第6話

「貴方はどなたです? 鎌倉駅からずっと、僕らをつけて来たでしょう?」


 興梠こおろぎに腕を掴まれた男――背は低いが、がっしりした体格。顎が張って、どこか蟹を思わせた。年齢も若いのか年寄なのか、ちょっと判然としない。

 流石に観念したらしく低い声で言った。

「わかった、逃げないから――手を放してくれ」

この人・・・が僕らを尾行したって? え、そうなの? 興梠さん?」

 追いついた志儀しぎ、口をへの字に曲げる。

「僕、全然、気づかなかった……」

「こいつぁ、まいったな」

  自由になった手で帽子を押し上げて男は笑った。

「流石、探偵だけのことはある。神戸から来るっていうから、どんなスカした奴かと思ったが、見かけはともかくナカナカのものだ」

 男は帽子を被り直した。

「尾行したのは謝るよ。俺は雨宮源三あまみやげんぞうと言って――元刑事……警部だよ」

「え」

 これは予想外の返答だ。

「刑事……」

「警察の人!?」

 吃驚する二人に元警部は自らの素性を明かした。

「うん。この春引退したんだがね。10年前の横浜貿易商の娘の行方不明事件で陣頭指揮を執った者だ。その事件ヤマで仕込んだ部下の弓部ゆべがさっき電話で知らせて来てね。協力要請をした探偵とその助手がこっちへ来るって」

 雨宮は自宅がこの近辺の扇ガ谷おうぎがやつにあるとのこと。

「それで、挨拶でもしようと、駅であんたたちが到着するのを待っていたのさ」

「やだなぁ! それならすぐに声をかけてくれればよかったのに、おじさん!」

 少年の言葉に元警部は気まり悪げに肩をすくめた。

「いやぁ、昔の悪い癖が出た。あんたたちが何処へ行くのか興味を覚えて、ついこっそりとな……」




 鎌倉の寺は何処もそうだが、入口からは想像できないほど奥行が深い。谷戸やとまたはやつと呼ばれる尾根と尾根の隙間、畝って広がる境内に竹林や花園や築山や池を隠している。ここ英勝寺えいしょうじも、見事な竹林の更にその奥、みやびな書院があって、軒先の赤い毛氈もうせんを敷いた床几に座った三人――元警部と探偵と助手である。

「いや、全く、私が悪かった。驚かせてすまない。これはそのお詫びだよ。坊や、いっぱい食べてくれ」

「〝坊や〟じゃないけど……いただきますっ!」

 煎茶とよく冷えた蕨餅わらびもちは絶品だった。

「こちらこそ、失礼しました。まさか元警部さんだとは思いもよらず……しかも、10年前の事件を担当なさった方にじかにお会いできて嬉しいです」

 雨宮は足を組み直すと、

「いやね、アレは私が力不足なばかりに遂に解決できなかった。犯人を取り逃がした事件はいくつかあるが、あれだけは……正直、無念で仕方ない」

 悲しげに首を振る元警部だった。

「いくつかお尋ねしてよろしいでしょうか?」

「そのつもりで弓部は俺に連絡してきたんだろ? さぁ、なんでも聞いてくれ」

「弓部さんから、曽根武そねたけしのことは聞いています。当時、捜査に当たられた皆さんが、彼が犯人、もしくは、犯人の仲間だったのではと疑われたようですね?」

「まあね。状況から見て、行きずりの犯行と考えるには無理がある。だが、周囲でとなるとあいつ以外、怪しい人間はいなかった」

「ところで、当時の片岡邸の使用人について、僕はもう少し詳しく知りたいのです」

 書き留めようと手帳を出す興梠、雨宮もジャケットの内ポケットから手帳を取り出した。使いこんで年季が入った現役時代のそれだ。何を訊かれてもいいように持参したのだろう。元刑事は頁を繰った。

「事件発生時の4月10日、片岡邸にいた使用人は――乳母の安村やすむらとよ(63)、メイド福井晴美ふくいはるみ(21)、豊島和子とよしまかずこ(19)、田辺久美たなべくみ(16)、女中頭・根本ねもとはつ(52)。男衆は佐藤寅吉さとうとらきち(59)、佐藤良太さとうりょうた(23)。これは親子で、この家は祖父の代から片岡家に仕えている。他に運転手が二人。当主付きの運転手が有田次郎ありたじろう(45)、家族付きが木下鉄平きのしたてっぺい(33)。料理人の三宅洋介みやけようすけ(42)……以上だ」

「もう一人、執事がいます」

「そうだった。えーと、執事は河北伸郎かわきたのぶろう(60)。今言ったのは皆、当時の年齢だよ」

「この人たちに加えて、その日は曽根電機店の曽根武がいた、と言うことですね?」

 無言で頷く元刑事。

「当時、お嬢さんの捜索について、外部は言うまでもないと思いますが、内部――つまり、片岡邸内も調べられたんですよね?」

「勿論だよ。屋敷中、徹底的に調べた。結果、何も出てこなかった――」

 そこまで言って、思い出したようにポンと額を叩く。

「そうだ、特筆すべきことが一つ。俺が一番気になった点だが――晶子しょうこちゃんの靴が一足もなくなっていなかった! これは夫人やメイドに確認している。つまり、誘拐犯は娘を抱いてか、もしくは、おぶって逃走したことになる……」

