一章 竜と契約せよ Ⅲ
Ⅲ
「何やってんだいこんな所で」
フライパンを担いで店の中から姿をした女性は、気絶した青年の襟首を掴んで揺さぶるリゼを見て珍しいものを見る目で言った。
歳の頃は三十そこそこだが、この国の女性としては大柄な体格をしている。
食堂の女将と言うよりも傭兵だと紹介した方が納得するのではないかと思われるほど豪快で野性味溢れる空気を漂わせている。
「ここんとこ全然見掛けなかったけど元気そうじゃないかい」
「……まあね。それで、マリアベルは料理屋辞めて傭兵にでもなりたいわけ?それともそのフライパンで食い逃げでも捕まえるのかしら?」
気絶している青年を指差しながらリゼは言う。
「まあ立ち話もナンだから中に入んなよ」
マリアベルと呼ばれた女性は、そう言って店内を指差した。
「ちょっと、コイツどうすんのよ。うら若い乙女の胸に突っ込んできた以上、全財産没収したくらいじゃ足りないわよ」
「ほっときな、どうせしばらくは起きやしないよ」
「リゼ様も大概ですけど、そちらの方も中々突き抜けてますね」
「……一言余計なのよアンタは」
リゼとサシャは白目をむいたままの青年を店の前に打ち捨てたまま、星の海亭の中へ入る事にした。
星の海亭は、王都三番通りのやや外れにある。
観光客等を大々的に相手取る人気店の類ではなく、どちらかと言えば地元の河川沿いの運輸業労働者が夕食と酒を求めてやってくる店である。
「この店で酔っぱらった博徒と派手に喧嘩してぶちのめしたのが教会の偉いさんにバレてから顔出さなくなってたアンタがここに来るってのは意外だったね」
仏頂面のリゼを見てニヤリとしながら、店の女将――マリアベルは二人の前に水の入ったコップを出した。
「……お茶の一つも出ないわけ?」
「馬鹿言うんじゃない、欲しけりゃ注文しなよ。だいたいあの時アンタが暴れてぶっ壊した椅子とテーブルの金だってアンタ個人からは貰ってないんだ。神殿の上役に感謝するんだね」
「リゼ様、思いっきり神殿関係者ってバレてるじゃないですか」
ジト目でサシャが言う。
「お嬢ちゃん、リゼの従者か何かかい?こんなじゃじゃ馬にくっついてると出世逃しちまうよ?」
「お気遣いどうも」
「お、あたしゃ素直な子は好きだよ。焼き菓子食べるかい?」
「あ、いただきます」
「……アンタ達何意気投合してんのよ」
リゼはサシャとマリアベルのやり取りを睨みながらコップの水をちびちびやっている。
「それで、またお忍びでこんな所に来て何の用なんだい」
「……人探し……人……?まあ人探しでいいか」
「何だいそりゃ」
「マリアベルさん。私とリゼ様は、ある人物と接触するためにこの店に来たのです」
「……っつってもねぇ……御覧の通りウチの店は日中は閑古鳥だし、晩だって運輸業の労働者ど博徒くずればっかりだよ?」
「……オービル司祭のから聞いた話では『シェン』と名乗っている人物との事ですが」
サシャの言葉にマリアベルは思い当たる節があるらしく、興味深そうに片方の眉を吊り上げる。
「へぇ。ワケ有りかとは思ってたけど、ありゃ神殿関係者だったのかい」
「知ってるのなら居場所教えて頂戴、マリアベル。この一件には……国の未来が懸かってるの」
身を乗り出してリゼはマリアベルに詰め寄る。
「リゼ……アンタ……」
「そんな心にもない事を仰ると、一周回って面白いですね」
冷ややかな視線でリゼを見るサシャとマリアベル。
「うっさいわね、失敗したら国が大変な事になるんだから嘘は言ってないでしょ!こっちも人生設計伸るか反るかが懸かってんのよ!」
頭に血が上ったのか、立ち上がって身を乗すリゼ。
自然と声も大きくなっている。
「まあアンタの事だから金が絡んでるのは見え見えだけど、ここまで正直に言われるといっそ清々しいもんだね」
呆れ口調で苦笑するマリアベルだったが、リゼは言葉を続ける。
「お金で魂は救済できないけど、お金があれば生きてる間の辛い事は大概何とかなるもんよ。貧民街の子達の前で説法したって、彼らは露店からパンを盗む事を止めて生きてはいけないわ」
「へぇ……」
「……何よ」
意外な発見をして楽しむようなマリアベルをリゼはジト目で睨み返す。
「いいや?案外考えてるもんだねってさ」
「……どういう意味よ」
「さぁね。ま、そう言う事ならどの道好都合だ。シェンの奴はとっとと引き取っておくれよ。こっちも扱いに困ってた所さ」
マリアベルの言葉に一先ず安堵し、リゼは椅子に座り直した。
「助かるわ。ついでにそいつを呼んできてくれない?」
「……何言ってんだい。さっきから表でのびてるじゃないか」
「……は?」
リゼは眉間に皺を寄せる。
「だから。さっきアンタが頭突きして気絶させちまったヒョロっちいのがシェンだよ」
リゼとサシャがドアを開けて外を覗き見ると、入り口前に先刻リゼの一撃で昏倒した銀髪の青年が顔から地面に突っ伏したままになっていた。
「……リゼ様」
「……何よ」
「その形相で人前に出ないでくださいね」
「ほっときなさいよ」
二人が小声で言い争っている間も青年はピクリともしていない。
「……何で起きないのよアイツ」
「豪快に決まりましたからね……さっきの頭突き。素直にこちらの話を聞いてくれるかわかりませんよ」
「だって圧し掛かって来たのはアイツなのよ?」
「状況的にあの人が店から飛び出した所でリゼ様にぶつかっただけだと思いますけれど」
「二人とも何コソコソしてんだい」
マリアベルも様子を見に来て不思議そうな顔をする。
「そもそも何でアイツはマリアベルの店に来たのよ?」
「ん?しばらく前に住み込みで弟子にしてくれって押しかけて来たんだよ」
「……弟子って何の?」
「何ってそりゃあ――」
「あ、動きそうですね」
リゼの声で二人が目をやると、顔面から突っ伏したままだった状態の青年――シェンの身体がピクピクと動き始め、
「――ハッ⁉僕は一体……」
がばっと身体を起こし、周囲を見回している。
「何だか、とても強い衝撃を受けた様な――」
「そこのお方、大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
青年が状況を把握していないと判断したリゼが、穏やかな口調と慈愛に満ちた微笑みで声を掛ける。
「……こういう時だけ司祭様の顔になるの速いねあの子は」
「相手の思考がおぼつかないウチに余所行きの顔で上書きするつもりですね。役人や巡礼者相手に培った外面は伊達ではありません」
シェンは額をさすりながら、よろよろと立ち上がる。
「は、はい。何とか……」
「そうですか、それは良かった。店先でお倒れになっていて、心配していたのです。けれど外傷も無いようですし、きっとお疲れだったのでしょう」
「う……ん……いやでもこの額の鈍い痛みは一体……。確か僕は……そうだ、店から飛び出た所で女の人とぶつかって、胸に――」
「ふん!」
「――痛い!」
シェンは言い終えぬウチに再び強烈な頭突きを受けて膝から崩れ落ちる。
「覚えてんじゃない!ならきっちり謝って貰うわよ!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!何が何だか……」
「ふん!」
「痛い!」
シェンを締め上げるリゼをジト目で見つつ、
「……終わるまで放っておいた方がよさそうだね。お茶のおかわりいるかい?」
「あ、いただきます」
マリアベルとサシャは、そそくさと店内に戻るのだった。
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