第9話 ディスカッション

 心地良い春の風が過ぎ去り、少しずつ夏の足音が近づいてきた6月初めのある日。僕と北条さんは二人、他に誰もいない会議室で向かい合っていた。


「まずは現状の問題点を整理しましょう」


 ホワイトボードの前に立った北条さんが手に持ったマーカーペンをもてあそびながら、僕に向かってそう宣言する。


 僕は北条さんのプロジェクトに参加することになった。G・Wのアウトリーチ活動の後、僕から北条さんに提案した。彼女は初めは戸惑っていたが、最終的には僕の提案をこころよく受け入れてくれた。


 プロジェクトに参加するにあたって、まず僕は北条さんが組み上げた黒魔法術式のコードを理解することから始めた。彼女のコードはいくつもの黒魔法が連動して発動するように設計されており、その緻密さに僕は唸らされた。


 現代においても新しい魔法術式の開発には経験的な要素が非常に大きい。既存の魔法術式をベースにその一部を他の魔法のものと組み替えてみたり、二つの術式を連結させることで新しい効果を期待するような方法が一般的だ。しかし、そうして新しく作った魔法術式がうまく作動するかは発動してみなければわからない。実際、単純結合しただけの術式が狙ったとおりに発動することはほとんどない。そこで研究者は過去の知見を参考にして、連結部分にリンカースペルと呼ばれる短い配列を挿入したり、術式中のスペルの一部を改変するなどの工夫を行なうことになる。この過程ではひたすら試行錯誤が求められる。


 こうして作られた新規の魔法術式は年々そのコードが肥大化および複雑化しており、それはいわゆる『スパゲッティコード問題』として魔法研究の世界では問題視されつつあった。イルミナティ社が開発した次世代魔法術式デコーダー(Next Generation Spell decoder; NGSd)はこのようなスパゲッティコードを解析することでより単純な構成へとリファクタリングする用途にも力を発揮していたが、その使用例はいまだ一部の魔法術式にとどまっていた。


 北条さんの魔法術式はざっと見ただけでも大きく7つの魔法術式が組み合わされていた。NGSdを用いずにそれだけの魔法術式を組み合わせて、なおかつ一定の可読性を保っていることは僕の経験では信じがたいレベルの芸当だった。それは彼女の研究センスの高さに加え、彼女がどれだけ多くの先行研究を読み込み試行錯誤を繰り返してきたかという事実の証左でもあった。


 術式コードの可読性の高さのおかげもあって、僕は一週間ほどで彼女の黒魔法術式の全貌を理解することができた。椛島先生の装置と密接に関わるインターフェイス部分などコードだけでは理解し難い部分もあったが、そこも北条さんに質問することですぐに解決した。その後、僕が協力できる改善点をいくつか検討した上で、北条さんと一度じっくりディスカッションをしようということになった。


「遠慮はなしで、渡辺くんの意見を聞かせてくれるかな?」


 椅子に座った僕をのぞき込む北条さんの言葉で僕は我に返った。


「んーっと、改善点はいくつか挙げられるけど、重要性の高い問題は3つ。1つは被験者自身から発生する魔力によるノイズの問題。2つめは魔力のロスの問題。3つめはスケーラビリティの問題」


 北条さんは頷きながらホワイトボードに僕が言ったことを板書していく。


「1つめの問題は前回の実験での失敗の原因にもなったわけだけど、なんとかして被験者の魔力を完全に抑えることはできない?」


「それは難しいかな。他者から魔力を奪い取るような黒魔法は一応存在するけど、生体に存在する魔力を完全に失くしてしまえばその個体は死亡する。魔法障壁で魔力を遮断しようとすると今度はこちらの魔法も通らなくなる」


 北条さんはそう言いながら、ホワイトボードに『吸収・障壁』と書いてその横に大きくバツ印をつける。


「そうかぁ……。じゃあ、ちょっとこれを見て」


 僕は自分のノートパソコンのモニタを北条さんの方へと向ける。モニタには3次元グラフが大きく映し出されていた。


「これは椛島先生から送られてきた実験データを元に作成したノイズの時空間分布を示したグラフなんだけど、このデータにフーリエ変換をかけて周波数空間に写像してやる」


 僕がパソコンを操作するとモニタには特徴的な2つのスパイクを持つグラフが現れた。


「……2つの周波数帯?」、北条さんが呟く。


「そう。実際にはノイズは大きく3つに分類することができる。1つは周期性を持たない孤発性の大きなノイズ。ただし、これは頻度も多くないし兆候もはっきりしてるから、装置にセンサーを取り付けてノイズの発生を感知したらその間だけ施術を中断することで解決できると思う」


 僕の言葉に北条さんが頷く。


「そして、残りの2つがこの周期性を持ったノイズ。1分間に10〜20回の頻度で発生するノイズともっと速い10ヘルツ、つまり1秒間に10回程度の頻度のノイズ。この2つのノイズをなんとかしなきゃいけない」


