第20話

 源頼朝みなもとよりともの墓は鶴岡八幡つるおかはちまんからさほど遠くない、歩いて行ける距離にある。地図で示すと鶴岡八幡宮正面の大鳥居を出て左手に進めばよい。住宅地を抜けて、やがて見えて来る小さな神社横の石段を上った処がそれだ。




「これは……」


 興梠こおろぎは絶句した。源頼朝の墓を訪れるのは探偵にとっても初めてだったのだが。

「信じられない……本当に、ここ・・がそうなんですか?」

「そうです。皆さん、驚かれますが、正真正銘、ここが源頼朝、鎌倉幕府の創始者、征夷大将軍の墓です」


 何故、興梠が息を飲んだのか。



 それはその場所があまりにも質素だったからだ。

 鶴岡八幡宮を詣でた後ではその差が歴然としている。


 

 通り過ぎても気づかないような石段はきっかり50段。上り切ると、鬱蒼と茂った木々をわずかに掃った猫の額ほどの空間に行き着く。五輪の塔がポツンと据えられていた。




 それだけ。



「まあ、隣の――白旗しろはた神社という名です――も、実は明治に建てられた新しい神社ですからね」


 そもそも源頼朝は最期も謎に満ちている。建久9年(1198)12月28日、相模さがみ川に架かった橋の落成式に臨んだ際、馬が暴れて落馬した。その怪我、あるいは転落した川の悪水を飲んだことが原因で年が明けた建久10年(1199)1月13日絶命。守り本尊を安置した持仏堂に葬られ、そのまま忘れ去られる。前述したように源氏の血は三代将軍実朝さねともの暗殺で絶え、幕府の実権は執権しっけん北条ほうじょう家へ移った。嵐のごとき戦国時代の後、江戸時代中頃になって、かつて先祖が頼朝の乳母だったという島津しまづ氏が石塔を建てて整えたのがここだ。その後、明治政府が隣接地に源頼朝を祭神とする白旗神社を創健した――


 思わず笑いだしたくなる。これぞ、武士。墓など、これはこれでいいではないか!

 質実剛健の極みとも言える。興梠は思った。たくさんの血を流し、肉親を斬り、他者を屠り、世を全うした。ハナから現世しか必要としなかったのかも知れないな。

「ガッカリしましたか?」

 弓部ゆべが肩をすくめて、

「実はね、僕も初めてこれを見た時は、拍子抜けしましたよ」

「正直、吃驚しました。でも、このカンジ、僕は嫌いじゃない」

 そう言って探偵は大きく息を吸った。木下闇をそのまま吸い込むという風に、静かに、深く。

 若葉の香りが身体に染み渡った。

 とはいえ――

 その清冽な衝撃以外、頼朝の墓には何もなかった。

「この近辺にも鳥居やハカ……頼朝に関連のある神社がいくつかあります。この先のエガラ天神社などは、むしろ、よほど源氏に因縁が深い、長い歴史を持つ神社です。行って見ますか?」









「へー、エガラ神社のエガラって荏柄・・と書くのか! 僕、〝絵柄〟かと思っちゃった!」

 更に歩くこと数分。

 神門を見上げて声を上げる少年助手に弓部警部補が親切に説明してくれた。

「いや、間違ってはいないよ。何しろ――」


 この荏柄えがら天神社の起こりは、長治元年(1104)雷雨とともに天神様、すなわち菅原道真すがわらみちざねの〈肖象〉が降って来た、その場所に社殿を建てて祀ったのが始まりとされる。天神の名の通り、九州の太宰府だざいふ天満宮、京都の北野きたの天満宮とともに日本三天神に数えられている。


