第5話

 鎌倉駅到着。

 住人に『表口』と呼ばれている東口とは反対側の西口から出る。そのまま線路沿いの道を興梠こおろぎは足早に進んだ。

 鎌倉は新緑の今の季節――春から初夏――が一番美しいかも知れない。紅葉の頃も、また、雪も風情があるが。

「ほら、与謝野晶子よさのあきこが歌ってるだろ? 


   〈かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼しゃかむに

                  美男におわす夏木立かな〉……」


「でもさ、こっちはその大仏のある地域とは違うよね?」

 大仏のある高徳院こうとくいんは鎌倉駅から江ノ電に乗り換えて長谷はせで降りると近い。だが、今二人が歩いているのは源氏山げんじやまへ向かう方向。こちらの界隈は鎌倉五山のひとつ寿福寺じゅふくじや稲荷神社が有名だ。また線路を横切って進めば鶴岡八幡宮に至る。土曜日ということで参拝者や観光客で賑わっていた。どの人も線路沿線の細い道をそぞろ歩いて思い思いの寺社巡礼を楽しんでいる。

「ねえ、何処へ行くの? まるで行き先が決まってるみたいな足取りだけど」

「着いた」

 100mも歩いていない。思いのほか近かった。

「ここが僕の知る、〈二人の天使の居場所〉だ」

 興梠が足を止めた場所で志儀しぎは驚愕の声を漏らす。

「ええええ!? 天使がお寺・・にいるの?」

 少年助手が驚いた理由はもう一つあった。

「しかも、なんだよ、これが入り口? この門、貧相過ぎない? 勝手口じゃないよね? 」

「し、失礼なことを言うんじゃないよ」

 慌てて探偵は助手の口を塞いだ。少年曰く〝勝手口のような貧相な門〟のすぐ脇に寺務所の建物があってそこに座る受付係と目が合った。こちらを睨んでいる?

「た、確かに、この入り口は質素かも知れない。でも、このことには理由がある――」

 眼前の寺は英勝寺えいしょうじと云う。鎌倉に唯一現存する尼寺である。

 徳川家康とくがわいえやすの側室お勝は、太田道灌おおたどうかんの子孫だった。寛永13年(1643)三代将軍家光いえみつにこの地を賜って寺を建立。自身を英勝院、寺名を英勝寺と成す。以後、代々徳川家の姫たちが住職を務め信仰を集めて来た。しかし、大正12年(1923)の関東大震災で総門が全壊。その際、部材を全て、某資産家が買い取って私邸に移築してしまったのだ。※

「と、まぁ、そういうわけだ」

「えー、いくら金持ちだからってそんな横暴なことするとは! ひどいや!」

「だろう? だが、 むしろ、この小さな入口は〝秘密の門〟と思えばいい。中に入ったら吃驚するぞ」

 門を潜ってすぐ、方丈ほどの小さな堂宇があった。仏殿である。

 その前に立って探偵は少年の背を押した。

「……さあ、見てごらん」

「あ」


 中央に安置されているのは黄金の3つの像。

 天井には竜。そして――

 狭いお堂の正面の壁に空を舞う天使がいた……!


「像は、阿弥陀三尊あみださんぞん立像りゅうぞう。運慶の作だ。素晴らしいお顔だね。そして、その背後の左右の壁画こそ――」


 二人の天使。


 正式には極楽浄土に住む人頭鳥身の迦陵頻伽カリョウビンカ像。妙声を響かせて仏法を説くと言われている。


「わあ!」

 興梠の言う通り、素晴らしい壁画だった!

