一章 竜と契約せよ Ⅱ

 Ⅱ


やや固いベッドの感触にリゼは苦い表情をしている。


「折角王都に戻って来たのに安宿のベッドだなんて参っちゃうわ」

「手ぶらで神殿に戻れない以上、仕方ないですね。事が上手く運ぶかわからない以上、予算は切り詰めておかないといけませんし」


 サシャは袋に詰まった銀貨の枚数を確認しながら淡々と答えた。

 それらは祭儀場のオービルから強請……もとい、お役目のために善意による協力で支給されたものである。

 一般家庭であればしばらく暮らせそうな額面であるあたり、オービル司祭にとってこの一件の露呈がそれほど重大な危機である事と、神殿上層部の人間はやはり私財を溜め込む者が多い事を想像させた。


「本部の帳簿に載らない非公式なお布施やら何やらで肥えてんのねやっぱり。もっとふっかけてやりゃ良かったかしら」

「すぐに目的が果たせれば祝い金替わりですが、そうでなければ退職金みたいなものですからね」


 数百年という聖竜神殿の歴史の中で、竜との契約に失敗したと言う話も残っていないわけではない。

 契約者の力不足で竜から認められずに竜遣いが不在だった時代には魔物や隣国の侵攻により国は大いに荒れ、神殿の権威が地に堕ちたと記されている。

 だからこそ、失敗と言う話が本格化した場合に神殿側がどう動くのかわからないと言うのが本当の所なのだが、事の事情を知るリゼとサシャの処遇に関してあまり良い想像ができない事は明白であった。


「クビで無職ならまだマシな方で、ヘタしたら一生幽閉とか口封じだなんてシャレにならないけど」

「替わりの竜が居ないのが問題ですね」


 二人はオービル司祭から聞いた話を思い返していた。

 ゼリア山には大小何匹かの竜が住まうが国を守る守護竜となる程の力を持つ竜は数十年に一匹であり、その時代に神殿で最も霊力の高い者が契約をするのが通例である。

 契約者の存命中に於いて両者は盟友関係にあり、契約者が死ぬと竜はその亡骸とともにいずこかへと飛び去りこの地には戻らない。

 その後は『契約者の亡骸を聖域で弔い、永遠に魂に寄り添う』だとか『亡骸と魂を喰らって神の国へ行く』だとか諸説あるが、本当の所はわからないのだと言う。


 そのあたりの真偽はともかく守護竜と竜遣いが不在になる事は神殿や国にとって不都合極まりない事は火を見るより明らかであり、二人は身の安全と生活の安定確保のためにも、人の姿に化けて王都で暮らしていると言うゼリア山の竜を探さねばならないのであった。

 リゼはベッドに身を投げ出して天井を見上げながら、


「別に歳とって死んだ後で自分の亡骸をどうされようと構わないけれど、今食いっぱぐれるのは御免よ」

「……まあ、その点には概ね同意しますが、あまりだらしない格好でダラダラされるのは如何なものかと」


 王都で動くには何かと目立つ聖竜神殿の司祭服から着替えた自覚が無いのか、旅人用の服の裾が豪快にめくれあがって足が見えているリゼに呆れて溜息をつくサシャ。


「サシャしか居ないんだし別にいいでしょうに」

「……はあ」

「それで?あのおっさんの言う竜の滞在場所ってのはどの辺りなのよ」


 むくりと上体を起こしてリゼは言う。


「滞在先の住所は三番通りらしいですから、ここから四半刻もあれば着きますね」

「……住所までわかってて何で手が打てなかったのよあのオッサンは……まあいいわ、ならちゃっちゃと行きましょ。曰く、道があったって動かなきゃ辿り着かないのよ」


 立ち会がり、一つ伸びをするとリゼはサシャを促す。

 サシャも銀貨の袋を荷袋にしまい、それを背負って立ち上がり、


「……それ誰の言葉ですか」


 冷めた目で見るサシャにリゼは不敵に笑って言った。


「――私よ」




 王都フェルバは賽の目に区画された都市であり、特に街道と直結して陸路流通や小売りが集まる一番通り・川に面して水運貿易業の集まる二番通りを中心に発展した街である。

その中にあって王都の三番通りと言えば、大小様々な飲食店が数多く軒を連ねる、所謂繁華街であった。

「何だってまたこんな所に潜伏してるのかしらね」

「さあ……私には竜の心は測りかねますので」

「私よく神殿抜け出してこの辺で買い食いとかしてたけど、ちょっと裏に入れば昼間から酔っ払いが吐いてるし、ロクなもんじゃないわよ」

「司祭長が聞いたら卒倒しそうな話ですが聞かなかった事にしておきます」

 神殿の教義では立ち居振る舞いだけでなく食べるものも制限されていたが、奔放なリゼは神殿に引き取られて間もない頃からしばしば街へ抜け出していた。

 少ない給金も神殿に籠っていれば使い道もなく貯まっていくので、彼女は町人の服に着替えて露店の食べ物を買い漁ったり、時には酒場で酔っ払い相手に大立ち回りをしていたのである。

 誰もリゼの素性を疑わなかったのは、敬虔な神殿関係者の印象とあまりにかけ離れたリゼを見ても、どこぞの跳ねっ返り娘くらいにしか思われなかったと言うのもある。

 いずれにせよ司祭服を纏っていなければこうして街をウロウロしていても神殿の人間と鉢合わせしたりする事さえなければ問題にならない事は、二人にとっては好都合だった。

「この住所が正しければ……あの店じゃないですかね」

 オービルから聞いた竜の滞在場所と町並みを見比べてサシャが足を止める。

 リゼがサシャの視線の先に目をやると、そこには一軒の食堂が建っていた。

 看板には『星の海亭』とある。

「げ」

 途端にリゼの顔色が悪くなる。

「どうかしましたか」

「あの店の女主人、顔見知りなのよね……」

「別に司祭服で入るわけじゃないんですし、素行が悪い印象のリゼ様が素行の悪いまま入ったって構わないでしょう」

「サシャの口の悪さも大概だと思うのだけど……まあ仕方ないわ、入りましょ」

 髪を掻きむしりながらリゼ達が入り口に近づいた瞬間、店のドアが勢いよく開け放たれた。

「――は?」

 異変に気が付いたサシャは身をかわしたが、リゼは状況把握が追い付かずに店内から飛び出してきた人影と派手にぶつかり、倒れ込んでしまった。

「――っつー……何なのよ一体……ってちょっとアンタ!いつまで人の上に乗っかってんの……よ!」

言うが早いか自分の上に覆いかぶさる形になっていた銀髪の青年を引き起こし、強烈な頭突きを食らわせる。

「うら若い乙女に圧し掛かってタダで済むと思ってんの⁉とりあえず有り金全部出して、それから神に反省なさい!」

 そのまま胸ぐらを掴んでガクガクと揺さぶるリゼ。

「リゼ様、言ってる事無茶苦茶ですしその人気絶してますから」

「うっさいわね!このままじゃ腹の虫が――」

「おや、リゼじゃないか。何やってんだいこんな所で」

 店の中から現れた大柄な女性は、豪快にへこんだフライパンらしきものを担いでいた。

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