「前者の遅いノイズはなんらかの生理機能と関係している気がする。心拍数とか呼吸数とか。後者の速いノイズは魔力中枢そのものの性質に関係してそうね」


「周期性があるならなんらかの解決策がありそうなんだけど……」


「とりあえず、今はまず問題点の洗い出しをしましょう」


 北条さんはそう言うと再びホワイトボードの方へ向き直った。僕は話を続ける。


「2つめの問題と3つめの問題は関係しているんだけど……。今の術式では、治療対象となる臓器を含む空間を1立方ミリメートル程度の立方体で分割し、各々の領域でがん細胞の発見と破壊という操作を逐次的に行なっている。これだと施術に非常に時間がかかるうえに、領域を移動するたびに新たに魔法を発動させる必要があって魔力の消耗が非常に激しい。さらに今は施術の対象がラットだからなんとかなってるけど、人間を対象とするなら臓器の大きさも数十倍になるし、とても現実的なプロトコルとは思えない」


 僕の意見を聞いた北条さんは目の前の長机に体を投げ出しながらしゃがみこみ、大きくため息をついた。


「そこはわかってるんだけどね。もっと発動時間が短くて魔力の消費も少ない低位の火炎魔法で試してみたこともあるんだけど、それだと細かい制御が難しいんだよ。今はクトゥグア系の爆炎魔法を使ってるけど、エネルギー換算では99%以上を無駄にしてると思う……」


「ちょっと試したいことがあるんだ。うまくいくかはわからないんだけど」


「なに?」


「あのプロセスを完全に並列化する」


 僕の言葉を聞いた北条さんは少しの間、ぽかーんとした表情をしていた。


「ちょっと待って、渡辺くん。各領域に存在するがん細胞は数も位置も大きさも全部ばらばらなんだよ。それを同時に識別して破壊するなんて完全に人間の能力を超えてるよ!」


「やり方はまだわからない。おそらくなんらかの自動化のためのトリックが必要になると思う。でも、これは絶対に必要なことで、僕がこのプロジェクトに対して役に立てることがあるとするならまさにこれだと思う」


 北条さんはふっと息をついた後、くすりと笑った。


「わかった。じゃあ、これに関しては渡辺くんにまかせる」


「ありがとう」


 僕がそう返事をしたとき、会議室のドアが開いた。


 ドアを開けたのは松ヶ崎さんだった。松ヶ崎さんはG・Wの旅行以来、就職活動を完全にやめてしまったのか、スタッフルームに滞在する時間が以前よりも大幅に増えていた。鞍馬口くんの方はまだ就職活動を続けているようだったが、それでも研究室で顔をあわせる機会は以前よりも増えた。


「北条せんぱい、菅原教授が呼んでます。すぐに来て欲しいって」


 北条さんは僕の方を見ながら肩をすくめた。そして、僕たちは会議室を出た。



 ************



 スタッフルームに戻った僕はデスクで先ほどのディスカッションの内容について考えていた。


 現状で取り組むべきはノイズの問題と並列化の問題。ノイズの問題はとりあえず北条さんに任せてまずは並列化の方法について考えよう。


 僕はPubMagicで魔法術式の並列化に関する論文を検索してみた。並列化自体は最近のトレンドらしく有名な雑誌に掲載された論文が数多くヒットした。しかし、その多くは2つ以上の魔法を同時に詠唱する方法に関するものなどで僕の問題とは直接繋がりそうにはなかった。


「おい! 今村!」


 おそらく並列化の鍵が自動化であることは間違いない。最終的に千を優に超えるであろうプロセスに対してその全てで同時に座標を指定して爆炎魔法を発動させるのは現実的ではない。しかも座標指定が甘いと臓器自体にダメージを与える可能性が高くなる。


「おい! 今村! おいってば!」


 いきなり肩を思いっきり殴られた。慌てて振り返るとそこには小学校高学年か中学生くらいと思しき金髪ツインテールの少女が立っていた。着古したTシャツとジーンズの上から似つかわしくないぶかぶかの白衣を羽織っている。白衣の袖は何重にも折りたたまれ、裾は完全に地面に擦っていた。


「あれ? お前、今村じゃないな。おい、今村はどこ行った? なんでお前が今村の席に座ってるんだ!?」


 僕はなにが起こっているのかわからずただ呆然と少女を見つめていた。少女は強い口調で詰問しながら僕の服の袖をぐいぐいと引っ張る。


 そのとき、教授室へ行っていた北条さんが部屋に戻ってきた。北条さんは騒ぎを聞いてこちらを向くと意外そうな表情で少女を見た。


「あれ? 大宮さん、こっちの部屋にくるなんて珍しいじゃないですか」


「あ、ほむら! 今村はどこ行った?」


 それを聞いた北条さんの表情は一瞬こわばったように見えたが、すぐに普段通りの顔に戻ると母親が子供に諭すような口調で言った。


「今村さんなら3月で卒業して西大陸に留学したでしょう。送別会もやりましたよ」


「あー! そうだった……。おのれ、今村め……」


 少女は僕の服から手を放すと、地面をにらみながら一人でぶつぶつとなにかを呟いている。


「大宮さんは渡辺くんと会うのは初めてじゃないですか? そちらは4月から博士課程に編入してきたD1の渡辺くんです。渡辺くん、それがD2の大宮さん」


 この金髪ツインテール少女こそがスタッフルームはおろか研究室ミーティングでも一度も見ることのなかった菅原研究室の博士課程2年『大宮ありす』先輩だった。

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