「のみならず、治承4年(1180)、鎌倉の地を都に定めた源頼朝はこの天神社を鬼門の守護とした。そのため武士の信仰を集め大いに隆盛したんだよ」


 江戸時代の寛永元年(1624)には鶴岡八幡宮の若宮の旧本殿を譲り受け本殿として移築している。このことからも鶴岡八幡宮との強い繋がり窺える。


「わぁ! 銀杏の木もおんなじだ!」


 本殿の横に枝を張る大銀杏に駆け寄る志儀しぎ

「そう。ここの銀杏は鶴岡八幡に次ぐ樹齢を誇っているんだよ」


 朱塗りも鮮やかな、中世建築を色濃く残す境内は静謐に満ちて、シャガの花が咲き誇っていた。

 だが、ここでも、三人は片岡かたおか家次女失踪に繋がる何ら痕跡を見つけることはできなかった。


 空しく神門を出る。その刹那――


「アレ!?」


 先頭を歩いていた志儀がくぐもった叫び声を上げた。

「?」

「フシギ君――」

 弓部と興梠が顔を挙げた時には、すでに少年は駆け出していた。





「白犬だ!」


 志儀の眼前を真っ白い犬が横切った。まだ小さい、子犬だ。反射的にその後を追う。

 鎌倉の路地は夢の中に入り込んだかと錯覚するほど精緻で美しい。複雑に入り組んで、しかも、何処へ出ようと趣きがある。

 手入れの行き届いた生垣に、瑞々しい植栽、季節の花が揺れる花壇……

「おい、待てよ! 犬コロ――」

 無我夢中で角を曲がった瞬間……


 ドン!


「う」

「キャッ――」


 志儀は人影と衝突してよろめいた。すんでの処で――相手も――転倒せずに踏みとどまったものの、地面に買い物籠が落ちて中身が散らばった。

「す、すみません! 僕、僕、慌ててて……前をよく見てなくて……」

 シドロモドロになりながら謝罪する。

「お怪我はありませんか?」

「ええ、大丈夫よ。私も急いでいたので――」

 相手は同じ年頃の女の人だった。にっこりと微笑んでくれた。

 その可憐な笑顔に赤面する志儀。ハッと気を取り直して、散乱した品々を大急ぎで拾い集めにかかる。

 紅茶の缶、鳩サブレ、長谷の大福餅、 明治キャラメル、シガレットキャンディ、クレヨンに、きいちの塗り絵……リリアン編み……

 全部、籠へ戻した。

「ほんとにゴメンナサイ」

「こちらこそ、ありがとう」

 

 ふわり、揺れる香り。


 香水オードトワレ? いや、違う。

 それは娘が右手に抱えた花束から漂って来た。


「――」


 白いブラウスの胸に抱かれた白い花たち。志儀は慌てて視線を逸らした。

 再び、ゆっくりと顔を上げると、娘はもういなかった。向こう端の家、軒先のサンザシが揺れて、まるでクスクスと笑っているみたいじゃないか。


  ( 何だったんだ、今のは? )


 左右を見回しながら志儀はひとり呟いた。

 幻影だったのだろうか? かつて2代目執権が見たのと同様、眼前をよぎった白犬自体が幻だった?

 でも、馨しい匂いは確かに鼻腔に残っている――


「志儀君!」


 背後で弓部警部補の声が響いた。

「ここにいたのか? 探したぞ。いきなりいなくなるから……」

「すみません。ちょっと、その、気になるものを見た気がして。あ、でも、目の錯覚だったようです」

 気まずそうに志儀は言葉を濁した。

「えーと、興梠さんは?」

「あれ? さっきまで、一緒に君を追って来たんだが――」

「あ、あそこだ!」

 探偵は町内掲示板の前にいた。

「ふう、よかった! 何しろ鎌倉の路地は複雑だからね。君も、興梠さんも、こんなところで迷ったら洒落にならない。もう十分、謎においては我々は迷いまくっているいるんだから。む?」

 だが、今度は興梠の様子がおかしい。石化したように番地を記した地図を凝視している。

「どうしたの、興梠さん!?」

 志儀は走り寄った。

「何か気になるものでも見つけた? 僕が……」



 僕が、白犬にいざなわれて迷い込んだこの路地で?



 




☆荏柄天神社の本殿左手には、現在、河童漫画で知られる清水崑氏の絵筆の供養塚、その横には有名漫画家の154枚のレリーフで飾られた絵筆塔があります。手塚治虫氏、藤子不二雄氏……お気に入りの作家を探してみてください。

やはり、荏柄……絵柄つながり?

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