第6話 彼と彼女の関係
罠を仕掛けるために僕たちは二手に分かれて行動することにした。
今出川さんは松ヶ崎さんと鞍馬口くんを連れて行き、僕は北条さんと一緒に行くことになった。
今出川さんからは周辺の山道が書かれた地図を手渡され、罠を仕掛けるべき場所もすべてその地図に指示されていた。地図は地元の人が普段使用しているものらしく、一見すると道があるのかもわからないような未舗装の細い道を僕たちは移動していた。
そんな中でも北条さんは手際よく地図に記されたポイントを見つけ、周りの木にあの鈴のようなセンサーを仕掛けていった。
「北条さんは……、以前にも……、こういうのに参加したことがあるの?」
「修士に入ったばかりの頃にね、今出川さんに誘われて。まぁ、あのときは大イノシシだったけど」
息を切らせながらの僕の質問に北条さんは平然とした顔で答える。
「大丈夫?」
「……大丈夫。最近、運動不足だったから、ちょっと息があがってるだけ」
「パソコンばっかりじゃなくてたまには運動した方がいいよ」
北条さんは僕を見ながらにやにやとしている。
「ああ、それは、本当にそうかも。ところで、そのときは、他に誰が参加したの? 烏丸さんとか……、あ、あと、い、今邑さんとか?」
その言葉を聞くと北条さんは一瞬、眉をひそめた。僕はまずいことを訊いてしまったのかと心配になった。
「え、ああ……、あの二人は来なかったかな。一緒に行ったのは修士の先輩と同期。もう、みんな卒業して就職しちゃったけどね」
北条さんはすぐに普段通りの顔に戻ると僕にそう答える。
「さあ、これで地図に書いてあるポイントにはすべてセンサーを仕掛けたかな。早くロッジに帰りましょ。こんなところで人食い熊に襲われでもしたらたまらないでしょ」
************
ちょうど日も傾きかけ始めた頃に僕たちはロッジに戻ってきた。ロッジにはすでに今出川さんたちが先に戻ってきていて夕食の準備を始めていた。
「北条先輩! 今出川先生ってすっごい料理が上手なんですよ!」
松ヶ崎さんは興奮した様子で北条さんと話しかける。
「まぁ、一人暮らしも長かったし、今でも山に篭もることも多いからねぇ。これくらいはできるようにならないとっ、と」
今出川さんは調理場で作業をしながら話をする。
「先生、今日の料理はなんですか?」
「地元の猟師さんから貰ったイノシシの肉を使ったぼたん鍋だよ。ほらっ」
北条さんの声に答えながら、今出川さんは大きな鍋を持ってダイニングテーブルの方にやってきた。
僕たちはダイニングテーブルで今出川さん特製のぼたん鍋を囲んで夕食を取った。料理は本当に美味しく、暫くの間、僕たちは談笑をしながら舌鼓をうった。
夕食を食べ終えた僕たちは今出川さんの車で近くの温泉場に行くことにした。
「覗いたらだめですよー!」といたずらっぽく言う松ヶ崎さんに
「誰が覗くか!」と鞍馬口くんが悪態をつく。
温泉は見晴らしのいい露天風呂になっており、そこに浸かると一日の疲れが吹き飛ぶような気がした。
温泉に浸かった後、今出川さんと鞍馬口くんは脱衣場を出てすぐの休憩室にあるマッサージ機を使い始めたが、僕は少しのぼせたような気がして一人で建物の外にあったベンチに座っていた。
しばらくするとスウェットパンツにTシャツを着た北条さんが建物から出てきた。彼女は昼間はきれいにお団子にしていた髪をおろしてシュシュで軽くまとめていた。
北条さんは僕の横に座ると「ふぅ」とひとつ息をついたきり黙ってしまった。
僕は北条さんの方から石鹸のいい匂いが漂ってくるのを感じて、さりげなく彼女の方を見た。建物の灯りで照らされた彼女の白い肌は少し紅みが差しており、それを見た僕は気恥ずかしくなってそっと目を逸した。
「渡辺くんさぁ……」
そのとき、北条さんがぽつりと呟いた。
「なに?」
僕は慌てて北条さんの方へ振り向く。
「あなた、烏丸さんから変なこと吹き込まれたでしょ」
「え? どういうこと?」
「それは、つまり……、私と今邑さんが付き合ってたとか……、そういうこと」
「あ、ああ……。でも、烏丸さんはそれはないって言ってたよ、……たぶんって」
「付き合ってない」
「うん……」
北条さんは大きくため息をついた。
「まぁ、そういう噂があちこちでされてたのは知ってたけどね。でも、渡辺くんも実際にあの人と話せばわかるよ。あの人はそういうのを超越してる人だから。まぁ、本人は西大陸に留学してしまって、たぶんもうこっちには帰ってこないだろうけど」
「すごい人らしいね」
「私に研究のいろはを教えてくれた人なの。それはすごく感謝してる」
「北条さんも卒業したら留学するつもり?」
「それは……、まだわからないかな」
「そっか……、僕もわからないな」
僕たち二人は暫くの間、黙って満天の星空を眺めていた。周りに明かりのない山の中ではおおぐま座がきれいに見えた。
僕はふと、ひょっとして北条さんは今邑さんに恋愛感情を抱いていたんじゃないか、と思ったが、北条さんに失礼なような気がしてそれ以上想像するのをやめた。
やがて、他のみんなが温泉場から出てきたので、僕たちは車に乗ってロッジに帰った。
************
「渡辺先輩って北条先輩狙いなんすよね?」
それは唐突な質問だった。
「はぁっ? な、なに? 何の話?」
僕たちは電気を消して並んだベッドに横になってた。鞍馬口くんが話しかけてきたのはちょうど僕がうとうとしかけていたときだった。
「いや、渡辺先輩、北条先輩にべったりだからてっきり気があるんだと。それとも、やっぱり、三次元には興味ない系っすか?」
その偏見は一体、どこまで広がってるんだ。
「まだ、研究室に入ったばかりで北条さん以外にあまり話せる人がいないだけだよ。彼女も新入りの僕を気にかけてくれてるだけ」
「ふーん……。まぁ、どっちでもいいんすけど、一応、忠告しておこうと思って。あかねは誰にでも親しげに話すんで勘違いしちゃう男が多いんすよねぇ」
僕は今日一日の松ヶ崎さんの行動を思い出していた。鞍馬口くんの言うこともなんとなくわかる。
「松ヶ崎さん……? あ、もしかして、二人は付き合ってるとかそういう……」
「……っ!」
暗闇の中で表情までは見えなかったが鞍馬口くんは明らかに動揺しているようだった。
「あ、あいつとは小学校からの腐れ縁ってだけで! ……あいつが俺のことどう思ってるかとかよくわからないし」
「小学校から大学院まで一緒なの? ……すごいな」
「なんか、あいつ、危なっかしくて放っておけないんすよ。でも、最近、北条先輩に影響されたっぽくて、突然、博士課程に進むとか言い出して……。春までは一緒に就活してたのに……」
「でも、それは本人の自由じゃないの?」
「あいつは北条先輩とは違うんすよ。魔法適正だってそんなないし、頭の良さだって俺とたいして変わらないし……。渡辺先輩、先輩はなんで博士課程に行こうと思ったんすか?」
鞍馬口くんの質問に僕は詰まってしまった。僕はどうして博士課程に進もうと思ったんだろう。
「うーん……、それは、やっぱり面白かったからじゃないかなぁ」
「研究が、ですか?」
「研究もそうだし、そこにいる人達が」
そうだ。僕がここにいるのは、研究を始めてから出会った人達がみんな僕にとって面白い人ばかりだったからだ。みんな、これまでの人生で出会ったことのないタイプの人達だった。修士の頃に出会った”先生”、同じ研究室の先輩や同期、学会で知り合った人達、そしてこの研究室に来て出会った北条さんも……。
「ふーん……。そんなんで自分の人生決められるもんなんすか」
「まぁ、それは人それぞれだよ。鞍馬口くんだって松ヶ崎さんと進路が別れても気にすることはないよ。別にずっと会えなくなるわけでもないんだから。僕は二人はお似合いだと思うけど」
「本当っすか!? ……おれ、ちょっとがんばってみます」
「うん」
「でも、おれ、渡辺先輩と北条先輩もお似合いだと思いますよ。北条先輩が今邑先輩以外の男にあんなに親しくしてるの見たことないっすもん」
「あの人はもともと根は親切な人だよ。……たぶん」
「おれ、渡辺先輩のこと応援しますよ!」
(やれやれ)
僕は心のなかでそう呟いてから、これじゃまるでどこかの小説の主人公みたいだな、と思ってふっと自嘲した。
鞍馬口くんはそれ以上話しかけてくることはなく、そのまま僕たちは眠りについた。
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