4.

 嘘をついたことを後悔するのに時間はかからなかった。

 二日後、病院の廊下で駆けつけてきた明クンの姿を見つけた私は、泣きじゃくりながら何度も許しを求めた。

「大丈夫、絢のせいじゃない。大丈夫だよ」

 息を切らしながら、明クンは座ったままの私の視線に合わせるようにしゃがんで、溢れ出てくる涙を親指で拭い、何度も大丈夫、と言って私の背中をポンポンと叩いてくれた。


 夏休みの課題を図書館で済ませて帰ると、必ず「おかえり」と聞こえる祖母の声がなく、私はサンダルを蹴飛ばすように脱いで玄関を駆け上がった。

 台所で蹲っている祖母の姿が視界に入ると、私は腰が抜けたようにその場に座り込んだ。「お、おばあちゃん! ど、どうしたの!」

 生ぬるい床にお尻をくっつけたまま私は祖母に声をかけ、手探りで自分の鞄を探し、震えながら明クンの番号を押したことまでは記憶にある。

 あとのことは明クンの言うとおりに動くことが精一杯だったから何をどうしたのか、まったく記憶にない。気付けば救急車で病院に着いていた。

「発見が早かったから大丈夫よ。今日は検査のために入院はしてもらうけど」

 しばらくして診察室から出てきた先生が明クンに親しげにそう話している声が聞こえて、私はやっと正常な判断を下せるようになった。

「絢ちゃん? 大きくなったわね。泉にそっくりになったじゃない」

 声の主がママの友達で、明クンの主治医である稲垣先生だと思い出し、私は座ったままの泣きはらした顔で頭を下げる。

「明さんも大変ね」

 彼女は小さくそう呟いて、私の横に腰を下ろすと簡単な説明を始めた。

 祖母の病状は悪くはないが、もう一度倒れることがあれば入院が必要だと。そのための検査をするだけだから今日はもう帰っていいという話だった。そして最後に尋ねた。

「毎朝、私が頼んだママがしていたこと、ちゃんとしてくれてる?」

 私は素直に一度だけ首を縦に下ろした。それに彼女は満足したように笑う。

「よかった。泉と約束していたことだから」

 彼女に言われて私は毎朝の習慣である、明クンの息遣いを確認するようになった理由を思い出した。


 てっきりママがしていたことだからママに言われたことだと錯覚していた。

 だけどよくよく考えれば、そんなことはない。ママがあの役割を私に任せたことは一度もなかった。 

 幼い実の娘でもママにとって女であれば要注意人物だったらしく、その証拠に私が「明クン」と呼ぶことを本当に嫌がっていた。

 出会った時からママの真似をして明クンと呼んでいた私は、ママの忠告を頑なに拒否し、『俺をパパって呼ぶのは無理だよな』と明クン本人が折れてくれて今に至っている。

「今は祖母と暮らしているから毎朝電話をしています」

 やっと止まった最後の涙を自分で拭って私は報告をする。

 それに彼女は明クンを見上げ、しばらくすると私にまた視線を戻した。

「そうよね、もう一緒には暮らせないわよね」

 悟ったような彼女の声が私にはとても冷たく、残酷な響きに聞こえて即座に首を振る。

 倒れた祖母を運んだ場所で不謹慎な判断だと思いながらも、正面の壁にもたれるように

立っている明クンを見て口角をあげる。

「夏休みが終わったら帰ります。あの家が私の家だし、明クンは家族だから」

 何度も口にしてきた言葉だったのに、なぜか胸のあたりがチクッとした。

 けれど、私はそのことに気付かないことにして、もう一度、二人に笑って見せた。

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