第10話:ユリアと執事セバスティアンとささやかな試練
「さあさ、ユリアお嬢様。どうぞこちらに」
「失礼するわよ」
部屋の中に入るとまず部屋の暖かさが冷え切った身体を優しく包み込んでくれました。
ここの家具はどれも一級品がそろえられております。寸分の妥協さえ許されておりません。部屋に見劣りのない装飾が施されているのです。部屋の大きさは比較的せまいです。
「本日はこの私をこのお部屋にお招きいただき誠にありがとうございます」
「今日だけ特別よ。本来はここは男子禁制の談話室。それは理解して頂戴ねセバスティアン」
「はい、承知いたしておりますユリアお嬢様」
「では宜しい。そこに座ってちょうだい。ごめんなさいね。あなたが手を差し伸べた席には座ることができないわ」
「そう……ですか。面と向き合ってお嬢様とのお話をしたかたのですが、少しばかり残念でございます」
「そういえばあなたとこうしてふたりきりで話すのは久しいわね。いつ以来かしら? 覚えているあなた?」
「ユリアお嬢様が15才のお年の頃にお話をしていたのを覚えております。あのときはお嬢様が部屋に籠もって本に読みふけていらっしゃったご時期でした。部屋に出ることなくその場で一日を過ごされていると知って旦那様はいつも落ち着きがございませんでした」
「ふふっ、私も勉学に励みたかったから仕方が無いわ。お父様は心配性すぎてよまったくもう……」
セバスティアンと会話を交わしつつ歩く私は部屋の窓際にある猫脚の豪奢な革張りのピアノ椅子に腰掛けます。目の前には、職人が精魂込めて作り上げたであろうグランドピアノが鎮座しております。ここで雰囲気に合わせてピアノのソナタを奏でるのも悪くありませんわね。でも、深夜にピアノを弾いてしまうとあまりよろしくありませんわね。夜な夜な霊が屋敷の談話室に居座ってピアノを弾いていると噂されてしまいたくありませんもの。面倒ですわ。
「で、どうなのかしらセバスティアン。お父様の反応を聞かせて頂戴」
セバスティアンはグランドピアノ近くの窓際で景色を外目に眺めつつ、柔和な笑みを浮かべました。
「お嬢様。どうか、旦那様――いえ、お父上様のお言葉をお受けになられた方がよろしいのではないでしょうか?」
「嫌よ。私はかごの鳥のような人生を送るつもりはないわ」
「たしかに、そのお年でその運命を背負うには壮絶な覚悟を強いられるかと思われます。しかしながら、旦那様はお嬢様の幸せをなによりも願っております」
「私の幸せを願うって言うなら、私の願いを聞き入れるべきよ。それが娘の幸せに繋がるのよ。あんな非合理的な結婚をするなど私は認めることはできないわ」
「非合理的でございますか……。では、少しばかり私もお嬢様にお説教をさせていただきます。今のお嬢様の考えられている事をもし、旦那様が仮に受け入れられたとすれば、この先のポリト家の存続が危ぶまれる事になりますぞ! それこそ非合理的とも言えます! この世界では世襲制。ポリト家にマフィアの力が無いと見なされてしまえば、ここは火の海にいつかなることになりますぞ!」
セバスティアンは眉間に皺を寄せ、しわがれた声で低い声を漏らして私にぶつかってきました。
「黙りなさいセバスティアン。誰に物を言っているのかわかっているのか承知の上でその言葉を言っているのかしら?」
私は礼節な態度と冷たい表情のまま、軽蔑のまなざしをセバスティアンに向けました。
しかし、セバスティアンは態度を軟化しようとはしませんでした。
普段は見ない表情をここでは見せているセバスティアン。
セバスティアン。彼は生まれてからこの時までずっと、私の為にいろいろな犠牲を強いてまで尽くしてくれた執事。心から彼の献身には感謝していますわ。そして、彼は私にとってもうひとりのお爺さんみたいな存在です。
明日の朝になれば、もう彼とはまともに話すことが出来ませんでしょう。現実は本当に容赦がないわね。
「ごめんなさいセバスティアン……」
私はお辞儀をしました。いろいろな感情を込めて彼に頭を下げました。
「めっ、滅相もございませんユリアお嬢様ッ! どうかその、あの……頭を上げてくださいませ……。高潔なお嬢様の尊厳が失われしまいますので……」
「ええ、そうね。ここまでさせた本人は自覚がないでしょうけどね。ふふっ」
「面目もございません……」
顔を上げるとセバスティアンは恐れおののいていました。その姿を見て私は微笑を浮かべて首を小さくかしげます。何を考えているかは分からないようにです。
「お嬢様のお顔からはなにやら期待の眼差しを感じてしまいます……仕方がありません。こればかりは私もあまりお嬢様に意地悪をしてはいかなくなりましたな……」
「セバスティアンがわざと、私を試していたのは分かっていたわよ。それで、お父様はどうお答えになられたのかしら?」
「こちらに旦那様がお書きになられております」
セバスティアンが手で差し出してきた筒状の羊皮紙を手に取ります。中身は流麗な筆先でこのように書かれていました。
『娘よ。案ずるな。おまえの未来をわしが勝手に決めるようなことはしない -ラスプト・ポリト・ミサイル- 追伸:セバスティアンにはお前に少しばかり試練を与えろと命じた。バカな親父ですまんな我が愛しき愛娘よ』
「これってつまり。まさか……そんな……」
私は目を通し終えた直後にまた、何度も読み返す事をしました。そしてある程度の熟読をしていくにつれて次第に、嗚咽混じりに涙を流してしまいました。冷静にいたかっですけど、こればかりは我慢が出来ませんでした。
「どうぞ、私の胸をお使いくださいませユリアお嬢様。……おめでとうございます。ポリト家の長年のくさびを穿ちた事に心から祝福させていただきます」
「うん……。ありがとうセバスティアン……ぐすん……」
セバスティアンは私が泣き止むまでその手で私の背中をさすってくれていました。
彼の抱擁はまるで愛する娘を見守る父みたいな優しさがあったのです。
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