第19話


「取り逃がしたって? しかも、その女の顔もよく憶えていないなんて、サイアクだな!」


 帰還した片岡邸。応接室で今日の報告をする興梠響こおろぎひびき

 既に学校から帰っていた令息、青生しょうきも交えて、弓部ゆべ警部補、片岡かたおか夫妻、家庭教師の笹井ささい嬢と、全員に一部始終を話し終えたところだ。

 息子の激しい言葉を父の瑛士えいじが叱った。

「青生、口を慎みなさい。興梠氏は全力を尽くしてくださっているのだ」

 夫人も寄り添う笹井嬢の手を握りしめて、

「ええ、ほんとうに、興梠様には感謝しておりますわ。私たちだけでは謎をここまで解明できなかったでしょう……」

 夫人と家庭教師兼話し相手コンパニオンは朝食の席にいなかったので、その姿を見るのは昨夜以来のこととなる。

 ゆっくり睡眠がとれたせいか、青白かった夫人の頬に血の色が戻っている。笹井嬢と手を繋いだ姿が益々姉妹のように見えた。いや、むしろ、夫人を案じる笹井嬢の方が、雛鳥を守ろうとする親鳥のようで胸に迫った。キリリと引き結んだ口元。

 この人は愛する人を失う辛さを体験している。だから、こうも必死なのだ。寄る辺なき孤独の魂たち……

 探偵の視線に気づいてを笹井敦子ささいあつこは瞬きする。そっと目を逸らした。

「それに、今回のことで、お嬢さんを連れ去った犯人側に、明らかに女性がいるとわかった。これは大きいですよ!」

 こう言葉を発したのは弓部ゆべ警部補だ。一歩前へ乗り出すと、

「この前、珪子けいこちゃんからの電話の際、漏れ聞こえた『お姉ちゃん』は、今日、貴方が見たスカーフの女と断定して間違いないのでは?」

「チェ、だからこそ、その場できっちりと捕まえるべきだったんだ! こんなのどう言い繕おうと大失態だよ! ほんとに、顔も全然憶えてないの?」

「面目ないが、そのとおりです。スカーフ以外、特徴的なものは何ひとつ憶えていない――」

「君はどうなんだよ?」

 令息の追及の矛先は探偵から助手へと移った。

「一緒にいたんだろ?」

「僕は、興梠さんの叫び声で振り返って、その時、チラと後姿を見ただけなんだ。でも、姿形なら言えるよ。ほっそりしてて、足取りが軽やかで、背丈は」

 室内の一同をサッと見回してから

「そう、チョウド君くらいだった!」

「なんだよ、それ、僕に当てつけてるのか? 君も僕と同じくらいの身長なんだから、『自分くらいだった』と言えばいいじゃないか」

「どう表現しようが僕の勝手だろ! 君こそ横柄だぞ。何様のつもりさ?」

 中学生たちの言い合いを遮って警部補が話題を変えた。

「この新しいメッセージについて、何かわかりますか?」

「いえ、まだ、全くわかりません」

 一同、改めて探偵の書きとったソレを見つめる。



 弓部が唸りながら、

「意味はともかく、右の部分は……カタカナで〈ハカ〉と読めませんか?」

「ええ」

「左の形は――何だろう?」

「私には鳥居にみえますわ」

 一番早く指摘したのは笹井嬢だった。続いて青生が、

「同感、僕にもそう見えるよ」

 負けじと志儀しぎも頷いた。

「僕もさ! これを見た途端、一目でわかった!」

 警部補が興梠をじっと見つめる。

「明日はどうするおつもりですか、興梠さん?」

「そうですね。とにかく、鳥居とハカに関連する場所を巡ってみようと思います」

 それ以外、すべがない。

「鎌倉で?」

「ええ。届いた封書の消印といい、今までの経過といい、犯人は鎌倉にこだわっているように僕には思えるので」

「僕もご一緒しますよ」

 きっぱりと弓部が言い切った。

「もはや、時間がない。ここは力を合わせて……行動を共にしましょう!」

 珪子が連れ去られて明日で9日になる。流石に弓部としても私立探偵だけに任せてはいられなくなったようだ。




  ◆193X年 4月17日(月)


 鳥居といえば、まずはここだろう。

 と言うわけで、弓部警部補と探偵と助手、3人がやって来たのは鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうである。


