第5話 バカを化かしてばかしあい①

 大きな美しい満月の下で酔っぱらいサラリーマン2人が千鳥足でフラフラと夜道を行く。


「まだ飲み足りないねぇ、小林くぅん」

「そーですね、部長! もう一軒寄っちゃいますか!」

「いけるクチだね、キミィ。おっ! こかはどうだろうか」

「いいですねぇ! 行きましょう、行きましょう」


 月明かりに照らされてひっそりとたたずむ風情ある小料理屋を発見した2人は、気分よさげにのれんをくぐって店に入る。部長の「やってるかい?」という言葉で奥からは女将が出てきて丁寧に礼をする。

 席に着いた2人がおしぼりで手を拭きながらお品書きを手にし、何を頼もうかと話しているとカウンターから小皿に乗ったキュウリのえ物が差し出される。


「こちら、つきだしにございます」

「あ、どうも。こりゃまたおいしそうな」

「いや~、良い店に巡り合えましたねぇ」

「全くだ、今度同じ部署の奴らもつれてくるか!」


 上機嫌な部長と部下がキュウリを一口、口にした瞬間。

 ガチンッ!

 と、歯から音が鳴るとともに神経にまで響くような強烈な痛みがひろがる。2人して歯を押さえてもだえ苦しんでいると先ほどまで目の前にいた女将の姿はない。それどころか、気づけば月明かりに照らされた夜空の下、公園のベンチに2人で腰かけ、手には2本の木の枝で挟んだ小石を持っており、小料理屋の影形もなくなっていた。

 状況を飲み込めない彼らの目の前を頭に葉っぱを1枚乗せたタヌキが横切る。そいつはチラリと2人の顔を見ると、ニヤリ口角をあげて暗闇の中へ去っていく。


「だ……」

「だ……」


「「騙されたーッ!!」」


 中年たちの悲壮な叫びが満月の夜にこだまする。



 ☆☆☆☆☆



「――と、まぁこんなとこかしらね。最近あった話と言えば」


 めぐるはにんまりと笑って最近話題になっている化け狸の話をする。何かとお騒がせなそいつは、つい先日サラリーマンたちを手玉に取り、みごとだまくらかしてみせたことで最近の地元トレンドとなっていた。


「化け狸ねぇ。いくら夕柳が田舎とはいえ、ニュータウンだろ? 山間やまあいならまだしもこんなところまで来るか、普通?」

「んー、どうだろ。人間に自然を奪われた腹いせってことかもよん」

「どうせならばもっと都会に行ってこいっての。こんなところ襲ったってしょうがねぇだろ」


 始めこそ関心のあった晴明も、話を聞いていくうちにだんだんとそのくだらなさに呆れてしまう。だが、めぐるの一言で再び興味が戻ってくる。


「なんでも捕まえた人には報奨金が出るんだそうよ。生きたまま捕まえれば10万円だって」

「なっ! 10万だと!? それを先に言えよ、詳しく聞かせろ」


 めぐるはオーバーにやれやれというポーズをとりながら続きを話し始める。


「……全く現金なんだから。被害は色々あるみたいね。新装オープンの店でタピオカドリンクを買って飲んでたら気づけば泥水と泥団子をすすってたとか、SNS映えするスポットで写真撮ってたと思ったら実は心霊スポットだったとかは聞いたわ」

「えらく現代事情にも精通してそうな奴だな……」

「今どきの妖怪も時代に合わせて進化していってるんでしょ」

「つまりはどんなことにもアンテナを張ってなきゃならんっちゅうことか」


 晴明が、ううむと頭を悩ませている合間に散々喋って喉が渇いためぐるは自動販売機を見つけて、ジュースを買う。ペットボトルを開けてカラカラになった喉を潤すべく一気にあおり、「ブーッ!」と勢いよく噴き出した。


「ワッ、きったねぇ! 何してんだお前」

「……うぅ、晴明。これ」


 そう言って彼女は晴明にペットボトルを差し出してくる。


「いやいや! そんな光景目の当たりにして、んなもん飲めるか」

「いいから飲め!」

「横暴だ……あぼっ!」


 無理やり口にペットボトルを押し込まれた晴明はみるみるうちに顔面を緑色に変えていく。


「ペッペッ、なんじゃこりゃ! 青汁じゃねぇか。お前こんなもん買ったのか!」

「違う! あたしはサイダーを買ったつもりなの、そしたらこれが出てきて……」


 怒りをあらわにしながら自販機を指さすめぐる。その人差し指の先を追うが、どこにも自販機は見当たらない。


「自販機なんてどこにもありゃしねぇじゃねぇか」

「あれ!? さっきまでそこにあったのに!」


 慌ててそこらじゅうを探していると、どこからともなく1枚の葉っぱがハラリと落ちて、めぐるの頭に乗っかる。それを手にとってまじまじと見つめる。近くに大きな木は生えていないのに、はて、と首を傾げていると、目の前の植木からガサッと音がし、何かが飛び出してきた。

