第4話 アウトリーチ活動に行こう!①

 菅原研究室の全体ミーティングは毎週月曜日の午前中に行われる。ミーティングでは研究室全メンバーへの連絡事項の伝達とその日の当番一人が研究の進捗報告を行なうことになっていた。


 その日、僕がミーティング開始の5分前にセミナー室に行くと、2, 3人のスタッフがすでに2列に並べられた長机にぽつぽつと座っていた。


 僕が後ろよりの席に座ると、少し後に北条さんがやってきて僕の隣に座った。


「土曜日はごめんなさい」、彼女はそう言うと、雑貨店で売っていそうな洒落た模様の入った封筒を僕に手渡した。中には千円札が一枚といくらかの小銭が入っていた。あの日、僕が立て替えたランチの代金だった。僕は封筒を持っていたノートのページの間に挟んだ。


「気にしなくていいよ」


「あの後どうしたの?」


「そのまま研究室に帰ったよ。特にどこかへ行こうと思ってたわけでもないんだ」


「そうなんだ」


 僕らが話していると、烏丸さんが眠そうな顔をしながらセミナー室に入ってきた。烏丸さんは僕の横を通り過ぎるときに手に持っていたノートの端を僕の肩にちょんと当て、「おはよう」と一言呟くと、そのまま一番後ろの席に座った。


「いつの間に烏丸さんと仲良くなったの?」


 その様子を眺めていた北条さんは少し驚いたような表情で僕に尋ねた。


「土曜に研究室にいたら烏丸さんに会って、そのときに研究の話を少し聞いたんだよ」


「ふーん。そうなんだ……」


 北条さんは少し目を細めるとそれ以上はなにも言わなかった。僕はなぜだか少し居心地の悪い気持ちになってそのままミーティングが始まるのを待った。


 その日のミーティングでは准教授の下についているD2の大学院生が進捗報告を行なった。内容は白魔法の効果を安定に保持するカプセル型錠剤の作成に関するものだった。


 *************


 ミーティングが終わると僕らはそのままスタッフルームに戻ってきた。その日のスタッフルームには珍しく4人の人間がいた。僕、北条さん、烏丸さん、そして熊のように体格のいい髭面の男性、助教の今出川保いまでがわたもつ先生だった。


 今出川さんは大学時代にラグビーをやっていたらしく、身長は僕と同じくらいだったが腕の太さや胸囲は僕の2倍くらいあった。魔獣医師の資格を持っていて、研究テーマは野生化した魔獣に関するものらしい。1年のうちの半分以上を調査のためのフィールドワークに出ており、僕が会うのはやはり初日のミーティング以来2度目だった。


 僕が自分のデスクに戻ろうとすると今出川さんはにこやかな表情で僕に話しかけてきた。


「渡辺くんさぁ、きみ、アウトリーチ活動に興味ない?」


「アウトリーチ活動……、ですか?」


 この業界でアウトリーチ活動と言うと一般的に市民向け講座で自分の研究を紹介したり、小学生から高校生向けの授業を主催したりするものが多い。


「そう。アウトリーチ活動。気分転換にもなるし視野も広がる。それに履歴書に業績として書くこともできるよ」


「やめといた方がいいよ」


 割って入ってきたのは北条さんだった。


「今出川さん、アウトリーチ活動ってどうせですよね?」


「いやあ、そうだけど今回はそんなに大変な案件じゃないんだよぉ。僕の知り合いからの依頼で、宿泊施設としてオフシーズンのロッジを提供してくれるって話だし……、あと、近くに温泉もあるよ!」


 今出川さんは北条さんの言葉に気圧されながらもなんとか抗弁しようとする。


ってなんなんですか?」


よ」、すぐさま北条さんが僕に向かって答えた。


「いや、実際の活動は僕と地元の猟師がやるから君たちは見学してるだけで大丈夫だよ!G・Wゴールデンウイークも近いし、渡辺くんも入ってきたばかりだし、親睦を深めるためのラボ旅行みたいなつもりでさぁ」


