第6話
「貴方はどなたです? 鎌倉駅からずっと、僕らをつけて来たでしょう?」
流石に観念したらしく低い声で言った。
「わかった、逃げないから――手を放してくれ」
「
追いついた
「僕、全然、気づかなかった……」
「こいつぁ、まいったな」
自由になった手で帽子を押し上げて男は笑った。
「流石、探偵だけのことはある。神戸から来るっていうから、どんなスカした奴かと思ったが、見かけはともかくナカナカのものだ」
男は帽子を被り直した。
「尾行したのは謝るよ。俺は
「え」
これは予想外の返答だ。
「刑事……」
「警察の人!?」
吃驚する二人に元警部は自らの素性を明かした。
「うん。この春引退したんだがね。10年前の横浜貿易商の娘の行方不明事件で陣頭指揮を執った者だ。その
雨宮は自宅がこの近辺の
「それで、挨拶でもしようと、駅であんたたちが到着するのを待っていたのさ」
「やだなぁ! それならすぐに声をかけてくれればよかったのに、おじさん!」
少年の言葉に元警部は気まり悪げに肩を
「いやぁ、昔の悪い癖が出た。あんたたちが何処へ行くのか興味を覚えて、ついこっそりとな……」
鎌倉の寺は何処もそうだが、入口からは想像できないほど奥行が深い。
「いや、全く、私が悪かった。驚かせてすまない。これはそのお詫びだよ。坊や、いっぱい食べてくれ」
「〝坊や〟じゃないけど……いただきますっ!」
煎茶とよく冷えた
「こちらこそ、失礼しました。まさか元警部さんだとは思いもよらず……しかも、10年前の事件を担当なさった方に
雨宮は足を組み直すと、
「いやね、アレは私が力不足なばかりに遂に解決できなかった。犯人を取り逃がした事件はいくつかあるが、あれだけは……正直、無念で仕方ない」
悲しげに首を振る元警部だった。
「いくつかお尋ねしてよろしいでしょうか?」
「そのつもりで弓部は俺に連絡してきたんだろ? さぁ、なんでも聞いてくれ」
「弓部さんから、
「まあね。状況から見て、行きずりの犯行と考えるには無理がある。だが、周囲でとなるとあいつ以外、怪しい人間はいなかった」
「ところで、当時の片岡邸の使用人について、僕はもう少し詳しく知りたいのです」
書き留めようと手帳を出す興梠、雨宮もジャケットの内ポケットから手帳を取り出した。使いこんで年季が入った現役時代のそれだ。何を訊かれてもいいように持参したのだろう。元刑事は頁を繰った。
「事件発生時の4月10日、片岡邸にいた使用人は――乳母の
「もう一人、執事がいます」
「そうだった。えーと、執事は
「この人たちに加えて、その日は曽根電機店の曽根武がいた、と言うことですね?」
無言で頷く元刑事。
「当時、お嬢さんの捜索について、外部は言うまでもないと思いますが、内部――つまり、片岡邸内も調べられたんですよね?」
「勿論だよ。屋敷中、徹底的に調べた。結果、何も出てこなかった――」
そこまで言って、思い出したようにポンと額を叩く。
「そうだ、特筆すべきことが一つ。俺が一番気になった点だが――
なるほど! これは重要な情報だ。
「事件の、その後について、お教えください」
「うむ、曽根武は死体で見つかったが、片岡家のお嬢さんはついに行方知れずのままだ。現在も捜索は細々とだが継続している。とはいえ、実際は迷宮入りだな。当時のメイドたちは全員嫁に行って、今、片岡邸にいるメイドは事件後、雇われた者たちだよ。ナントカいう、家庭教師も末の娘が生まれてから採用されたんだ」
ボソリと雨宮が付け足した。
「その後のことと言えば、乳母が一番可哀想だったな」
「と言うと?」
「あの乳母は、元々は夫人の乳母で、結婚の際、一緒に片岡家に来たんだ。晶子お嬢さんがいなくなった責任が自分にあると、そりゃもう落ち込んで……夫人も片岡氏もけっして乳母を責めたりはしなかったんだが、その心労だろうな。事件から1か月も経ずに脳梗塞で亡くなった」
