第23話
【193X'4月18日(金)】
「どうする、
朝食を取りに食堂へと向かう途中で、
「ううむ……」
興梠は昨日の西洋婦人の件について弓部に詳しく訊いてみるつもりだったのだが。
ままよ、マダムの住所は聞いている。今後、更に詳しい検証等、必要になればその時は改めてそちらへ出向いて確認すればいい。
「では、フシギ君、僕たちは今日やるべきことをしよう」
「OK! で、何処へ行くの?」
「何処へも行かない」
探偵はきっぱりと告げた。
「ここ、
テーブルに着くと、早速、探偵は当主の
瑛士は快諾した。
「もちろん、思う存分、納得の行くまで調べてください。既に警察の方で探索済みですが、私たちとしては、貴方の鋭い視点から改めて調査していただけるならありがたいです。なにかしら、見落としていたこと――犯人の痕跡、
申し訳なさそうに言い添える。
「私は、今日、どうしても片付けなくてはならない仕事があって、会社の方へ出かけねばなりませんが、立ち会わなくてもよろしいですか?」
「いえ、僕らだけで大丈夫です」
慌てて興梠は首を振った。
「皆さんにお手数をおかけするつもりはありません」
「それなら……私と
賢明な夫人がきびきびと応じた。
「どうぞ、遠慮なくお調べくださいませ。何を見られても私はかまいません。娘――
「私もです!」
顎を上げて
「珪子お嬢様が一日でも早く無事、帰宅なさるために、私にできることならどのようなことでも喜んで協力いたしますわ!」
片岡家当主は妻と若きコンパニオンを誇らしげに見つめて頷いた。
「私も、妻や笹井嬢と同じ思いですよ! そういうわけですから、興梠さん、遠慮は無用です。洗い浚い邸内を調査していただきたい。何か疑問等、ご確認なさりたい場合は執事にお尋ねください。実際、アレは私よりもこの邸に詳しい。何しろ初代当主がここを建築して以来の住人――影の
銀の盆を捧げ持ったまま、瑛士の後ろで軽く頭を下げる老執事・
例によって今朝も令息の
こうして、この日一日、片岡邸は探偵とその助手の狩場となった。濁った川床、茂みや木の
瑛士、続いて
「では、2階から始めよう、フシギ君」
「でもさぁ、このお屋敷、10年前の事件の直後に
少々懐疑的な少年助手。探偵に遅れまいと大股に階段を昇りながら頬を膨らませる。
「もちろん、よその家を探検するのって、何べんやってもドキドキしてサイコーに面白いんだけど」
「おいおい、〝探検〟ではなく〝探索〟だよ」
白手袋を嵌めながら探偵は助手を
「それに、新発見や奇妙な痕跡など僕も期待してはいない。ただ、せっかくだから一応自分の目で見ておきたいのさ。それには弓部警部補が不在の今日はいい機会だ」
「あれ? それって、ひょっとして、興梠さん、弓部さんを疑ってるってこと?」
少年の瞳がキラリと光った。
「やっぱりな! 昨日、あんな〝意外な事実〟が判明したんだもんね? 実際、マダムの言う通り、弓部警部補が珪子ちゃんと親し気に連れだって歩いてたってのが事実なら……いつだって容易に珪子ちゃんを連れ出せるってことだもの」
即座に否定する興梠。
「いや、その結論は飛躍し過ぎだ。弓部さん本人に確認できていない現状ではね。僕が言ったのは、弓部さんが既に捜索しているのに私立探偵の僕が再度点検するのは差し出がましいと思って、中々言い出せなかったんだよ」
「ふーん、そんなこと気にしてたのか? これぞ大人の事情ってヤツだね? メンドクサ!」
片岡邸は2階がプライベートスペース――家族の居室となっている。
※見取り図参照のこと
建物の正面からみて右翼、玄関側に子供部屋が3室並ぶ。廊下を挟み、裏庭側の3室が端より、主寝室、夫人の居間、家庭教師・笹井嬢の部屋だ。
まず大人たちの居室から始める。
主寝室は特別変わった点――興味を憶える箇所――はなかった。朝食の間にメイドが掃除を済ませるのが片岡邸の習慣だということで、この日も整然としていた。渋いオークの腰壁が朝の陽光に煌めくチューダー様式。バラの彫刻が施された寝台も重厚で風格がある。
「では、次」
夫人の自室へ移動する。
