いやだと言ったら、いやです。―2
「巫女よ! 土産だぞ!」
聞きたくもなかった声が聞こえてきたのはそのとき――
わたくしははっと身を固くしました。勇者様が「あちゃー」と言いたげに片手で顔を覆います。
修道院前は大きな通りです。その向こうから、すっかり見慣れてしまった長躯の男性がのっしのっしとやってきます。
肩に何やら黒々とした大きなものを担いで。
「……?」
あれは何でしょう。遠目に分からなかったわたくしは、ちらちら騎士ヴァイスを見ながら(まともには見たくなかったのです)首をかしげました。
「おお。アレスも一緒か!」
近くまでやってきた騎士ヴァイスは友人の姿を発見して歓びの声を上げました。
「ん? しかしアレスが巫女に何の用だ?」
「お前のことで来ているんだよヴァイス……」
勇者様は「その、肩に担いでいるものは何だ」と厳しい声で問いました。
「これか? 見ての通り仕留めたばかりのイノシシだ! これからイノシシ汁でもどうかと思ってな」
「――――――!」
わたくしは声にならない悲鳴を上げ、ずざざっと数歩後ろに飛び退きました。
それを見た騎士ヴァイスが、きょとんとわたくしを見つめます。
「どうした巫女よ? イノシシはうまいぞ?」
「こ、ここは修道院です……! 敷地内に入ってこないで!」
わたくしは必死で首を振り、逃げてはいけないと気づいてからはほうきでツンツン騎士を押して敷地外へ出そうとしました。
「な、なんだなんだ?」
「お前の脳にはちゃんと味噌は詰まっているのか」
呆れた声を出したのは勇者様。「この単細胞が。時と場所を考えろ」
……え、今の本当に勇者様の言葉?
あの、穏やかで人のよくできた、悪口を言わない勇者様の言葉?
混乱するわたくしをよそに、勇者様は騎士に説明してくれました。なぜわたくしが怯えたのか。
「いいか、修道院は菜食主義だ。まして殺した生き物を敷地内に持ち込むなどもってのほかだ。おまけにこの時間帯はもう朝食が終わっている。これくらい王都の人間なら知っておけ、大馬鹿が」
「そうなのか?」
騎士ヴァイスは困ったようにうーんと唸りました。あごを撫で、「菜食主義か……」などとつぶやきながら、大人しく修道院の敷地外へ出て行きます。
こういうところ、ヘンに素直な人のようです。
勇者様はわたくしの前にいるままで、離れていく騎士に話しかけます。何だか変な構図です。
「だいたいお前、星の巫女殿に求婚しようというのになぜ修道院について学ぼうとしなかった? その時点で不誠実だぞ」
さすが勇者様、何てまともなお言葉!
きっとさっきの辛辣な言葉はわたくしの気のせいだったのでしょう。勇者様はまともです。
いやー、と、振り返った騎士は眉尻を下げました。
「そんなこと言ったって、巫女は俺の妻になるのだろう。すぐに修道院から出ることになるじゃないか」
「人の過去の積み重ねを全部無視すると? 修道院を出たからと言って、彼女が菜食主義を止めるとは限らん」
そう、そうなんです。
菜食主義とはとても難しいものです。修道院は一言で「菜食」などと申しますが、わたくし個人の感想を言えば、生命を口にすることは決して罪ではありません。
そもそも植物には生命がないのか……という根本的な問題にも行き着いてしまいます。
わたくしはその意味でとても中途半端です。修道院に入る前には、ふつうにお肉やお魚も食べておりました。例えば修道長アンナ様のように菜食主義にこだわりがあるのかと言えば、そうとも言えないかもしれません。
ただ……
わたくしはどうしても、「原型を留めている」生物を食べることができないのです。
そしてその時点で――その自分の卑怯さ、卑小さを感じるにつけ――わたくしには生命を食べる資格はないのだと、思うのです。
修道院で自ずと気づいたこの思い。だから今のわたくしはたぶん、修道院を出ることになっても簡単には菜食を止めません。
勇者様はさらに言います。
「お前の行為は一方的な気持ちの押しつけだ。巫女殿は迷惑しているんだ。いい加減理解しろ」
「いやしかし、俺の気持ちを表現しないのは不誠実だと」
「押・し・つ・け・だ。彼女の生活を害することのどこが誠実だと?」
ああ……!
ようやくまともなわたくしの味方が現れました! 今まではアンナ様のように「逃げるな」と言う人か、シェーラのように「悪くないと思う」と言う人か……そうでなければ「偽託宣を下しやがって」の人しかおりませんでした。
ようやくわたくしの味方が! わたくしの気持ちにそって結婚に反対してくれる人が――
「そんなことで巫女殿の心を掴めると本気で思うのか?」
「うむ!」
「自信満々即答するな阿呆。お前はもっと女心を学べ。そして真摯に彼女と向き直れ」
……あれ?
感謝の祈りを捧げようとしていたわたくしの手が、ふと止まります。
「勇者様……」
「はい? 何でしょう」
くるりと振り返った勇者様はやっぱり優しげで、騎士ヴァイスに対するときの顔つきとは別人のようです。
わたくしはおどおどと、勇者様を上目遣いに見ました。
「ゆ、勇者様は、この結婚に、反対――してくださるのでは?」
え、と勇者様は驚いた声を出しました。
「反対……ですか。ええと……」
そして逆にお尋ねになりました。どこかふしぎそうに。
「でも、託宣ですよね? あなた自身の……」
「――――!」
本日二度目、声にならない悲鳴。ほうきをぎゅっと抱きしめ、わたくしは首を振るどころか全身を振りました。
違うんですと叫びたかった。あの託宣は、きっと何かの間違いなんですと。
もしも他人が下した託宣だったなら、もう少し何か言いようがあったかもしれません。その巫女の能力を全否定することにはなってしまうけれど、わたくしの葛藤も少しは違ったものになったでしょう。
でもあの時、わたくしはたしかに聞いたのです。星の声を!
わたくしがどんより影を背負ったことに気づいたのか、勇者様がおろおろと「アルテナ。元気出してください」と励まそうとしてくれます。
すると離れた敷地外から、無駄に声の通る騎士が話しかけてくるのです。
「アレス! 俺の巫女殿を気安く名前で呼ぶな。俺でさえまだ気軽には呼んでいない」
「変なところに気がつくなお前は……」
「気づいて当然のところだ。それから巫女殿! 俺は菜食はやはりいかんと思う!」
修道院の目の前で。たぶん建物の中にも聞こえる声で、騎士は言いました。
「巫女殿は俺の子を産むのだ。俺の子だぞ? 腹を突き破るくらい元気だろうから、肉も食わねばとても対抗できん!」
自信満々にそう胸を張る、遠目にも凜々しい(大きなイノシシをかついだ)騎士の姿に――
「……もう、いやああああああっ!」
わたくしは、錯乱してその場を逃げ出しました。
「巫女殿? 巫女――!」
「敷地内に入るなヴァイス!」
「ええい、なぜイノシシがここにあるんだ!」
「お前が狩ってきたからだこの阿呆! いいから来るな……!」
背後から騎士ヴァイスと勇者アレスの意味のないやりとりが聞こえてきます。……
「大丈夫? アルテナ」
修道院の端の廊下で、膝をかかえてしくしくと泣いていたところへやってきたのは、心配顔のシェーラでした。
「大丈夫じゃありません……」
「おもしろ……じゃない、凄かったわねえ今日は勇者様までいて。みんなこっそり見てたわよ」
「!」
余計なことを知らされて、わたくしはいっそうさめざめと泣きました。
「もういやあ……」
これはわたくしが悪いのでしょうか。逃げるわたくしが全て悪い?
託宣なのだから、大人しく従わなくてはいけない。……本来はそうなのでしょう。
正直なところ、自分でもなぜこんなに反抗心しかないのか分かりません。わたくしとて修行した星の巫女。託宣の大切さは重々理解しているつもりです。
――二人の間に生まれた子は、救世主となるという。
国のためを思うなら、従うべきなのでしょう。わたくしにも愛国心ぐらいあります。国の人々の役に立ちたくて星の巫女になったのですから。
それなのに……
頭の中を今日の騎士の姿が巡ります。イノシシを担いだ姿。菜食はやめろ。おまけに大切な魔物退治を断ってまでわたくしに、――
何度考えてみても。
どうしても。どうしても!
口から出てくるのはこの言葉ばかり――
「いやだと言ったら、いやです!」
星に逆らうわたくしは、巫女を返上しなくてはならないのでしょうか。
どうかもう少し考えさせてほしいのです。どうか……
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