志儀は蕨餅をパクつく手を止めて、
「……むごい話だね」
興梠は話題を変えた。
「弓部さんは当時警察官一年生だったとか?」
「そう。ありゃあ当時から熱血で真面目な、まさに警官になるべく生まれついた男だった。新米とはいえ率先して、良く動いてくれたよ」
雨宮は肩を揺らして笑った。現役時代の日焼けがまだ残る顔を探偵たちに向ける。
「出世した後も、ヤツにとって〝最初の事件〟を解決させたがっていた。それが、今回、またしても似たような事件が起こって、自分が陣頭指揮に当たることになった。だから、力の入れようが半端じゃない。10年前の二の舞いはさせない、どんなことをしても、どんな手を使ってでも、犯人を捜し出してお嬢さんを連れ戻すんだと躍起になっている」
元刑事は声の調子を変えた。
「その、〝どんな手〟がまさに貴方と言うわけさ、興梠さん」
「!」
「警官はメンツにこだわる。部外者の介入なんぞ
「そうだったんですか」
「凄い! スペシャルオファーだな! こりゃ益々がんばらないとね、興梠さん!」
「まあ、あいつの意見が通ったことに関しては別の見方もある」
「?」
「あんたは優秀な探偵のようだ。だから、遅かれ早かれこのことを知るだろう。ならば他の誰かの口からじゃなく、俺から教えたい。さっき、弓部が警察官になるべく生まれたと言ったが――あいつはまさにそれ、サラブレッドなんだよ」
しばらく間を置いてから、
「あいつの父は現在、警視庁の警視総監。二人の兄はそれぞれ警察部長職にある。弓部家は警察一家なんだ」
「ああ、なるほど」
興梠は手帳を閉じた。
30代にして警部補……早い出世、高い地位はそういうことか。
目を上げると竹林がざわめいている。突風が吹き過ぎたのだ。
「これだけはわかってほしい。なあ、探偵さん。親は選べない。いい意味でも悪い意味でもな。署内でも色々言うやつはいるが、あいつ、弓部の現在の地位は親の七光りではないよ。長年ずっと一緒にやって来た俺が言うんだ」
雨宮は帽子を脱ぐと、五分刈りに切り揃えた胡麻塩の頭をグッと下げた。
「だから、どうか、力になってやってくれ。一緒に真犯人を捕まえて、お嬢さんを二人とも見つけ出してくれ」
―― 二人の天使のいる処
「雨宮さん、では貴方は、片岡家の娘さんたちが二人とも生きているとお考えなんですね? 無事で元気でいると思っておられるんですね?」
「もちろんさ! ――だがまあ」
力強く頷いた後で瞳を逸らす。足元に揺れる
「解決できなかった自分を慰めるための言葉かも知れないがね……」
寺務所で電話を借りて興梠は山手署にいる弓部へ連絡を入れた。ダイアルを回したのは番号をソラで覚えている元警部の雨宮だったが。
「おう、弓部か? 俺だよ。うんうん、おまえさんご推奨の神戸の探偵さんにあったよ。今? 英勝寺というお寺だ。何やら
受話器を受け取って、
「お電話変わりました。興梠です。雨宮さんの件、ご配慮、ありがとうございました。おかげで色々貴重な情報を得ることができました。それで、この英勝寺で、ですね、ちょっとした発見を――え?」
『興梠さん? 良かった! 僕はこれから片岡邸へ向かうところだったんです』
電話の向こうの弓部の声が
「弓部さん? 何かあったんですか?」
『片岡邸に……電話が入ったとのこと……それが、いなくなったお嬢さん、
「!」
『興梠さん! どうか、すぐに、帰って来てください! 片岡邸で、待っています!』
「了解しました」
潮目が変わった? これは思いもよらない展開だ。
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