不良少年と少女Aの場合
「おはよう」
「あっ、お、おはようっ」
……どもってしまった。少し不思議そうに去っていく背中を見送って、私は机に顔を伏せた。
自分の恋心を自覚してからというもの、私はいつもこんな調子だった。
「おはようさーん」
「あ、おはよう~」
友達には普通に挨拶できるのに。何故こうも、上手くいかなくなるのか。
これが恋ってやつなんだなぁ。
他人事のように考えてしまい、ため息が漏れる。こんなんじゃ駄目だ、しっかりしなきゃ。
でもどう振る舞えばいいのか。
目立たないことだけを考えて生きてきた私にとって、それは私史上最大の悩みだった。
○
相手は、幼稚園から一緒の幼馴染らしき人。らしき、というのはそれらしい付き合いがないからだが、それは少し寂しいなぁと最近思う。
なんだかんだで男子の中では一番話す。話しやすいから、私は結構仲のいい方だと思っている。それだけだった––––––––今までは。
それだけだったはずなのに、気になりだしたら止まらなくなってしまった。
気付いたら、好きになっていて。
自分のことなのに自分の感情の変化に気付けないなんて、恋は盲目ってことなのか。
……なんにせよ、好きになった。なってしまった。その事実だけはもうどうにもならない。
消せたら楽なのに。
願えど願えど強まる想いとは裏腹に、響く声が私を遠回しに責め立てる。
「夕汰っ」
甘ったるい声に、雰囲気に。校内美人トップ3には入るだろうのその子こそ、好きな人の好きな人。彼女だった。
「梨香子じゃん。どうしたの?」
「……それ聞きますかぁ」
美男美女カップル、と呼ばれる二人はお似合いで、誰にも入り込む余地は無い。美男かは私には謎だが。
顔で好きになったわけではない。でもそれは二人に入り込める理由にはならなかった。二人が結ばれたのだって、顔が理由ではないのだから。
勝ち目のない初恋。私にはもう手のつけようがなかった。
「おはよーさん」
「おはよう、もう体調いいの?」
甘ったるい二人に顔をしかめながら教室に入ってきたクラス一の不良少年と挨拶を交わす。
「熱引いたから、学校行けって親が」
「そっかそっか、それは良かった」
「えっ、俺治ったとか言ってないんだけどー」
「でも元気そうじゃん?いいことだよ」
彼は、夕汰繋がりで話すようになった、女癖の悪い不良。私の苦手なタイプのはずなのに、夕汰に次いで、話しやすい男子だった。
「で、夕汰は朝からいちゃこらいちゃこら。いいことだねぇー」
全然良さそうではない口調でからかう。いつものことだから、私は笑って流す。
「さてさて、さっそくですが、お願いが」
「嫌だ」
こういう変な口調の時のお願いといえば、一つしかない。
「ノート見せてくださいお願いします‼︎」
「何回目だよ……」
「いやぁ、昨日はリサちゃんとデートでさぁ。なかなか帰してくれなくて。ね、頼みますよ」
女遊びができるぐらいの男前に拝まれると、なんというか、負けそうになるからいけない。
「リサちゃんって誰よ。昨日はミサちゃんと遊んだって言ってたじゃん」
「今日はごめんーって言われてー。まだ俺も一人と遊ぶだけじゃ面白くないから」
「……ったく。何のノート?」
……はい、負け。一度、押し切って断ったら延々とデートの内容を聞かされたことがある。そっちの方が嫌だ。
断るのはおきまりの手順を踏む感じだ。少し面白い。
「古文と数学と、あ、あと英語もだ」
「多いな‼︎」
「すぐ終わるからさー」
「はいはい……」
これで頭がいいのだから、何者なのか知れたものではなかった。彼は学年トップの成績を誇る秀才だ。その事実も、彼の人気を上げている。
ノートを貸し出して、ちらりと入口の方を伺う。まだ話している二人は、本当に楽しそうだった。
楽しい会話なら私だって出来る。でもそこには恋情がない。私の一方通行だから。
……やめたい。やめよう。
見るのをやめれば羨みも薄れるかも。
私は視線を外して、ぼうっと窓の方を眺める。
今日は風が強い。木の葉が風に吹かれて揺れている。ガサガサという音が、私の心を少しだけ乱した。
○
昼休み。昼練でほとんど人が出払った教室で時間を持て余す。
「暇だなぁ……。ちょっと外歩こう」
敷地はそれなりに広い。私は靴に履き替えるのも面倒だったから、うち履きのままで外に出た。
テニスの練習に一生懸命な友達に手を振り、私は校舎裏へ足を延ばす。
「ちょっ、ここ学校だよ~」
「いいじゃーん」
……来るんじゃなかった。後悔先に立たず。
ここがあの不良のテリトリーだということをすっかり忘れていた。急いで身を隠す。
移動したかったが、見つかったら嫌だという思いに足が止まる。
前にも同じようなことがあった。あの時のことは忘れない。
