第25話
「はい、さようでございます。当邸のカーテンは皆、ロココ様式で統一されております。このスタイルは先代様のお好みで、生地は全てフランスのメゾン・シャール・ブルージェ社の特注品です。当邸創建以来、カーテン地は幾度か交換しましたがスタイルは継承いたしております」
興梠はカーテンに歩み寄ると顔を近づけて暫く眺めていた。再び執事の傍へ戻ると、
「ありがとうございました。この部屋の調査はこれで終了します。また、確認したいことができましたら声をかけさせていただきます」
探偵の言葉に執事も丁寧に頭を下げる。
「どうぞ、いつでも、お呼びください。私ども使用人一同、お嬢様方のご帰還を心よりお待ち申し上げています。ですので、そのために力になれるなら協力は惜しみません。ご用の際はなんなりとも申しつけくださいますよう」
3人は部屋から出た。再びしっかりと施錠して、執事は去って行った。
「ねえ、何だったの? さっきのカーテンのこと。教えてよ、どこがどう気になったのさ?」
「いや、僕にもわからないんだ。唯、妙に引っかかる気がして……」
だが、カーテンを調べてもこれという決定的な答えは得られなかった。
何だろう? この邸の光景、一つ一つが〈謎の手紙〉のようだ。
色々なモノが何かを訴えている、と興梠は思った。一つ一つは些細なことでも、繋ぎ合わせたら重大な何か――決定的な〈絵〉が浮かび上がる……?
だが、今はまだ切れ端や断片ばかり。
これまでのところでは――
雪原を思わせる凍った
そして、カーテン……?
「次は書斎だね?」
「うん、そう」
二人は
片岡家の書斎は邸の中心部である玄関ホールの真上、階段を上がると〝すぐ前〟の位置にある。
かつては初代当主・
其処へ向かって歩いて行くと――目指す書斎の前に、先刻、晶子の部屋に鍵を掛けて去って行ったはずの執事がいるではないか。ポケットチーフを揺らして一体何をやっているのだろう?
「
「あ、これは――失礼しました」
執事は一旦手は止めて直立して答えた。
「いやはや……最近の若いメイドは掃除も満足にできないようで、嘆かわしいことです」
どうやら部屋の前の2対の甲冑の埃を払っていたらしい。興梠は率直に賛嘆の言葉を口にした。
「初めてここへやって来た時も瞠目したのですが、素晴らしいコレクションですね!」
「ありがとうございます。先代様が心から愛でられた品々です」
老執事の目じりが下がる。
「先代様の唯一のご趣味でした。身一つで会社を興した旦那様はご自分を
少年助手が吹き抜けを見下ろして叫んだ。
「あ! ホントだ! 今気づいたけど玄関から入って、こう、階段を上って……この部屋へ至る道はまるで鎧武者に導かれている気分になるね!」
老執事の目が一層細くなった。
「おお、お気づきですか? その通りです。旦那様もよくそうおっしゃっておられました。『我が城まで続く鎧武者の出迎え』……」
老執事は遠い日の主人の声を聞くかのごとく階段下から順に一つ一つ甲冑を眺め渡した。最後に再び書斎前の2対に視線を戻す。
「ですから、旦那様はこの部屋のことも〈
「ほう? 書斎ではなく〈鎧上の居間〉ですか……」
「あ、わかるわかる! それぞれの家にその家族ならではの〈特別な名〉ってあるよね!」
「僕らにもあるよ。例えば〈黒猫の呪い部屋〉。これはねぇ、飼い猫が機嫌が悪くなった時、興梠さんが逃げ込む部屋のことさ! 本来なら、猫を閉じ込めればいいのに、わが探偵社はその逆。怖くて触れないものだからひっかかれないよう自分が逃げ込むほかないのさ」
「フシギ君、君は黙っていたまえ」
執事はコメントを控えた。ポケットチーフをしまうと一礼する。
「お仕事の御邪魔をして申し訳ありませんでした。では、私はこれで」
執事はゆっくりと階段を下りて行った。
気を取り直して、書斎、執事曰く〈鎧上の居間〉の扉を開ける。
入って、前面に高窓が3つ並んでいる。
その下に置かれた年代物のリネン箱は腰掛け代わりに使用されているようだ。クッションが置いてあって、なるほど、そこに座ると窓の下の庭がよく見える。
左の壁全面は作り付けの書棚。書棚の前に机。これは窓と差し向いに配置されている。机の真向かいには肘掛け椅子が2つ。反対側の壁に沿ってガラスの嵌ったキッュリオケースが並んでいた。