「ちょっと面白そうかもしれませんね」、僕はなにげなくそう答えた。


「ほら! 渡辺くんもそう言ってることだし。北条さんもさぁ、どう?」


 僕の返事を聞いて北条さんは大きくため息をついた。


「……わかりましたよ。仕方がないなぁ」


「やった! 北条さんが来てくれたら百人力だよ!」、今出川さんは満面の笑みで微笑む。


「私は手伝いませんよ。学外での攻性黒魔法の使用は規則で厳しく禁止されてるんですから。先生が死にそうになったら、魔法障壁くらいは張ってあげます」


 北条さんの言葉に僕は不穏な空気を感じたが、今出川さんは相変わらずにこにこと笑っている。


「じゃあ、烏丸さんも……」


「私はパスー」


 今出川さんの言葉に烏丸さんは振り返ることもなく返事をした。


「じゃあ、大宮さんでも誘ってみようか」


「一応、聞いてみますけどたぶん無理でしょ。あの人、最近、実験室から出てきたの見たことないですし。私が後で修士の2人に連絡してみます」、北条さんが答える。


「よろしく頼むよ。じゃあ、日程はG・Wの初日から2泊3日で考えてるけど、もし都合が悪そうだったら調整は可能だからそれで聞いてみて」


 そう言うと、今出川さんは鼻歌を歌いながら自分のデスクに戻って行った。



 ************



 そうして、ラボ旅行もといアウトリーチ活動の当日がやってきた。その日は朝から雲ひとつない晴天で、待ち合わせ場所である研究棟の入り口まで歩いていく間にも軽く汗をかいてしまうくらいの陽気だった。


 待ち合わせ場所に到着するとそこには型式の古いフォルクスワーゲン・ゴルフが止まっており、その横にはすでに北条さんが立っていた。


 北条さんの服装はいつもとだいぶ違っていて、裾の短い半袖のブラウスに七分丈のパンツを穿き、足下にはスポーツ用のしっかりとしたスニーカーを履いていた。頭にはスポーツキャップを被り、長い髪は頭の後ろできれいにお団子にしていたため、普段は見えない彼女の細いうなじがよく見えた。彼女はその首に赤い組紐のようなリボンを巻いていた。


 僕が北条さんのことを眺めていると、それに気づいた彼女は怪訝な表情をして僕に尋ねた。


「どうかしたの?」


「いや、普段と感じが違うから」


 僕がそう言うと、今度は北条さんが僕の服装をじっくりと眺め始めた。僕は普段と変わらずチェック地のシャツに穿き潰したジーンズとスニーカーといういでたちだった。


「今から山に行くんだから動きやすい服装じゃないと。まぁ、たぶん渡辺くんはそれで大丈夫だけど。あと、向こうに行ったらけっこう冷えるけど上に着るものは持ってきた?」


「今出川さんに言われたから、一応、防水のウインドブレーカーを持ってきたよ」


「じゃあ、大丈夫ね」と北条さんが満足気に頷く。


 そうこうしていると向こうから二人組がこちらに向かって歩いてきた。一人は丈の短いワンピースにレギンスを履いた背の低いショートボブの女の子、もう一人は僕より少し背が低いくらいで派手な柄の入った半袖のシャツを着た短髪の男の子、菅原研究室修士2年の『松ヶ崎あかね』と『鞍馬口ケンタ』だった。


「おはようございます! 渡辺先輩とは今まであまり喋れなかったので今回の旅行、楽しみにしてました!」


 松ヶ崎さんはにこにことした表情で挨拶をする。それに続いて鞍馬口くんが低い声で「よろしくお願いします」と言って会釈をした。


「おはよう。こちらこそよろしくね」と僕は二人に挨拶を返した。なんだか、鞍馬口くんに睨まれているような気がしないでもなかったが、とりあえず気にしないことにした。


 そのとき、先程までどこかへ行っていた今出川さんがコンビニ袋を両手に戻ってきた。袋の中には大量のお菓子と飲み物が入っていた。


「じゃあ、みんな揃ったことだしそろそろ出発しよう!」


 今出川さんはそう声をかけるとフォルクスワーゲンの運転席に座った。僕たちは今出川さんの声に促されるように車に乗り込んだ。


 こうして僕らのアウトリーチ活動は幕を開けた。

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