第11話

青生しょうき君!?」


 ドアの前に、片岡家令息がカーディガンのポケットに両手を突っ込んで立っていた。

「いいかな? ちょっと……入っても?」


 室内に入るなり、青生は言った。

「今、母様が出てったろ? それで気になって……ねぇ、母様は何を話しに来たの? きっと僕のことだろ?」

「君のことだよ」

 興梠こおろぎは即答した。唇を噛む少年に、

「だが、悪い話じゃない、安心したまえ。お母さんは、君のことを誤解しないでほしいと僕たちに嘆願しにいらっしゃったのだ。お母さんは、10年前の事件で、君は自分自身を一番責め続けていると心配なさっていたよ」

「その通りだもの。僕は罪を犯したんだ」

「え」

 その強い言い切りに一瞬、たじろぐ探偵。代わって、志儀しぎが指摘した。

「その考え方は間違ってるよ、青生君! 君は、犯人が自分ではなくお姉さんを連れ去ったことを気に病んでそんな風に言ってるんだろうけど。でも、そんなのは、全然君の罪なんかじゃない」

「いや、僕のせいだ! 誰が何と言おうと!」

 青生は大きく首を振った。背で長い髪が揺れる。黒い翼のように。

「僕はあの時、最大の罪を犯したんだ――

 僕があいつ・・・の正体を知っていたなら……もっと早く悪魔の本性を見破っていたなら……姉様を行かせなかったのに……」

「それはどういう意味だい?」

 探偵の瞳が鋭く光った。

「青生君、象徴的な意味ではなくて、ひょっとして現実に君は犯人――お姉さんを連れ去った人物――を見たのか? 或いは、犯人の正体を知っている?」

「今、僕に言えるのは、あの悪夢を2度と繰り返させないってことだけ……」

 青生は自分自身を抱くように両腕を体に巻きつけた。怯えと怒り、その両方が明滅する瞳。

「僕は……僕は……今度こそあいつ・・・をしっかりと見張って、好きなようにはさせない! 決して、あの悪魔の思い通りには……」

 次の瞬間、青生はもう微笑んでいた。

「握手させてください、興梠さん。母様も言っていたけど、貴方は僕たち片岡家の〈救世主〉です。僕の言い方で言えば……まさしくドラゴンをやっつけに来た使者そのものです! 心から頼りにしています」

「ドラゴン退治とは、光栄だな! 騎士・聖ゲオルギウスかな?」

「あ、ううん、違うよ、大天使ミカエルの方。ゲオルギウスは、聖者とはいえ騎士に過ぎない。だから、翼は描かれていない。貴方はもっと格上です。翼がある天使ミカエルですよ!」

