「赤字でも頑張るわけ」
「水橋君、君、バスが好きなんだろ?」
社長が突然言いだした。
「え、いや、まぁそれほどでも…」
水橋はなんとなくその場をしのごうとする。
「隠さなくていいんだよ、好きなんでしょ?」
「は、はい…」
水橋は大のバス好きであった。
バス整備士で入社したのもバスを間近で眺め、整備したかったからである。
「水橋君、なんでそんなに隠してるんだ?」
社長は聞く。
「いや、バス好きって言ったらなんとなく趣味のために入社したみたいで印象悪いでしょうし…」
水橋のこの答えを聞くと、社長は
「ははは、そんなことを気にしてたのか」
と笑った。つづけて
「水橋君、俺もバスが大好きでな、大好きなバスで人の役に立てないかなって思ったんだ。それでこの神奈東交通を自らの手で設立したんだ」
水橋はこの話を聞き驚いた。
「社長もバスがお好きだったんですか…」
「そうだ、バスは大好きだ。今でも地方に行ってはバスを撮影したり乗ったりしてる」
水橋は、社長がバス好きであることを知り、少し気が楽になった気がした。
「今行くところは山の中の工場なんだが、見せたいものがあってだな。これを知ってるのは俺とその工場の職員くらいだ」
「そうなんですか、それは楽しみです」
水橋は期待で胸がいっぱいになった。
「揺れるぞ、掴まれ」
運転する社長はそう言うと、いつもは路線バスが走る道を外れ、アスファルトもボコボコになった山の中の道を進み始めた。
NE-UA4E0HAN 4501号車は独特の甲高い音を大きく立てながら山を登って行く。
しばらくすると、山の中に突然門が現れ、その前に静かにバスを止めた。ここはどうやら採石場らしい。
「金山さん、バスで来るとはたまげたねぇ。あの車を見にきたのかい?」
そう言ってバスに乗り込んできたのはここの職員の戸倉だ。
「そう、あの車。どうしてもこいつに見せてやりたくて」
「はじめまして、神奈東交通の水橋です」
「水橋っていうのね。はじめまして、戸倉です」
軽く挨拶を済ませると、閉ざされていた門がゆっくりと開いて行く。
しばらく進むと、目の前にとんでもないものが現れた。
「あっ」
思わず声を上げてしまった水橋たちの目の目には、日野RVと北村ボディのいすゞCJM500の廃車体があったのだ。3人は4501号車から降り、廃車体の前まで行った。水橋は何も言えず、ただただ2台を眺めているだけであった。
「水橋君、これを俺は見せたかったんだ」
そのまま社長は話を始めた。
「俺がバス会社を始めようと思ったのは、この2台に出会ってからなんだ。俺はかつてはここで働いていた。バス好きなのは上司も知っていて、ある日この2台を見せられたんだ。それからというものこの2台しか考えられなくなったんだ。いつかこの2台を俺の生まれ育った下倉田で生き返らせるって決心して、神奈東交通を設立したんだ」
水橋は、バスを眺めながら一生懸命に社長の話に耳を傾けた。
「当時はベッドタウンとして大きな街になった下倉田では利用する人も多くてすぐに増便や新車購入などができたんだ。でも年々人口は減り、うちも7年連続赤字で経営は非常に苦しい。破産申請寸前にまでなったこともあるがそれでも持ちこたえてきた。俺は、この2台に再び命を宿し、元気に下倉田を駆け巡らせるまではあの会社は何があっても守ろうと思うんだ。水橋、お前も神奈東交通を守ろうと運転手もやってくれるようになったんだろ?だから、お前にも協力して欲しい。そして、地域にも、日本中のバス好きにも、愛される会社を作りたいんだ」
「もちろんです社長、一生懸命協力します」
バス好き同士の思いは通じ合ったようだ。
「じゃあ金山さんまた、水橋君もまた来てね」
戸倉に見送られて、ガタガタのアスファルトの道を下って行く。帰りのバスでは2人の会話は絶えず続いた。もうすぐ8時半。4501号車は営業所へ戻った。
2人は、男の熱い絆ですっかり結ばれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます