第24話
花模様の壁紙。カーテンとベッドカバーはピンク色。家具類は、玩具箱やドールハウスに至るまで全て白で統一されている。なにより、来訪者の目を釘づけにしたのは、部屋中にあふれるぬいぐるみたちだ。
熊や兎、ポニーにキリンに象、ワニまでいる……
「シュニーに駆け寄って来たって昨日のマダムが言ってたもんなぁ! 珪子ちゃん、動物が大好きなんだね!」
次は
こちらも男子中学生らしい部屋だ。
「いや、ちっとも、らしくないよ! 片付き過ぎている!」
少年助手が指摘した。
「そりゃ、まぁ、メイドさんたちが掃除をしてくれるからね」
「そこが、違うよ、
自分もそうだからよくわかる。
「だから、この〝整然さ〟がアイツそのものなんだ。面白くない奴だよね? 男子たるもの、もう少しチラかすべきだ。これじゃ生き生きした生命感がない。その点、僕なんか躍動感に
「ふむ、君の部屋がどうなってるかは想像できる。つまり、シッチャカメッチャカで雑然として、躍動感は
「上手いこと言ったつもりだろうけど、全然面白くないよ、興梠さん」
「――」
「でもさ、真面目な話、この部屋、違和感、感じない?」
「青生君って、どう見ても激情型、荒ぶる魂というか、激しい性格だよね? お父さんとの口喧嘩の場面や反抗の仕方を見てるとよくわかる。でも、妙だな? この部屋はおとなし過ぎる。静かで森閑としてる……」
「うむ。だが、彼は悲しい思い出――お姉さんを失うという辛い経験をしたからね。そういう意味で自室くらいは落ち着いた、ゆっくり安らげる感じを好むのかも」
「ゆっくり安らげる?
ブルルと志儀は自分の両肩を抱いた。
「こんな部屋で癒しを得られるの? ここ、整然として冷た過ぎる。まるで雪の原にいるみたいだ。ほら、きっと、雪の女王にさらわれた男の子ってこんな寒い部屋に閉じ込められてるンだよ」
「アガサと言ったり、アンデルセンと言ったり、君も忙しいな、フシギ君」
( だが、言い得ている…… )
興梠もゆっくりと室内を見渡した。
雪の原か。確かにここは一面の雪景色を思わせる。
色彩がけっして白一色というのでもない。内装は主寝室がそうだったようにチューダー様式。漆喰の壁、オーク材のベッドと衣装箪笥。書棚と机はマホガニーか。床は剥き出しではなく上等のペルシア絨毯が敷いてある。
なのに、何故、雪が舞い落ちて来るように寒々と感じるのか?
「!」
自分の言葉に興梠はギクリとした。
またしても、雪! 雪のイメージ……
今は春だというのに。若い警部補は言った。
―― 雪のように消えてしまった……
そして、そう、電話口で少女が告げた雪の絵。
モネの《雪のアルジャントゥイュ》と《かささぎ》。
それから、
憐れにも首謀者も同じ夜の内に成敗され、二つの首は
―― その櫃の中に雪は入っていたの?
おいおい、まぜっかえすなよ、フシギ君。
だが、待てよ。まだ他にあったな。雪に関するもの。何だったかな?