その時の彼の相手は、夕汰の恋人だった。私はその時も同じように身を隠したが、あの時は結局気付かれてしまった。
「覗き見なんていい趣味してるねぇ~」
「うるさい。こんなとこで変なことする方が悪い」
「変なことって、酷い言い方だなぁ。俺、人助けしたつもりだったんだけど」
「意味わかんないし」
「わかんなくていいよー」
人助け、なんて、欲を満たしたいだけの行為にそんな意味があるわけない。
……あの時と同じことやってんだから、やっぱり人助けじゃないじゃん。
スマホを取り出して音楽を聴きながら、私は彼らが去るのを待った。
「まったくもう~。我慢しなよねー」
媚びるような声が聞こえなくなるのをじっと待つ。
「ごめんごめん」
「まぁいいや。じゃ、私はそろそろ行くね~」
驚くほど細いその子が居なくなってから、私は恐る恐る立ち上がる。
「よっ。また覗き見とは」
死角に入っていたつもりだったのに、やっぱりバレていた。怖い奴だ。
「だから、場所考えてないのはそっちだから」
「学ばなかったのは君だけどねー」
「……すみませんでしたー」
なんで謝ってるんだろ。馬鹿馬鹿しくなって、私はその場から離れようとした。
……手を掴まれた。
「待ちなよー」
「私、ホイホイ遊ぶ趣味はないもので」
「そうじゃないよ」
声音が変わった。私は自分の体が固まるのを感じた。
「そうじゃない」
二回目。私は彼の方へ向き直る。
「そうじゃないよ」
三回目。視線が合う。
「……えっと」
声が掠れる。今までとは全然違う。そこにはもう、あの遊んでばかりの不良少年の面影は微塵も感じられなかった。
「君は夕汰が好き。夕汰は梨香子ちゃんが好き。……俺は君が好き」
「えっ。えっ!?」
声が裏返った。体温が上がる。
「だからさぁ、梨香子ちゃんを奪っちゃえって思って。ほら、この前。見たでしょ?傷心の夕汰を君が放っておくわけないし。そこから恋情が育まれれば嬉しいなぁなんてね。まぁ、めっちゃ抵抗されたから諦めたけどねぇ。好きでもない子を強引に口説く趣味はないからさ」
「なに、言ってるの?」
「なにって。告白ですがなにか?」
「えぇー……」
驚いた。驚いたという言葉じゃ済まないぐらいには驚いた。
校舎裏に吹き抜ける強い風が、私たちの隙間を縫う。何か言って、と私を急き立てる。
「なんで私なの」
「なんでだろう。好きだから?」
「チャラい」
「ひどい!?」
「私、あんたのことそういう風に思ったことない……」
だから、と続けようとしたところを、はいストップねー、と止められてしまった。
「今からは俺も恋愛対象に入れてほしいから、まだ振らないでおいてよ」
「……でも」
私は夕汰が好きだ。
何も伝えられないままに、気付いたら夕汰は一人でどんどん先に行ってしまったけれど。
追いかけたい。そう思って、それが恋情になっていた。
「急には、無理……」
「待ちますよー。俺、そうとなれば一途だから」
「信用しにくいんですが……」
「お、その気になってくれた?」
「あっ、そんなこと一言も言ってない!」
「まぁいいや。これを機に俺のこと、嫌でも視界に入るでしょ。今までは、夕汰のことしか見てなかったからねぇ」
「……意外」
「でしょ?そのギャップに萌えてくれればねぇ」
「自分で言うな」
「へいへい、すみませんねー」
こんな人だとは思わなかった。萌えたりはしないが、見直した。
「それにしても……。あの二人が別れればいいって思って、梨香子ちゃんを?」
「うん、俺だって好きな子の幸せぐらい願えるんだからねー」
……見直した。いや、彼の行為が正しいなんて思わないけれど。誰かの為を思える彼の態度に、素直に驚いたのだ。
まだ、気持ちをどうこう、という気にはなれないけれど。
今までの彼への印象が瞬く間に風に流され、残ったのは、彼の私に対するまっすぐな気持ちのあたたかさだった。
「いい奴だね。めでたく不良少年から昇格だよ」
「でしょでしょ。世の中には、夕汰以外の男だっていっぱいいるんだから」
「……いっぱいいていの?」
「あ、俺だけがいいなぁ」
「……贅沢」
「色んな子と遊んできた俺に言うセリフかよー。今更だなっ」
「開き直ってるし……」
笑う彼の、少し長い髪が揺れる。柔い光に、揺れた髪が溶けたような錯覚を覚えた。
初恋は、終わった。本当はもうとっくに終わっていたけれど、気持ちに決着が着いた。
……それはこいつのおかげ。認めたくはないけれど。
私の頭の固さばかりは、まだ変われないようだった。
でも、きっかけはもらった。あとは自分で進むだけ。
彼の告白への返事は、変わることができた後にでも考えよう。きっと彼は待ってくれる。
彼の笑顔を見ながら、そんな風に思った。
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