第16話
山門を潜るや、本堂に続く
応対に出て来た若い僧侶、流石に一瞬目を
「ああ、ございます。ご案内いたしましょう」
それは本堂ではなく、西の参道から更に奥へ進んだ先にあった。
「こちらは
探偵の胸の鼓動が早くなる。この覚園寺、探偵にとっても初めて訪れた寺だった。
「こちらです。どうぞお入りください」
「――」
堂内の薄闇に目が慣れるまで少し時間がかかった。
「あちらがそうです。私どもが呼ばせていただいている〈鞘阿弥陀仏〉様――」
「!」
通りすがりの男が熱く語るわけだ!
それは得も言われぬ玲瓏な像だった。興梠自身、過去見てきた仏像の中でも屈指の、高雅で端正な御顔。
だが、しかし……
「これほどの像が脇侍とは……!」
興梠は思わず声を漏らした。
いや、確かに、堂内本尊の薬師如来も素晴らしいのだが、これほどの像が
「ああ、お気づきですか? それは、このような理由なのです」
興梠の困惑を感じ取って僧が像の来歴を教えてくれた。
「この阿弥陀様は元々は近くにあった
このことから〈鞘阿弥陀〉の名で呼ばれるようになりました。また、この像は鎌倉に7体しか現存していない〝土紋の衣〟の仏像の一体でもあります」
「土紋ってナニ?」
「石英と長石の混合物、いわゆる粘土でできている文様のことだよ。中国の宋代で流行したからその時代の流れを汲むんだろうね」
「よくご存じで!」
僧は興梠の知識に嬉しそうに目を細めた。
「では、どうぞごゆっくりお参りなさってください」
光の中へ消えて行く若い僧侶。なおしばらく探偵は右端の像の前を動かず、じっと見入っていた。
「興梠さん、興梠さん! 見てよ、両端!」
どのくらい経ったか。
ひとり、鞘阿弥陀仏に心奪われて棒立ちになっていた探偵は、漸く少年助手の声に我に返った。
堂宇左右にはずらりと並んだ天像――
「おお! これは……十二支天像!」
十二支天は十二神将とも云う。
薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るとされる。数字の
この種の像で最も有名なものは奈良、新薬師寺のそれである。だが、初めて見た、ここ、覚園寺薬師堂の十二支天も息を飲む迫力だ。
「ここだ! この寺だったんだ! だって、ほら、全て手紙の配置どおりだ!」
翼翼 月 壺 太陽 鞘豌豆
亥 二人の天使の住む処 子
戌 丑
酉 指を組んで祈る小さき手 寅
申 卯
未 辰
午 曲がらず伸びる葉 巳
地獄より戻りし
黒き像の
左肩 遥か
風に揺れる文字を読め
※絵手紙を文字化して表示しています。
両脇の天族に続き、堂宇前方、須弥壇の上をひとつひとつ指差しながら
向かって左から、
第5通目の手紙の絵柄、太陽と月はそれぞれ日光・月光菩薩だったのだ!
壺は薬壺で、本尊である薬師如来の象徴だ。確かに組んだ御手に掲げ持っていた。最下方の竜は、天井の雲龍図だ!
これも圧巻。寺社では法堂などの天井に素晴らしい竜を飼っている。竜は雨を降らすので火事防止の
「あとは二対の翼だけだね!」
だが、堂内に天使らしき像はない。壁画も無かった。
少年助手は諦めない。薄暗い堂宇を駆け回りながら、
「絶対あるはずだよ! ここまで符合して……サヤエンドウまであったんだもの――」
「ここだ、フシギ君!」
須弥壇の前を動かなかった探偵が感嘆の声を上げる。
「?」
興梠が指差しているのは月光菩薩の
※光背=仏身から発する光明をかたどった、仏像の背後にある飾り。
「あ!」
目を凝らすと、光背の左側、刻まれた像に精緻な翼があった!
反対側にも、もう一人、羽ばたいて飛ぶ像がある……
「このことだったんだ!」
二人の天使の住む処……
「月光菩薩の光背だったとは! それにしても、どちらも見逃しそうな小ささだが、ルネサンス期の天使と言っても疑わないほどの造形美じゃないか!」
これをみせたら西洋人なら誰もが即座に『天使がいる!』と叫ぶだろう。
「眼福だ。いいものを見せてもらった……」
「でも、これで終わりじゃないよ、興梠さん!」
美に浸食されそうな探偵を志儀は強く揺さぶった。
「――そうだった」
瞬きして、改めて興梠は断言した。
「ここだ! 間違いない! こここそ、犯人の言う〈場所〉だ!」
あとは――手紙の文言に記された残りのモノを寺内で確認するだけだ。
二人は外へ飛び出した。
だが……
広い寺領を巡るうちに、探偵と助手の胸に沸き立った高揚感はみるみる萎んだ。
覚園寺の境内は、ウネウネと入り込んだ
地獄を思わせる洞窟も見当たらない。但し、鎌倉独特の〝やぐら〟と呼ばれる岩窟はあった。
やぐらとは、鎌倉時代の中期頃から室町時代の中頃にかけて崖に造られた横穴式墳墓のことだ。山に囲まれた偏狭な土地柄と横穴を掘りやすい砂岩の多い自然条件故、中世都市鎌倉で流行した。
その、やぐらに入ってみる。
英勝寺の細くて低い洞窟とは違い、高さは優に5mはある。奥行きは4mほど。
「おお……」
「ひゃあ!」
探偵と助手から驚嘆の呻きが漏れた。
奥の壁一面に小さい石仏が彫られている。
壁の前には細い板を数段積み重ねた簡素な蝋燭立てが設えてあって、そこに燈る灯に浮き上がる像たち……
優しい吐息が聞こえてくるように思えた。
「石仏様は全部で13あります。これほど揃って残っているのは鎌倉でもここだけです」
振り返ると先刻、薬師堂へと案内してくれた若い僧が立っていた。
「13の数は十三仏信仰に由来します。十三の仏を参拝すれば亡き人の追善になり、また、自分の死後も救済されると人々は信じたのです。どうぞ」
蝋燭台の横の箱から蝋燭を取り出し、興梠と志儀へ手渡す。自分も取って、火を点けると燭台に供した。探偵と助手も習ってそれぞれの蝋燭を掲げる。
「やぐらは元々お墓として使用されていました。ここもお墓だったのですが、本来の雰囲気を皆さんに知っていただきたいとこのように自由に出入りして拝めるようにしたそうです」
合掌してから、
「住職様が、ぜひお茶をご一緒に、とのことです。よろしければ、どうぞいらしてください」
「それは、光栄です。ありがとうございます!」
住職は山門正面の本堂で待っていた。正式には
恐縮しつつ二人は濃いお茶をいただいた。
「〈鞘阿弥陀仏〉と名指しでいらっしゃったと聞きましてな」
80代と思われる住職は柔和な顔を綻ばせて、
「遠くからいらっしゃったのですか? あの像をご存知とはナカナカ通ですなぁ!」
読経で鍛えた豊かな声が堂内に心地よく響き渡った。
「あの阿弥陀様に魅了される御仁は多いんですよ。小説家の川端康成殿などしょっちゅう拝みにいらっしゃる。あの方はこの界隈――二階堂にお住まいで」
「ねえ、住職様、この、全然似合わない片方おさげ髪の像はひょっとして不動明王?」
恐れを知らない中学生が老住職の言葉に割り込んだ。
「おお、そうだよ。よくわかったね、坊や。鉄不動尊とも呼ばれておる。鉄造りでゴツゴツして、いかにも武士好みじゃろう?」
住職は呵々笑って教えてくれた。
「この中央がご本尊の
「不動明王像はどれも背後に炎を背負っているよね」
「その通り。こんな憤怒のオソロシイ御顔をされているが厄難除災に効験があると人々に篤く信仰されておってな。何より、鎌倉時代には死者廻向、それも新仏の初七日忌の本尊とされて、追善供養にはなくてはならないありがたい仏様となったのじゃ。坊やも、怖がらずによぉく拝んで行きなさい」
「ねえねえ気づいた?」
外へ出るや息せき切って志儀は言った。
「不動明王は死者廻向の本尊だって! それって、物凄く地獄に関係してるじゃないか! あの像こそ〝地獄より戻りし 黒き像〟のことじゃないの? 鉄でできてるのも〝黒〟に通じるし、背負ってる火焔も地獄の炎を連想させる」
「……そういう見方もできるな」
「でしょ? だから僕も大いに注意して左肩を見てみたけど……」
残念そうに首を振る少年助手だった。
「なぁんにもなかったよ!」
実は興梠も確認していた。不動明王の肩は言うまでもなく、愛染明王も阿閦如来も、堂内の像は全て入念にチェックしたのだが――左肩の先には壁があるだけ。助手の言う通り注目すべきモノは何もなかった。
左肩遥か、風に揺れる文字を読め……
「これからどうするの、興梠さん?」
☆寺名は実在しますが物語はフィクションです。
☆雲龍図について。
例えば同じ鎌倉の建長寺のそれは新しいです!
平成15年、建長寺創健750年を記念して画家小泉淳作氏によって描かれました。その他……
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/unryu.htm
☆京都では狩野探幽が素晴らしい龍を寺社の天井に残しています。
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