第34話 飛んでみよう!!

 それは突然やってきた。翌朝寮の食堂で朝ご飯を食べていると、管理人のオバチャンがすっ飛んで来た。

「イライザちゃん、面会希望者よ。なんかどこかのお役所みたいだけど」

 そう言ってオバチャンはまたどこかにすっ飛んでいった。

「お役所ねぇ……」

 魔法庁の一件もありどうにも胡散臭いが、呼ばれているなら行くしかない。私は超速で朝ご飯を片付けると、寮の入り口に向かった。

「君がイライザ・レオパルトさんだね」

 入り口にはスーツをバシッと決めたオジサン3人組がいた。目つきでわかる。この人たちただ者ではない。

「はい、そうですが……」

 警戒心満タンでそう答えると、オジサンがうなずいた。

「私たちは国防省の者なんだが、昨日亡命を希望してきたあの件について少し話を聞きたいんだ。君の外出許可は取ってある。今すぐ同行してもらいたい」

 オジサンは被っていた帽子のツバをちょっと下げた。あくまでも口調は「お願い」だが、目の中に見えたものは強制。断れば、なにか面倒くさい書類を出してくるに違いない。

「分かりました。行きましょう」

 私はおじさんたちに続いて歩いていった。それにしても、国防省とはとんでもないところが出てきたものだ。その名の通り、この国の防衛全てを預かっている省庁だ。私には無縁のはずだったが……。

 開いたばかりの学校の正門を出ると、私たちは4人乗りの小型馬車に乗った。その後は終始無言。その空気の重さに、私は押しつぶされそうになっていた。馬車は学校から街に入ると、そのまま人も少ない石畳を駆け抜け、上流階級の方々が住むエリアを抜け、各種省庁が並ぶエリアにきた。国防省は魔法庁より遙かに大きな建物だった。

「お待たせした。お先にどうぞ」

 言われるままに、わたしは馬車から降りた。早朝の空気が心地いいが、今はそれをたのしむ気にはなれない。

「こちらへ……」

 おじさんたちに促されるまま、私は巨大な防衛省内に入った。お役所なので中は殺風景そのもの。無機質で寒々しい感じがする。

「さて、こちらに……」

 長い階段を上り行き着た先は「取り調べ室2」と書かれた部屋だった。

「さぁ、中に入って」

 なんか嫌な予感がするが、私は屋内に入る。中には無機質なテーブルと簡素な椅子がいくつか……。まあ、豪華なわけがないか。

「まあ、適当に座ってくれ。何も取って食べたりしないから、リラックスして聞いて欲しい」

 オジサンの1人がそう言ったが、こんな環境で落ち着けるわけが無い。部屋の出入り口にはゴッツイ兄さん2人が立っているし……・。

「まず一点確認だが、昨日君はファルサ王国領空に入ったね?」

 オジサンが静かな声で聞いて来る。

「はい、意図した事ではありませんが……」

 私の言葉にオジサンは部屋の天井を見上げた。

「嘘ではなかったか。これは参ったな」

 おじさんがつぶやくように言う。

「あの、何か……」

 恐る恐る聞くと、オジサンはこちらを見た。

「ファルサ王国からの至急伝で飛行魔道機とそのパイロットの返還を求められている。まあ、これは普通だが……」

 そこで一呼吸置くおじさん。そして……。

「そもそもの原因を作った魔法使いも引き渡すように要求されているんだ。君が領空侵犯したことで、あの2人は緊急発進の機会を得て亡命出来たと思われている。その後亡命の意思を伝えられながら、魔法学校に着陸させてしまったのもまずい。これは、キリングドール王国が亡命を正式に受け入れた事になる。返答期限は48時間。外交部が頑張っているが、場合によっては戦争になる」

 なんだかいきなりとんでもない事を聞かされて、私はなにも言えなかった。私のケアレス・ミスで、事態は思いも寄らぬほど深刻な事になっている。

「安心していい。君の身柄は引き渡すつもりはない。もちろんパイロットも。飛行魔道機は調査の上返却になるがな。それはともかく、君に聞きたい事は以上だ。学校に戻るといい」

 オジサンに頭を下げ、私は防衛省の外に出た。そして、空に舞い上がる。オジサンの言葉を確かめたくなって、学校を飛び越えて国境まで偵察しにいくと……。

「うわっ……」

 そこには平和な日常はなかった。兵士たちが右往左往し、様々な武器が持ち込まれている。うわぁ……。

「この原因って私が作ったのよね……」

 とんでもない事をしてしまった。私の頭にはそれしかない。国同士の付き合いまで考えていなかった。しかし、あの2機を拒絶出来たかといえば、私は到底出来なかっただろう。どこまででもお人好し。たまには自重して貰いたいものだ。

「こんな時、レオンがいれば……」

 それ自体は事態の解決にはならないだろうが、私の気持ちを落ち着けたい。学校の中庭に降りると、レオンがいつものベンチにいつものように腰を下ろしていた。

「おはよう、イライザ。なにか顔色が悪いけど大丈夫?」

 レオンが心配そうに聞いて来た。

「あのね……」

 挨拶すらせず、私はレオンに私の気持ちをぶつける。状況説明と混ざってシッチャカメッチャカだったはずだが、レオンがいきなりキスしてきた。

「イライザでも慌てる事があるんだね。ビックリしたよ」

 のんびりとレオンが言う。

「あのねぇ、なんでそんな……!?」

 今度は小さな体で抱きしめて来た。たまらず私も抱きしめる。そのまましばらくすると、やっと私は落ち着いてきた。

「あのさ、なんで落ち着いているの?」

 レオンは小さく笑った。

「ファルサ王国は今お家騒動で戦争どころじゃないないよ。その通告は形だけのものだね」

 レオンはニッコリ笑った。

「えっ、なんで知ってるの?」

 私はレオンに聞いた。

「僕はこれでも貴族だからね。情報網は色々あるよ」

 ……お、恐るべしレオン。

「でも、責任はあるわよね。さっき見てきたけど、国境は兵士たちで一杯よ」

 レオンは小さく笑った。

「イライザって本当に責任感強いね。大丈夫、戦争にはならない。でも、ビックリしたよ。イライザも失敗するんだね」

 ……うっさい!!

「そりゃ私だって人間だもの……。なんか、レオンに負けたみたいですっごく悔しい!!」

 私はなぜかレオンにパンチをかましていた。

「あはは、これももう慣れたなぁ」

 なぜか知らないけど、今日のレオンはやたらと余裕がある。これが婚約の効果か……?

「まあ、いいわ。朝から疲れちゃった」

 私はベンチの背もたれに身を預けた。レオンの事を信じてはいるが、実際にどうなるか分からない。なるようになる……としか今は言えない。

「イライザのせいじゃないよ。きっかけを作ったかも知れないけれど、その後の事は関係ないよ。正しいと思った事をしただけ。政治的な話は偉い人の仕事だよ」

 ……それはそうなんだけどさ。

「さーて、僕の初勝利を記念して、もう1回キスを……」

 ……ムカつく!!

 その顔面に向かって私はパンチを放った。しかし、それはするりとかわされ、レオンの唇が私の唇に合わさる。

「いい、もしイライザになにかあったら僕が絶対助けに行く。どんな手段でもね」

 私から顔を少し離しおでこをくっつけながら彼は言った。

 ……恥ずかしいわ。全く。

「それは私の台詞。あんたに守られるほど、私はヤワじゃないわよ」

 私はすかさず切り返した。

 しかし、1回連れ去られた時に助けられている身としてはこれ以上は言えない。

 私は大きくノビをして、レオンと他愛もない話しに興じたのだった。


……48時間後


 天候は雨で雷も鳴る大荒れの天気だったが、私は無理に国境線上に布陣した自軍の上を飛んでいた。今日が期限日である。私とてここにいても意味がない事は分かってる。しかし、落ちついてもいられなかったのだ。そのまま待つ事しばし。突然「通信」で呼び出された。

『キリングドールよりイライザ。今どこにいる?』

 天候のせいか、雑音混じりではあったが聞こえた

「今国境線上空よ」

 私は短く答えた。

『やっぱりな。今日は気象状況も悪いし、即座に戻るんだ。君の婚約者も待っている』

 ……レオンを使うとはずるいな。

「了解。キリングドール。今から戻るわ」

 私は短く答えると、私は学校に向けて進路を取ったのだが……。

「凄い天気ね。全然見えない……」

 猛烈な雨で視界がほぼ0な上に、横殴りの強風に持って行かれそうになる。おまけにあちこちに落雷しているときたらもう生きた心地もしない。「飛行」の魔法は発動時に術者の体を結界が包み、生身でも大丈夫なようになっているのだが、雷が直撃したらどうなるかは実証データがない。なぜなら、好き好んでこんな日に飛ぶバカはいないからだ。