 その目は何を見つめているのだろう? うっとりと瞬きして片岡家の令息は言った。

「あっちの方が断然カッコイイや!」

 興梠は静かに尋ねた。

「それはラファエロの絵のことを言ってるんだね?」

 確かに。ラファエロは竜をやっつける二人を、そのどちらも描いている。竜を槍で貫く構図は同じだ。決定的な違いは背中に翼があるかないか……

「それにしても、大天使とは恐れ多い。それにね、正直、僕は絵画的には聖騎士ゲオルギウスの竜退治のモチーフの方が好きだな! ウッチェロなど最高だ」

「ウッチェロ?」

 青生は鼻で笑った。

「ハン! あれは竜が鳥みたいで笑える。その画題モチーフなら、僕はギャスターヴ・モローが一番好きです。ロマンチックで」

「ウッチェロの竜は鳥か! 言い得てる! 全く、上手いことを言うね、青生君。ところで――君、なかなか絵画に詳しいんだな!」

 少年の瞼がピクッと痙攣した。

「やだなぁ! そのくらい、中学生なら知っていますよ。ねえ、志儀君? 君も知ってるだろう、騎士ゲオルギウスの絵なんて常識だよね?」

「あ、そう、も、も、もちろんさ! じょ、常識だよ! 騎士ゲゲゲウスと鳥、アレね? あはははは!」

「じゃ、僕は行きます。お邪魔しました!」

 2本指の敬礼をして片岡青生かたおかしょうきは出て行った。

「やっぱり……ヘンナヤツ!」

「これ、フシギ君」

「でも、興梠さんもそう思ったろ? 夫人がどんなに庇っても、あいつ、かなりおかしいよ! 変人アブノーマルだ!」

 ふいに思い出して頬を膨らませる。

「そういえば、父親の瑛士えいじさんもあいつのこと『嘘つき』って言ってたじゃないか」

「フシギ君」

 探偵は優しい声で言った。心の芯まで染み入るバリトン。

「ヒトは隠し事をする時、ウソをつくものさ。君だって、そうだろう?」

「へ」

「〝君は騎士ゲオルギウスの竜退治の絵なんか知らない〟」

「あ、ばれてた?」

 ペロリと舌を出す少年助手。

「降参! 白状します! 僕、さっきの、あいつと興梠さんの会話、何のことかチンプンカンプンだったよ」

「聖ゲオルギウスの竜退治はね」

 帝大で美学を修めた探偵は助手のために講義を始めた。

「聖ゲオルギウスの竜退治譚とは――」


 聖ゲオルギウスはキリスト教の聖者の一人。古代ローマ時代末期の殉職者である。

 ドラゴン退治の伝説で広く世に知られている。

 カッパドキアの都ラシアに毒気を吐く恐ろしい悪竜がいた。人々はこれを恐れ最初は日に二匹づつ羊を生贄いけにえとして与えていた。だが、都中の羊がいなくなった時、竜は人間を差し出すよう要求してきた。

 その最初の生贄のくじ・・に当たったのが誰あろう、王の娘だった。王は城にあるの全ての宝石と引き換えに王女の命乞いをしたが竜は聞き入れず、与えられたのは8日間の猶予だけ。

 絶望のラシアの街をたまたま通りかかったのが騎士ゲオルギウスだった。

 話しを聞いたゲオルギウスは単身、竜退治に向かう。怒り狂った竜が毒を吐こうとした刹那、見事、大きく開けたその口へ槍を突き刺した――


「凄い! やるね、騎士ゲオルギウス! 悪竜を一突きで絶命させるとは」

「いや、まだ先がある。竜は死んじゃいない。ゲオルギウスは捧げられていた王女を解放し、王女の豪奢な飾り帯で竜の首を縛ると、そのまま引いて城まで凱旋したそうな」

「へえ! 見たかったな、その様子。僕が思うに、ノアローを散歩させてる興梠さんみたいなカンジ?」

 探偵は顔を赤らめた。

「いや、あの猫より、竜の方が遥かに従順だったろうよ。――言わせたいのか?」

「じゃ、次、行ってみよう! 大天使ミカエルと竜は?」

「それはヨハネ黙示禄に由来する――」


 《ヨハネの黙示録 第12章-2》より。

 さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、竜と戦ったのである。竜もその御使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、地に投げ落され、その御使たちも、もろともに投げ落された。


「実際、ヨハネ黙示禄で記された竜退治の場面は短い。たったこれだけなんだが、芸術家を刺激して後世、多くの絵画が描かれたのさ。同じ黙示禄の前段で、竜については〝火のように赤い竜で、七つの頭と10本の角があり、頭には七つの冠を被っている〟と詳細に記述されているにもかかわらず、例えば、デューラーなどは自分の絵では竜なんかそっちのけで、大天使ミカエルを、思う存分ダイナミックに描いている……」

 説明が趣味の芸術論になりかけているのに気づいて興梠は話を本題へと戻した。

「要するに、この大天使ミカエルと竜の話で最も留意すべき点は、大天使に対峙する〈竜〉が〈悪魔サタン〉と呼ばれていることだな。つまり、竜は西洋では〈悪魔の象徴〉と認識されているのさ……」

「なるほど」

 志儀の赤い癖毛が大きく上下する。

「二つの竜退治については充分わかったよ。それでね、次に、僕が興味あるのは、興梠さんが発した言葉さ。さっき貴方は言ったよね? 『ヒトは隠し事をする時、ウソをつく』……

 ってことは、貴方は、あいつ――青生君は〝嘘をついている〟従って、〝何かを隠してる〟と思っているんだね?」

「まぁね」

「それは何?」

「いや、今は、まだわからない」


 一体、少年は何を・・隠してるんだろう? 何かを・・・守ろうとしている?


「鉱石のようだな」

 思わず探偵は呟いた。

「ほら、この邸の玄関ホールにあるだろう? 現当主、父の瑛士氏が収集したという鉱石・原石……」

 切り口によって、全く違って見える……

 違った色……違った煌めき……

「ふぅ! なんか、ますます謎だらけだね、今回の案件。 ほんと、喉がカラカラだ」

 志儀は腕で額を拭った。

「こんどこそ、サイダー飲んでいい?」

 と、ここでまた――


 コンコン……


 今宵、3度目のノックの音。

 興梠探偵社の探偵と助手の部屋の扉を叩く3番目の来訪者は――





《騎士ゲオルギウスの竜退治》

☆ラファエロ

http://art.pro.tok2.com/R/Raphael/Raph005.htm


☆ウッチェロ

http://cesareborgia.html.xdomain.jp/HText/PaoloUccelloWork01.htm


☆ギャスターヴ・モロー

http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/moreau_georges.html


《大天使ミカエルの竜退治》

☆ラファエロ

http://art.pro.tok2.com/R/Raphael/Raph023.htm


☆デューラー

http://www.ryuss2.pvsa.mmrs.jp/ryu-iware/tensi/tensi-durer.htm


☆その他、西洋美術館・蔵

http://collection.nmwa.go.jp/P.1968-0003.html

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