流された雛 2014、卯月3日 旧ひな祭り、宛

 川の水が暖かくなってきた。また春が来たのだ。もう15年。川に積まれた石の隙間に入り、身動きが取れないまま、泳いでは過ぎる魚を隙間から眺めている。どんな大水も役に立たず、私を海まで運んではくれない。とりあえず役目は果たしたものの、木製の癖になかなか丈夫な体は腐りきってはくれず、こうして自我も残ったままだ。あの日に流されて以来、私はずっとここにいる。

あの日のことを、私は今でも覚えている。私は一人の女の子に出会ったのだ。十数年も前のことで、私も今よりはずっと幼かった。ゆかりちゃんは店頭に並んでいた私を懐疑かいぎと不安がい交ぜになった表情で見つめていた。

「ママ、これぇ?」

「そう、この子よ。いいから買ってらっしゃい。お金はさっき渡したでしょ?」

母親に促されるままにゆかりちゃんは私を手に取って店員に代金を払い、車に乗り、彼女は私を子供部屋に連れて行ったのだった。

ゆかりちゃんは私のことを何か異質なものだと感じていたようで、当時は私を遊びにはあまり誘ってくれなかった。だからいらないものだと思われてはいないか不安だった。窓際に四六時中置かれていた私は触られることもなく、毎日ゆかりちゃんが遊ぶ姿を何の気なしに眺めているだけだった。それでも異質だと思われるのは仕方のないことだというのは私が買われたその日のうちにわかっていた。周りには洋人形、つまりドールばかりであって、私だけが和人形だったからだ。仕方のない事だった。綺麗な金色で見栄えよく作られた髪型、整った顔立ちのドールに比べて、私は大きい頭に黒いおかっぱの髪が乗り、真紅で無地の着物を着ただけの姿。ゆかりちゃんの母親はどうして私を彼女のものに選んだのか、その時の私には全く見当がつかなかったし、彼女もきっとあまり私を好いてくれてはいなかっただろう。

私がゆかりちゃんと出会って何週間かすると、いくらか彼女の遊びにも参加させてくれるようになった。それでドールたちとの接点がつくられたわけだけれど、それは彼女がトイレや食事でいなくなる。すると私の不安と苦痛が濃くなるだけだった。ドール達は私を気にいる事は最後までなかった。

「ふふふ、ねえ、それって本当?」

「嘘に決まってるでしょう、本気にしちゃって。……ねえ、あなた」

「……なに?」

「気持ち悪いのよ。どっか行ってなさいよ。髪の色は黒いし、髪型も不格好だし。つい最近まで遊びにも入れてもらえなかったくせに、私たちと同じところに入って」

「でも……私、自分からじゃ動けないし……」

「そんなの解ってるわよ! まったく、張り合いもなくて面白くもない。なんでここにいるの? 本当、邪魔くさい」

「……」

おもちゃ箱に入れられているとドールたちが会話をしていたけれど、私はいつも仲間はずれにされたり、攻撃の的になるのが常だった。それでもゆかりちゃんは毎日ではないにしろ、何日かに一度くらいは遊んでくれた。いつもそれは他の国からやってきた客の役割だったけれど、いくらか彼女の役に立てていることも励ましになった。要するに、ゆかりちゃんは私にとって小さな救いの女神さまのような存在だったのだ。悩みの種は尽きなかったけれど、少なくとも「自分はいらない存在だ」というような、自分自身を否定する種類の悩みは感じる回数も必要も、次第に無くなっていた。

「ただいまー」

ある日、ゆかりちゃんはいつものように日が暮れる前に学校から帰ってきた。そしてまっすぐ子供部屋に入ってきてランドセルを置き、私だけを取り出して、部屋を出て行った。

私を一番に箱から出したのは初めてで、とっさのことでドール達も驚いた顔をしていた。 その時ドール達がどんなことを言ったのかは、とっさの出来事で気が動転していたのだろう、言われたこと自体は覚えているけれど、内容は記憶から抜け落ちてしまっている。

連れていかれたのは玄関先だった。彼女は私を下駄箱の上に置いて、こう言った。

「明日はね、3月3日で、ひな祭りなの! だから明日はあなたのお祝い! そしてこれから1か月、私についてくる厄を捕まえてほしいの!」

「ひな祭りは知ってるけど、ヤクって、なに?」

「悪いのっていうのは、ママが私についてくる悪いものって言ってた。でね、4月3日までそれを続けてほしいの! よろしくね!」

 かなり滅茶苦茶なもの言いだった。幼いが故に、致し方のないことだろう。

 思い返す今となってはそう考えることもできる。それでもあのときの私は、誰あろうゆかりちゃんが私に頼んでくれたのだからと引き受けることにした。

厄についてはいくらか理解はあった。人には必ず何か黒いモヤモヤとした何かがついていて、ゆかりちゃんにも当然存在していた。そしてそのモヤモヤは彼女に何か悪いことが起きる前触れとしてその姿を大きくし、彼女に悪い感情を呼び起こし原因となっていたのだった。私はそれを知って以来、厄というものに対しては知識が無かったが、ゆかりちゃんから伝えられるまでもなく、自発的にその厄を主にゆかりちゃんから、そして彼女の家族についている厄も、気が向いた時には前触れとして大きくなったものに限っては取り込み続けることにしていた。全てはゆかりちゃんのためであった。

 私が話したいのはそれ以降のことである。かといって多くを語るつもりもない。ひな祭りのときは少しだけ身の回りが華やかになっただけで、特に変わったこともなかったのでここでは割愛させてもらう。

 厄を取り込むというのは思いのほか重労働だった。厄を取り入れるほどに体が痛み、体の様々な部分が重くなるようだった。厄はいくらか成長をすると、成長した分を何かしらの出来事に変えることで人々に影響を及ぼしていたようだったが、私は人形で、人の厄は私にはそれ以上の問題を起こすことができないまま成長していった。次第に体が痛み、怠さのような重みを与えるようになった。それでも私はゆかりちゃんやその家族から厄を取り込み続けたため、私の中の何かが膨れ上がり、4月3日の前日には限界の一歩手前までになっていた。

 激しい痛みと体の重さに、取り込んだ厄の大きさを感じずにはいられなくなり、私は4月3日に日付が移ってすぐに自分の仕事を辞め、いくらか休むために目を閉じて意識を飛ばした。


 目が覚めると、私は河原にゆかりちゃんや彼女の友達と来ていた。それぞれの子供たちが私と同じような人形を抱えて小道を歩いている。感覚がはっきりせず、しばらくして周りを見回しても、ぼんやりとした世界がはっきりとすることはなかった。

「ねえ」

 そんなとき、人形の一人が私に話しかけてきた。

「ついさっき起きたみたいだけど、これから私たちが何をしなければいけないのか、あなた知ってる? 私は知ってるけど」

 その人形の彼女は私と同様に体調が悪いようだった。ただ、私よりもずっと軽いもののようだった。

「なにか……あるの?」

 私は話すだけでも体に響く辛さを耐えながら返事をした。

「4月3日は昔のひな祭りで、その時代では『ながびな』って呼ばれてたんですって。子供たちの身代わりに人形に厄を取り込ませて、川に流し、遠くへと厄を運んでもらう。今日、あなたもそのために連れられてきたの? それともただの散歩? ……ちょっと今のは嫌みっぽい言い方だったかしら」

「私、今日までこんなことしてもらったことなんてない。

もしかして、捨てられるの? それに、それは昔のことでしょう?」

 私は気を失いそうになっていた。それを察してかどうかはわからないけれど、彼女は単調に答えてくれた。

「このあたりの地域ではまだそれが続いているのよ。そして、私たちはそのために買われた人形たち。あなた、どうして自分が選ばれたのか、こんな地味な恰好なのか、考えたことは無かった? つまり、そういうことよ」

「そんな……お正月に出会ったばっかりなのに……」

「お正月? だからそんなに、私たちにしては綺麗なのね」

「それってどういう……」

「あなた、鏡を見たことないでしょう? 私たちの中で色のついた服を着て、ちゃんとした目があるのはあなただけよ。私はほら、ただの木偶でくが真っ白でホコリ臭い服を着てる。私を抱いてるこの子は一番安物の私を買ったあとに、鉛筆で書いてバランスの悪い目を入れてくれた。世界が見えるようになったのは、そのあと。

 でも、あなたは最初から世界を見ていて、無地でも染められた服を着て、うるしを塗られる前に書かれた目を持ってる。それってすごいアドバンテージよ?」

 彼女が私と同じように五体満足なのはわかっていたけれど、細かい部分は視界がぼやけて見ることができなかった。彼女がどんな姿をしているかは、想像するしかなかった。

「そう……なのかな」

「そうよ。でなきゃそんなにたくさんの厄を集められるわけがない。厄を取り込める限界を決めるのは人形の出来が7割、注がれた気持ちが3割なの。あなたは辛そうだけど、私から見れば、できる雛の証拠って感じがするもの」

