第九話 訪れた転機
「おお!」
竹本の絵画の前に立ち、一瞥しただけで門前は
「これは、素晴らしい!」
「ありがとうございます。門前様のお眼鏡にかなったようで、とても嬉しいです」
「作者は、『
壁に展示された絵画の下にある、パネルを読んだ門前が言った。
「はい。こちらは新人ですので……タイトルは『さとみ』です」
見てわかっているだろうが、天本はあえてタイトルも伝えた。
「一瞬で
「ありがとうございます。お値段の方は五十万円となっております」
「ほー、新人なのに強気な値段設定だね。よほど、この作者に惚れ込んだみたいだな、天本君も」
『も』ということは門前も相当、惚れ込んだのだろう。天本は自分の感性を信じて良かったんだ、その実感を噛みしめた。ギャラリーで働いてる喜びはそこに尽きる、それも切に感じた。
「はい、私も一目見たときに、これは素晴らしいと惚れ込みました。それで、すぐにギャラリーに展示したんです」
「お互い見る目があるねぇ」
門前が上機嫌なのが言葉、表情やしぐさ全てのことから見て取れた。
「それでは、この絵を五十万円でご購入ということで、よろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。今日は持ち合わせがあってね、現金で払うよ」
「いつも、ありがとうございます」
出入口近くのカウンターに二人は戻り会計を始めた。
門前はズボンの後ろポケットに入れていたネイビーの長財布を取り出し、五十万円を支払った。
「たしかに……五十万円頂きます」
天本は受け取った一万円札の束を、間違いの無いよう一枚一枚、丁寧に数えて言った。
顧客名簿をめくりながら――
「門前様。配達先はいつものご自宅でよろしいでしょうか?」
「ああ、それで大丈夫だ。よろしく頼む」
「かしこまりました」
天本が配送伝票に書き入れていく。
「配達日時はいつがよろしいでしょうか?」
「うーん、そうだなー。一番早いのは何日になる?」
「そうですね。六月五日の月曜日になりますが」
「じゃあ、それで頼む。早く届いてほしいからな、時間はいつでもいいぞ」
家に飾った時の想像をしているのか、門前は満面の笑みで答えた。
天本は配達伝票、その他の必要書類などをまとめ終えた。
「それでは、これでご購入の手続きは済みました」
「そうか、いつもありがとう天本君。それじゃあ、家に届くのを楽しみにしているよ。ではまた」
そう言いながら門前は背を向け、左手を上げひらひらと振りながら、出入口へと歩を進め、ガラスドアを開けて待っている従業員の横を通り過ぎ、ギャラリーを後にした。
時刻は十七時になっていた。
門前がギャラリーを後にしてすぐに、天本はその場で携帯端末を取り出し、電話帳から『竹本』を探し、電話をかけた。
今すぐ伝えたい。そんな思いからか、落ち着きがなく電話が繋がるまで、出入り口付近をぐるぐると歩き回っていた。
「はい、もしもし」
竹本がごく普通に電話に出た。天本からだと分かるはずで、何かあったのかと少しくらい考え、声の調子が少しくらい変わってもおかしくないのにだ。まったく、動揺すらしない竹本の図太さを、天本は改めて痛感した。
「もしもし、天本だ。竹本、お前の描いた絵が売れた」
「本当か、天本! あの絵が本当に売れたのか?」
半信半疑ながらも興奮気味に大声でまくしたてる竹本に、天本は――
「ああ、本当だ。五十万で売れたんだ。契約通り、竹本の取り分は売上の二割ほどにはなってしまうんだが……」
申し訳なさそうに言った。
「取り分なんて今は二の次だよ、売れたのならそれでいいんだ……」
売れたという事実を、体に浸透していくのを味わっているのか、つぶやくように竹本は言った。
「あ! それより今、電話しても大丈夫だったか?」
「ああ、全然、大丈夫だ。今日はちょうどコンビニのバイトも休みだったんだ」
「それならよかった。さとみさんは家にいるのか?」
「いや、今日は仕事でいないんだ」
天本はこれからの話をしようと思い、さとみの在宅を確認したが不在だった。
「そうか。じゃあ一旦、お前に話すけど、しっかりさとみさんにも伝えてくれよ」
「何でさとみを優先する感じなんだよ。俺でいいだろ、絵を描いてるのは俺だぞ」
さすがの竹本もバカにされたと思ったのか、ほんの少しの苛立ちを見せたが、それで天本を嫌うようなものではなかった
「すまんすまん。それで、俺からの提案なんだが、個展を開いてみないか?」
「一枚売れた程度で個展なんて、そんなの意味あるのか? それに、あれ以外の絵は、お前もそんなに良くはない感じだって言ってだろ……」
「たしかにそうなんだが、あの絵が売れたということは、同じ作者の絵なら気になる、そういうタイプの人もいるんだ。それを見越して早々に、個展を開いてみるのもありなんじゃないかと思ってな」
我ながら、無理矢理な理由を付けたもんだなと天本は思っていた。実のところ、竹本を立派な画家にしたい、という勝手な思い入れから個展の話を持ち出したからだ。
「お前がそこまで言うんなら……お前に従うよ。お前におんぶにだっこだが、気にしてる場合じゃないしな」
竹本はこういうところが扱いやすい、さとみも天本も竹本のそんなところにも惹かれているのかもしれなかった。
「納得してくれて、ありがとう。俺もできる限り頑張るからさ。お前の夢、叶えてやりたいんだ」
「恥ずかしいことを言ってくれるな」
電話越しだが、お互いに照れ笑いしているのがわかっていた。
「それじゃあ、個展の会場だとか絵の運搬だとか、その他諸々の契約を詰めたいからまた、竹本の家にお邪魔してもいいかな?」
「ああ、もちろん。さとみが休みの日に合わせてくれれば問題ないよ」
「じゃあ、また土曜日とかに伺わせてもらうよ。こっちもまだ都合が分からないから連絡する」
「わかった。それじゃあ、また。天本、本当にありがとう」
「ああ」
そう言って天本は電話を切った。
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