 タヌキだ。

 頭に葉っぱを乗せたタヌキが飛び出してきたのだった。それを見ためぐるの頭には(同じ葉っぱ……)、晴明の頭には(10万円……)という別々の思考がよぎっていた。

 タヌキは愛くるしい表情を見せたのもつかの間、急に2人をあざ笑うかのように憎たらしい顔つきに変わると向こうの方へと走り去っていく。

 その瞬間、2人の意識がリンクした。


「「アイツだッ!!」」


 めぐるは興奮状態で晴明の背中をバンバン叩きながら、


「晴明! タヌキ! 早く捕まえて!」


 と叫ぶ。晴明も目を見開きながら「任せろ!」と言って走り出す。

 だが、一歩足を踏み出したその時、ズボッと地面が抜けて、足を取られた晴明は「だあぁぁッ」と声を上げながらそのまま落ちる。落とし穴が仕掛けられていたのだ。

 他の地面と違いがわからないほどに巧妙に仕掛けられたとは言え、こんな原始的な罠にまんまと引っかかってしまったこと、欲を出して冷静に周りが見えなくなっていたことを穴の中で恥じる。穴があったら入りたい気分だが、残念なことにもうすでに入っている。


「だ、大丈夫?」

「とりあえず引き上げて欲しい……」


 上から覗き込むめぐるに顔を合わせられない晴明は手だけ差し出す。


「あたしだけじゃ無理そうだから人呼んで来る」

「……た、頼む」


 晴明はまだこんな状況が続くのかと絶望しながらうずくまり、助けを待つことにする。とりあえずなにかしら引っ張り上げる方法はないかと探し出しためぐるが顔をあげると、あのタヌキが戻ってきており晴明の様子を見てぽんぽこと笑い転げていた。



 ☆☆☆☆☆



「すまんな康作。部活休ませてもうて」

「かまわん、かまわん。家の手伝いじゃけぇの」


 米農家を営む田端家ではこの時期、田植えを行うためその手伝いとして康作が駆り出される。そのため、時おり部活を休むことになるのだが、康作にとってはトレーニングの一環にもなっており彼も進んで手伝う。

 祖父の邦作ほうさくは「すまんが道具を片しておいてくれ」と言うと、腰をトントンと叩き、家の中へと戻っていく。康作はトラクターのエンジンを着けてそれを水田から納屋なやへ運び込もうとしたとき、遠くの方から「ばんちょー」と彼を呼ぶ声が聞こえる。

 その愛称で呼ぶの人物は限られており、康作はその声を聞き間違えるはずもなく、耳をピクリと反応させる。


「ばんちょー!」

「めぐるちゃん!」


 めぐるは大きく手を振りながら彼のもとへと駆け寄る。様子をうかがうになにやら慌てているので、ただ事ではないのだと察する。


「どうしたんじゃ、めぐるちゃん」

「晴明が大変なの! ちょっと来て!」

「え、あ、ちょ! ワシは片付けがまだ……ッ!」


 特に詳しく説明することなくめぐるは康作の腕をグイっと引っ張るとそのまま連れ去って行ってしまう。一連を出来事を見ていた妹のいなほが突然の出来事に困惑していると、邦作が家の中から出てきた。手には康作に渡すはずだった駄賃が握られている。


「あれ? いなほ、康作はどこへ行きよった?」

「お兄ちゃんならなんかめぐるさんに誘われて付いて行ったよ」

「ほぉ、青春か?」

「え? どうだろ、わかんない」


 邦作のよく分からない質問にいなほは適当な返答をすると、「そうか、そうか」と納得するように頷く。そんな祖父にいなほは「おじいちゃん、そのお小遣い代わりにもらっていい?」と聞くと、彼は一瞬お金を握った手をチラ見すると「これで美味いもんでも食え」と渡す。


(言ってみるもんだ……。ごめんねお兄ちゃん)


 いなほは手に入れた臨時収入を大事にポケットにしまう。



 ☆☆☆☆☆



 めぐるに連れ出された康作は、腕を引かれるがままについて行くしかなかった。道中で何があったのかと尋ねても、全く返答がない。何も答えてくれないめぐるを不思議に思っていると、彼女がふと立ち止まる。

 ずっとめぐるしか見ていなかった康作はなにやらあたりが暗いな、と初めて気が付きく。めぐるに連れられてやってきたのは、どこかの細い裏路地であった。だがそこには大変な目に合っているはずの晴明の姿はどこにもない。

 遠慮がちにそーっと顔を覗き込もうとすると、めぐるが急にさっきまで押し黙っていた喋り出したため、体をビクッとさせる。


「ねぇ、ばんちょー……」

「ど、どうしたんじゃ、めぐるちゃん。こんなところ連れてきて……」

「ふふっ」


 だが康作の問いには答えずに、つやっぽい声を出して振り向く。


「ほ、本当にどうしたんじゃ!? やけに今日は、せ、せくしーな感じ――」


 めぐるはドギマギする康作の口元にそっと人差し指をあて、制服のボタンをはずしはじめる。何もかも状況を理解できない康作は「ひゃー!」と言いながら、手で目を覆って隠す。だがしっかりと目は見開き、指の隙間からがっつりと彼女を見る。


「ばんちょー。私って魅力、ないのかな?」

「そ、そ、そんなことはありゃせんよ!めぐるちゃんはいつでも魅力たっぷりじゃ!」


 康作は首をブンブン横に振りながらも目線はめぐるから離すことはない。まるで動揺していませんよとでも言いたげなそぶりを見せるものの、しまいには鼻から赤いものがタラリと流れ落ちる。

 だがあまりにも突拍子もないハプニングの為か、どこからか急に冷静な自分が降りてきた。


(アレ? なんかめぐるちゃんの言葉づかいに違和感が――)


 そう考えながらもめぐるは妖艶な雰囲気を漂わせながらジワジワと康作に顔を近づけてくる。おかげでせっかくまとまりそうな考えがグルグルと回り始め、吹っ飛んでしまう。


「だ、ダメじゃめぐるちゃん。ダメじゃぁぁぁーっ!!」



 ☆☆☆☆☆



 落とし穴からなんとか抜け出すことのできたボロボロの姿の晴明はタヌキを追ってめぐると町中を捜索する。だが、雑踏のなかを無闇やたらと探しても見つかりっこはなかった。

 しかしそんなとき、近くの路地裏から聞き覚えのある声が耳に届く。


「ダメじゃぁぁぁーっ!!」


 康作の叫び声。しかし今日の彼は家の手伝いを理由に部活を早退けしているはずなのである。本来こんなところにいるのはどう考えたっておかしい。もしかすれば例のタヌキに化かされているのかもしれない。

 そう思った彼は、めぐるを手招いてその路地裏に向かうことをつげる。彼女もコクンと頷き、2人で一気に突入する。


「この声は! 康作!」

「は、晴明。無事じゃったんか!」


 大声で呼びかけると、康作は鼻血を流しながら身体を強張こわばらせて、驚いたような様子で振り返る。彼の奥にいる誰かいると気づいた晴明とめぐるの2人はその人物をじっと見つめる。


「俺は無事だが……。そいつは、めぐる!?」

「えぇ……ってなんであたしの服があんなにはだけてんの!?」


 もう1人自分がいる事すら驚きなのに、その上やたらとセクシーな姿をしていれば動揺は隠せない。オロオロとしていると隣の晴明が妙に静かなことに気が付き、横を見る。すると案の定鼻血を垂らしながらめぐる(ニセ)をガン見し続けている。

 めぐる(ホンモノ)は彼のそんな視線になんとなく複雑な気持ちを抱くきながらも平静を取り戻し、無言のまま晴明の頭を丸めた教科書でスパーンッとシバく。すると晴明は我に返り、2人のめぐるを交互に見比べ、急にめぐる(ホンモノ)のほっぺたをつねりだす。


「いひゃいいひゃい! って、何すんだ!」


 その手を払いのけていまだ鼻血を垂らす晴明の胸倉をつかんで揺さぶる。なすがままに揺さぶられる晴明は反論をしてみるが無駄なこと。


「い、いや。もしかしたらあのタヌキが化けているのかと思って……」

「どう考えてもあたしじゃなくてあっちのあたしめぐるが怪しいでしょ!」

「す、すまん」

「えっ、タヌキ? なんじゃそれは!?」


 1人置いてけぼりの康作をよそにギャーギャー騒ぎまくる晴明たち。2人が何を言っているかさっぱり分からず、うろたえる康作に胸倉をつかまれたままの晴明はニセのめぐるを捕まえるよう大声で指示する。


「康作! そのめぐるをしっかり抱きしめろ!」

「ちょ! 言い方ってもんがあるでしょ!」


 めぐるは耳までカーッと赤くして怒鳴る。対する晴明は聞こえないふりをしながら知らぬ顔で目をそらす。

 服のはだけためぐる(ニセ)にさらに迫られる康作は混乱の極みに達し、もはや理性がオーバーフロー気味に、頭部からは湯気がのぼる。


「な、な……」

「なーにやってんだ、早くしろ! さぁっ!」

「コラーッ、煽るなー!」


 ホンモノのめぐるの手前、どうすればいいのか分からずパニックになりあわあわする康作に追い打ちをかける晴明。

 康作は目をグルグルと回し、ついに限界がきた彼はめぐる(ニセ)を払いのけて、2人を横切りその場から逃げ出してしまう。康作の腹から出たその叫びは魂の叫び、目からあふれる涙は漢の涙だ。


「そ、そんなこと……。そんなことワシにはできーん!」

「チッ、純情ぶりやがって」

「あんなのばんちょーじゃなくても同じ反応するわ!」


 舌打ちをしながら指を鳴らす晴明の頭を再びめぐるは教科書でスパーンッとはたく。

 そんな晴明たちをよそにタヌキはニヤリと笑い、ドロンと元の姿に戻ると小さな体を活かして2人の足元をするりと抜け、康作が走って行った場所とは逆方向に逃げ去る。


「あっ! まて、あんにゃろめ。とっ捕まえてタヌキ汁にしてやる……!」

「あたしに化けた上に恥ずかしい格好までして、許さない!」


 隙を突かれた彼らは敵意むき出しで小賢しいケモノを追いかける。人間の誇りと意地(あと少しの金銭欲)にかけて、みすみすやられっぱなしでは済まないのだ。

 夕柳の町を奔走ほんそうする彼らを止められる者は誰もいない。



☆☆☆☆☆



 化け狸の被害は留まることを知らない。夕柳町のあちこちでタヌキによって騙される人が相次いだ。

 そんな最中、商店街で買い物をするサキのもとに晴明が駆け寄る。


「サキちゃん! ここらへんでタヌキを見かけなかった?」

「あ、先輩こんにちは。タヌキですか……。すみません、私は見ていないですね」


 申し訳なさそうに答える彼女のことを晴明は「ふむ……」とつぶやき、じっと睨みつけながら近づく。そんな視線を送られるサキは「ど、どうしたんですか?」と、戸惑いながら一歩、二歩と後ずさりする。

 そして急に迫って来たかと思うと、晴明は「ここだー!」と、叫んでサキのスカートをまくり上げる。周囲がざわつく。その時の彼の顔と言えば、目はいやらしく垂れ下がり、鼻の下は伸び切って完全にエロ親父と同等の顔つきをしていた。


「――ッ!!」


 サキは顔を真っ赤に染めて声にならない叫びをあげると、両手で必死にスカートを押さえ込む。買い物バッグで晴明を殴ろうとするも彼はの姿はすでになかった。


(晴明先輩が何で……。ハッ!)


 周りのいたたまれないという視線が突き刺さり、サキは逃げ出そうとするとドンッ、と誰かにぶつかる。「す、すみません」と謝りながら目を開けると目の前には晴明の姿、その後ろにはめぐるが。

 晴明はぶつかったはずみで後ろに倒れそうになるサキの腕をつかんで支える。


「あっ、サキちゃん大丈ぶべらっ――ッ!」

「いやーっ、ヘンタイーッ!」


 晴明の声を聴いたサキは反射的につかまれた腕とは反対の手がグワッ、と飛び出す。

 華麗なるビンタが晴明の頬を打ち、みごとな紅葉が描かれる。その光景にめぐるはつい拍手を送る。そして晴明は静かに地面に沈み込む。頬の痛みなのか心の痛みなのか分からない涙を流しながら。


(ど、どうして……)

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