 こうなると「探査」の魔法頼りだが、どういうわけか広域探査にしても学校が出てこない。推定では大森林地帯上空のはずだが……。

「キリングドール、聞こえますか?」

 私は「通信」で学校を呼び出した。その間にも風でひたすら煽られる。

『キリングドールよりイライザ。どこにいる? 嵐で位置情報装置が上手く働かない』

 数は少ないが「飛行」を使える学生のために、学校には様々な支援設備があるがどうやらあてになりそうもない。

「イライザよりキリングドール。現在地点ロスト。すでに学校を通り越えていると推測される。『魔力灯台』はどうしたの?」

 これも支援設備の1つだが学校の屋上には「魔力灯台」というものがあり、常に学校の場所を知らせてくれる。

『魔力灯台は正常に作動している。強風で魔力が届かないところに……おっと、今位置情報装置が復旧した。イライザの現在地は学校を通り越えてはるか北だ。まずい、そのまま進むとアルペチノ山脈に……』

 それは突然だった。雨のカーテンの向こうに黒い何かが見えたと思った瞬間には、私はそれに激突していた。そのまま地面を転がることしばし。ようやく動きが止まった。

「やれやれ。どこよここ……」

 私は普通の結界魔法を使い、魔力消費が激しい「飛行」の魔法を止めた。見える範囲では崖の上という感じだが、今は動かない方がいいだろう。「探査」の魔法を広域モードにしていたのがいけなかった。遠くまで見渡せるかわりに近くが見えなくなるのだ。

「イライザよりキリングドール。聞こえますか?」

 私は「通信」の魔法を使った。

『イライザ。突然位置情報装置から姿が消えて心配したんだ。今どこにいる?』

 「通信」の声は心強かった。

「現在地不明。なにか岩みたいな物に激突して墜落よ。怪我はないから安心して」

 私は相手に答えた。

『了解した。無事で何より。これは推定だが、君は今アルペチノ山脈のどこかだ。そこで天候の回復を待った方がいい』

「そうするつもりよ。以上」

 私は「通信」を切った。アルペチノ山脈か……。学校から遠く離れた西部地区と中央地区を隔てるように横たわる長大な山脈である。よりにもよってエラいところにきてしまったものだ。今日は恐らくもう飛べないだろう。私は虚空に「穴」を開け、そのまま中に入る。この「ポケット」という魔法は非常に便利で、保管庫以外にも色々使い道がある。今は即席のテントだ。水と食料は1ヶ月分以上あるし、バストイレ付き!! 言うことなしだろう。

「はぁ、学校に帰ったらレオンに怒られるわね」

 もし、レオンが同じ事をしたら、私は泣くまで彼を殴り倒すだろう。私はベッドに横たわり右手を顔の持ってきた。薬指には素朴な婚約指輪がある。私なりに悩み考えて付けたものだが、それが学校を揺るがすような事件(大げさか)に発展するとは思わなかった。考えていた以上に重い……。

「まっ、もっとも、レオンの方が重いだろうけどね」

 つぶやいて笑ってしまった。さて、寝よう。明日は長距離飛行だ。今のうちに魔力を回復させておく必要がある。私が睡魔に誘われるまで、それほど時間は掛からなかった。


 翌日は、前日が嘘のように晴れていた。私は明るくなるのを待って、「飛行」の魔法で飛び立った。

「せっかくここまで来たんだし、足跡残しておくか」

 アルペチノ山脈最高峰ガガルキア山。その険しさゆえに前人未踏。幾多の登山家の命を飲み込んだか分からないその山頂に、私はそっと降り立った。

「はい、エセ登頂完了」

 山頂から見渡す景色は絶景だった。皆これを求めて登るのだろう。

「さてと……」

 私は「穴」からスプレー式の塗料を取り出した。100年は消えないという逸品である。適当なサイズの岩を見つけ、私は塗料で文字を書いた。

「イライザ参上……じゃ芸がないから、一番乗りは頂いたぜぇbyイライザにしておくか」

 よい子は真似したらいけません。はい。

 それなりに満足した私は、再び空に舞い上がると一気に急降下していく。そして、地面すれすれで方向転換。急降下の勢いを加算してものすごい速度で学校に向かう。今度は通常モードの「探査」の魔法には、まだ学校が表示されない。魔力灯台の魔力を拾えば、「探査」の魔法で検知出来るはずだ。まだ余力はある。私はさらに加速した。すると、しばらくして魔力灯台の魔力を検知した。「探査」が示す矢印に向かって進路をとり、とにかくただひたすら突き進む。矢印の下に小さく表示されている距離数はまだまだ先だ。戦争になっていたらどうしようなどと考えもしたが、とにかく今は学校に帰りたい。ただそれだけを考える。やがて、遠くに学校が見えて来た。そろそろ減速……あれ?

 しまった。思い切り加速を付けすぎて減速用の魔力が足りない。ブレーキは加速より大きい魔力を使うのだ。完全な速度オーバーやっちまった!!

「メーデー、メーデー、メーデー。キリングドール!!」

 私は学校を呼び出した。

『どうしたイライザ。なんか砲弾みたいな勢いだが』

 慌てた様子で応答がある。

「飛行制御不能。全校避難!!」

 私は短く返した。

『了解!!』

 避難を知らせるアラームを無線越しに聞きながら、私は次善策を練る。思いっきり校舎に突っ込むなんて楽しそうだけどもっての他、外庭に「着陸」するしかない。見る間に学校が迫って来る。ここで1つ思いついた。急上昇すれば一気に速度が落ちるはず……。

「上がれぇぇぇ!!」

 最後の魔力を振り絞って私は急上昇しようとしたのだが、残りの魔力では加速しすぎていて上昇も下降も出来ない状態になっていた。

 ……やばい、このままだと校舎に突っ込む!!

 そして、私はまさに砲弾のごとく校舎に突っ込んだ。それだけでは済まず、頑丈な街壁にぶち当たってようやく止まった。

「あーあー、どうしよ……」

 ほぼ全壊した校舎を見つめながら、私は呆然としてしまった。ここまでの長距離飛行で魔力はほとんど残っていない。「復元」の魔法を使うにはちょっと休まないと……。

 その時、驚くべき事が起きた。完膚なきまでに破壊された校舎が見る間に「修復」されていく。そして、あっという間に元通りになった。

「なんで?」

 私は驚かれずにはいられなかった。「修復」の魔法は簡単ではあるが、その対象によって消費魔力が変わる。校舎規模になれば、通常は何人もの手が必要なはずだ。

「一体誰が……」

 半分壊れかけた裏門のドアを抜け中庭まで行くと、そこには6人の男たちが横一列に立っていた。なぜか、一様に汚れる作業などに着用するオレンジのジャージを着ている。

「イライザ、ど派手にやったね」

 真ん中に立つ、ひたすらちびっこい男が声を掛けてきた。言うまでもなくレオンだ。

「好きでやったんじゃないわよ。で、これって「復元」の魔法よね」

 私が聞くとレオンは小さくうなずいた。

「1人じゃ無理だったから、友達に頼んだんだ。6人も集まればなんとかね」

 レオン、珍しくいい仕事した。

「ありがとう。助かったわ」

 レオンが使ったのは6人の合成魔法だ。これだけの人数となれば、タイミングを合わせるだけで大変だっただろう。

「みんなもありがとう。お陰で無事に帰れたわ」

 レオンの友人にも声を掛けると、みんな一斉に豪快なガッツポーズを決めて去っていった。まあ、決して無事ではないのだが、そこは忘れておく。

「それにしても、魔力の使いすぎで眠くて仕方ないわ。悪いけどもう寝るね」

 私がレオンに言うと、彼は見たくも無い紙の束を私に差し出した。

「これ校長から。起きたら書いてね」

 レオンが差し出したのは、魔法筆記不可能な反省文用紙だった。もはや、声を上げる気力もない。私はレオンに送られながら、とぼとぼと自室に戻ったのだった。

 ……はぁ、もう言うことはない。 


えー、そんなわけで私は寮の自室にこもっていた。一晩寝てスッキリ。とりあえず、私は反省文に取りかかっていた。渡された反省文用紙は400字詰めで300枚。ちょっとした小説が書ける文字数である。それをひたすら反省とお詫びの言葉で埋めていくのだ。これを苦痛と言わず何という!!

「ぬぉぉぉ負けるか!!」

 150枚ほど書いたところで、私は自分で自分を叱咤激励した。やっちまった事には責任がある。当たり前だが、これはなかなか……。

「ふぅ、なかなか……」

 さらに50枚ほど書き、私は大きくノビをした。そういえば、うっかり国境線を越えてしまったことには、なんのお咎めもない。事は学校レベルではないはずだが、あれ以来国防省の役人も来ない。なんだか気持ち悪いが、お咎めなしならそれに越したことはない。「よし、あと50枚」

 いい加減には書いていない。しかし、真面目にがっつり書くのはもうネタ切れ。今は本気で将来の展望などを書いていた……もはや反省文かどうか怪しいが。

「完成!!」

 ついに反省文が完成した。タイミングよく昼の鐘が鳴る。よしよし、朝ご飯返上で頑張った甲斐があった。

 私は寮を出ると、校舎のあちこちにある通称「ポスト」と呼ばれる、自動文書転送装置がある。反省文という性質上直接渡しが筋だろうが、今は昼休みである。どこにいるか分からない校長を探すのも効率が悪い。私は適当なポストに放りこんだ。

「さて、私もお昼~」

 久々の学生食堂。そこは戦場と化していた。押し寄せる学生の群れとそれを迎え撃つおばちゃんたちの熱い戦い。私は後からきた学生に押されながらカウンターに辿りついた。

「あら、イライザちゃん。いつものでいいわね」

 食堂のオバチャンが聞く。

「はい。いつものやつを2つ」

 私は短く答える。

「おや、婚約者さんの分かい? 貴族と婚約なんて意外と隅に置けないんだから」

 ……こんなところまで。

「はい、お待ちどう。金額は1つ分でいいわよ」

 オバチャンがそう言って片目を閉じる。

「えっ、なんで……」

 聞こうとしたが、後ろから押されてそれどころではない。私は手早くお金を払うと、強引に人混みを抜けて食堂の外に出た。

「ふぅ、まさに戦場ね……」

 タイミングを外すとこうなる。だから皆、昼休みは急ぐのだ。

「でもなんで1つ分の料金だったんだろ?」

 紙袋を2つ持ちながら、私は中庭のいつものベンチに向かう。私が2つ頼んだ理由は、単に朝ご飯抜きでお腹が空いていたからなのだが……。

 ベンチに到着すると、見知らぬ女子3人組が先着していた。ベンチは公共物。ここがダメなら他に行くまでだが……。

「あーきたきた。大貴族と婚約した棚ぼたさん」

 1人が声を掛けてきた……めんどくさ。私はとっとと別のベンチに行こうとしたが。

「ちょっと待ちなさいよ。上級課程に入って半年足らずで全単位修得で、今度は大貴族に玉の輿ですって? 気に入らないのよね。今度はどんな手を使ったの?」

 また別の1人がそう言う。ちょっとだけカチンときたが、挑発に乗ったら負けである。こういうのがない方がおかしい。それが女社会だ。

「さっきあなたの婚約者さんも来たけれど、少し弄ったら泣いて逃げちゃった。いいのかしら、あんな腰抜けで」

 ……レオンにもやったかこいつら。

 私は初めて彼女たちに正対した。良かろう、私を敵に回したらどうなるか思い知らせてあげる。

「あっ、やっとやる気になった」

 1人がそう言って、何が面白いのかケタケタ笑った。恐らく主犯格はコイツだ。

「あーあー、怒ってる怒ってる。うけるー」

「ちょっと、それ以上は……」

 1人だけ冷静なようだがもう遅い。私は唱えていた呪文を放った。

「ポケット改!!」

 瞬間、3人が消えた。そう、いつも私が「穴」と称している魔法だが、少しだけ改変してある。どこか遠くに飛ばしたのだ。どこに出たのかは私も知らない。対人に使ったので準攻撃魔法に相当するが、いわゆる「殺しの免許」は不要である。

「全く気分が悪いわね。レオン隠れていないで出てらっしゃい」

 微かに漂う魔力の気配。私は声を掛けた。

「凄い、今まで見破られた事ないのに」

 私の背景が少し歪み、レオンが現れた。

「集中していれば分かるわよ。で、さっきの3人衆に虐められていたんだって?」

 レオンはうなずいた。

「そうなんだよ。女の子とまともに話せるのってイライザくらいだし、怖くなって逃げちゃった」

 そう言って苦笑するレオンの顔面に、私のパンチが飛んだ。

「あのねぇ、あんた姿はちみっこいけど、中身は15才でしょ。たかが3人くらいどうってことないでしょうが。男ならどっしり構えていなさい!!」

 ……ふっ、またつまらぬ説教をしてしまった。

「さすがイライザ。どんな時も容赦ない……」

 レオンが鼻をさすりさすり

「当たり前。婚約者としては、しっかりして貰わないと」

 私はため息をついた。婚約して良かったのか悪かったのか……。

「僕は僕なりに頑張っているつもりなんだけどなぁ」

 レオンがブツブツ言い出す。

「それが姿や態度に見えたら、私だってお説教しないわよ。どうしたもんかねぇ……」

 私はもう一度ため息をついた。言っても無駄なのでこれ以上はなにも言わないが……。まあこれでよく婚約破棄しないものだと自分でも思う。それなりの覚悟があって、指輪をはめたのだが、それで安心したのかレオンから覇気がなくなってしまった。ここで一発カンフル剤が欲しいところだが……。

「あっ、おにいちゃんにおねえちゃん!!」

 どこからか、フワフワした女の子の声が聞こえた。えーっと、誰だったか。あっ。

「アリス、久々ね」

 もう随分昔のような気がしていたが、こちらに歩いてくるのは前に私が教えたアリスだった。

「うん。ひさびさ~。きょうはね、けんきゅうがいそがしいからからじつぎやってこいって……。おねえちゃんみててくれる?」

 私は1つうなずいた。あの先生なら言いかねない。レオンがやや不機嫌そうだが知ったこっちゃない。

「そとにわってこっち?」

 アリスが指をさした。

「うん、こっちこっち……」

 私はアリスとレオンを引き連れて外庭にきた。

「あっ、使用許可取ってなかった。鍵取ってくる」

 私が校舎に戻ろうとすると、アリスがそっと袖を引っ張って止める。

「かぎならあるよ。せんせいがくれた」

 アリスが鍵を掲げて見せる。用意が良くて助かる。

「じゃあ、行きますか」

 外庭への扉をあけ、私は土の上に足を降ろした。この前の亡命騒ぎの際に2人が乗ってきた飛行魔道機はもうない。すでにどこかが回収している。

「さて、ありす。さっそくやってみて」

 私がアリスに言うと、彼女はうなずいて呪文を唱え始めた。ってこれは。

「レオン・スペシャル!!」

 ……なんて術名をつけたんだか。

 まず最初に虚空にドラゴンが浮かぶ。そして次は氷の……。まさに、レオンが中間試験の実技でやった魔法そのものだった。レオンがポカンとしている。

「じゅんびたいそうおわったよ。つぎはどうしようかな?」

 小首を傾けて悩むアリス。顔色が見る間に悪くなっていくレオン。準備体操……。

「よし、次は「飛行」かな。おにいちゃんおしえて」

 ……お兄ちゃんは「飛行」使えません。はい。

「よっしゃ、2人まとめていくよ。「飛行」の呪文はこう……」

 これはまたとないチャンスとばかりに、2人に「飛行」の呪文を教えていく。呪文自体は簡単だが、飛行の魔法は垂直方向と平行方向のコントロールが必要になる。普段平行移動しかしない人間が3次元移動するのは感覚的に難しく、好き好んでこんな魔法を使う魔法使いはいない。私は暇なので覚えたのだが……。

「まっ、ちょっと見本見せるから、こんな感じで……」

私は呪文を唱えゆっくり上昇した。握り拳1個分くらい浮かぶと、そこでピタリと静止する。

「まずはこのくらいからね。やってみて」

 2人が同時に呪文を唱えてそろりと宙に浮かぶ。安定してるアリスに対し、レオンはガタガタした動きだ。

「レオン、肩の力を抜いて。アリスは大丈夫そうね」

 私は2人に指示を出す。今の所、アリスの方が飲み込みが良さそうだ。

「これを何度も繰り返すわよ。『飛行』の魔法はまずここからだから」

 何事も最初が肝心である。こうして、私の魔法教室が始まったのだった。


 私がアリスとレオンに「飛行」の教えて3日目。2人はついに飛べるようになった。

「無理したらダメよ。ヤバいと思ったら着陸して!!」

 ゆっくりと2人の後方を飛びながら、私は万一の墜落に備える。レオンはまだおぼつかないが、アリスはほぼ完全に感覚を掴んでいるようだ。まだ危ないところは飛べないので、外庭上空をぐるぐるしているだけだが、アリスについてはもう大丈夫だろう。私は中庭の中心に降りた。すると、2人とも私の前方に降りる。

