一体どうしてこんなことに?―1
あまり大きな声では言えませんが、修道院は金欠です。
それと言うのも、このところ、国の援助も国民からの寄付も減っているのです。
原因は魔王と、そして国自体でした。
我が国エバーストーンはおよそ十年の間、魔王に苦しめられました。その期間我が国に起こった変化があります。それは何かと言うなら。
出生率の増加だったのです。
たぶん――少し下品な物言いかもしれませんが――魔王に対する不安から、本能的に人々が子孫を求めた結果なのでしょう。子どもが本当にたくさん生まれました。もとより出生率が高い方である我が国でも、類を見ないほど生まれました。
その結果、国は活発化――するかと思えば、残念ながら。
国は政策に失敗したのです。
ただし、必ずしも『情けない王族』とは言えません。
魔王は我が国を集中的に攻めました。なんでもこの国の土地に、魔族にとっては喜ばしい何かがあったのだそうです。わたくしは詳しく存じませんが。
エバーストーンは魔王に攻められ、おまけにその隙に他国に出し抜かれました。上手に利益を奪われ、どんどん丸裸にされてしまったのです。
そして魔王が倒され、一年。
国はようやく落ち着きつつあります。『魔王はもういないのだ』と人々が分かり始めた、とでも申しましょうか。前向きな風潮がそこかしこから見られるようになりました。
元来この国は陽気な国です。貧困などなんのそのです(騎士ヴァイスを見れば分かると思います)。
不安がうずまく一方で、それはそれとして笑おう――ここはそんな国のようです。
さてそんな話はともかく、修道院は金欠です。
ざっくり言うなら国は魔王の後始末に忙しく、修道院を重要視してくれてはいるものの、こちらばかり見てはいられません。
国民は各々の生活を立て直すのに必死で、寄付どころではありません。
けれど修道院は、就労によって金銭を得ることを伝統的に禁じています。「規則は守らねばならない」「そんなことを言っている場合ではない」と、上の方々は議会を開くたびけんけんがくがくだそうです。結論はいまだ出ません。
だからその折衷案として――
わたくしたちは、昔から育てている薬草たちの種類を増やし、それを売ることにしたのです。
*
「いってらっしゃい、アルテナ」
「ありがとうシェーラ」
シェーラに見送られながら、わたくしは修道院から足を踏み出しました。
午前十時。今日はまぶしいほどの晴天。空気もきれいで、遠目に望む山々がきれいに色づいているのがはっきりと見えます。
わたくしは抱えた籐のかごを抱きしめ直しました。中身は大量の薬草――。
大切な資金源。落としたりしたら大変です。
『薬草を売りに行ってほしい』と、修道長アンナ様に頼まれたのは今朝のこと。
本来はわたくしとシェーラの二人に申しつけられた仕事でした。ですがシェーラは、
『ごめん! 私今日やりたいことがあるの。一人で行ってもらえる?』
薬草は一人で十分持てる量でしたし、わたくしとしては断る理由もありません。快諾したときのシェーラのほっとしたような顔を見れば、少しはいいことをしたような気にもなります。
『今日行く店、アルテナは初めてよね? 地図を描いてあげる』
『助かるわ。……行くのが難しいところ?』
『うん、ちょっと入り組んだところだから、迷わないように気をつけて』
ざっくりとした位置を尋ねると、たしかに入り組んだことで有名な地区でした。店舗だというのにそんな場所にあっては、誰も見つけられないのではないでしょうか。
『特殊な魔術具店だからね。知る人ぞ知るでいいのよ』
そう言ったシェーラは、慌てて言い足しました。『あっ、怪しいお店じゃないのよ? だって修道院が取引するようなところだし――。安心して行ってきてね』
言われるまでもなく、アンナ様のお申し付けに危険が伴うはずもありません。わたくしは笑って『分かっているわ』と言いました。
シェーラと別れ、道中はひとり――。
人気のない修道院の周辺を離れ、活発な商業地区へと向かいます。
目的地は商業地区をさらにはずれた、王都の東の端。
王都は広いのです。地図上では気にならない距離も、実際には一時間歩く、なんてこともざらです。
わたくしはシェーラの地図を眺め、考えました。
(まだかなり歩くし、お水を一杯飲んでいこうかしら)
……そう思ってしまったのが運のツキだったのです。
「巫女ではないか!」
その声が聞こえたとたん、わたくしは自動的に回れ右をし、来た道を戻ろうとしました。
けれど相手のほうが歩幅が広いせいか――声はあっという間に追いつき、わたくしの腕を掴みます。
「待て待て。まだ俺は何もしてない」
「なぜあなたがいるのです……!」
わたくしは振り返り、腹立ち紛れに怒鳴ってしまいました。
水売りのおじさまがぎょっとした様子でわたくしと先客――騎士ヴァイスを見比べます。
おまけに周囲の人々も目も集まり、わたくしは肩をすぼめました。できることならこのまま消えてしまいたい。
「なぜと言われても、ここは水売りだ。水を飲みに来たんだ。巫女もそうなのか?」
「……」
「そうか。これは偶然ではないな、運命だ」
勝手に納得してうんうんとうなずく騎士。こちらの腕を掴んだままだったその手を思い切り振り払い、わたくしは騎士をにらみつけました。
「そんな運命ならわたくしは全力で否定します」
「星の巫女が運命を否定するのはおかしいぞ」
「巫女としてではありません。個人として否定するのです」
「なぜそこまで拒否するんだ……」
がっくりと騎士はうなだれます。この人は託宣の日にわたくしに何をしたのか、忘れているのでしょうか。
忘れているなら許せません。
覚えていてこの態度なら……わたくしとは決定的に相容れないということです。
つまりどちらに転んでも、わたくしがこの人に気を許すことはありえないのです。
「失礼します」
水は諦めよう。わたくしは即座にそう判断して再びくるりと後ろを向きました。
「待て巫女よ。どこへ行くんだ? 送っていく」
「なぜあなたにそうされる必要が。一人で行けますので放っておいてください」
「水はいいのか? おごってやるぞ」
「けっこうです」
「ええとじゃあ、そうだなその薬草のかごを持つから一緒に行かせてください」
なぜ突然下手に出るのか。無意味にこちらの胸にトゲが刺さるではないですか。
(いいえ。ここは拒否しなくては!)
