第7話 クラウドコンピューティング
アウトリーチ活動2日目、僕らは朝からロッジで、昨日仕掛けたセンサーが反応するのをひたすら待っていた。
「なんにも起きませんねぇ……」
松ヶ崎さんはダイニングテーブルに頬杖をついて目の前のノートパソコンの画面を退屈そうに眺めている。ノートパソコンはセンサーの受信機に繋がっていた。
「なにも起こらない方がいいよ」
僕は持参したノートパソコンで作りかけだった魔法術式解析用のプログラムをいじりながらそう返した。
時刻は午後3時をまわっていた。北条さんは昼食後からずっとダイニングルーム脇にあるソファに座って文庫本を読んでいる。鞍馬口くんは昼寝をすると言って寝室に上がってしまった。
今出川さんは朝から地元の猟師さんたちと周辺の森を見回りしている。僕たちはロッジに残ってセンサーの反応を確認したら今出川さんに携帯電話で連絡することになっていた。
「そういえば、昨日地図で見たんですけどここから歩いていける距離に湖があるみたいなんですよね。せっかくだから、そこまで散歩してみません?」
「だめよ」
松ヶ崎さんの提案に北条さんが顔を上げてぴしゃりと返す。
「今、魔獣はこのあたりにいる可能性が高いの。昨日のセンサーの魔力に誘引されてね。今出川さんからもロッジからは出ないようにと言われているでしょう」
「……はーい」
松ヶ崎さんは不貞腐れてそのまま二階の寝室へと上がっていってしまった。
壁にかけられた時計が4時を知らせる鐘を鳴らすのを聞くと、北条さんは読んでいた本をぱたりと閉じた。
「そろそろ、夕食の準備をしましょうか」
「じゃあ、二人を呼んでくるよ」
僕は階段を上がって二階の寝室へと向かった。
しかし、寝室には誰もいなかった。
僕が事情を話すと北条さんは大きくため息をつき、携帯電話を取り出してどこかへ電話をかけた。電話が繋がると北条さんは通話相手に厳しく詰問する。北条さんの携帯電話からは怯えきった松ヶ崎さんの声がかすかに聞こえてきた。
「……じゃあ、今から迎えに行くから、それまでそこにじっとしていること。いいね?」
どうやら松ヶ崎さんは鞍馬口くんを誘ってこっそり湖に行ってしまったらしい。
北条さんが電話を切ろうとしたとき、突如、センサーの受信機がけたたましい音を鳴らし始めた。
「もう! こんなときに! 渡辺くん、反応のあるセンサーの場所を確認して!」
「わかった! えーっと、これは……、えっ?」
「どうしたの!?」
「これ……、この建物のすぐ裏だよ」
僕がそう言うのと同時に裏口の方からなにかが破壊される音がした。
僕と北条さんは慌てて裏口の方へ向かった。
そこには完全に破壊されて床に倒れている裏口の扉と、開いた裏口から顔をのぞかせる巨大な熊の姿があった。
その熊の異常さは僕にもひと目でわかった。体長は2メートル以上あり、不自然なほどに盛り上がった筋肉は毛皮の上からでもその存在を主張していた。目は真っ赤に発光していて、口の端からは黒い瘴気のようなものが流れ出ていた。どう見てもこいつが探していた魔獣に違いない。
しかし、幸いなことに魔獣はその巨体のせいで裏口からロッジの中には入ってこれないようだった。魔獣は顔だけを突き出しこちらを口惜しそうに睨みつけている。
「今のうちに表玄関から逃げよう!」
「だめ! 今、外に出ていったら確実に追いつかれてやられる」
「じゃあ、どうすんのさ!」
「……ここで迎え撃つしかない」
そういうと北条さんは首に巻いていた赤い組紐に右手をかけようとした。
そのとき、突然、魔獣が口を大きく開いた。それとともに周りの空気がびりびりと震え始める。
「いけない!」
北条さんがそう言って右手を前に突き出すと、魔獣は耳をつんざくおぞましい咆哮をあげ、それと同時に凄まじい衝撃波が僕たちを襲った。気がつくと僕は北条さんの展開する魔法障壁になんとか守られていた。しかし、少し離れた周囲の壁や調度品はすべてズタズタに引き裂かれていた。
「ウォークライ……、咆哮に魔力をのせて衝撃波を発生させてる……」
魔獣は続けざまに何度も咆哮をあげ、そのたびに衝撃波が僕たちを襲う。衝撃波の切れ目がわからないために北条さんは障壁を解くことができず、魔法の詠唱もできない。
何度も衝撃波を受け続ける北条さんの顔が徐々に苦痛で歪んでくる。
そのとき、僕は咄嗟にあることを思い出して自分のスマートフォンを取り出した。震える手であのアプリを起動させる。
「北条さん! あと5分耐えて!」
「なんとかやってみるけど! なんなの!?」
僕はスマートフォンを魔獣に向け、カメラでやつの動画を撮影する。
「こんなときに!!」
北条さんが僕を睨みつける。
撮影が終わると僕は即座にその動画をサーバーにアップロードする。アップロードの進行を知らせるプログレスバーの動きがまるで永遠に続くかのように感じられる。アップロードが完了するとアプリは今度はローディング画面を表示する。僕はじれったい気持ちでスマートフォンの画面を凝視する。
「まだ!?」
「……きたっ!!」
そう叫ぶと僕はスマートフォンを魔獣の顔めがけて投げつけた。
スマートフォンは魔獣の顔の近くで衝撃波によってばらばらになった。しかし、その瞬間、スマートフォンの画面から金色に光る文字列が浮かび出て魔獣の顔に降り注いだ。
