第17話

「もう一度、境内を見て回ろう」


 探偵の言葉に少年助手はボソリと呟いた。

「なんだかさ、まんまと僕たち囚われてしまったみたいだね? 迷路に……」

 そうだ。完全に行き詰まった。時間がない。いつまでもこんな処でウロウロしているわけにはいかないというのに。

 改めて境内の奥へ戻る。二人の天使と美しい阿弥陀仏のいる薬師やくし堂から更に谷戸やと深く分け入って墓地を辿たどった。

 苔むした墓石の間を巡って降りて来きた時、賑やかな一団と出くわした。

 十数人の若い娘たちの集団で、参拝者というより観光客と呼んだほうが相応ふさわしい。その群れの先頭にいたのが例の若い僧侶だった。どうやらこの寺の案内役を任されているようだ。


  ( 道に迷った時は素直に道案内に訊くべし、か )


 通り過ぎようとした一行に興梠こおろぎは声をかけた。

「すみません。教えていただきたいことがあります。この境内に〝まっすぐな葉〟はありますか?」

 興梠は僧に訊いたのだが。途端に可愛らしいクスクス笑いの波が広がる。

 赤面しつつ探偵は畏まった口調で訴えた。

「あ、皆さん、妙なことをと思われるかもしれませんが、僕は真剣に探しているんです」

 娘たちは口々に、

「竹のことかしら?」

「あら、松じゃなくて? 松葉はまっすぐよ!」

「まあ、それを言うなら葦だってまっすぐよ」

「待って、水仙の葉っぱもそうだわ」

「これからの季節なら、菖蒲ね」

 唯一人、僧は笑わず精悍な眉を上げて言った。

「それはナギのことではないでしょうか?」

「ナギ?」

「ちょうどよかった。これから皆さんをお連れしようとしていたんです。ほら、こちら――」

 僧は先に立って導いた。一本の樹木の前で足を止める。

「これはナギと言って、高野山から移植しました。当寺は真言宗ですから。このナギの木があるのは鎌倉ではここだけだと思います。葉をごらんなさい。まっすぐ・・・・でしょう?」

 僧がちぎって見せてくれたのは葉の形ではなく葉脈のことだ。

「!」

 言葉通り、普通、縦に一本入って左右に伸びている葉脈ソレが全て縦方向に直線に伸びている――

「このナギはマキの一種なのですが、一直線の葉脈が信心の心に通じるということでありがたがられているんです。さあ、皆さん、よろしかったら一枚づつお持ち帰りください。何事もこの木の葉のごとく一途に一筋に思い続ければその思いは成就することでしょう。そういう意味で〈お守り〉代わりに、どうぞ」

「まあ、素敵!」

「叶わぬ恋にも効くかしら?」

「いやだ、アナタはすぐそれね」

 娘たちの明るいさざめきをよそに、

「これだったのか!」

 硬直して息を飲む探偵と助手。その二人にも僧はニコニコ笑って葉を差し出した。

「どうぞ、我が寺へいらっしゃった記念に!」

 それからクルリと反転して少し離れた低木へ移動する。

「では、皆さん、次にお見せしたいのが、やはり珍しい果実です」

「あら、変わった形のミカンだこと!」

「ご名答! ミカンです。でも不思議な形でしょう?」

「ほんと! 手みたい!」

「子供の手ね?」

「祈っているように見えるわ!」

「そうなんです。両手を合わせて拝んでいるようにみえます。ですから、この樹は名を仏手柑ブシュカンと言うんですよ」

「なんだとっ!」

 思わず叫んだ興梠、輪の中に飛び入ると娘たちを押しのけてその実に顔を寄せ、まじまじと見つめる。娘たちはギョッとして後退あとずさった。

「なぁに、この人?」

「やだ!」

「やっぱりおかしいわよ」

「変な人!」

 僧はパンパンと手を叩いて娘たちを促した。

「えー、皆さん! では次をご案内いたします。どうぞ、ついて来てください。まだまだこの寺には珍しくてありがたいものがたくさんあります」

 興梠に向かって丁寧に一礼する。

「それでは、私たちはこれで」

 歩き出す若い僧に続いて娘たちも動き出す。

 その華やかな行列が木立に消えてから少年は抗議した。

「興梠さん! 僕、かなり恥ずかしかったよ! 言動にはもう少し注意してよ。あれじゃ女の子たちに変な目で見られて当然だ。かなり変態のレベルだよ」

 探偵は動じない。

「何を言う、フシギ君。謎を解いて真実を知るためには恥や外聞など気にしてはいけない」

 それにしても、大収穫ではないか! 一挙に二つ、謎が解けた! 該当するモノを見つけたのだ。

 〝真っすぐな葉〟〝拝む小さき手〟……

 これで残す謎は一つ。

 〝地獄より戻りし黒き像の 左肩遥か 風に揺れる文字を読め〟のみだ。

 その〝揺れる文字〟さえ読み取ることができれば、この迷宮から抜け出ることができる……?


「興梠さーーーーん!」


 興梠が身動みじろぎする。いつの間にか少年助手の姿が消えていた。声を頼りに歩き出すと、ほどなく、小さなほこらの前にその癖毛の赤い頭を見つけた。

「見てよ、このお地蔵さま! 真っ黒だよ!」

「?」

「凄い色でしょ? まるで焼け焦げたよう――それこそ、ヨハネ黙示禄じゃないけど、煉獄の炎…火と硫黄に焼かれたようじゃないか!」

 志儀しぎは鼻の頭を掻いた。

「それで、僕、そこの立て札を読んでみたら、大当たりさ!」

「大当たりって、何が?」

「ヘヘン、興梠さんでも知らないことがあるんだね? この地蔵は〈黒地蔵〉と言って、地獄の火に焼かれたんだって」

 志儀は立札に記された説明を大声で読み上げた。

「……この地蔵堂の本尊・木造地蔵菩薩立像は地獄の罪人の苦しみを少しでも和らげようと鬼に変わって自ら火を焚いたため黒くすすけてしまったと伝わっています。何回彩色を施しても黒い色に戻ってしまうことから〈黒地蔵〉と呼ばれるようになりました……」

 振り返った助手の瞳がキラキラ輝いている。

「ね! ね! まさにコレだよ! これこそ〝地獄より戻りし黒き像〟だ!」


 ―― 左肩遥か 風に揺れる文字を読め


 だが、またしても、像の左肩の向こうには何もない。風に揺れる文字など見当たらなかった。

 視線の先に見えるのは、黒々と口を開いたやぐらだけ。

 ちょうど例の娘たちの一団が中の十三仏を拝んで出て来たところだった。最後の一人が皆に追いつこうと駆けて行く。一陣の風が吹き過ぎて、娘が頭に巻いた花柄のスカーフを揺らして去った。

 と――

 その姿が消えた時、穿うがたれた暗闇の中にそれ・・が浮き上がった。


 文字が出現したのである。



「ああっ!」




    


☆ナギとは…

http://www.jugemusha.com/jumoku-zz-nagi.htm

☆仏手柑は……

https://greensnap.jp/search/tags?id=12131


☆覚園寺の黒地蔵は、鎌倉二十四地蔵の一つです。

☆毎年8月10日午前0時から催される《黒地蔵盆》は有名で、暗闇の中大勢の人々がお参りにやって来ます。黒地蔵様が参拝者の思いや願いを死者のもとへ届けてくれる大切な日なのです。






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