第3話:お父様と私の食事会その2 ※ただし、親子の何かを問われます。
『親の背中を見て子は育つ』ということわざが前の世界にあったと思うのですが……。
このお父様は、その子供をどういうふうに育てたいのかが訳がわからない意☆味☆不☆明なバカ親です。子供の私が言うのですから、レベルがひときわ違うのです。
今では大人として育った、一人前のレディーの私のまえでは自分を抑えていらっしゃるのですが……。
幼い頃のお父様はそれはもうストーカー男なみの子供に対する執着心という名の溺愛でありましたわ……。そのたびに、お母様の煌びやかなドレスから伝わる暖かで柔らかい胸に顔を埋めて、そのたびに号泣しておりました。
そのたびにという言葉の汎用性がここで証明されたような気がしますわね。
その後は、いつもお父様はお母様の目のまえで、前の世界で言う両膝を地面につけるように四つん這いになって、おでこを伏せるように謝る土下座をしていたのがこのお屋敷の名物でした。今はもう、私が大人になったのでその光景は見る合間もありません。お母様も病気で亡くなりました。
こうして自分の過去を振り返りながらの父との食事は、気を紛らわすのにはうってつけの事です。だって、考えるまもなく食事を終えるのですから。
父のことで頭がいっぱいになりたくありませんわ。普通に食事がしたいですの。
しかし、今日はそんな考え事をしていてもなかなか食事が終わることはありません。
なぜなら今日は私の15歳の最後の晩餐だからです。つまり、明日からは16歳。もう立派に大人の仲間入りです。これから訪れるであろう男とのいけないこととかの遊びや、紳士淑女の遊びを楽しむことが出来る年になるのです。
それに伴って食事の内容も豪華絢爛。ちなみにどんな食事が私の席に運ばれてくるのかというと、ある程度はかいつまんで紹介しますわ。言葉では表せない物もありますので。
まず、前菜に舌鼓をする前に用意されたものは食前酒。
親指と人差し指でつまめるような、無色透明のショットグラスに、白く透き通った濁りのない液体が注がれております。
その液体を興味津々にお行儀よく、手元でとって香りを嗅ぐ。すると、ツンっとした鼻をつくようなまるで、ミントを手に余すほどの量を束ねてそれを濃縮液にした物を鼻の奥まで流しこんだときのような感触が口元まで訪れ、思わずむせてしまいましたわ。
そんな光景を見ていた父は、少し微笑みながら、大人の仲間入りをこれからする娘の様子を楽しそうに見ております。
この体験はきっと、これがちまたで言われている初物の感触なのでしょう。世間をよく知らないお嬢様として育った私には初々しい体験です。(ただし、前世は庶民でした)
次に匂いを嗅いだらグラスのふちを薄紅のルージュで塗られた口元にキスをして、口の中でどのような体験をするのかと、いろいろな思いをよぎらせて液体を中へと少しだけ滑り込ませました。
「ッ!? ケホッケホッ!? な、なんですのこのヒリヒリするような痛みを感じる飲み物はッ!?」
いつも、お父様の目の前では見せることなどない、動揺した表情を見せてしまいました。この不可思議な飲み物はいったいなんなのかしら?
その疑問に背後で私たちを見守るように不動直立で立っていたセバスティアンが答えてくれました。
「ふふ、こちらのお品は、お嬢様にはすこしお早いご様子で。大人の仲間入りとしての洗礼を娘に与えてくれと、旦那様のお計らいにそってご用意させてもらったのですが……」
セバスティアンが困惑した表情を浮かべております。
「ふん、かまわん。娘と将来添い遂げるであろう伴侶に酒を勧められたときの事を考えて、こういう経験も大事だ。娘にこれがなんなのかを説明せよ、セバスティアン」
「承知いたしました旦那様」
威厳のある厳格な表情で鼻を鳴らすお父様。
そして片手を胸にあててゆっくりと会釈をするセバスティアン。
「僭越ながら、わたくし。セバスティアンがお嬢様にご理解いただけるご説明をさせていただきます」
彼のこう話しました。
この飲み物は『ウォートカ』と呼ばれるアルコール度数40は越えるお酒だそう。
いま飲んでみた物はウォートカのなかでも一級品の価値のある代物らしく、街の行商たちに、私の誕生日の祝いをするための酒を用意するように頼んだ結果。これが運ばれてきたそうです。
名前は『スカーレット』だとか。飲んだ瞬間に、顔が真っ赤になる様子を例えて名付けられた一品だと。私が顔を真っ赤に染めあげるような時はたぶん訪れることはありませんわ。間違いなくですわ……。
とんでもないお酒を飲まされる羽目になりましたわ。それでも、このお酒は20年物の高級品。
高級品は、何があってもそれをこよなく愛するのがファミリーの約束事です。この小さなグラスに注がれている液体は水以上の透き通った濁りのない高級品の証。これを飲まないと言えばそれはもう大人の仲間入りに近づくことができない事を意味をしますわね。そう私は考えております。
仕方がなくですわ……。飲まなければおいしいお食事が来ることはないはず。
据え膳食わぬは男の恥という言葉の淑女版をこのお酒は体現しておりますわね……。
なかなか口に運ぶにもさっきの体験があってか、体が少しだけ拒否反応をおこしております。
しかし、飲み干さなければ淑女のたしなみの始まりは訪れることはまずないでしょう。
私は思い切ってひと口で含みつつそのまま喉へとながしこみました。
はじめはヒヤッとしたつめたい感触。まるで消毒液をかけられたときのツーンとした匂いが鼻をくすぐりました。
そしてその後からこみ上げるようにして来る熱い感触。体が焼かれるのではとも思いましたけど、そうとも限りませんでしたわ。ただの杞憂というべきですわね。
グラスをテーブルにコトリと、小さな音を立てて置きます。すると、こんどはセバスティアンがそれに変わってワイングラスに注がれた透明な液体の飲み物がすり替わるように用意されました。
ウォートカがまた用意されたのかしらと思ったのですが、そうではなくただの水でした。
見間違えるとなると、それほどあのお酒はよく出来た代物だと改めて理解しましたわ。これが大人の飲み物と言わしめるお酒というものなのですのね。
そんな私とは打って変わって、父に用意されたのは私の飲んだものと同じくスカーレット。しかし、そのスカーレットが注がれているグラスがなんと、トロピカルパンチグラスと呼ばれる、寸胴で反り返るように、湾曲した飲み口に、少し太めの持ち手のあるおしゃれなガラスコップがあったのです。
そのグラスにスカーレットが飲み口からあふれんばかりに注がれており、少しでも揺らせばこぼれてしまうのではないかと疑ってしまうほどの量が入っております。アレを飲むつもりなのかしら?