 彼女は私よりも自分の置かれている立場を知っているようだった。

「まあ、これから一緒に流されていくことでしょうし、道中はよろしくね。ちょっと、大丈夫?」

 厄の成長が私の中で限界に限りなく近くなってきていたらしい。私は彼女の声を聴きながら失神した。


 また意識を取り戻したときには、私は既に幅の広い川の中に身を浮かべていた。厄は川の水に少しずつ溶け出し、黒い帯を引きながら次第に薄まっていく。それがはっきり見えたことで、私は厄が体から抜け出し、いくらか回復できたことを実感した。

「あら、起きたようね」

 すぐそばに気絶するまで話をしていた人形がいた。彼女の目は人のように丸みのあるものではなく、四角に目の輪郭を取られ、不器用な点が瞳になっていた。

「あなたがようやく起きたところで悪いけれど、私はもうすぐいなくなるわ。

見て。関節がもう限界なの」

 そう言われて彼女の体を見ると、手足を胴体とつないでいるひもの関節が擦り切れて毛羽立ち、繋いでいる残りの繊維は何とか目を凝らしてやっと見えるほどの頼りないものになっていた。

「手足が一つでもなくなれば、もう私たちは私たちでない何かに取って代わられる。そうして人形は死ぬの。心が消えてなくなってしまう。だから、それからの私に何が起こるかは知らないけれど、いいものであってくれるといいわね。ほら見て。子供たちが私たちに向かって小石を投げてる。あれが当たった時が、私の最期ね」

 そうして彼女は小さく私に笑いかけ。なかなか当たらないことでさらに躍起になりつつある川岸の子供たちを見ていた。

 自分の死を待つ彼女に何と声をかければいいのかわからず、私はただ仰向けになって流れるままに空を眺めていた。

 ひとりの少年が両の手の平いっぱいに小石を集め、それをまとめて投げたようだった。一度にたくさんの水しぶきが顔にかかり、一つは私の体に当たったようだったが、痛いとは感じなかった。

そのとき「じゃあね」という声が聞こえたような気がして隣を見ると、右の手足が取れた彼女の体から白い煙のようなものが幾筋いくすじにもなって昇り、互いに絡まりあいながら宙に薄れて消えていった。その後何度か声をかけてはみたものの返事はなく、私は寂しくなって泣いた。そして泣き疲れた後、何もすることがないことに気づいた。仰向けになって空を見上げながら、少しずつ色を薄めながら水の中へと消えていく厄が体を軽くしていくことを感じながら、ただ海へと向かう川の流れに身をゆだね続けた。

川が海に近くなってきたのか、川は浅くなり、幅はさらに広くなっていた。私は川辺に体を擦り付けながら流されていたのだけれど、大きな石を積み上げて護岸にしているところで石の隙間に入り込み、そのまま身動きが取れなくなってしまった。そうしてそのまま、光もろくに入らないここで、何の役に立つかもわからない考えを浮かべながら、何日も過ごすことしかできなくなった。




そうして長い月日が経った。もう彼女の関節は木材自体が腐ってもろくなっている。

幼い子供の声がする。積まれた石に閉じ込められた彼女の近くで網を持ち、石の隙間に逃げこんだ小魚を追って、ガチャガチャと網を無理に押し込もうとする音が聞こえる。ふと、その子供は積まれた石に入った彼女に気づき、手探りで出来るだけ奥の方をつかむと、丁寧に引き抜いた。

弱っていた関節は少年の努力と小さな手のおかげで崩れることは無く、五体満足で日の光を浴びることができた

「おねーちゃーん、おにんぎょー見つけたー」

 お姉ちゃんと呼ばれた女性はくわえ煙草で面倒そうな目をして少年に近づいていき、服も体も汚い茶色に染まり、そこかしこにフジツボが付いた人形を見て眉をしかめた。ただ少年にはとりあえず「かわいいね」と言ったようで、少年は女性に「あげる!」と言ってまた魚を捕りに戻っていった。女性は少年から目を離して何かを思い出そうとしているかのように目を細めて人形を見たが、記憶に該当するものは無いと結論したらしく、そのままそれを短くなった煙草と共に地面へ放り投げた。

「気持ち悪い」

と女性は一言こぼしてどちらも一緒に踏みにじり、人形の関節は崩れた。煙草は足と人形の隙間に潜り込んで消えず、白い煙を放ち続けていた。また女性を呼ぶ少年の声が聞こえる。

「おねーちゃーん。ゆかりおねーちゃーん」

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