「興梠さん、見て!」
現実の少年の声が探偵の考察を遮った。
志儀が指差しているのは、机の前の壁に飾られた絵だ。
「やっぱり、あいつ、絵画が好きなんだな! これ、いつか話した竜退治の絵でしょ?」
「ああ、そうだね。ギャスターヴ・モローの描いた騎士ゲオルグと竜だ」
「それから、こっちは――これは知らないや。ルノアール? モネ?」
隣の一枚は少女の肖像だった。
「いや、これは日本人画家だ。
美学を収めた帝大出の探偵は即座に作者の名を言い当てた。
「藤田嗣治は日本より欧米で有名だ。凄く人気があって数年前の米大陸での個展では6万人が押し寄せたとか。大正時代に日本を飛び出しパリを拠点に活動してモディリアーニやピカソと親交を結んだ。
エコール・ド・パリ=パリ派は1920年代、パリ左岸に住んで創作活動をしていた若い画家たちのことだ。出身国も作風も違う。共通していたのは美への情熱だけ。
「へえ? 僕、そのフジタなんて、名前を聞いても全然ピンと来ないけど……でも、青生君がこの絵が好きで飾っている理由はわかる気がする。ねぇ、興梠さん、この絵の少女、珪子ちゃんに似てない?」
「ああ、そうだね」
藤田嗣治が何より欧州で絶賛されるのはこの画家しか描けない〈乳白色の肌〉のせいだ。壁の少女像はまさにそれだった。
「それから――
「本当に……そうだね」
探偵も助手も、写真でしか見たことのない片岡家の姉妹たち。
次女の珪子は現在形で『似ている』と言える。長女晶子はいなくなった7歳の頃、10年前の『
君は今、何処にいるんだ? 晶子ちゃん?
何処かにいるとすれば、もう、こんな風な幼い女の子ではなくて美しい女性になっているはず。
二人の天使のいる処……
興梠は胸の中でそっと囁いた。
君と妹さんを無事に見つけ出せるといいのだが。
その晶子の部屋。最初にいなくなった少女の居場所へ。
興梠は執事を呼んで、鍵を開けてもらった。
「どうぞ」
「――」
執事が開けた扉の先。
10年の時が凍っている――
興梠にはそう思えた。
部屋の造りや大きさは先に見た妹・珪子のそれとほぼ同じ。ベッド、チェスト、ドレッサー、机、ドールハウスに玩具箱……
これら白い家具類も妹の部屋にあったものと同一だ。違うものは――
「ぬいぐるみの数だな!」
志儀の声。これには一瞬笑ってしまう。確かに姉は妹ほどぬいぐるみは持っていない。だが、そこじゃない。一番の相違点はカーテンとベッドカバーの色だ。妹はピンクだったがこの部屋は若草色。
燃えるような明るい緑はちょうど今の季節に重なる。10年前の同じ今頃、少女はメイドに手を引かれ昼寝のためにこのベッドに寝かされた。そして、それが、この邸内で少女を見た最後となった――
「あの日のままです。一切変えてはいません」
まるで探偵の心を読んだかのように執事が言った。
「……窓のカーテンは?」
ふいに気づいたこと。小さな違和感を覚えて興梠が訊いた。
「カーテン? と、申しますと?」
質問の意味がわからないという風に執事が首を傾げる。
「窓のカーテンも触っていないのでしょうか? あの日のままですか?」
「はい」
執事は老いた体をピンと伸ばした。自身も10年前のその日に戻ったごとくキビキビと答える。
「そうですね、厳密に申しますと、警察の方たちが部屋を
「つまり、この状態――タッセルで留めたままということですね?」
「はい。お昼寝ということで、昼間なのでカーテンは閉めなかったと思います。夜はしっかりと閉めますが、お昼寝の際は外の陽差しが入るままにして、遮るようなことはしなかったはず。これは
探偵は何を知りたいのだろう? 何に異変を感じているのか? 困惑して眉を寄せる執事。少年助手も赤い癖毛を揺らして、
「どうしたの、興梠さん? 何か気になることでも?」
今一度、興梠はカーテンを見つめた。
「僕も今、気がついたのですが、ここ片岡邸ではカーテンは皆このスタイルですか? いや、つまり、これはロココ様式かと思うのですが――」
たっぷりと襞を取り、丈も長い。花嫁のベールのように床に広がっている。タッセルで留めているのでいっそう立体的に盛り上がって華やかさが増している。
そう言えば瑠璃子夫人の居間もこうだった。
興梠は執事を正面から見つめて繰り返した。
「河北さん、片岡邸ではカーテンは皆このスタイルですか?」
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