第二章 動き始めた運命
第四話 アトリエへ
五月二十七日、時刻は六時四十三分。天本はいつもより早く目が覚め、ベッドから脚だけ下ろし、腰かけていた。おもむろに立ち上がり、洗面所に向か、いつも通り顔を洗い歯を磨いた。
キッチンに行き、七時には朝食の準備を始めていた。準備といっても、電気ケトルで水を沸かし、カップラーメンに湯を注いだだけの簡単なものだ。この前、竹本と再会した時、コンビニで買った物だが、食べる機会を逃して、今日に至っていた。早く起きたおかげか、いつもよりゆっくりとテレビのニュース番組を見ながら、朝食を食べることができた。
食べ終わったカップラーメンの器をキッチンに運び、余ったスープをシンクに投げ捨て、器をキッチンの横に置いてあるゴミ箱に捨てた。
さてと、と天本は寝室に戻り、クローゼットにある十数着のスーツから適当に選び取り、それに着替えた。ネクタイも同じように選び、キュッと締めながら、床置きしている自分の背丈ほどの姿見に自分を映した。
姿見にはグレーのスーツに赤いネクタイを締めた、いつもと変わらない自分の姿が映る。その代わり映えのしない姿に、まぁこんなもんか、と、納得した。
ベッドの宮に置いてある電波時計を見ると、九時三十分になっていた。朝食を食べながらゆっくりテレビを見過ぎたかな、そう思ったがマイペースに、ベッドの脇に置いていた通勤カバンを左手に取り、天本は寝室を出た。
家の中の戸締りを確認し、玄関で黒の革靴を履き、家を出た。マンションの七階に住む天本は、エレベーターに乗り込み一階を目指した。エレベーター内で、いつもより気持ちが高ぶっている自分に竹本は気付いた。
一時間も早く起きるなんて、前の彼女との初デートくらいぶりだったからだ。そんなことを考えている間に、エレベーターが一階に着き、ドアが開いたので、天本は足早にマンションを出た。
この前は最寄り駅で降りるはずったのに、一駅前で降りるなんて突拍子も無いことをした。そのおかげで今日の約束だ。
奇妙な縁っていうのはあるもんなんだな、と考えながら、マンションから駅へ続く歩きなれた道を天本は歩いた
駅に着くと、いつもは都内に向かうホームではなく、この前の駅に向かうため逆のホームに天本は立っていた。しばらくすると、電車が到着し乗り込んだ。三分もすると目的の駅に着いた。
南口から出ると、見慣れてはいないが、見覚えのあるロータリーがそこにはあった。また、ここに戻ってくるなんて、竹本がそんなことを思っていると、西の方から手を振りながらこちらに向かってくる人影が見えた。竹本だ。
「天本!」
「おー、竹本。早いな」
「十時に俺の家だろ? もう九時五十分くらいだろ、そんなに早くもないさ」
どちらかといえばちょっと遅いくらいだったが、天本は少し時間にルーズで竹本はきっちりしていた。ちょっとした意識の違いだが、そんなことは二人とも気にしていなかった。
「よし、じゃあ行くか。こっちだ、五分もあれば着くよ」
西の方を指差しながら言い、竹本は南口のロータリーから西に向かって歩き出した。
「そうなのか、近いな。どんなところに住んでるんだ?」
天本は竹本の後を追いかけ、後ろから問いかけた。
「何手の変哲もない、ごく普通のマンションだよ。十三階建ての十階だな」
「へー、割と良いところに住んでるんだな。あ、別に悪気があるわけじゃないんだ」
夢を追ってる人のイメージと違うな、そう思った天本は慌てて、言葉を足した。
「気にするなよ、そりゃあそう思うよな。俺でもそう思うよ」
本当に気にする風でもなく、屈託なく竹本は笑顔で言った。普段から言われ慣れているからだろうか、と天本は思ったが、流石にそこまでは口には出なかった。
そんな会話をしている内に、居酒屋を通り過ぎ、時間をつぶす為に入った書店も通り過ぎ、あまり人気のない閑静な住宅街に入っていた。
「もう、着くよ。あそこに見える背の高いマンションだよ」
「お、あれか。でかいなー、この近辺だとひと際目立ってるな」
「実はあんな良いところに住めてるのは、この前話した彼女のおかげなんだ。世間でいうヒモみたいなもんだからな……、今は」
『今は』と付け足したことに、少しは俺もプライドがある、そう言ってるような竹本の気概を天本は感じていた。
「その理由だとツッコミづらいわ!」と精一杯の返しをした天本に――
「そのツッコミで十分だよ」と顔を綻ばせた。
五分、そう竹本は言っていたが実際には十分くらい歩き、マンションに二人は着いた。
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