16.
良太に教えられたお店に着くと、二人は対照的な様子でテーブルについていた。
テンションの高い良太と、ぐったりとしている明クン。その姿に、私の後をついて来た稲垣先生が追い越して駆け寄っていく。
明らかにスイッチの変わった先生に、私も動揺と怒りから、動揺と困惑、いや、動揺と恐怖に切り替わる。
「明さん、大丈夫? 私が分かる?」
机に体を預けたままの明クンの状態をチェックしながら声をかける。私はその様子を近くで見ながら稲垣先生の判断を待った。
「意識はあるから問題はないけど、病院に運んだほうがいいわ。連絡してくれる」
真向かいの席で酔って絡んでくる良太の手を払い退けながら、私はお店の人に事情を話し、運ぶ手配をする。
昔の、ママに出会う前の明クンがどんな生活をしていたのかは誰にも分からない。
だから明クンの過去に関しては、彼が自ら話す以外、知る術が無いのが現実だ。
おかげで私の明クンについてのトリセツは、私自身が見て得た情報と、彼が正直に話してくれたと信じる全てに限られる。
「お酒は強かったという告白は、やっぱり見栄ですかね?」
病室のベッドで気持ちよさそうに眠っている明クンを見ながら、私は白衣に着替え、真向かいに立つ稲垣先生に話しかける。
「どうかしら? だけど病気が分かるまでは飲んでいたんじゃない。泉に連れて来られたときの彼の体は酷いものだったから、とてもまともに健康な生活をしていたとは」
良太の話によると明クンから誘われて居酒屋へ行き、最初は拒否していたお酒を明クンが飲むはめになったのは、男と男の話をしようという流れになったからのようだ。
『あんた男じゃないでしょ』
『男だもん! それに芝居を続けるためには男じゃないと色々話がこじれるじゃん!』
そう反論してきた良太の頭を私が叩いたことは言うまでもない。こじれる方向性になったのも、故に彼の軽はずみな戦略のせいである。
「どんな生活していたかは不明ですけど、ビール一杯で倒れるなんて」
「泉と出会ってからは規則正しい生活を送っていたから、きっと久しぶりのアルコールに体がびっくりしたのね。まぁ大事に至らなかったから言える結果だけど」
先生は時計を見ると明クンの体に触れながら、様子を再度チェックする。
「ところで良太君? 余計なこと言ってなかったの?」
椅子に腰掛け、ベッドの横に肘をつきながら欠伸をしていた私は両目だけを上に向ける。
「多分…。良太も酔ってて正確なことは。ただ男と男の話っていうのが引っかかるというか、腑に落ちないというか。なんでそんな流れになったのか…」
私の知る明クンは、人懐っこい雰囲気をいつも纏っていて、目に見えるバリアをバチっと張る私とは反対だ。ないようであるバリアは、深く付き合わないと見分けられない。
だから初対面で当たり障りの無い会話を好む明クンの周りには、男女問わずに多くの人がいる。その証拠に彼のスマホにはズラリと名前が登録され、定期的に音を奏でる。
「男と男の話って、そりゃ~内容は決まってくるでしょ。明さんにとって絢ちゃんは娘で、今のところ勝手に良太君を彼氏だと思い込んでんだから」
きちんと明クンに布団をかぶせ、先生は急に普段モードの口調で発する。
「思い込んでるって、その戦略にさっきダメだししたのは先生じゃないですか!」
「いや~これが意外に効くもんだったりするから、恋愛って楽しいのよ」
完璧に面白がっている稲垣先生を、私はため息をつきながら睨む。
「まぁまぁ、そんな怖い顔しないでよ。ここは大人の私が効果的な解決策をね」
彼女はそう言って、ベッドを私の感情を宥めるように軽く叩く。
「驚かないで聞いてね。驚いたらバレちゃうから」
そう私に暗示をかけるように、先生は何度も手を動かしてニコッと笑う。
「驚きませんから、早く言って下さいよ」
私はもう一度欠伸をしながら、先生の案を待つ。
「今日のことがあって思ったんだけど。隠す必要性ってあるかなぁって」
稲垣先生はサッと腰を曲げると、私と同じ高さに目線を合わせる。
「つまり明さんに包み隠さず、正直に話す! 私が好きなのはあなたですって」
