第12話
「
「今夜の内にお渡ししておこうと思って」
弓部は大股でズンズン部屋を横切って来た。マニラ紙の書類封筒を差し出す。
「今回の
弓部は付け足した。
「10年前の
「雨宮さんには大変お世話になりました」
「
「君は黙っていたまえ、フシギ君」
興梠はざっと書類に目を通した。
「10年前と違う新しい顔ぶれはメイドさんたちだけですね?」
これも雨宮元警部が言っていた通りだ。興梠は名前を読み上げた。
「
【そのメイドたちの証言】
『あの日、お昼寝の際、珪子お嬢様を寝かしつけられたのは奥様でした。普段は、家庭教師の笹井様がそうなさるのですが、あの日はお休みでしたから』
『その後、私達、奥様とケーキ作りに励みました。これは、お目覚めになった珪子様や休日で出かけられている笹井様を驚かそうと奥様が提案なさったのです』
『私たち、時々奥様に教わって洋菓子を作るんです。これがとても楽しみで、ここ片岡家のメイドになれて本当に良かったとお互い話しています』
『そう、あの日は、普段は大変厳しい女中頭のはつ様も加わって――はつ様は得意のクッキーを焼いておられました。そのうち3時になって、手を離せない奥様に代わって私が珪子様を起こしに行きました。そうしましたら、ベッドがもぬけの殻だったんです。私は叫び声を上げてその場にしゃがみ込んでしまいました。今思い出しても震えます……』
『はい。10年前の事件は、私たち全員、存じております。でも、まさか、同じお家で同じことが起こるなんて……』
【男衆・
佐藤家は片岡邸の敷地内に居を構えている。旧く江戸時代からの主従関係を誇りにしている。
『お屋敷の庭は春と秋に専門の庭師が入りますが、普段の手入れや掃除は私どもがやります。その他、執事の河北様、女中頭のはつ様に命じられたことはなんでもこなします。力仕事や雑用、買い出し等……いえ、不審な人間は見ていません』
『不審な人物など見ていません。それは晶子お嬢様がいなくなった日もそうだった。不審な輩が侵入した形跡なんて微塵もなかった。だから、10年前のあの事件の後に、俺は旦那様に提案したんですよ。犬を飼ったらどうかって。面倒は俺がみるからと。番犬がいたら、今回の事件は防げたと思います』
【運転手2人の話】
運転手はどちらも独身。車庫の上階に寝泊まりしている。但し〝車庫〟と言っても片岡邸のそれは総煉瓦造りの二階建て。ゲストハウスにも転用できそうな豪華な造りである。
:当主
『私はいつも通り、朝8時過ぎに旦那様をお乗せして〈片岡物産〉へ向かいました。ええ、会社は桜木町にあります。そこに日中、私は待機して、必要があれば何処へでも運転いたします。そして、夕刻、仕事が終った後、また旦那様をお乗せして御自邸へ戻る、というのが私の日常です』
『あの日は、午後3時頃、奥様から会社の方へ珪子お嬢様がいなくなったと電話があって、すぐにお
:家族付きの
『私は、ご家族を担当しておりますので、普段はこちら、片岡邸にいます。異変が起こった時、今回は私は自室にいました。メイドのユミさんが血相を変えて呼びに来て、珪子お嬢様がいなくなったことを知った次第です』
『晶子お嬢様の時も、その衝撃の大きさを憶えています。10年前のその日、外出なさった奥様をお送りしたのは私でしたから。女学校の同窓会があったバンドホテルまでです。そう、このお邸のある丘の下にできた新しいホテルです。だから、距離は近かった。当日の邸周辺の捜索ですか? いえ、私は参加していません。奥様の同窓会が終わる時間が迫っていたので、執事の河北様に命じられて、とりあえず私はそちらへ御迎えに行きました』
『晶子お嬢様がいなくなって、あれ以来、奥様の外出はめっきり減りました。私も手持ち無沙汰で、毎日車を磨いて過ごしました。こんな状態でお給金をいただいていいものかと悩みましたよ。でも、そう! 笹井嬢がやって来て、珪子様がお生まれになり、再び、私も忙しくなったのです。また以前の華やかで幸福な日々が戻って来た! 旦那様もお悦びで、最近パッカードの新車、スーパーエイトを購入されたばかりだ。それなのに……本当に、なんと言っていいかわかりません……』
その他、資料には取引のある商店名と店主名が並んでいる。
指差しながら弓部が説明した。
「酒屋、青物屋、乾物屋、パン屋、雑貨屋、和菓子屋、
「そうですか」
「例の
弓部は表情を引き締めた。
「もちろん、現在、曽根家の遺族の正確な所在について調査中です」
興梠は訊き忘れたことを思い出して眼前の警部補に尋ねた。
「そうだ、
「家庭教師兼
「当日、休日だったそうですが、邸に帰宅したのはいつです?」
「えーと」
弓部は自分の手帳を出して確認ながら、
「7時過ぎ。オデヲン座で映画を見て、夕食を食べたのが
脱線したのに気づいて若い警部補は頬を染めた。慌てて手帳を繰る。
「……笹井嬢は7時過ぎに片岡邸に帰宅して、家中大騒ぎになっているので卒倒しかけた。だが、その後は気丈にも、夫人を支えて、ごらんの通り、片時も側を離れません。夫人の寝室に補助ベッドを入れて寝起きも伴にしていますよ」
「と言うことは、夫人は、当主、
「そのようです。他に何かお聞きになりたいことはありますか?」
「靴」
厚い絨毯を敷いた床をじっと見つめる。
「今回、珪子ちゃんの
興梠は雨宮元警部の言葉を思い出していた。薫陶を受けた元部下も同じことを考えたようで、一瞬笑みを
「10年前、雨宮警部補が気にかけた部分ですね? 僕も、そこは注意して確認しましたよ。
「うむ。お嬢さんたち――晶子ちゃんも、珪子ちゃんも、抱かれて、もしくは、おぶられて連れ去られた……?」
興梠は腕を組むと考え込んだ。
「それでは」
立ちあがった弓部。だが、そのまま動かなかった。
「?」
見上げる興梠に、掠れた声で、
「先程の写真の件ですが」
「写真?」
「
食いしばった歯の間から息を吐く。一気に弓部は言った。
「実はあれは僕が持っています」
「――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます