第7話


 急遽、横浜へ取って返した興梠こおろぎ志儀しぎ、タクシーで片岡邸へ駆けつける。



「お待ちしていました」

 出迎えた執事に導かれて応接室へ。

 応接室には家族と弓部ゆべ警部補、そして、平生は外で警護に当たっている警官も2名、弓部の傍らに控えていた。

 興梠は改めて片岡家の人々を一瞥した。

 同じ室内、同じ位置。朝と同じ顔が並んでいる。蒼白のマスクだ。

 ふと、思いついて、興梠は案内してくれた執事に小声で訊いた。

河北かわきたさん、この邸に猫はいますか?」

「はい?」

 執事はどちらに驚いたのだろう? 質問の内容か? それとも、名前を呼ばれたことか?

 だが、すぐに威厳を取り戻して応える。

「いえ、当邸に猫はいません」

「ずっと? 10年前も?」

 執事河北はきっぱりと首を振った。

「この邸をお建てになった初代様以来、当邸では一度も猫が飼われたことはありません」

「興梠さん、何故そんなことを訊くんです?」

 弓部が歩み寄って怪訝そうな顔で問う。

「いや、ちょっと気になったので……単なる思い着きです」

 片岡家の家族の顔が蒼白の人面マスクに見えた、とは言えない。そこから連想して、先に郵送された4枚の手紙の絵にあった耳の付いたマスクが〝猫〟を思い出させた――

「話を逸らせてしまい、申し訳ない。新しい進展があったそうですね?」

「そうなんだ。ああ、河北、君も証人として同席してくれ」

 執事に命じると当主・片岡瑛士かたおかえいじは話し始めた。

「先に、弓部警部補には伝えましたが、もう一度繰り返します。今日午後、1時過ぎ、電話がかかって来ました。私はその時は桜木町の会社にいてここにはいなかった。電話を取ったのは執事です。当邸にかかった電話は、全て、この河北が受けます」

 片岡邸の電話は玄関ホールの階段下に置かれている。他には書斎と主寝室にあるが、家族は主にこの玄関ホールの電話を使用している。

「河北、その際の様子を改めて興梠さんに話してくれ」

「かしこまりました。ベルが鳴って、私が受話器を取りますと、いきなり珪子けいこお嬢様のお声が聞こえました」


 ―― 私よ。珪子よ。

 

 ―― お嬢様! お嬢様ですか!?


「私は思わず叫んでしまいました。すると、私の声をお聞きになって青生しょうき様が飛んで来られて、私は電話を代わりました」

「そこからは僕が話すよ」

 進み出る片岡家令息。

「今日は土曜だったので、早く家に帰っていて良かった! 僕は自分の部屋にいたんだけど電話の鳴る音が耳に入ったので、廊下に出た。そこで河北の叫び声を聞いて、階段を駆け下りて受話器をひったくったのさ」


 ―― 珪子? 珪子なのか?

 

 ―― お兄様?

 

 ―― おまえ、今、何処にいるんだ? 皆心配してる。場所を教えてくれ。

    すぐに会いに行くから。

 

 ―― ほんと? 兄様、会いに来てくださるの? 

    でも、珪子はここがどこか言えないの。番地を知らないもの。


 ―― 住所なんかわからなくていいさ。窓の外はどう? 

    何が見える? どんな風景だい?

 

 ―― 窓はないわ。


 ―― じゃ、今、おまえがいる部屋には何がある? 

    なんでもいい、教えておくれ。


 ―― ……


 ―― いいかい、珪子。これは謎々ごっこだよ。兄様とよくやるだろう?

    その要領で、見えるものなんでも言ってごらん。

    兄様にヒントをおくれ。そしたら、

    兄様が、必ず、珪子の居場所を当ててみせるから。


 ―― まあ、面白い! 謎々ごっこね? じゃ、行くわよ。

    えーとね、壁にね、絵があるわ。3枚。


 ―― どんな絵だい? 紙をくれ、河北(これは執事に命じている)

    さあ、言ってみて。


 ―― 上に並んだ2枚の絵は、どっちも冬の絵よ。

    一つは、高い木があって反対側にはお家がみえる。

    雪の道を男の人が一人、背中を向けて歩いているの。

    自分のお家へ帰るところかしら?

    もう一つは、これも雪景色。とても寒そう! 

    雪の原が続いてて、一羽、真っ黒い鳥がね、留まってる……


 ―― それから?


 ―― 今言ったふたつの絵の下にもう一枚、絵があるの。

    こちらは人の絵だわ。

    鎧をつけて剣を持った男の人がね、

    腰を下ろして私をじっと見てる。


 ―― 他には? まだ他に何かないかい? 絵以外のもの。

 

 ―― 他には…… (ここでドアの音)

    あ、お姉ちゃん――


    ガチャン!


 ―― 珪子? 珪子?


    ツー・ツー・ツー・ツー ……


 電話は切れてしまった。





「弓部さん、興梠さん、これは一体どういうことだ?」

 瑛士えいじうめいた。

「私たちはどうすればいいのだ?」

「でも、これだけは言えるよ、父様。今現在、珪子は生きているんだ! 拘束されてもいないようだし怪我だってしてなさそうだった。元気な声だったよ!」

「本当に、珪子の声だったのか、河北?」

「はい、確かに珪子お嬢様のお声でした」

「何故、河北に確認するんだよ? 僕がそう言ってるのに」

「おまえは……嘘つきだからな」

「へえ? 父様に似て?」

「なんだと?」

「やめて――」

 夫人が声を上げる。

「珪子ちゃんがいなくなったのに……! 晶子しょうこちゃんもいないのに……! 家にいる、残された人たちが争うのはやめて! せめて私たちは仲良く暮らさなきゃ。ね? そうでしょう? だから、お願い、皆、仲良くしてちょうだい……!」

 ワッと泣き伏す瑠璃子るりこ夫人だった。

「奥様……奥様……」

 宥める家庭教師兼話し相手コンパニオン

「ごめんなさい、母様」

 青生は母のそばに駆け寄ると謝罪した。そのまま、手を握って横に座る。

「すまない、悪かったよ、瑠璃子」

 瑛士も頭を下げて、気まり悪げに椅子に腰を下ろした。

 弓部が咳払いをする。

「とにかく――青生君の言う通り、ひとまず珪子ちゃんの無事は確認されました。それから、誰かが傍にいるというのも会話からうかがえます。それが犯人かどうかは現段階ではなんとも言えませんが――」

 志儀が即座に相槌を打った。

「若い女の人だね? 『お姉ちゃん』と呼びかけていたもの」

 警部補は少年助手に頷き返す。

「うむ。一番の問題は居場所だ。しかし、壁の絵だけではどうにもならない。どんな絵かすら判明できないのに……」

「そうでもありませんよ」


 凛とした声。


 探偵の言葉にその場にいた全員が一斉に顔を上げた。



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