一体どうしてこんなことに?―4

 すべて終わったというのに、肌がぴりぴりと緊張を訴えます。

 なぜか――『恐い』という思いが、消えません。


「………?」


 理由をさがして視線をめぐらせ、はたと騎士に目を留めました。


「大丈夫か? 巫女よ」


 来るのが遅くなってすまない、と騎士ヴァイスは言いました。


「なにぶん狭い屋根裏を片付けていて、すぐに出てこられなかったものだから……巫女の悲鳴も聞こえてはいたのだが」

「………」


 ねずみに囲まれていたときのことでしょうか。今思い出すと恥ずかしくて顔から火が出そうです。

 それはともかく……


 騎士ヴァイスの姿。剣を片手に、もう片方の手に妹さんを抱えて、すらりと立っています。その頼もしさはいかにも歴戦の戦士。ふつうなら見とれてもいいくらいだと、わたくしでも思います。


 それなのに――恐い。


 そうでした。わたくしは『力』が恐いのです。


(何を言っているの。騎士は助けてくれただけなのに)


 自分を叱咤し、勢いをつけて立ち上がろうとしたとき、足首に痛みを感じました。


「痛っ」

「………? 巫女、足に怪我をしているのか?」


 騎士はソラさんを床におろし、しゃがみこんでわたくしの足首に触れようとします。「今手当をするからな。じっとしていてくれ」


 わたくしは反射的に避けかけて――ぐっと力をこめ、それを我慢しました。


 助けてもらったあげく、厚意までむげにしては、わたくしの心が罪悪感でつぶれてしまいます。


 騎士の手当は迅速でした。包帯も薬も持ち歩いていたようです。そういうところはさすが勇者一行の一員でしょうか。それとも騎士のたしなみでしょうか。


 無骨な手が手早く包帯を巻いていく――。思いがけない器用さに、わたくしは見入ってしまいました。


(彼の手は、熱い)


 触れる指先からそんなことに気づきます。手なら今までにも触ったことがあった気がするのですが――記憶から抹消してしまったのでしょう。


 体温が高い。何だか騎士らしいです。


「よし! ひっかき傷とは言え、あんまり無理して歩かないようにな?」


 そう言って、騎士は手を差し出しました。

 わたくしは――だいぶ逡巡してから、その手を借りて立ち上がりました。


 騎士のひどく満足そうな顔。……何だか、負けた気分になります。


「それにしても……一体何をしているんだソラ。お前はまだ見習い人形遣いだろう」


 わたくしから手を放した騎士は、打って変わって厳しい声でソラさんに言いました。


「ほら、巫女に謝るんだ」

「……」

「ソラ!」

「だ、だって」


 ソラさんの目にみるみる涙がたまっていきます。やがて火のついたように泣き出した妹さんを見て、騎士はため息をつきました。


「すまない、巫女。この子はまだ泣いたら許されると思っているようなところがあって……あとでよく言って聞かせる」

「いえ……」


 ソラさんは騎士ヴァイスの足にすがりつき、泣きじゃくります。

 この懐きよう……


(お兄さんが大好きなのね。お母様代わりだったのかも)


 そうなるとソラさんから見れば、あの星の託宣は他でもない大事な兄を奪う託宣なのです。実態はともかく、わたくしが兄を奪う邪悪な存在に思えたのでしょう。


「ソラさん」


 わたくしはソラさんにゆっくり近づきました。


 ソラさんはびくっとしてますますお兄さんの足に隠れます。構わず、わたくしは目線を合わせるためにかがみ、


「心配しないでください。お兄様はどこにも行きませんよ」

「――……?」

「わたくしも結婚するつもりはありませんし。あなたのお兄様に合う人が簡単に現れるとも思えません。だからお兄様はもうしばらく独身だと思いますよ」

「待て巫女よ何気にひどいことを言ってないか?」

「気のせいです」


 げらげらと笑い声が聞こえてきました。いつの間にか奥の階段のところで、騎士のお父上がお腹を抱えて笑っています。


 わたくしたちの視線に気づき、目元を指先で拭うと、


「いやあいい! いい娘さんだ……! ぜひともうちの嫁に!」

「いえですからお断りします」

「そんなことを言っていいのかな? 薬草の代金がどうなってもよいと?」

「それとこれとは別ですので代金はいただいていきます」


 きっぱり言い切ると、お父上はますます笑いました。


「素晴らしい。もういっそヴァイスではなく私の嫁に来ないかね」

「ちょっ、親父殿!?」


 お父上の言動にわたわたと慌てる騎士は……ちょっと面白いです。騎士にも勝てない相手はいるのですね。


 騎士の新しい一面を知ること。


 ……癪ですが、少し楽しい、かもしれません。




 お父上はちゃんと薬草の代金を払ってくれました。おまけに「娘が迷惑かけた詫びだ」と上乗せしてくれました。


 わたくし個人の話とは言え、修道院にとって助かることでしたので、ありがたくいただいておくことにしました。


「それとこれは、以前アンナ様に頼まれていたローブだよ。魔術をかけてある。渡しておいてくれるかな」

「はあ……一体どんな魔術を?」

「冬でもあたたかい。そろそろ寒くなってくる時期だろう? アンナ様は寒がりなんだ、知っていたかね?」


 いえそんな個人的な話は存じませんが。「このローブが気に入れば、頃合いを見て巫女全員分を作るそうだ。うちとしてもぜひ気に入ってもらいたいね」


「………」


 わたくしは受け取った白いローブをふしぎな気持ちで見つめました。


 魔術と言えば戦いの道具――。そんな先入観がわたくしにはありました。


 けれど実際にはこうして平和的な使い方もできるのだと……頭では分かっていても、どこかで納得していなかったのでしょうか。


(わたくしは、本当にまだまだですね)


 店の外に出ると、真昼の太陽がぽかぽかと出迎えてくれました。薄暗い店内に慣れた目にはちょっとつらくて、わたくしは手をかざします。


 今日一日で、いろいろなことに気づきました。思い返してみると、こうしてこのお店に来たことも悪い経験ではなかったようです。


 もっとも、二度は来たくありませんが……


 何となく、薬草を売ることを理由にして、また来させられる気がします。アンナ様は託宣至上主義。そしてアンナ様の命は絶対です。


「またきっと会えるだろうね」


 ドアのところまでお父上とソラさんが見送りに来てくれました。


 ソラさんは、今度はお父上の足に隠れてこっそりわたくしの様子をうかがっています。十歳にしては幼い気がするので、騎士ももう少し厳しくしつけたほうがよいかもしれません。


 ただ――根は決して悪い子ではないと、思います。


 わたくしが手を振ったとき、わたくしをにらみつけたまま、おずおずとその右手を振り返してくれたときの赤く染まった頬――。


 それは決して、わたくしに対する悪意ではありませんでしたから。



 悪くない一日でした。



「巫女よ。あそこは俺の実家であって俺の家ではないが、気に入ったならあそこに住んでもいいぞ?」


 悪くない一日だったんです。ねずみに襲われたり人形に襲われたりしましたが、悪くない――。


「ちなみに俺は五人兄弟だ。下は四人全員妹だから、俺と結婚すれば一気に妹が増えてお得だぞ……うん? 巫女は何人兄弟だったかな」


 修道院まで送るという名目でついてくる騎士は、わざわざ足をとめてぽんと手を打ちました。


「そうだ、うちの一番上の妹は巫女より年上だった。年上の妹も面白いだろう?」


 わたくしは――


 とうとう頭を抱えました。どうしてこう、騎士の話題はわたくしの頭痛の種を増やしていくのでしょうか。年上の妹? 一番厄介ではないですか! いえ結婚する予定はないのですが、それにしても!


 あなたさえついてこなければ、『いい一日でした』で終わるのです、騎士ヴァイス……!


 わたくしはくるりと振り返り騎士をにらみつけました。

 すると騎士は、なぜかにっこり笑いました。


「な。うちの家族はいい奴らだったろう?」

「―――」


 わたくしは唇を曲げました。正直な思いを答えるのがとても癪。とても悔しい。……けれど。


「……ええ、そうですね」


 日差しがまぶしい。何だか太陽が笑っているみたい――



 この話には後日談があります。


 それは一週間後のことでした。騎士ヴァイスが来襲することに怯えながらシェーラと食べるお昼ご飯。食堂は星の巫女や見習い巫女、下働きのかたでいっぱいです。


 そんな中……


「味が薄い」


 堂々と修道院に乗り込んで、テーブルについてご飯を食べ、文句を言っている人物がひとり。


「……ソラさん。何をしているの?」


 わたくしは隣に陣取ったソラさんの手元を呆れながら眺めました。


 修道院には子どもも多いので、子ども用のご飯もあります。彼女が食べているのはまさしくそれで、味付けは薄いものの栄養は満点です。


「そなたの採点に来た」


 口をもぐもぐさせながら、ソラさんはそんなことを言いました。


「採点?」

「仕方がないから託宣が偽ではなかったことは認めよう。そうなれば次はそなたが兄上にふさわしいかどうかを我が採点する」


 あのときのように、妙に尊大な口調でソラさんは胸を張ります。


 向かいには、びっくりしたような顔でわたくしたちを見比べるシェーラ。


 わたくしはうんざりして額に手を当てました。


「あのねソラさん。わたくしはお兄様とは結婚するつもりはないと何度言ったら――」


 するとソラさんは即座にわたくしを見て、真顔で言いました。


「お兄ちゃんの何が不満なの」


 全部、と即答しかけてわたくしは慌てて言い直しました。


「不満とか不満じゃないとかではなくて。わたくしはあなたのお兄様を愛していないのよ、それで結婚できるわけがないでしょう?」

「でもお兄ちゃんはあなたが好き」

「……それでもです」


 ちくり、と胸が痛んだような気がして、わたくしは自分で驚きました。


 どうしたのでしょう? まさかあの騎士の「好きだ愛してる」攻撃を信じ始めたとでも言うのでしょうか?


(冗談ではありません)


 ふるふると顔を横に振ると、ソラさんは不満げに鼻を鳴らしました。また声のトーンを一段階低くし、


「それならそれでよい。我はそなたを見張り、そなたの言動次第では罰を下すのだ」


 それきり、目の前の食事にかぶりつき始めました。そして全てたいらげると、


「常に見ているぞ、巫女よ!」


 胸に例の怪しい人形(作り直したのでしょうか)を抱え、芝居がかかった一言を後に残して、風のように消えました。


「……すごいことになってるわねえ、アルテナ」


 シェーラがぽつりとそんなことをつぶやきます。わたくしはシェーラをにらみました。あの日わたくしを一人であの店へ行かせたのは誰だった?


 ですがあの日、シェーラが一緒にいれば状況は変わっていたのかと言えば……大して違いはなかったかもしれません。


 全てはアンナ様のご命令が始まり。ですが修道院のためのお勤め。


 ああ、本当に本当に――。


 わたくしの嘆きの一言を、シェーラは無視しました。きっとどうしようもないからなのでしょう。本当に、


「一体、どうしてこんなことに……」

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