第三章 広がる未来
第八話 日々の中に
あれから一週間が過ぎ、六月三日を迎えていた。
都内の百貨店がたくさん立ち並ぶ、地域の一角。そこに天本の勤めるこじんまりとしたギャラリーがある。
天本はいつも通りの時間に自宅マンションを出て、いつも通りの時間にギャラリーに着いた。ギャラリーが開店する十時、その十五分前には来るようにしていた。普段は時間にルーズな天本だが、ギャラリーの開店時間だけには、間に合うようにしていた。ビジネスだからというわけでもないのだが。
「おはよう」
「おはようございます」
「あ、おはようございまーす」
天本がギャラリーに入り、挨拶をすると次々に従業員が挨拶を返してきた。小さなギャラリーなので、常時いるのは四、五人ほどだ。
ギャラリーではそれなりの地位に就いている天本だが、どちらかというと、それを態度に出したり、振りかざすような性格ではなかった。
そんな性格のおかげか、同僚や部下、それどころかギャラリーを訪れるお客さんにも、好感触なことが多かった。
開店前、恒例のミーティングを十五分で済ませると、ちょうど開店時間の十時になっていた。ミーティングでは十四時頃に、竹本の絵画が運ばれてくることを天本は伝えた。
従業員の一人がギャラリー出入口の外に、『開店中』などと書かれた小さな立て看板を置き、営業が始まった。
ギャラリー近くの馴染みの古い定食屋で、休憩と昼食を済ませた天本がギャラリーに戻ると、十三時になっていた。
今日はまだ一人の客も来ず従業員は皆、暇を持て余していた。一日中営業しても一人も来ない日もあり、さほど珍しいことではないが、それでも暇は暇である。
「今日も誰も来ないな」
天本がぼやく。
「そうっすねー」
「そうですね」
「楽っちゃあ、楽ですけどね」
従業員も暇そうにぼやき返す。天本のギャラリーの日常だ。
十四時を少し過ぎた頃、運搬業者が竹本の絵画を丁寧に梱包した状態で、ギャラリーに持ち運ぼうとしてくるのが見えた。
「来たな。おい、みんな。今朝、ミーティングで話していた絵が届いたぞ」
「わかりました。こちらにどうぞ」
従業員の一人が出入り口に行き、運搬業者を案内した。
ギャラリーは正方形になっており、出入口のある壁を除いた三つの壁に絵画をそれぞれ展示している。
竹本の絵画はあらかじめ用意していたスペース、ギャラリーに入って正面の奥の壁に展示する予定だった。これは、このギャラリーの決まりで、新しく展示する絵画は、ここに一週間ほど展示する。例外なく竹本の絵画もそこに展示するため、従業員は奥の壁まで運ぶよう、業者に指示をした。
速やかに設置を済ませた運搬業者は、受領のサインを受け取り「ありがとうございましたー!」と快活な声を出し、急ぎ足でギャラリーを出て行った。次の仕事があるのだろう。
飾られた竹本の絵画、さとみが描かれたキャンバスの前に天本や従業員たちが集まり、鑑賞した。何度、見てもすごく美しい、天本は改めてそう思った。
「天本さんが言ってたほどでは……」
「いや、すごいよ、これ。わからないか?」
などと、従業員からは賛否両論の声が上がった。
やはり美術の評価というのは曖昧なもので明確な基準などない。天本も分かっていはいたが、自分の感性を疑われているようで、少しだけ心がチクっとした。
絵画の設置が終わって二時間。十六時を過ぎたくらいだろうか。
天本は未だ暇そうに、ギャラリー内の十数点しかない絵画を眺めながら、ぶらついていた。何周しただろうか、出入り口付近を通ったのは何度目だろうか、そう思っているとガラスのドアの向こうに人影が見えた。
人影はネイビーのスーツにベスト、ネクタイもネイビー、と一色で身を固めた五十代前半の男性だった。
ギャラリーのガラスドアをゆっくり押し開けると、男性はギャラリーに入った。
天本は入ってきた男性を見て、すぐに気付き――
「こんにちは、いらっしゃいませ。
天本は丁重にもてなすため、誠心誠意を込めて挨拶をした。
大手食品会社で役員をしている『
「おお、天本君。どうだい? 六月に入ったばかりだが、新作や目ぼしい作品はあるか?」
「はい。今日、展示をはじめたのがありますので、そちらの方をご案内いたします」
天本はその言葉を待っていたのか、足早に竹本の絵画のところへ門前を案内した。
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