13.
祖母が癌に侵されていたことを知ったのは通夜の晩だった。
家で倒れ、再入院をしたときに見つかったという。すでに手術では回復が見込めず、進行を遅らせることが最良の治療だったらしい。
私が問いかけた「何だって?」に明クンが黙り込んだ理由が、今なら分かる。
この事実を口止めされていた彼にとって、何かを口にすることは全て嘘になるからだ。
「おばちゃん、元気だったでしょう。なぜだか分かる?」
何も出来ずに用意された親族の椅子に座っていた私に稲垣先生が声をかけてきた。
「絢が来てくれるからだって。それに明さんが理解してくれるから安心だって」
たまに病室に行くと果物が置いてあった。そのチョイスから明クンが来ていることは分かっていたが、二人の関係性がそこまで改善されていたとは思ってもいなかった。
「病人なのに働きすぎなんだよ」
私は今も通夜と葬儀の段取りで忙しそうにしている明クンを離れた所から見て呟く。
「ここに主治医がいるから大丈夫。血圧も安定してる。絢ちゃんこそ、しっかりしなきゃ」
喪服を纏った稲垣先生は私の手を握って、そう励ます。
私は会場の真ん中に飾られた祖母の写真をボーと見つめる。何だが妙な気分だ。
最後に祖母に会いに行ったのは先週のママの命日の日だった。受験を控え、毎日顔を出せなくなったことを謝ると、祖母は笑って首を振った。
今にして思うと、少しだけ痩せていたような気もするけれど、話す会話も声も、いつものように祖母は気丈だったから私は特に不安を感じなかった。
「きつかったはずなのに何も言わないから、色々愚痴って長居しちゃった」
進路のこと、受験のこと、ママのお墓参りのこと、明クンのこと、そして、そのことをママには報告出来なかったこと。
久しぶりに顔を出したこともあって長々と話をした。
「人は病気になると孤独なの。だから傍にいてくれるだけで安心感を持てるし、それに元気にもなる。だから絢ちゃんがいてくれたこと嬉しかったと思うわ」
他の手続きは明クンと先生任せだったが、写真だけは私は選んだ。
いや選んだというより祖母から頼まれていたという方が正しいだろう。
施設に通うようになって私はスマホで撮った写真をネタに祖母と話すことが増えていた。
いつも同じ部屋で外との関わりが減った祖母に、少しでも気分転換させる目的もあった。
『明日、お化粧してもらう日なのよ。だからそれで綺麗な写真を撮ってくれないかね』
進路の話をした日の帰り際にそう頼まれて、翌日に私が撮影したものだ。
『これがいいわ。これ』
そう言って祖母が指をさした写真が今、私を優しく見下ろしている。
「私の母親代わりをしながら、ずっと私と明クンの関係を黙って見守ってくれて。私のことを心配して、配慮して、認めてくれて、最後は自分を責めてた。それなのに、そこまでしてくれた祖母を、私はどこかで責めたりして。ほんと酷い孫だよ」
自分の寿命を分かっていた祖母のことを思うと、私は自分の告白がどんなに残酷なものだったのかを後悔せずにはいられなかった。
「そうかな。絢ちゃんの悩みは特殊だけど、それを打ち明けてもらえる存在は自分だけだったんだもの、それって頼りにされているってことでしょ。それに何も知らず、ここで告白されたほうが私ならショックよ」
稲垣先生はそう言うと持っていたポーチから封書を出した。
「少し前に、おばちゃんから預かっていたの。明さんには頼めないからって」
私はゆっくりと視線を手元に移す。そこには祖母の字で書かれた私の名前があった。
絢へ
急な出来事で、きっと動揺していることでしょ。ただ告知をされた時、どうしても絢には言えなかった。私がいなくなることは、あんたを一人にしてしまうことだから。
私の息子に病気が見つかった時、泉はまだ若くて、しかも絢が生まれたばかりで、きっと不安でいっぱいだったはずなのに、決して私には弱音を言わなかった。息子を失う母親の気持ちばかり察して、それが本当に辛かった。そんな姿を私はもう見たくなかったの。
泉に日に日に似てくる絢も、きっと同じように私には弱音を吐かないでしょ。それに今の絢が抱えている悩みを、さらに複雑にしてしまいそうで言えなかった。
絢がこれを読む頃には、明くんへの悩みが少しでも解決していることを願います。配慮の足りなかった私が願うのは身勝手な気もしますが。
けれど、もしまだ解決していないのなら一つだけ、私の遺言を残します。
絢、人は誰かを想うことをやめることは出来ません。
それは頭でどんなに解決しようとしても解決できない問題です。だから困った時は、自分の心に従いなさい。周囲の偏見や、多くの障害などは二の次です。そんなものは何の解決の役にも立ちません。
私から見ても明くんはとても魅力的な人です。泉が惹かれたことに反対できないほど、相手を幸せに出来る温かさを持った人です。ただ彼は大きな問題を抱えている人でもあります。そんな彼を想うことは、きっとまだ若い絢にはそれだけでも大変なことです。だから、私があなたの抱えている悩みの一つをなくしておきます。
明くんが絢の父親として、本当に必要じゃなくなったら、ちゃんと彼に恋をしなさい。
ママには、先に会いに行く私が代わりにちゃんと謝っておくから。
だからママの王子様だからという呪縛から、自分を解き放ちなさい。あなたの人生はまだ始まったばかりなのだから、そんなことで苦しまないで、自由に生きなさい。
恋は、絢をもっと素敵な人間にしてくれることでしょう。
ただし、恋は必ず実るとは限りません。それでも恋をすることを否定する生き方をして欲しくないから伝えていきます。
分かった? 自分の気持ちを大事にしてしっかりと生きていくのよ。
あなたをこの世に呼んでおきながら、こんなにも早くいなくなる私たち家族を、どうぞ許して下さい。
あなたが大人になるまで、ちゃんと育てられず、先にいなくなる私を許して下さい。
絢が幸せに、毎日笑って生きていける日々を、遠くからあんたの両親と願っています。
丁寧な文字で書かれた祖母の手紙は、それまで私を苦しめていた悩みの根本を明確にし、その判断を私に委ねていた。
祖母の優しさと思いやりの詰まった手紙を私はギュッと掴み、あの日の祖母の笑顔に、私は流れ落ちる涙を拭わず話しかける。
「…ありがとう、おばあちゃん。心配ばかりかけてごめんね」
そんな私の様子に気付いて近づいてくる明クンに、私は首を小さく横に振る。
そしてその代わりに、私はいつも彼が私に向ける優しい笑みを返した。
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