思わずお父様が何を血迷ってこんな事をしているのかと思って止めようとしたのですが、時すでに遅しやすし。お父様は指と指の間にグラスの持ち手を食い込ませるように平手で抱え込むように持ち、そのまま熱いキスを交わすように豪快に口の中へと液体を注ぎ込み始めました。
ウォートカの作法を書物で読んだことがありますの。
注がれたウォートカは一口で飲み干すのが流儀であり、伝統である。と、これ完全に前の世界でいうならば一気のみという無茶ぶりな飲み方ですわ。
「とても良きお召し上がり方です旦那様」
柔和な笑みを浮かべて主人を褒め称えるセバスティアン。お父様がお亡くなりになったらどうしますのと思わず突っ込みたくなるレベルですわね。
スカーレットを飲み干したお父様は下品な声と共にグラスをテーブルにゴトリと鳴らしておきました。
そしてスカーレットと呼ばれる所以となった出来事が起こりましたわ。
お父様の顔が真っ赤に、まるで茹でたたこのような顔に変化しましたの。
思わずヒスぎみの悲鳴を上げそうになる私。
しかし、淑女たる私にそのような恥ずべき行為がゆるされるはずがないと思い、なんとかその場をしのぎました。
この後の食事に関しては季節のお野菜をメインにしたお料理から始まり、次に仔牛のステーキにトマトとブイヨンを合わせた特製のソースと、付け合わせのポテト。ふかし芋でしたわ。添え合わせて山羊のバターも用意されたのでそれをナイフで切り分けたポテトの表面に乗せ、口に運び、咀嚼します。
牛肉のようなとろける感触と共に、口いっぱいに広がる少し固めの食感の芋の風味が絶妙に美味を体現しておりますわね。
お肉よりもおいしいと思わず、そう感想を抱くほどのおいしさの塊であるこの芋は私のお気に入りのひと品ですわ。
その思いをくみ取ったのか、セバスティアンが「次回からはお嬢様のためにそちらのポテト料理をご用意するようにシェフにはお伝えしておきます」と、聞かされて思わずそこにいないはずのセバスティアンに向けて首を縦に振ります。
そしてまたさっきの感触をかみしめたいという衝動に駆られて、作法を守りながらも心の中では幼き子供のようにはしゃいで、早くそれを口の中に入れたいという気持ちでいっぱいでした。お肉はふかし芋を食べ終えてからですわね。
お肉については割愛。これ、前の世界のようなトロトロで甘みのあるジューシィなお肉の食感はまず限りなくゼロに近いですの。私のすむ寒冷地帯で暮らしている食用の牛は、極寒の寒さに耐えるために脂肪をつけながらも凍死を避けるためにつねに広大な大地を躍動しながらの野性的な生活をしているため、肉質については固めですの。しかし、うま味は抜群によくて、噛めば噛むほど味が出るおいしさがあります。
その肉質を柔らかくさせるのに、シェフはあれこれ試行錯誤を繰り返しているらしいと、ひと昔にセバスティアンから聞かされたことがありました。
シェフも大変ですわね……。と、心の中で思いながらも、料理人たるものの、人に食事を受け入れられることで初めて意味をなす職業なので、必然的な努力だと思いますわね。
そして肉料理が終われば魚料理。そして寒冷地名物の牛肉とマッシュルームにタマネギを使ったシチューである、ビストロガノフがテーブルに用意されます。ビストロガノフは遠方の寒冷地に家を成している貴族である、ガノフ家が考案した料理。考案されてから数年後にはほかの家庭でも広められている郷土料理として知られていますの。
ちなみにこのシチューはお肉のしつこさが残っているので、あまり好きじゃない人たちはスメタナや前の世界でいう山羊の乳で作った生クリームをかけて食する人もいます。
味については濃厚なお肉のうま味とソースのほどよい甘さが合わさり、食べればまた二口目も口に運びたいと思えるおいしさがありますの。
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