第10話 不遜な先輩と彼の消失

「えーっと……、先輩はおいくつなんですか?」


 僕は椅子から立ち上がると、目の前で腕を組んで仁王立ちしている大宮さんに尋ねた。


「おまえ、初対面の女性にいきなり年齢を訊くのか? 失礼な奴だな。まぁいい、私の年齢は25だ。今年で26になる。立派なレディーだぞ。敬え」


「もしかして、それっていわゆる合法ロ」


 そう言いかけたところで僕は背中にぞくっとした寒気を感じた。横を見ると北条さんが、まるでイフリートですら凍りつかせそうな冷たい目で僕のことを睨んでいた。僕は咄嗟に口をつぐんだ。


「大宮さんは八百比丘尼やおびくに症候群なのよ」


「八百比丘尼症候群? 100万人に1人と言われる希少疾患じゃないか!」


 八百比丘尼症候群。正式名称を魔力性発育鈍化症候群という。国から難病指定を受けている希少疾患の一つだ。第二次性徴期の頃に発症し、それ以降の発育が著しく鈍化する。その一方で、寿命は通常の人間の数倍に伸びると言われている。現在では、櫻国に昔から伝わる八百比丘尼伝説の元になった病気と考えられており、海外のヴァンパイア伝説も一部はこれで説明できるという話もある。患者の魔力を減退させることで一時的に症状を軽減できることから、魔力が人体になんらかの影響を与えていると考えられているが、恒常的に魔力を減退させることは患者への負担が大きく、抜本的な治療法はいまだ発見されていない。


「病気ではない。これは選ばれし者にのみ与えられた特権だ!」


 大宮さんは胸を張ってそう宣言する。


「大宮さんは八百比丘尼症候群の研究をしているの」


「治療法とか?」


「違う!」


 僕の言葉を聞くやいなや、大宮さんはきっぱりと否定した。


「逆だ。全ての人間を私と同じ身体にし、私の眷属にするための研究だ」


 大宮さんは金色のツインテールを揺らせながら得意げな表情でそう語った。


「はぁ。ところで、大宮さんはなんでミーティングに出てないんですか?」


「あんなミーティングに出ても意味がないからな! どいつもこいつも馬鹿ばっかりのくせに私を子供扱いして」


 大宮さんはまた地面を見ながらなにかを呟いている。その様子は傍から見ていると確かに駄々をこねる子供のようだった。


「実際、大宮さんの思考は独特過ぎて菅原先生と今村さんくらいしかきちんと理解できてなかったからね。菅原先生は進捗報告さえ定期的にしていれば細かいことは気にしないタイプだから」


 北条さんが横からこっそりと説明してくれた。


「今村は別だけどな。あいつは研究が完成したら真っ先に私の眷属にしてやろうと思ってたのに、留学なんてしようもないことをしおって……。あっ、そうだ。今村に質問したいことがあったんだった。よし、電話しよう」


 そう言って、電話機に向かおうとする大宮さんを北条さんが慌てて引き止めた。


「大宮さん! だ、だめですよ。向こうは今はまだ真夜中です」


「はぁ? 今村の携帯電話にかければいいだろう。あいつだったらまだ起きてるはず」


「きっと、携帯電話の番号変わってます!」


「むぅ。じゃあ、もういい。メールする。前のメールアドレスまだ生きてるよな?」


「……メールしてもすぐには返事来ないかもしれません」


「どういうことだ?」


 大宮さんが訝しげな表情で北条さんを見返す。北条さんはひどく困ったような顔をしながら目を伏せる。こんな顔をした彼女を見るのは僕にとって初めてだった。


「あまり口外しないように言われてるんですけど……、実はさっき教授室に呼ばれたのは今村さんのことで……」、北条さんは口ごもりながらも続ける。



「向こうの研究室から菅原先生に連絡があって、一週間前から研究室に来てないそうです。自宅にも誰もいないみたいで……。事件かもしれないということで現地の警察も動いてるらしいです。それで、先生からもしなにか心当たりがあったら知らせるようにと……」


「大事件じゃないか!」、僕は思わずそう叫ぶ。


「うん……。でも、なにかあまり大事にするとまずい事情がありそうなの。私も教授からはっきりとしたことは教えてもらえなかったんだけど」


「ふん」


 深刻そうな顔をした僕と北条さんを横目に大宮さんが鼻をならす。


「馬鹿馬鹿しい。今村の黒魔法の力量はほむらが一番良くわかってるだろう。もし、なにかの事件に巻き込まれたとしても奴が本気を出したら、どうこうできる人間なんてそんじょそこらにはまずいないよ。どうせ、研究に集中するためにどっかに篭って考え事でもしてるんだろう」


「……そうですね。そうだといいけれど」


 北条さんが小さく呟く。


「じゃあ、私は実験室に戻って今村にメールしてみるわ。あ、そうだ。お前、えーっと……」


「渡辺です」


「お前、なんか今村に似てるな。顔立ちというか雰囲気というか……。よし! 決めた。お前の渾名は今日から『ドッペルくん』だ。よろしく、ドッペルくん」


「は、はぁ」


「そうそう、ドッペルくん」


 立ち去ろうとした大宮さんは急に振り返った。


「私の気のせいかもしれないんだが……、お前の使ってるそのパソコン、


 それだけ言い残すと、大宮さんは、白衣の裾を引きずりながらすたすたと立ち去ってしまった。


 僕は試しに自分のパソコンを臭ってみたが変な臭いは感じなかった。念のため、北条さんにも確認してもらったが特におかしなことはなさそうだった。


「でも、大宮さんは前々から変に勘が鋭いところがあるから。それが八百比丘尼症候群と関係あるのかはわからないけれど……。一度、ウイルスチェックでもかけてみた方がいいかも」


「一応、そのあたりはちゃんとしてるつもりだけど。わかったよ。ちょっと確認してみる。あと、今村さんの件……、大丈夫?」


「ええ。大宮さんが言ってた通り、あの人はそう簡単にどうこうなるような人じゃないから。それに私が今ここであれこれ考えてもしようがないからね」


 そう言った北条さんの顔は吹っ切れたようだった。


「それより、今からさっきのディスカッションの続き、大丈夫?」


「もちろん。でも、その前に少しお腹がすいたかな」


「じゃあ、先に夕飯食べに行きましょうか。どこ行く? 学食?」


「たまには違うものが食べたい……」


「じゃあ、『カタカナ館』とかどう? 私のお気に入りの一つなんだけど」


「いいね。そこにしよう」


 そうして僕たちは二人で夕食に向かった。


 この時の僕たちはまだ気付いていなかったんだ。今村さんの失踪と大宮さんのが意味するものに。

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