 元々は康平6年(1063)、源頼義みなもとよりよしが前九年の役の戦勝を祈願して京都・岩清水八幡宮いわしみずはちまんぐう由比郷鶴岡ゆいのごうつるおかに勧請、鶴岡若宮と号したのが始まりだ。

 治承4年(1180)10月、平家打倒の兵を挙げた源頼朝みなもとよりともが現在の地へ移築した。  以後、社殿を中心に幕府の中枢となる建物が整備されて行った。まさに武士に依る武士のための神社、武士の宗社と呼ぶに相応ふさわしい。

 三方を龍脈の山に護らせ、唯一開いた前方は大海原。その由比ガ浜から参道がまっすぐに伸びている。

 大石段は61段ある。

 登り切ると楼門が迎えてくれる。この楼門の扁額は八幡の八の字が向かい合った鳩になっている。鳩が鶴岡八幡宮の神使だからだ。ここから先が本殿である。が、ロマンチストの警部補と探偵は石段の前、下拝殿で足を止めた。

「興梠さん、これが別名、舞殿まいでんです」

「おお! 頼朝が、弟、九郎判官義経を成敗後、その寵姫、静御前しずかごぜんに舞いを舞わせたと云う?」

「ところが、正確には、静御前が舞を舞ったのは社殿の回廊だそうです。何故なら――」

「当時、この舞殿はまだ完成していなかったから」

「ご明察!」

「とはいえ、感慨深いな……!」

「全くです。『吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りし人の跡ぞ恋しき』……

 愛する人を殺した男の前で舞う静御前の心境はいかばかりだったのでしょう?」

 佇んだまま瞼を閉じてかの佳人に思いを馳せる成人男子二人。少年助手はうんざりした口調で言い放った。

「チェ! 僕はそんな歌や舞姫より、白犬に会ってみたいな!」

「白犬だって!?」

 吃驚する弓部。一方、助手の破天荒な言動に慣れている興梠は余裕の笑みで切り返した。

「おや、フシギ君? 君にしては僕らに負けずロマンチックなことを言うじゃないか」

「やだな、馬鹿にしないでよ、興梠さん! 僕だってそれくらいは知ってる。探偵小説ばかり読んでるわけじゃないんだからねっ」

 大いに憤慨する少年助手が口にした〈白犬〉とは――


 建保7年(1219)1月27日。鎌倉は2尺(60cm)の雪が積もっていた。

 武士として初めて右大臣に任じられた3代将軍源実朝みなもとさねともが、その拝賀の式が催される鶴岡八幡宮へ赴いたのは深更である。辺りはとっぷりと暮れ、赤々と燃える篝火に激しく舞い散る雪・雪・雪……

 太刀持ちとして同行していた2代執権しっけん北条義時ほうじょうよしときはその降りしきる雪の中に白犬が走り去るのを見た。

 目の迷いだろうか? 途端に眩暈めまいがして、立っていられなくなり、太刀を源義章みなもとよしあきらに委ねるやその場に倒れこんだ。この祝賀の日に何たる不覚。だが、このことが2代目執権の命を救ったのだ。

 直後、拝殿前で、襲って来た将軍暗殺の凶刃から逃れることができたからだ。

 実朝と太刀持ちは無残に斬り殺され、ほとばしった鮮血で雪は赤く染まった――

 と《吾妻鏡》には綴られている。


「それで思い出した。その白い犬こそ、覚園寺かくおんじの薬師如来が配下の十二神将の戌神いぬがみを白犬に代えて信心深かった北条義時に危機を知らせたのだ――とも書いてあったな。文献では知っていたが、昨日拝観した、まさにあの薬師堂の薬師如来と十二神将のことなのだ」

 読んで知っている知識と現実のそれを見るのでは、やはり違う。感慨を新たにする探偵だった。真横で助手が指差した。

「見てよ! その暗殺者、実朝の甥、公暁くぎょうが隠れていたのが……あそこの大銀杏なんだよね! ほんと、実物を見ると感動する!」

 こちらも有名な、鶴岡八幡宮の大銀杏である。樹齢700年、800年、千年とも伝わる。※

「うむ。公暁は叔父、実朝の首を膳の傍らに置いて勝利の祝杯を挙げたというが、その日の内に、味方と信じていた三浦義村みうらよしむらの討手にあっけなく斬り殺される――」

 探偵は歴史の悲劇に眉を寄せた。

「それにね、フシギ君、白犬は後付けで、そもそも、実朝暗殺の首謀者こそ2代目執権の北条義時と目されているんだよ」

「うへぇ、そうなんだ?」

 志儀は瞳をグルッと動かした。

「コワイナ~。この史実が伝える教訓は――『味方に注意!』ってことだね!」

「……また君に笑われるかもしれないけどね、志儀君」

 神妙な口調で弓部が口を開いた。

「僕は、どうしても、ここへ参詣するたび、雪を連想せずにはいられないんだよ」

 雪片の代わりにキラキラと春の陽差しが零れる参道を見つめながら、弓部は微苦笑した。

「さっきの、静御前の詠んだ白雪は、吉野の雪……実朝暗殺の深夜、暗黒の参道に嬲るように舞っていた雪……」

 そして?

 昭和の今、雪のように消えたしまった少女たち……

 ここで、ふと思いついて興梠は訊いた。

「弓部さん、連想と言えば、貴方はどうして、そう思ったんですか?」

「え?」

「10年前の片岡家のお嬢さんが行方不明になった事件を僕たちに最初に告げた際、実際それが起こったのは春なのに貴方は『雪のように消えた』とおっしゃったでしょう? あの時、その言葉――〝雪〟を連想なさったのは何故か、教えてください」

「は……?」

 訝しがる弓部に興梠は手を振って、

「奇妙なことと思われるかも知れませんが、意外に、こういう些細なことが、事件をこじ開ける重大な鍵になるんです。ですから、ぜひ、貴方が雪を思った、その根拠を聞かせてくださいませんか?」

 弓部警部補は心底、困った様子だった。

「いえ、そう聞かれても、別に深い意味はないんです。アレは漠然と口を突いて出ただけで……」

「本当ですか? 何か、晶子ちゃんと雪にまつわる事柄、話等、その前後に聞いたという記憶はありませんか?」

「――」

 警部補は手帳を出してページをパラパラと繰った。後ろの見開きで手が止まる。

 どのくらい経っただろう。ゆっくりと顔を上げた。

「確認しましたが、晶子ちゃん失踪当時の記録で雪に関するものは何もないですね。しいて言えば――この写真でしょうか?」

 弓部は隠匿している少女の写真を興梠にもよく見えるように差しだした。

「ほら、ここに写っている晶子ちゃんの来ている服が……白いワンピースだから……ここから無意識に雪をイメージしたのかも知れない」

「なるほど」

 弓部は手帳を閉じだ。

「とはいえ、今の貴方の指摘で僕も気づきました。ひょっとして当時、上司だった雨宮あまみやさんから、雪を連想する話やなにかを聞いたのかも知れません。その時は僕も駆け出しの下っ端で、さほど重要とは思わなかったので、手帳に記さなかったけれど、印象として心に深く刻まれた。そのことが僕に無意識にあの台詞を言わせたような気もします。この件は改めて雨宮さんにも確認しておきます」

「そうですか。では、よろしくお願いします。どんな些細なことでもかまいませんから」

「それから、白い犬ですが――」

「はい?」

 探偵に、弓部は更に何か言いたそうだった。だが、結局、言葉は出ないまま、首を振った。

「いえ、なんでも、ありません」



 参拝の後、三人は境内をくまなく歩いてみた。

 が、これと言って特別に目を引くモノも場所もなかった。

 しいて言えば〈源平池〉ぐらいか。

 夏には美しい蓮のそよぐこの池は、頼朝の妻、北条政子ほうじょうまさこが掘らせたと伝わっている。

 東の源氏池につ、西の平家池につ、島があり、これが〝〟を暗示していると後世の人々は妖しく語り継いで来た。



「うーん、僕はハカって言葉の方が気になるんだよね」

 池を泳ぐ鳥たちを見ながら少年助手が呟いた。

「鳥居と聞いて思い浮かぶのが鶴岡八幡宮なら、ここに〝関わりのある人のハカ〟と考えるのはどう?」

「うん、悪くない推察だ」

 即座に同意する探偵。警部補は帽子を被り直した。

「それなら、この神社を築き、――そもそも、鎌倉を都と定めた大将軍・源頼朝の墓へ行ってみますか?」



※鶴岡八幡宮のシンボルでもあり、〈隠れ銀杏〉とも呼ばれて親しまれたこの大銀杏は2010(平成22年)3月10日、4時頃、強風のため根元から倒れてしまいました。現在、親木から芽生えた若芽(ヒコバエ)と、倒木場所から生えた若芽の両方を育成中です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る