執事さんとメイドさんの場合



「お嬢様、お茶のお時間です」

「ありがとう」


元気な様子のお嬢様に安心しつつ、ちらりとドアの隙間を伺う。


……副メイド長が、怖々と中を覗き込んでいた。





「……貴女、あぁやって覗くぐらいなら入ってくればよかったでしょう」

「合わせる顔がなくて。どれだけ謝っても、してしまったことは取り返せないから」

「それでも、覗き見なんて不躾ですよ。やめた方がいいかと。それに、お嬢様は怒ってはいらっしゃいません」

「すみません……」


肩を落とす彼女の様子に、もう少し言葉を選べばよかったと後悔する。でも、仮にも副メイド長の彼女にあんな態度はとってほしくなかった。



事件と呼べるほどのことではなかったけれど、屋敷の中で騒動が起きた。



三月もそろそろ終わるというのに寒い日が続き、それぞれの部屋の暖炉をつけることになった。


お嬢様の部屋の係は、体調を崩して療養中のメイド長に変わり、代理を務めている副メイド長の担当になった。


しっかり者で、明るい。メイド長に早々に能力を認められ、周りにも慕われている。自分とは大違いの彼女に憧れている自分がいたので、適任だと思ったし、周りも全員異議はなかった。


……自分は愛想がないとよく言われる。頭が硬いとか、笑顔がぎこちないとか。執事だから、そういうことが必要なのもわかる。でも、愛想よく振る舞うのは昔から苦手で、どうにも直らない欠点の一つだった。



事は二日後の朝、その日の朝の着替えの担当だったメイドにより知らされた。


「お嬢様が高熱を……‼︎」


騒然となる使用人室。青ざめた顔の副メイド長が走って部屋を出て行ってしまった。


用意する物の指示を出して、急いで彼女を追いかける。


ようやく追いついたとき、彼女は廊下の突き当たりで肩を震わせていた。


嗚咽を抑えようと必死な様子がありありと伝わってきて、こちらまで悲しくなる。


「副メイド長」


声を掛けると、彼女はビクリと肩を跳ねさせて、顔を上げた。


「カイン……」


名前を呼ばれ、反応に迷いつつも、大丈夫か、と言ってみる。大丈夫なわけもないが、こういう時に気の利いたことを言えるような自分ではない。

それが悔しいが、下手なことを言うよりはきっといいはずだ。


「私、どうしよう。お嬢様に合わせる顔がない……。暖炉をつけ忘れてしまうなんて、私メイド失格よ……」

「別に貴女だけの失敗ではない。こういう時の責任は、全員で負うべきだ」

「でも……‼︎」

「責任を感じるなら、一番に看病に走るべきだ」


酷だとわかっていても、これは自分が言うべきことだと思う。


「あ……」


ゴシゴシ、目元をこする。パッと上がった顔は、もういつもの彼女のものだった。


「ごめんなさい、今は私がメイド長の代わりなのに、頼りないね。しっかりしなきゃ」

「うん、まぁでも……」


このくらいは言わなければ。気の利いたことは言えなくても。


「……無理はしないで、何かあったら僕に言うといいよ」

「そうね、ありがとうっ」


いつもの笑顔に、安心する。戻ってお嬢様の様子を見に行かなければいけない。気を取り直して、仕事に戻ろうとした時だった。


「あらあらまぁまぁ、私、とてもいいものを見たわ」


突然声がして、今度は二人でビクリとなる。


「二人、恋仲にあるのね」


ふふふ、と口元に手を当てて優雅に笑っているのは、この屋敷の奥様だった。


「あっ、あのっ、えっと……」

「驚いたわ。二人がそのような関係だったなんて。私、どうすればいいか……」


見つかってしまった。メイドと執事が恋仲にあることが知れたとき、どうなるかは散々噂を聞いてきた。


「ふふっ」


楽しそうに笑っている。


「これは、その……」


なんとか説明をしようとしたとき、奥様が笑顔で言った。


「何をそんなに焦っているの?私、いけないことだなんて一言も言っていないわ」

「奥様……?」

「きっとね、主人が見たら怒るだろうけれど私は怒らないわ。好きな人の隣にいる事の、何がいけないのかしら」


楽しそうに近づいて来る。奥様は、こんな性格だっただろうか。


「それにね、主人にみつかってもきっと大丈夫よ」

「え……?」

「……これはここだけの話よ?私と主人は実は階級が全く違うのよ。私、貴女と同じメイドだったのよ」

「えぇっ⁉︎」


二人で声を上げる。驚きだった。纏う雰囲気は、ここを訪れるどの貴族にも負けないほど優雅で可憐な奥様。聞いてはいけないことを聞いてしまったような気分だった。


「驚くわよねぇ。主人のお義父様は、本当に厳しい方で。勘当寸前まで行ったのを、お義母様がなんとか説得してくださったの」

「馴れ初め話、初めて聴きました……」


彼女は唖然としている。自分だってそうしたい。でも、そんな場合ではないことも確かだ。


どうしたものか考えていると、奥様がこう続けた。


「その時の大変さは、私と主人の苦い思い出なの。同じ思いはして欲しくない、なんていう理由で、きっと主人は怒ると思うわ。でも、絶対に離れちゃ駄目よ。きっと後悔するから」

「……ありがとうございます」


お辞儀をする。彼女も慌てて僕に倣う。


「まぁ、この話は秘密にしておいてあげるわ。私も、主人に馴れ初め話をしてしまったなんて知れたらどうなるかわかったものじゃないもの」


冗談めかして奥様が言う。こんなに茶目っ気のある方だとは思っていなかった。


「サラのことは、エリナさんが看病してくれているから心配ないわ。失敗したことを恥じては駄目よ」

「はい、ありがとうございます」

「それじゃあ、後は若いお二人でっ」


まるでお見合いをする男女を二人きりにするときのような台詞。顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。


「戻らなきゃいけないね」

「そうだな……」


ずっと隠してきた秘密が知れてしまったというのに、なぜこんなに冷静でいられるのかはわからないけれど。


そこはもう、奥様に感謝するほかないと結論付けて、仕事に戻ることにした。





「……私お嬢様のお部屋に行ってきます」


たまたま休憩時間が重なった午後。二人きりで静かだった部屋に椅子を引く音が響く。


「行ってらっしゃい。きっと貴女なら大丈夫」

「そう信じる」


駆けていく彼女の髪が、窓から吹いた風に揺れる。


暖炉なんてすっかり必要なくなった午後。差し込む陽射しの暖かさが、きっと彼女の緊張を溶かしてくれる。


そうだといい。僕は優しく吹く風にそっと願った。



-執事さんとメイドさんの場合 fin.

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