次女の珪子がいなくなった後、夫人は自分の居間で笹井嬢と一緒に寝起きしているとのこと。
遠慮なく探索してくれと言われているが、興梠は目視のみで所持品に触るつもりはなかった。最低限、窓の位置、家具の配置を確認すればよい。
「あれ! この部屋……」
足を踏み入れた途端、背後で少年助手が声を上げた。
「どうした、フシギ君? 何か気になることでも?」
ギョッとして、振り返る探偵に、
「興梠さん! この部屋、スタイルズ荘とおんなじ間取りだよっ!」
短い沈黙。
「……ひょっとして、フシギ君。それは、アガサ・クリスティの小説の話かい?」
思い当たって興梠が訊いた。
「うん、名探偵ポワロが登場した記念すべき第1作、『スタイルズ荘の怪事件』さ! あの作品で女主人の部屋がこう……中にもう一つ扉があって……娘の部屋と繋がっているんだ。ほら、ここ! この扉! ここから、笹井嬢の部屋へ行ける――」
「確かにそうだが、それが何か?」
探偵小説マニアの少年助手は飛んで行ってドアノブをしげしげと眺めた。
「アガサの小説ではこのドアノブに犯人特定の証拠となる〈ある物〉が引っかかっていた!」
もちろん、片岡家の夫人のドアノブには――
何もなかった。
「フシギ君、現実は小説のようには行かないものさ」
「チェ!」
実は、この扉について探偵は
「元々この部屋は夫人の乳母が使っていたそうだ。夫人が片岡家に嫁いだ時、一緒にやって来て、長女の
昔気質のとよが、いつでも夫人の要望に応えられるよう
以上、Q.E.D. 証明終了。
その乳母の部屋を受け継いだ(本人の希望だという)
室内にあるのは、猫足の丸テーブルにその上の白いシェイドのランプ、オーク材の寝台。
どれが彼女自身の持ち物なのか一見しただけでは判然としなかった。唯一、所持品だとわかったのはトランクだ。遥々海を渡って来たのだろう。ルイ・ヴィトン社の最高級品だった。1880年代製ダナエラインのワードローブトランク! 笹井嬢の母親の形見かも知れない。現在も衣装ダンス代わりに使用しているようだ。その他は――
「ポスター……?」
彼女が好きだと言った監督の
「――」
ドアの前に佇んだまま、興梠は暫くじっと見入っていた。
「興梠さん!」
志儀の声に
「いつまで、映画ポスターばかり見てるのさ。こっち、瑠璃子夫人の部屋は見ないの?」
「失敬、失敬」
だが、なんだろう? 何かが引っかかる。興梠は首を傾げた。俺は何に反応したんだろう? そう言えば、前に笹井嬢が映画の話をした時にも何かを思い出しかけたような……
とても重要なこと……
とはいえ、いつまでもこうしてはいられない。身を翻すと興梠は片岡夫人の部屋に意識を集中した。
夫人の部屋は、夫君の主寝室同様、きちんと整っていた。だが、雰囲気はかなり違っている。
ここは夫人が日中、自由にくつろぐプライベートな居間だと聞いた。その通り、まさにブードワール調の見事な再現である。気の置けない女友達と内緒話のできる優雅で可愛らしい空間――
たっぷり襞を取ったシルクのカーテンにビーズをあしらったタッセル……詰め物を施した柔らかなソファ、たくさんのクッション……
1人掛けの椅子は優雅なフレンチガブリオレのバルーンチェアだ。午睡用のディベッドが窓の下にあって、その横に最近持ち込んだらしい補助ベッドが寄り添うように並んでいる様子が、夫人と笹井嬢そのものに見えて、興梠も志儀も哀しい微笑みを漏らしてしまった。
「では、次は子供部屋だ、フシギ君」
廊下を挟んで向き合う子供部屋3室。
階段から遠い順に、晶子、青生、珪子となっている。
これは生まれた順に与えられたのだろう。
晶子の部屋は鍵が掛けられていた。悲しい記憶を封印するように……
それで、探偵と助手は先に珪子と青生の部屋を見て回ることにした。
☆『スタイルズ荘の怪事件』アガサ・クリスティ著、 1920発表
☆《小説家になろう》の方には片岡邸見取り図が掲示してイマス。
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