騎士の声が切実に聞こえたのはきっと気のせい。気のせいです。
わたくしは心を鬼にしました。ここで情にほだされては、きっとずるずるとろくでもない方向へ転んでしまう。
とにかくここは逃げなくては。何としてでも――
わたくしはくるりと振り向きました。
そして、遠い向こう側を指さしました。
「騎士ヴァイス! あそこに人面猿が!」
「何と!?」
騎士は――なぜか水売りのおじさままで――わたくしの指す方向に顔を向けます。
その隙にわたくしは、脱兎のごとく駆け出しました。腕に籐のかごを抱え、一目散に。
「あっ、巫女――」
わたくしを呼ぶ声が遠くなっていきます。よかった、成功です!
それにしても。
言うに事欠いて『人面猿』とは何なのでしょう。わたくしのセンスのなさも、たいがいのようです……
*
騎士ヴァイスから逃げ出したはいいものの、行くべき道を誤ってしまいました。
関係のない道をぐるぐる回り、ようやく分かる道へと出たころには一時間を軽く超えておりました。
(早く用事を終えて、勉強しようと思っていたのに……)
わたくしの最近の勉強内容は隣国ザッハブルグの言語と歴史です。目下のところこの国との関係性が我が国にとって最重要なのです。
(あ、あれかしら)
さらに歩き回って三十分。よううやく、シェーラが教えてくれた通りの屋根が見えてきました。
近づくにつれて、その店の外観がよく見えてきます。わたくしは思わず足をとめ、
「……大丈夫なのかしら、このお店」
とつぶやきました。
あまりに古い、薄汚い建物。屋根が傾いているようにさえ見えます。二階建てのようですが、上のほうに見える窓は明らかに立て付けがなっていません。
ここが修道院の取引相手? 薬草の買い取り相手――?
「……」
わたくしは何度もシェーラの地図を確認しました。
そして、店の看板をさがし――ようやくそれらしき汚い木の板を見つけて、しぶしぶ納得しました。
『羽根のない鳥亭』
どうやら、間違いないようです。(ちなみに『亭』なのは、ここの主人が昔旅籠をやろうとして失敗したからだとか)
ここにお邪魔するのがわたくしの仕事――。
ドアは完全にしまらず、キイ、キイと揺れています。
どんよりと、中に入ると謎の空間に引きずり込まれそうな不穏な空気がただよっています。魔物の一匹や二匹いそうです。
わたくしは深呼吸をしました。
一歩、二歩。大股にお店に近づき、ドアノブを掴み、
「――お邪魔します!」
ドアを引いて先制攻撃の挨拶――
「ん?」
そしてわたくしは腰をぬかしました。
その拍子に籐のかごが落ち、薬草がこぼれて広がります。けれどそれが気にならないほど、わたくしは放心してしまいました。
薄暗く狭いお店の真ん中に、誰かが立っていました。振り返り、満面の笑みを見せて。
「おお! また会えたな」
「……なぜ、ここに」
わたくしは震える唇で、騎士ヴァイスに言いました。「さ、先回りなんて――卑怯です!」
例えばわたくしの持つ薬草を見て、わたくしがこの店に来ることに気づいたのかもしれない――混乱したわたくしはそんな無茶なことまで考えました。わたくしは道に迷っていたのだから、先回りすることは十分可能です。
しかし騎士はきょとんとしました。
「先回り?」
そして、首を振りました。にこにこと上機嫌そうな顔で。
「いいや違うぞ。この店は俺の実家なんだ。たまたま――いや、運命だな!」
実家――
わたくしは口をぱくぱくさせました。そんなわたくしの様子を気にした風もなく、騎士はやがて腕を組んで重々しく言いました。
「巫女よ。言いたかったのだが」
「な、何ですか」
「――人面猿というのは、それは人間ということではないのか?」
「知りません!」
わたくしは泣きそうな声で、そう叫んだのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます