第14話
【193X'4月16日(日)】
片岡邸の朝食の風景は寂しかった。テーブルには当主と探偵と助手、計3名しかいない。
「まことに申し訳ない」
「先程、
トーストにバターを塗りながら寂しそうに眼を細める。
「
「そんなの全然気にすることないよ!」
探偵より先に助手が応えた。ベーコンを目玉焼きの黄身にたっぷり浸して頬張ると、
「父と息子なんてそんなものですよ! 僕もね、父と一緒に食事したのなんてここ数年で数えるほどだもの」
「慰めてくれてありがとう、
「アレ? それって、つまり、僕が鈍いってコト? やだな、こう見えて、僕も繊細で傷つき易いんだからね。思うに、オジサン、そういうデリカシーのない発言が青生君をいらだたせるんだよ」
「いいから、フシギ君、君は黙って食べなさい」
ナイフを置き、少年を
「どうぞ、お気を使わずに、片岡さん。僕たちも、朝食を終えたら、すぐ出かける予定です」
「ああ、昨日話されていた――鎌倉の
ここで、荒々しくドアが開いた。入って来たのは執事と、
二人の切迫した声が重なる。
「旦那様! また届きました! これが、郵便受けに――」
「僕が今、着いた矢先――」
白い封書は既に警部補の手の中にあった。犯人からの6通目の手紙だ。
朝食のテーブルに置かれた、その手紙には先の5通とは明らかに違う点があった。
興奮気味に弓部が指し示す。
「ご覧ください。切手が貼られていない」
探偵と助手が即座に声を上げた。
「ということは――」
「直接ここ、
コーヒーカップを倒す勢いで身を乗り出した片岡家当主、
「郵便受けに近寄った人間は見たんですか!?」
「残念ながら、配備の警察官は誰も見ていない、と言うか、気づかなかったそうです」
無念そうに唇を噛む若き警部補だった。
「これは僕の配置ミスです。邸の警護に重点を置いていたので。今後は郵便受けにも注意を向けるよう命じました」
「で、中身は? 中には何が書かれているですか?」
中身は、もっと異質だった。
今回は絵柄の類はなし。
個性を感じさせない、定規を使用した直線の文字は今までの手紙と共通する。その同じ文字で――
そこには興梠が名指しされていた。
《 名探偵殿へ
ザンネン
その寺はハズレ
貴殿のオソマツな推理には
まさにその寺の竹の名を進呈しよう 》
水を打ったように静まり返る片岡邸の食堂。
一転、一斉に喋り出す。
「これはどういう意味?」
「犯人は何を言っているんだ? 警部補?」
「さあ、僕にはさっぱり……」
「クソッ!」
唯一人、探偵だけが意味を理解して頭を抱えた。
「な、なんなのさ、興梠さん?」
「読んだ通りだよ、フシギ君。犯人はこの手紙で僕の推理が間違っていると嘲笑っているのだ」
「え? どういうこと?」
「英勝寺の竹の名……あの竹は……
「もうそうだけ? あ、まさか……
《 おまえのオソマツな推理は妄想さ 》
弓部警部補はテーブルを叩いて激怒した。
「ふざけた野郎だ! この期に及んで、くだらない洒落なんぞ……」
探偵を振り返って、
「どうします、興梠さん?」
「とにかく――」
興梠は顔を上げてきっぱりと言った。
「予定通り英勝寺へ行きます」
「そうだよ、興梠さん! こうなったら徹底的に探索あるのみだ! だって、逆にも取れるもの」
助手も
「犯人は焦っているのかもね! 第5の手紙の意味する〈場所〉が実は英勝寺で当たっているから――でも、まさかこんなに早く謎を解くとは思ってなくて、それで慌てて、目を逸らさせようとこれを書いたってこともあり得るよ!」
首からナプキンを毟り取ると、
「ボロを出したのは犯人の方かも。向こうが嫌がってるのなら、徹底的にあの寺を調査するべきだ!」
「そうだね。その通りだよ、フシギ君」
そして、それ以上に、もうふたつ、わかったことがある――
これは口には出さず、胸の中で興梠は呟いた。
昨日、英勝寺を調べて、こんなに早く、反応があるということは、やはり?
こちら側の動向を犯人が把握しているということだ。
つまり、
郵便受けに直接、手紙が投函されていたこともそれを裏付けている。
昨夜から今朝までの間に、誰か――犯人――がこの邸に近づき、郵便受けに直接、第6通目の手紙を投げ入れたのだ! 俺を嘲笑うこの手紙を……!
昨夜から今朝にかけて、片岡邸近辺に普段は見かけない、怪しい人物を目撃した者がいなかったか、徹底的に調べると意気込む弓部警部補を後に残し、探偵と助手は再び鎌倉へ向かった。
興梠と志儀は英勝寺へやって来た。
果たしてここは5通目の手紙が指し示す〈場所〉なのかどうか?
改めて念入りに調査を開始する。
昨日、元警部補の
「ここ仏殿は〈
案内役の、まだ年若い尼僧が灯した蝋燭の火に浮かび上がる仏殿内部。
外から覗いただけではわからなかった細部までじっくりと眺めることができた。
天井に舞う天使――いや、正しくは
(あ、 これは……!)
一瞬、興梠の顔が強張った。ここで数秒、佇んだまま何事か考え込む。
それから、探偵の視線は本尊、
「この印は右手が
「はい。ご本尊の阿弥陀様三像は徳川家光公から賜ったもので、
興梠が本尊の印に
「ご覧ください、阿弥陀様の台座の蓮華が左右に割れているでしょう? これは阿弥陀様が人々の救済に降りていらっしゃる、その足の運びをまざまざと予感させます。なんてありがたくて美しいカタチだろうと私、拝むたびに思うんです」
可憐な尼僧はにこやかに笑って続けた。
「ここ英勝寺は現在鎌倉にのこる唯一の尼寺です。山門は今はありませんが、祀堂、鐘楼、祠堂門と境内に建つ堂宇は小さいながら、いたるところに尼寺ならではの華やかな装飾を目にすることができます。例えば、こちら」
尼僧は探偵と助手を外へ導いた。
「ほら、あれ、見えますか?」
「あ」
仏殿の軒下に獣たちの彫刻があった!
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥…… 全部で12――
「これは……十二支?」
「はい。獣たち、皆、どことなく可愛らしいでしょう? 私は兎が一番好き! お寺に十二支は大変珍しいそうです」
今、ここに新たな発見があった。
ついつい堂宇内の天井に舞う天使にばかり目を奪われて気づかなかったのだが、こちら仏殿の外側、
※蟇股=社寺建築で梁を支える部分の名称。構造上必要な支柱が装飾化した。
「いかがです?」
案内役の尼僧の声が弾む。
「そこかしこの装飾がいかにも尼寺らしくて……繊細で優しげでしょう?」
仄かな白檀の香り。白い指が動く。
「あそこも。お気づきでしたか?」
「?」
仏殿の入口の扉の下方。縁に小さな蝉が留まっている!
勿論、本物ではない。金物細工だ。
興梠は頭を掻いた。
「いや、恥ずかしながら、全く気づきませんでした」
志儀もポカンと口を開けたまま、
「うわぁ! 凄いな! なんて精巧なんだ! ホンモノみたいだよ。でも――なんで、こんなところに蝉なの?」
「蝉は七年間暗い地中で暮らして、その後、地上に出てきます。つまり、それが〈再生〉の象徴だと昔の人は考えたようです。同時に、その地上でたった七日間を鳴き通して果てる……命の儚さを忘れないようにとも伝わっています」
ここで若い尼僧は悪戯っぽく目配せした。
「それから、扉に付いているでしょう? 蝉を驚かせないように静かに開閉しなさい、とも教わりました。あ、これは私だけかも知れません。私、そそっかしいので」
「では、どうぞごゆっくり」
一礼して去って行く尼僧。その後姿を見送ってから興梠は5通目の手紙(写し)を取り出した。
まじまじと見つめる。
不可思議な文とその両脇に記された獣……
翼翼 月 壺 太陽 鞘豌豆
亥 二人の天使の住む処 子
戌 丑
酉 指を組んで祈る小さき手 寅
申 卯
未 辰
午 曲がらず伸びる葉 巳
地獄より戻りし
黒き像の
左肩 遥か
風に揺れる文字を読め
※絵手紙を文字化して表示しています。
「ここに描かれている黒い獣……これは十二支なのか? だとすると――」
今一度仏殿を振り返る。
「手紙と該当するモノがまたひとつ増えた!」
では、やはり、この寺が? ここ英勝寺こそ、犯人の示す〈場所〉なのか……?
「ねえねえ、興梠さん!」
探偵の袖を引っ張ったのは助手である。
「僕もね、もひとつ気づいたことがあるよ!」
少年はスッと腕を伸ばした。
「あそこにさ、洞窟があるよね?」
「?」
確かに。旧山門の脇の崖に小さな洞窟があった。
「あそこ、出口が2つあって、通り抜けられるでしょ?」
「そうだね」
「僕さ、昨日は気に留めなかったんだけど――昨夜、青生君や警部補が天使だの悪魔だの、そして地獄云々と言うのを聞いて、改めて思ったんだ。あの洞窟って手紙の文言にあった〝地獄より戻りて…〟に通じないかな?」
唇をすぼめて、鹿爪らしい顔つきで志儀は言った。
「洋の東西を問わず、地獄って地下のイメージだ。暗い処に入っていくカンジ、あそこの洞窟ってそれっぽくない?」
「なるほどな! その発想は正しいよ、フシギ君! 君はいいところに気がついたね!」
手放しで興梠は助手を褒めた。
「出雲の風土記に記された
二人は洞窟に入ってみた。
正式な名称は〈三霊社権現〉。
長さにして10mほどか? 大人なら腰を屈めなければならない高さだった。
その狭く低い暗闇の中を進むとやがて多少広い場所に至る。懐中電灯を点けると小さな石仏が浮き上がった。
更にそのまま行くともう一つの出口から外へ戻れる……
青空の下、背を伸ばして少年助手は歓声を上げた。
「ほらね! ぐるっと巡って……まさに〝地獄より戻りて〟だ!」
「だが、この先がわからない」
手紙には〝右肩遥か 風に揺れる文字を読め〟とある。しかし、洞窟を出て右を向いても、何もない。
「揺れているもの……しいて言えば……樹木の葉?」
「むむ」
やはり、一筋縄ではいかないようだ。
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