一瞬の間をおいて、魔獣は急に咆哮を止めた。そして先程までとは明らかに違う甲高い叫声をあげたかと思うとそのまま裏口を離れ森の中へ逃げていった。
「……助かった」
僕と北条さんは揃ってその場にへたりこんだ。僕たちは少しの間、背中をあわせてその場に座っていた。僕は自分の背中からじっとりと汗ばんだ北条さんの背中の感触を感じた。
「……あれ、ひょっとして呪術? 渡辺くん、呪術が使えるの?」
「……まさか。あれは前に第23行政区にいる知り合いと一緒に実験的に作ったアプリだよ。対象の動画をアップロードするとサーバーマシンが対象を指定する特徴量を抽出して自動的に呪術式を組み立ててくれるんだ。まだ簡単な呪術式しか組み立てられないし、人間にはあれのせいで使えないんだけど、獣になら効くかと思って」
「どんな呪術を使ったの?」
「恐怖回路を刺激して、対象がもっとも恐怖を感じるものを幻覚として見せるようにした」
「意外とえげつないことをするのね」
そう言うと北条さんはくすくすと笑った。
「そうかな」
僕はとぼけて答える。
「……携帯壊れちゃったね」
「そろそろ新機種に変えようと思ってたところだし、まぁいいさ」
僕はそう言って肩をすくめた。
************
僕たちは今出川さんと松ヶ崎さんに電話をして現状を報告した。今出川さんはすぐにこちらに向かうと言ってくれたし、魔獣が逃げた方角からすると松ヶ崎さんたちもしばらくの間は大丈夫だろう。
松ヶ崎さんたちを迎えに行って帰ってきた僕たちがロッジのすぐ近くを歩いていると少し離れたところからなにかがぶつかる大きな音が聞こえた。
みんなでそちらの方へ振り向くとそこには上半身裸の今出川さんがさっきの魔獣と四つになって組み合っていた。
魔獣は呪術の効果がまだ残っているのか先程のような威圧感はすでに見られず、その一方で、今出川さんは普段からさらに体格が良くなったように見え、もはや魔獣と変わらないくらいの体つきだった。
「身体強化系の白魔法。東洋武術でいうところの気功に近いものかな。私たちは”脳筋魔法”って呼んでるけど」
北条さんが僕たちに説明をする。
やがて、今出川さんは魔獣を上手投げで投げ飛ばし、そのまま魔獣の上に馬乗りになった。
僕たちが近づいていくと今出川さんはポケットから小型の麻酔銃のようなものを取り出し魔獣の胸元に撃ち込んだ。すると、魔獣の身体はするすると萎んでいき、口から漏れていた瘴気のようなものも見えなくなった。
「たいていの有害魔獣っていうのはね、魔力が膨大すぎるがゆえにその流れが滞って暴走することで生まれるんだ。今撃ち込んだ魔法具で魔力の流れを整えて外に出すようにしてやれば普通の動物と同じように暮らせるはずさ。GPS発信機も取り付けたから今後の経過観察もできる」
「今出川さんの研究テーマっていうのは……」
「まぁ、僕はもともと魔獣医師だからね」
そういうと今出川さんは片目を瞑ってにやりと笑った。
************
ロッジがぼろぼろになってしまったため、僕たちは今出川さんの知り合いの猟師さんの家に泊めてもらい、翌日、周辺を軽く観光してから帰宅の途についた。
帰りの車の中で松ヶ崎さんはずっと鞍馬口くんの隣に座っていた。僕は、昨夜、勝手に抜け出した松ヶ崎さんを詰問する北条さんに対して、自分が誘ったんだ、と言って最後まで松ヶ崎さんを庇っていた鞍馬口くんの姿を思い出していた。
昨日、二人にいったい何があったのかはわからない。でも、僕は、鞍馬口くんと松ヶ崎さんがうまくいくといいなと思った。たとえ、二人の進路がばらばらになってしまったとしても。
大学に到着すると僕たちはそのまま解散した。僕と北条さんは帰り道を途中まで一緒に帰ることにした。
「……わたしの言った通りだったでしょ」
しばらく行くと、僕の横を歩く北条さんが突然そんなことを言い出した。顔には例のいたずらっぽい笑みを浮かべていた。僕は4月に参加をやめさせようとした彼女の言葉を思い出した。
「そうだなぁ。でも、良かったこともあったよ。みんなのことをもっとよく知ることもできたし」
「そうだね……、そうかも」
「そうだよ」
少しの沈黙の後、北条さんは思い出したかのように言った。
「そういえば、渡辺くんはG・Wの残りはなにか予定あるの?」
「なんにもない。悲しいくらいに」
「……じゃあ、このまえの約束のあれ、行こっか?」
「……それなら、とりあえず、新しい携帯を買いに行きたいかな」
「そうだった。渡辺くん、今、携帯持ってないじゃない! それじゃあ、私はどうやって連絡を取ればいいの?」
「どうせ、研究室にいるよ」、僕は投げやりに言った。
「それもそうね」
そう言うと僕たちは笑いながら帰り道を歩いていった。日はだいぶ高くなったとはいえ、夕暮れ時の空気はまだ肌寒く、ときおり吹く風の冷たさは僕に言いようのない寂寥感を感じさせた。
「私、こっちだから」と北条さんは僕とは別の方の道を指した。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日ね」
そう言って僕たちは別れた。
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