェーラが修道院に入るのに反対の人だったようで。シェーラはほとんど家出同然に修道院に来たのです。……逆に伯爵から抗議し返されました。『さらったのはそちらだろう』と」
シェーラは一人っ子なんです――
わたくしがぽつりとそう言うと、アレス様は「うーん」とうなりました。
「それはまずいですね。今のご時世貴族でお子さんがひとりきりというのは珍しい話ですが……」
「お、奥様が早くに亡くなられたんですよ。とても美しい奥様で、伯爵は後妻をめとりませんでした」
と、そう補足してくれたのは、貴族にも詳しいカイ様でした。「それだけに、一人娘のシェーラさんに対する愛情がなみなみならぬもの……なんです」
「なるほど。困りましたね」
アレス様は腕を組み、真剣な顔で悩んでくれています。
ここは修道院の近くにある屋台。朝早くにわたくしを訪ねてくれたアレス様とカイ様に誘われたのです。
男性は苦手なわたくしですが、この二人は大丈夫なようです。見た目がとても優しげで女性的なアレス様と、年下で人見知りなカイ様。なんでしょう、この二人が一緒だとむしろほっとするくらいです。
「ですが……ちょっと疑問ですね」
アレス様はあごに手を触れました。「ブルックリン伯爵はたしかに強引な人です。ですがここまでのことをする人とは……」
「………」
そのとき、わたくしとアレス様の間にいたカイ様がぴくりと震えました。
すかさずアレス様が、カイ様に顔を向けます。
「どうした? 何か言いたいことがあるか?」
「……あ、あの、たぶん……ですけど」
カイ様は自信なさげにか細い声でつぶやきました。「……貴族の親が強引な手に出るときっていうのは、相場が決まっていて」
「……まさか」
アレス様が息を呑み、わたくしは口を手で覆いました。
カイ様はうなずきました。
「はい、そうです。……子どもを、結婚させたいときです。たしか……ブルックリン家は近しい貴族と、縁談を進めていたはずです」
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