彼女は言葉の最後に、さっきと同じニコッとした笑顔をのっけて、今度は首まで横にする。
「はあぁ? ちょっと何を言ってんですか!」
「ほら、驚かないでって言ったでしょ」
思わず立ち上がった私の両手を掴んで、彼女は腰を下ろすように指示する。
私はハッと我に返り、横たわったままの明クンの顔を覗き込みながら口を手で覆った。
「言っておくけど、私のせいじゃないからね。忠告を無視したのは絢ちゃんなんだから。まぁ、ここでバレたらバレたで、改めて告白なんてしなくて済むわけだから、揺さぶって起こす?」
さっきと同じように眠っている明クンの体に手を伸ばそうとする彼女の動きを、私は顔中の筋肉をフルに使って訴え、その行動を止める。
「じゃ、静かに私の提案を聞いてくれる?」
返事を発さずに私は首と顔で必死にアピールした。
「よろしい! 要は、明さんが絢ちゃんの気持ちを知ったとして、何か変わるのかなって思ったの。病気を抱えている明さんが、自分を絢ちゃんに背負わせるはずがないでしょ。泉の時でさえ、どれだけ彼女が必死で食らいついたかぁ~。それでも彼は振り払って振り払って、色んな嘘や方法を使って、離れようとしていたんだもん」
私にとって、それは初めて知る、ママと明クンのラブストーリーだ。
頭の中で何度か空想してみたことはあったけれど、ママが強引に押し切ったんだという結論しか、私には導き出せなかったから、稲垣先生の口にした話は興味深かった。
「酷い嘘や方法を取られて、さすがの泉も諦めようとしたことはあったけど、それが自分のためだって知ってからはもう…。どんな嘘をついても、泉は離れることはなくて、結局明さんが根負けしたの」
その話を聞いて、私は明クンがなぜあんなに嘘を嫌うのかやっと納得がいった。
きっとママに嘘をつくたび、明クンはとても辛かったのだ。だからそんな感情を私には持たせたくなかったのだろう。
嘘は自分を偽る、最悪の自己犠牲だから。
それなのに私は明クンを理由に、その辛さを持ってしまった。親不孝な娘だ。
「そんな彼がどんな結論を出すんだろうって、単純に考えてみたの」
二人の間で静かに寝息を立てている明クンの呼吸だけが聞こえ、私は沈黙を貫く。
「答えは簡単。きっと何も変わらない。だったら隠す必要性ってあるのかなって。だってそうでしょ。受け入れることは出来ても、拒否することは出来ないじゃない。絢ちゃんにとって明さんは父親で、明さんにとって絢ちゃんは娘。二人は、たった二人だけの家族だもん。そこに特別な感情が存在してもしなくても、二人はこれからもずっと一緒でしょ。だったらお互いに素直でいるほうが楽しいじゃないのかなって」
「先生…」
「私は第三者として、簡素だけど疎通の出来た会話をする二人の姿が好きだし」
なんだか上手く丸め込まれようとしている気分だった。
だけど先生が伸ばしてくれた糸は妙にしっかりしていて、私と明クン二人を余裕で引き上げてくれる強さを感じた。
「それに絢ちゃんくらいの時に落ちる恋なんて結構、美化されてんのよ。本物か偽物かを見極める前に、その恋に溺れちゃだめよ。その恋を掴んでから見極めなくちゃ。せっかくの貴重な時間を無駄にしちゃう、分かった?」
私はいつにも増して力説する先生を前に、自然と顔に笑みが浸透していくのが分かった。
その表情の変化を読み取った稲垣先生はベッドをまた叩く。今度は結構な強さで。
先生が用意をしてくれた舞台が始まっていたことに気付いた私は、躊躇しながら尋ねる。「分かりました。素直に行動で示してみます。それにどんな反応をするのかは、明クンに委ねてみます。たとえどんな結果でも、私と明クンは家族であることに変りはないから」
明クンを挟んで、私は正面で親指をあげる稲垣先生にそう断言する。
私の発言に先生は頷きながら尋ねた。
「ところで、嘘をつかない人って、どうやって逃げるんだっけ?」
「ああ~それは。基本、寝たふりだと思います」
私の答えに、ベッドに横たわった明クンはわざとらしくイビキをかき始めた。
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