第31話


「10年前のあの日、僕は実は姉様の部屋にいた。姉様と一緒にいたんだ。

 昼寝なんか大嫌いで、メイドに寝かしつけられたあと、こっそり自室を抜け出して姉様の部屋に行って二人で遊ぶ、なんてのは普段からやってることだ。

 でも、その日は少し違った。時を置かず、部屋に誰かがやって来た。

 ベッドの上で二人して絵本を読んでいたらドアノブがゆっくり回った。その微かな気配に気づいて、僕は大慌てでカーテンの後ろへ隠れた。

 当然だろ? メイドに見つかって叱られるのはまっぴらゴメンだ。でも、大丈夫。ウチのカーテンはお姫様のスカートのようにふんわり広がって僕を隠してくれる。これはいつもだよ。かくれんぼに最適なんだ。

 けれど――

 あの日、入って来たのはメイドじゃなかった。

 恐ろしい悪魔だった。人間の皮を被った悪魔!

 そいつは姉様にこう言った。


『出ておいで! 一緒に遊ぼう!

            雪の天使を作ろう!』

『まぁ! 素敵!』


 姉様はベッドから飛び降りると悪魔について行ってしまった。

 いや、違う。正確に言うと、ドアを閉める前にチラリと僕の隠れているカーテンに視線を投げた。あれは僕が自室を抜け出したのが見つからないよう、最後まで庇おうとしてくれたんだな。でなきゃ、僕の名を呼んで一緒に行こうと誘ったはずだもの。

 で、僕はどうしたか?

 僕は懲りずに、こっそり後を追った。ずるいや、姉様だけだなんて。僕も一緒に雪遊びがしたい、雪の天使を作りたい。

 ああ、バカな僕! まだそんなのんきなことを考えてた……」


 ここでいったん言葉を止めて青生しょうきは探偵と助手を見た。


「雪の天使の作り方は知ってるよね? 僕たち姉弟は前の冬に教えてもらった! 冬中、雪が積もるたびに夢中になって庭で雪遊びをしたんだ。お庭にいっぱい天使を作っものさ!

 あれは本当に楽しかったなぁ!

 だけど――

 その日、二人の後をつけながら僕は思った。今は春なのに? 冬じゃないのにどうやって天使を作るんだろう?

 不思議だな? 


 でも、あいつは悪魔だったから、それができた。

 易々と悪魔の魔法で雪を出現させ、姉様を騙し、連れ去った。

 僕の姉様は悪魔の作った雪の中に消えた。

 その一部始終を僕は見た。

 不思議だろ? 悪魔の見せる雪なら、黒ければよかったのに。

 雪はちゃんと白かった! 姉様みたいに純白だった!」






 長い、長い間。







「どうやって自分の部屋に返りついたのか僕は憶えていない。

 ベッドに潜り込んで、目を閉じた。今見たものが何だったのか理解しようと努めた。けれど、無理だった。ただもう恐ろしくて、体がガクガク震えて止まらなかった。

 それで、心から願ったよ。これは夢だ。夢なんだ。やがてメイドが起こしに来てくれる――

 でも、起こしに来たメイドは真っ青な顔で僕に告げた。

 大変なことが起きました。お姉様がいなくなってしまいました……


  ( では、あれは夢じゃなかった? )


 僕が見た光景はホンモノだったのだ!

 ホンモノの悪魔と邪悪な魔法……!

 姉様はもう永遠に帰れない。雪に閉じ込められたまま……



 もっと早く、僕は言うべきだったってわかっている。

 やって来たお巡りさんたちに、あの日、僕が見た悪魔の行いの一部始終を語るべきだった。

 悪魔が来たこと。そいつが、楽しかった冬の日と同じように雪原を出現させ、姉様を騙して雪遊びをさせたこと。そして、何よりも、


 悪魔が誰だったか・・・・・・・・を。


 でも、僕は言えなかった。

 悪魔が恐ろしくて」


 青生は顔を覆ってしまった。


「僕はヒトデナシだよ。わかってる。

 あの日あの光景を見て以来、僕も悪魔の仲間になった。悪魔の子分、片割れなんだ。だって口を噤んでいるのだから。黒い秘密を共有しているから。


 連れ去られ閉じ込められたのは姉様だけじゃない。僕もだ。

 僕もあの日以来、悪魔の雪原にいる。凍えながら彷徨さまよっている。暖かい陽の射す4月の窓辺へ戻れないまま。そして、いつか僕もホンモノノ悪魔になるだろう……


 一時はすっかり絶望して、諦めてしまった。悪魔になるのを受け入れて、人間に戻る道を探すのさえ止めていた気がする。

 でも、僕が奮い立ったのは……」


 ここで顔を上げる。


「悪魔に抵抗しよう、戦いを挑もうと決心したのは、この春だ。

 もっと厳密に言うと、去年の冬、年末に大雪が降って、珪子けいこが雪遊びに興じた時。

 僕は小さい妹が雪の天使を作っているのを見た。そして、悟った。

 引き金は天使の作り方。

 あれが悪魔を呼ぶサインなのだ。

 あの遊びを習い覚えた瞬間から、悪魔の恐ろしい計画は動き出している。

 悪魔は懐中時計の針をセットし歯車を巻く。秒針は確実に破滅への時を刻み始めている。

 だから僕は」



 片岡青生かたおかしょうきはきっぱりと、よく通る声で言い切った。



「だから、僕は妹を隠す必要があった。そして、それを実行した」




「一人では、無理だったろう? 協力者がいたね?」

 

 探偵の現実的な質問に青生は即座に頷いて見せた。

「そう。今になって思うと、あの出会いは天使の贈り物だったな!」

 話が前後するけれど、と断って、青生は話を再開した。

「実は僕は――罪滅ぼしというのも情けないな? 自己満足と言ったほうがぴったりくる。中学生になってから、4月11日には曼陀羅まんだら堂へ行って供養の花を手向けるのを習慣にしていた」

「4月11日? なにそれ? 唐突になんだよ?」

「これ、フシギ君」

 助手をたしなめた後で探偵は確認した。

「それは、電気店の曽根武そねたかしさんの命日だね?」






☆〈雪の天使〉は西洋の雪遊びのひとつ。基本形は雪の上へ仰向けに寝て両手を上下に振ると――

 ほら! 雪の上に天使の羽を付けたシルエットが。




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