第15話

「で、結局のところ、興梠こおろぎさんはどう思ってるの?」


 志儀しぎが問い質したのは、いったん寺を辞して、昼食を取りに入った線路向こうの蕎麦屋の店内だった。二人とも名物という〝けんちん蕎麦〟を注文して美味しく完食した後である。

「天使に見紛う天井画、十二支の彫刻、地獄を模した洞窟、まっすぐな葉を持つ竹林……」

 指を折って少年助手は言う。

「こんなに符合するんだもの、あの英勝寺えいしょうじこそ犯人の言う〈場所〉に間違いないんじゃないの?」

「では、言おう」

 熱いお茶で喉を潤すと興梠は応えた。

「今日の午前を費やして寺を検証した僕の結論は――」

 助手をじっと見つめる。

「ここは違う。今朝の6通目の手紙で犯人が指摘した通り――ここはハズレ・・・・・・だ」

「えええええ」

 探偵の下した結論に志儀は耳を疑った。大きく仰け反って叫ぶ。

「どうしてさ? 境内中、こんなに当てはまるモノでいっぱいなのに? もう一回言うよ、まず天使の絵だろ、それから」

「その天使の絵だが」

 興梠は静かな声で遮った。

「今日、案内してくれた尼僧様としっかりと眺めて気づいたんだよ。あの天井画で翼を持って描かれているのは、実は一人しかいないということを」

「!」

「空を舞っている天女らしき絵が二つあるのでつい混同していたが、翼のある迦陵頻伽カリョウビンガ像は右側の一人だけだった」


 二人の天使の住む処……


「で、でも、それはこだわり過ぎなんじゃない?」

「だが、第5の手紙には、翼が2対、はっきりと描かれているからね」

 胸ポケットから手紙を出して凝視する。

「堂内の阿弥陀三尊も――〝手を合わせて祈っている〟像ではなかった。そしてね、何より僕があそこを違うと気づいた理由は」

 探偵は人差し指をピンと立てた。

「蝉さ」

「セミ? だけど、蝉は犯人からの手紙には指摘されてなかったじゃないか!」

「だから、だよ」

 落ち着き払って、理路整然と探偵は語る。

「あの蝉は僕も今日、尼僧様に教えてもらわなかったら気づかなかった。この寺独自の、知る人ぞ知る特別な印――意匠だ。ところで、逆の視点、犯人になって考えてごらん、フシギ君。あれほど謎をちりばめた手紙を書く犯人があの特異な素材を利用しない手はない。一言も触れないはずはないではないか」

「あ」

「もし、犯人が指し示す〈場所〉がここなら、絶対、蝉について匂わす言及があってしかるべきなのだ」

 だが第5の手紙にはそれらしき文言はなかった――

「なるほど。そう言われれば、その通りだね! 連中サイコパスはそういうのに病的にこだわるものね! でも」

 少年助手は顔をしかめた。

「だとすると、1からやり直しだ」

 探偵から第5の手紙の写しをひったくってパシパシ叩く。

「なんてことだ! ここに記された全ての要素にピタリと当て嵌まる〈場所〉を探すのは、それこそ、至難の業だよ!」




翼翼 月  壺  太陽   鞘豌豆


亥      二人の天使の住む処      子

戌                     丑

酉      指を組んで祈る小さき手     寅

申                    卯 

未                    辰

午       曲がらず伸びる葉       巳

        地獄より戻りし 

        黒き像の 

        左肩   遥か

       風に揺れる文字を読め


   ※絵手紙を文字化して表示しています。




 上唇を舐めて改めて一つ一つ視線を走らせる。

「両側は、まさに今日発見した通り、十二支と見ていいとして……上の絵柄、2対の翼、月、壺? 太陽……一番難解なのはここ、右端の絵だ!」

「僕も同感だ。君、何に見える?」

「う~~ん、サヤエンドウ?」

「うん、僕もそう思う」

「ということは……まさかホンモノのサヤエンドウのはずはないから……サヤが暗示してるもの……」

 少年は目をクルクル回して、

「〝鞘〟繋がりで、まず思い浮かぶのは刀剣かな? つまり、刀と鞘のサヤ。ってことは――武具がある場所だろうか?」

 興梠は慎重に頷いた。 

「まぁ、鎌倉は武士の築いた都だから、武具を示しているというのは大いに考えられる。――しかし、鞘だけってのが妙だな?」


「武具にあらず、そりゃ仏像だ!」


 突如、背後から響いた声。

「ここ鎌倉で『鞘』と聞いて即座に連想すべきは鞘阿弥陀仏さやあみだぶつ以外ない! そんなことも知らないのかね、今どきの若者は?」

「!」

 見ると、背後のテーブル。そこに座る紳士がこちらをキッと睨んでいる。

 つむぎの着流し、蓬髪に大きな瞳、年齢は40代と言ったところか。

 興梠は即座に立ちあがると頭を下げた。

「不勉強で恥ずかしい限りです。僕たちは神戸から来た者です。よろしければぜひご教授賜りたい。鞘阿弥陀仏・・・・・とはなんでしょう? ここ鎌倉にはそういう名の像があるのですか?」

 この礼儀正しい対応に紳士も微苦笑した。

「いや、こちらもご無礼お許しを。なにね、しきりに『鞘、鞘』と耳に入って来たので、つい、聞くともなく聞いてしまった――」

 紳士は肩近くまで伸ばした豊かな髪を掻き上げると、

「そうだな、〈鞘阿弥陀仏〉と言っても一般には知られていないからね。わからなくて当然か。暴言を許してくれたまえ。但し、これだけは自信を持って言える。アレは一見の価値がある仏像だよ。大変美しい。君たち――日本美術や仏像に興味があるなら、ぜひ見ておくべきだ」

「それは何処にあるのですか?」

覚園寺かくおんじ

 紳士はその方向に袖を振って、

「ここからだとちょっと距離がある――二階堂にかいどう界隈にある寺だよ」

 着流しの紳士は更に丁寧に説明してくれた。最初の気難しげな印象とは反対に気さくで面倒見の良い性格のようだ。

「二階堂と言っても旅人の君たちにはわからないか……鶴岡八幡宮の先の鎌倉宮、その鳥居の左側の道を10分ほど歩くと行き着くよ。金沢街道に沿ったあの辺りは多くの寺が点在していてね、私が最も愛する地域だ」

「貴重なご助言、ありがとうございました」

「いや、なんの。それでは、楽しい旅を!」

 座席の帽子をヒョイとつまみ上げる。

「私も若い頃は衝動に駆られてやみくもに旅をしたものさ。大島なんぞは最高だったな! 風と光、潮の匂い……青春の頃、目にした景色は今も胸に深く刻まれているよ」

 その人はさっさと勘定を済まして出て行った。

「僕たちも、行くぞ、フシギ君!」



 時間を無駄にしたくない二人はタクシーを飛ばした。

 到着した覚園寺。

 そこは行きずりの紳士の言葉通り、中世からの時間が凍ったと錯覚するような古刹こさつだった……!








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