「もう言うことはないわね。アリスは十分。レオンはもうちょっとだけど、要練習かな」

 私は2人にそう言った。

「わーい、またひとつまほうおぼえたー!!」

 アリスが嬉々として声を上げる。

「疲れたけど、空はいいね。でも、3日で覚えられる魔法だっけ。これ」

 レオンが不思議そうにつぶやいている。無理もない。「飛行」の魔術は早くても習得までに1ヶ月はかかる難物である。それをたった3日で教えた私って偉い!! なんちて。実際は2人の魔法センスがいいだけである。私はそっと肩を押しただけにすぎない。

「せんせいがそろそろかえってこいっていっていたから、わたしはもうかえるね。おねえちゃんまたね~」

 現れるのも突然だが去るのも突然だ。アリスは外庭から「飛行」の魔法で中庭に向かっていった。

「さて、レオンはどうする? 休み時間はまだ少しあるけど……」

 レオンは即座に答えた。

「もう少し練習するよ。あとちょっとで完璧だから」

 レオンはやる気のようだ。ならば……。

「ちょっと遠くまで行ってみようか?」

 私はレオンに提案した。すると、彼は首を縦に振った。

「うん、その方が練習になるよ」

 レオンはそう言って小さく笑みを浮かべた。

「じゃあ、行くわよ!!」

 私はいち早く上昇した。今日は晴天。絶好の飛行日よりだ。

「待ってよ~」

 後からヨロヨロと危なっかしくレオンが上昇してくる。

「イライザ、早すぎる!!」

 やっと私に追いついてきたレオンが怒鳴った。怒鳴らないと声が聞こえないのだ。

「こっちよ。私の横に並んで!!」

 私もレオンに怒鳴り返すと、ゆっくりと彼の速度で飛ぶ。私も最初はこんなもんだったなぁ。と思いながら。

 私の誘導で外庭上空から出て「鍛錬の森」上空に差し掛かる。横に並んで飛ぶレオンは高度が安定しないながらも、何とかついてきている。レオンにしては上出来だ。そのまま飛ぶことしばし。「鍛錬の森」の一角にそれはあった。ちょっとした崖なのだが、その中腹にちょうど2人分座れる窪みがある。通称「奇跡のベンチ」だ。私たちはゆっくりと慎重にそのベンチに着いた。座ってみれば絶景。「飛行」の魔法が使える者だけの特権だ。

「どう、この景色?」

 私は肩で息をしているレオンに聞いた。

「ちょっと待って。今は無理……」

 よほど疲れたのだろう。レオンが今にも死にそうになっている。

「情けないわねぇ。まあ、無理もないけど」

 高度や速度にもよるが、「飛行」の魔法で失敗したら真面目に死ぬ。ゆえに高度魔法に指定されていてあまり人気がない魔法だ。使いこなせれば便利なんだけどね。

「ふぅ、落ち着いたよ。凄い景色だね」

 レオンが辺りを見回しながら言う。その時、自分でもビックリしたのだが、私は思いきり彼に抱きついた。

「やっと2人きりになれたね。なんかゴダゴタしていたから……」

 そして、まさかのこの発言。自分で言っているのに、自分の言葉とは思えない。

 ……どうした。私!?

「イライザ、痛い……」

 私は慌ててレオンから離れた。

「ご、ごめん」

 私は素直に謝った。

「あはは、まさかイライザからとは思わなかったよ」

 レオンはそう言って口笛など吹いている。

 ……ムカつく。レオンのくせに。

「ま、まあ、いいわ。どう? 上手く飛べるようになりそう?」

 私は話題をすり替えた。

「そうだねぇ……あと何回か飛べばって感じかな」

 レオンが答えた。上出来である。

 その時、休み時間終了を告げる鐘の音がここまで聞こえてきた。

「あっ、帰らなきゃね……」

 飛び立とうとした私の手を握り、レオンが引き留めた。

「もう少しこのままで。僕は遅刻魔だから、誰も何も思わないさ」

 そんなレオンに私はデコピンした。

「ちょっとだけよ。この不良学生が」

 そして、何するでもなく私はたちは景色を楽しんだのだった。

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