室内の家具は全てチッペンデールデザインだ。カーテンの様式同様、初代の好みと言うわけか。いかにも、明治の起業家らしい男性的で風格のある部屋である。
「ワーオ! 綺麗だなー!」
少年が吐息を漏らした。
「?」
キュリオケースの中。ぎっしりと小さな鉱石が並んでいる。
「ああ、それは瑛士さんの趣味だな。玄関ホールに大きな石が置かれていたが――小さいものはここに飾っているのか。これ、フシギ君、触っちゃ駄目だよ」
「わかってるってば。凄い、この琥珀、ミツバチが閉じ込められている。こっちのはなんていう石?」
「それは
「じゃ、これは?」
「ベリル――緑柱石だ。その名の通り、薄い緑色が美しいね!」
「端っこにくっいてる塊、何とも言えない色だねぇ?」
「その部分は白雲母だな」
興梠はヒュッと口笛を吹いた。
「隣が電気石だ。電気石はカットされて宝石になる。その場合の名はトルマリン……」
「へえ? 僕、形が好きだな。柱みたいで、縦に線が入ってキリッとしてカッコイイ! 電気石ってことは、この石、バリバリバリって電気を生むの?」
「ハハハ、それはない。熱したり摩擦すると静電気を発生させるけどね」
「うわっ! これは可愛い! 青いボールだ!」
「それはカバンシ石。インドで多く採れる。土台の白い部分は別の石で束沸石と言うんだ」
「彩色してるんじゃないよね? ほんとにこの色なの?」
「結晶の形も色もそのままだよ。こう見ていると……鉱石は神秘的だね。なんだい?」
じっと自分を見ている少年に気づいて探偵が訊いた。
「美しいものに関しては、ほんとに、なんでも知ってるなと思って。ウツクシイモノが興梠さんの最大の弱点かも」
「……そうだな」
それで過去、恐ろしい過ちを犯してしまった……
「これは何?」
助手の視線はすでに石に戻っていた。
「長石」
「この金属っぽいヤツは?」
「赤鉄鉱」
「こっち、濃い緑色は?」
「孔雀石。マラカイトグリーンという顔料になる。クレオパトラがアイシャドウに使用したのでこの名がある――」
「うへぇ! 色は綺麗だけど……僕、形が気になる。まるで臓器みたいじゃない?」
「まぁね、その印象は君だけじゃないよ。この種の形のことを総じて〈腎臓状結晶〉と言うからね。孔雀石は研磨すれば美しい縞模様が現れる。ふつう、飾り物にはその状態が好まれるけどね」
「横のは同じ緑でも透明感があるね? あ、これ、ひょっとしてエメラルド?」
「残念。見た目は似てるけどこれは翠銅鉱。それから、あっちはアタカマ石。砂漠で採れる石さ」
「意外だな! 砂漠から来たの、この石? 砂だけの世界で苔のような緑を鏤めてるなんて……きっと砂漠の夢が育んだんだねぇ」
「フシギ君、君、時々ハッとすることを言うね。毒舌でなく詩的な領域で」
「それは、どうも。で、これは?」
「赤銅鉱に蛍石、ルチルクォーツ、リチア輝石、ピンクがクンツァイト、緑がヒデナイト……ビクスビ石に緑簾石……方解石……藍銅鉱……辰砂……水晶……」
興梠は一つ一つ教えてくれた。
石や書籍はあるがこの部屋に絵は一枚もなかった。
「では、次へ行こう」
書斎の横が細い廊下を挟んで音楽室だった。
グランドピアノとフルート。バイオリンにチェロ。
片岡夫人はフルートが趣味と言っていた。笹井嬢はピアノが得意。片岡家の子供たちにも 教えていると聞いている。バイオリンとチェロは誰が演奏するのだろう? 夫人の友人たちかも知れない。
壁際には蓄音機もあって横の書棚にはレコードが入っていた。
「なーんだ、どれもクラッシックばかりか」
「こら、勝手に触るなと言ったろ? それに、クラッシックばかりって、君もピアノを弾くじゃないか。音楽は嫌いじゃないんだろ?」
「古いなあ、興梠さん。だからモテないんだよ。今、時代はスウィング・ジャズだよ。《シング・シング・シング》なんかを耳元でハミングして聞かせたら女の子なんてイチコロさ」
「――」
アールに抜いた奥は応接室仕様だ。ソファや椅子を配置して居心地がよさそうだった。ちょっとした音楽の集い、コンサートなどを催すにも最適に思えた。
この音楽室の前が2室続く客室、ゲストルームである。大きい方は探偵と助手が現在滞在している。
また、音楽室の横にも部屋がひとつあったが、こちらは空き室状態で使用されていない。
「では、一階へ」
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