 よもや、こんな狭くて鄙びた堂内にこれほど鮮烈な絵画が描かれていようとは……

「どうだい? イタリアはフィレンツェの聖マルティーノ病院の回廊にボッティチェッリが描いた〈大天使ガブリエル〉にも負けないと僕は思うんだよ」

「むむむむ……凄いや」

 ウットリと眺めつつ、助手は言った。

「いつも感心するんだけど、興梠さんてば、ホントになんでも知ってるよね! 前もって知識がなかったら……しかも、あのチャチな門だろ? 大概の人はこんなお寺、通り過ぎてしまうよ」

「いや、実は」

 頭を掻いて照れ臭そうに探偵は白状した。

「僕は学生の頃、日本の美に夢中になって、神社仏閣を手当たり次第訪ね歩いた時期があってね。京都は言うに及ばず、滋賀は琵琶湖周辺の古刹、そして、鎌倉に奈良……」

 ああ、奈良! あの領域は探偵にとって特別の場所だ。初恋の少女の名とともに封印してしまいたいのか、それとも、忘却したいのか?

 ――封印と忘却は違う。

 封印とは忘れ去るのではなく、むしろ心の奥深く埋め隠すこと。誰にも秘密にして大切に仕舞い込み、そして、自分だけの宝として、時折、こっそり封を開けて鑑賞する……

「どうしたのさ、興梠さん?」

「あ、いや、なんでもない」

「ははぁ? また、過去の天使が舞い降りて来てるんだね?」

なんだって・・・・・?」

「興梠さんがそんな目をする時、僕には見えるよ。ほぅら、過去の天使が傍らに立って、翼で貴方を包んでる。すると貴方は身動きできなくなる。おっと、天使のやつ、僕に見つかって 今、飛び去って行った! 羽音が聞こえるだろ? バサバサバサ!」

 まるで実際に天使が見えるかのように、額に手を翳して空を見上げる助手だった。

「天使の落とす羽は何かに似ている。そう、雪のようだ。ねえ? 季節を問わず降る雪があるとしたら……それはきっと、天使の羽じゃないかな?」

「何を馬鹿なことを言ってる」

 全く! この年頃の子供は天使どころかいつでも容易に悪魔に変貌するから厄介だ。

 心を見透かされたようで、かなり焦って興梠は口早に言った。

「大人をからかうものじゃない。さあ、次、いくぞ」

「次?」

「〈曲がらず伸びる葉〉を見に行くのさ」

 とたんに単純明朗な子供に戻って少年助手は叫んだ。

「えーーっ! それも、ここにあるの?」

「ついてきたまえ」

 クルリ、身を翻すと堂の横の細い道を歩き出した探偵。とはいえ、ふと思わずにはいられなかった。

 ( 天使の羽か。

  そんな雪なら埋まってしまいたいものだ…… )




「おおーーーっ!」


 またしても志儀は驚嘆の叫び声をあげた。

曲がらず伸びる葉・・・・・・・・……なるほどな!」


 そこは竹林だった。

 この寺の境内には――あのささやかな門からは想像できない――見事な〈竹の苑〉があったのだ。

 サワサワとさざめく丈高い竹の一叢……

 春の陽光を遮って薄暗かった。一瞬で世界が変わったように錯覚する。さっきまで周囲にチラホラいたはずの参拝者の姿も消え失せて、静寂だけが染み渡っている。


 ザザザザ


 突然、興梠が動いた。

「興梠さん?」

 志儀を置いて走り出す。見ると、自分たち以外誰もいないと思っていた背後に一人、鳥打帽を目深に被った男の姿――

 興梠はその人物めがけて猛然と突進した。あまりの勢いに、竹林の中で清掃していた若い僧侶が集めた笹の葉の中に突っ伏したほどだ。だがそちらには構わず、興梠は男の胸元に飛び込んだ。逃がすものか!

 腕を掴むと、

「貴方はどなたですか? 国鉄の鎌倉駅からずっと、僕たちをつけてきましたね?」

「クッ」



※英勝寺のこの総門は2001、寺側が買い戻し、寄付金による復興工事の末、2011落成供養が催されました。そして本年2017のGWには1日だけ開門、一般公開されました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る