 なるほど! これは重要な情報だ。

「事件の、その後について、お教えください」

「うむ、曽根武は死体で見つかったが、片岡家のお嬢さんはついに行方知れずのままだ。現在も捜索は細々とだが継続している。とはいえ、実際は迷宮入りだな。当時のメイドたちは全員嫁に行って、今、片岡邸にいるメイドは事件後、雇われた者たちだよ。ナントカいう、家庭教師も末の娘が生まれてから採用されたんだ」

 ボソリと雨宮が付け足した。

「その後のことと言えば、乳母が一番可哀想だったな」

「と言うと?」

「あの乳母は、元々は夫人の乳母で、結婚の際、一緒に片岡家に来たんだ。晶子お嬢さんがいなくなった責任が自分にあると、そりゃもう落ち込んで……夫人も片岡氏もけっして乳母を責めたりはしなかったんだが、その心労だろうな。事件から1か月も経ずに脳梗塞で亡くなった」

 志儀は蕨餅をパクつく手を止めて、

「……むごい話だね」

 興梠は話題を変えた。

「弓部さんは当時警察官一年生だったとか?」

「そう。ありゃあ当時から熱血で真面目な、まさに警官になるべく生まれついた男だった。新米とはいえ率先して、良く動いてくれたよ」

 雨宮は肩を揺らして笑った。現役時代の日焼けがまだ残る顔を探偵たちに向ける。

「出世した後も、ヤツにとって〝最初の事件〟を解決させたがっていた。それが、今回、またしても似たような事件が起こって、自分が陣頭指揮に当たることになった。だから、力の入れようが半端じゃない。10年前の二の舞いはさせない、どんなことをしても、どんな手を使ってでも、犯人を捜し出してお嬢さんを連れ戻すんだと躍起になっている」

 元刑事は声の調子を変えた。

「その、〝どんな手〟がまさに貴方と言うわけさ、興梠さん」

「!」

「警官はメンツにこだわる。部外者の介入なんぞもってのほかだ。同じ警官同士でも捜査に当たっては縄張り意識が強いし功名争いも珍しくないってのに、私立探偵に援助を乞うなんて、俺の長い警察人生でも聞いたことがない。でも、あいつは上に掛け合って責任は自分が取るからと、ここだけの話、経費も自分が払うと言って、あんたを嘱託という形で採用するのを認めさせたんだよ」

「そうだったんですか」

「凄い! スペシャルオファーだな! こりゃ益々がんばらないとね、興梠さん!」

「まあ、あいつの意見が通ったことに関しては別の見方もある」

「?」

「あんたは優秀な探偵のようだ。だから、遅かれ早かれこのことを知るだろう。ならば他の誰かの口からじゃなく、俺から教えたい。さっき、弓部が警察官になるべく生まれたと言ったが――あいつはまさにそれ、サラブレッドなんだよ」

 しばらく間を置いてから、

「あいつの父は現在、警視庁の警視総監。二人の兄はそれぞれ警察部長職にある。弓部家は警察一家なんだ」

「ああ、なるほど」

 興梠は手帳を閉じた。

 30代にして警部補……早い出世、高い地位はそういうことか。

 目を上げると竹林がざわめいている。突風が吹き過ぎたのだ。

「これだけはわかってほしい。なあ、探偵さん。親は選べない。いい意味でも悪い意味でもな。署内でも色々言うやつはいるが、あいつ、弓部の現在の地位は親の七光りではないよ。長年ずっと一緒にやって来た俺が言うんだ」

 雨宮は帽子を脱ぐと、五分刈りに切り揃えた胡麻塩の頭をグッと下げた。

「だから、どうか、力になってやってくれ。一緒に真犯人を捕まえて、お嬢さんを二人とも見つけ出してくれ」


  ―― 二人の天使のいる処


「雨宮さん、では貴方は、片岡家の娘さんたちが二人とも生きているとお考えなんですね? 無事で元気でいると思っておられるんですね?」

「もちろんさ! ――だがまあ」

 力強く頷いた後で瞳を逸らす。足元に揺れる胡蝶花シャガの花を見つめながら元警部は言った。

「解決できなかった自分を慰めるための言葉かも知れないがね……」





 寺務所で電話を借りて興梠は山手署にいる弓部へ連絡を入れた。ダイアルを回したのは番号をソラで覚えている元警部の雨宮だったが。

「おう、弓部か? 俺だよ。うんうん、おまえさんご推奨の神戸の探偵さんにあったよ。今? 英勝寺というお寺だ。何やら手応てごたえがあったそうだぞ、ああ、今、変わる」

 受話器を受け取って、

「お電話変わりました。興梠です。雨宮さんの件、ご配慮、ありがとうございました。おかげで色々貴重な情報を得ることができました。それで、この英勝寺で、ですね、ちょっとした発見を――え?」

『興梠さん? 良かった! 僕はこれから片岡邸へ向かうところだったんです』

 電話の向こうの弓部の声が上擦うわずっている。嫌な予感がした。

「弓部さん? 何かあったんですか?」

『片岡邸に……電話が入ったとのこと……それが、いなくなったお嬢さん、珪子けいこちゃんからだったらしいんです』

「!」

『興梠さん! どうか、すぐに、帰って来てください! 片岡邸で、待っています!』

「了解しました」


 潮目が変わった? これは思いもよらない展開だ。




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