あやかしさんと! ―花祭りの余韻に甘き棘、ちくり

あずみ

皐月〈前編〉


 市の多文化共生事業の啓発・推進係として、私こと可部かべ地御前じごぜんのセンターに出向になってから、1ヶ月と少し経ちました。

 上長であるセンター長は、事情がおありになって、まだ一度もこの職場にいらしたことがありません。

 でも、寂しい思いをすることはないのでした。

 お昼休憩の12時になると、センターのトイレから出て来て、お声掛けくださる方がいるのです。

 この職場で最初にできたお友達。トイレのあやかし、花子ちゃんです。


「あれ、可部さん、今日コンビニごはんじゃなくてお弁当なの? めずらしい」

「はい。実は、ゴールデンウィークに遊び過ぎて、お財布の中身が心許なくなってしまって……」

「あぁ。なるほどね」


 ロビーのソファに腰掛けて、組んだ足の上に頬杖をつく花子ちゃんは、小学生モデルのような、大変現代的で美しいビジュアルをしていらっしゃいます。

 あどけない小さなお顔に、八頭身のスタイル。長くて脂気のない髪をコテで巻いて、ボーダーのTシャツを肩に引っ掛けるように着こなして。白いショートパンツからすらりと伸びる脚は直視をためらう悩ましさ。

 完璧なスマイルで見つめられると、なんだか年上の方に正対しているような、妙な緊張に包まれてしまうのです。

 だって、恐らく、私よりもしっかりお化粧なさっていますよね? お上手ですしね!?

 ……まあ、もちろん花子ちゃんはあやかしさんなので、人型の見た目以上の年月を生きていらっしゃることとは思うのですが……ねぇ……。

 芋ですみません、という気後れを感じながら、私はダイソーで買ったチェックのお弁当袋から、以下同略なお弁当箱、お箸を取り出します。

 お弁当箱のふたを外すと、俵むすびと、卵焼き、からあげ、枝豆にウィンナー、ひじきという、ど定番な具たちが顔をのぞかせました。

 THE・保守・ばんざいです。


「可部さん、料理じょうずだね」

「ありがとうございます。花子ちゃん」


 少々照れくさいですけど、不器用なりに早起きしてつくったので、褒められると嬉しいものです。


「おむすびが二色だ」

「海苔で巻いた方は、『むさし』のおむすびリスペクトなのです。しょうゆダレと塩を手に塗りつけてから握ってみたのですよ……」


 もちろん、広島県民のこよなく愛する『むさし』の俵むすびが、ご家庭で簡単につくれてしまうわけはないので、リスペクトはあくまでリスペクト、なのです。

 しっとりかつ歯切れのいい海苔の強い甘みと、絶妙な塩加減、歯を立てるとほろほろと崩れて、だしとしょうゆの風味が追いかけてくるあの感じは、どうしようもなく真似できなくて、結局本物が食べたくなってお店に伺ってしまうこと多々、なのですが……。

 もう一種類のおむすびは、刻んだ広島菜と音戸おんどちりめんの混ぜご飯の俵むすびを、広島菜でくるんだもの。

 これは可部家の味です。

 しゃきしゃきした菜っ葉とカリカリのちりめんじゃこ。この歯ごたえと、噛めば噛むほど滲む旨味のマリアージュが、なかなかクセになるのです。


「花子ちゃんも、よろしければおひとつ、いかがですか?」

「ううん、いい。お腹すいてないから」

「そうですか……。あ、お菓子はいかがですか?」

「食べるー」


 あやかしさんは人間のように、定期的な栄養補給を必要とはされないようなのですが、お楽しみのために何かを召し上がることはまま、あるようです。

 私はお弁当を置くと、ゴールデンウィークのおみやげ……というにはいささか独自色のないそれを、広げたティッシュ三枚の上にざらざらとこぼしました。


「……わぁ」


 花子ちゃんの細い指先が、淡い藤色のお星様を摘まみ上げます。

 ロビーの白熱灯に透かすようにして、見つめる、その瞳は、本物のお星様の輝きのよう。

 甘い、甘い、こんぺいとう。

 お口に入れるとまた格別の幸せなのですが、花子ちゃんはそうしようとはせず、指先で転がして、パステルカラーを色ごとに分けてみたり、好きな色合いを隣り合わせてみたり。

 パズルに夢中になっているようなその様子は、何だか身に覚えのあるような。

 今どきの現代っ子だろうと、あやかしさんだろうと、小さな時の私と変わらないようなところを持ち合わせていらっしゃるのだなぁ、なんて、何となく感慨深いです。


「興味深い光景だ」


 ロビーに、学ラン姿で眼鏡をかけた狛犬こまいぬさんが見えたのは、12時を10分ほど回った頃合いでした。

 彼は、4月の件を受けた神鴉おがらすさんが、人妖友好を是としないあやかしさんがセンターを脅かすことがないよう、見張り番として派遣してくださるようになったものです。

 狛犬さんには、速谷はやたに神社の守護という大切なお仕事がありますから、と、たびたび辞退申し上げるのですが、そちらは双子の弟に任せてあるし神鴉様のご命令には絶対服従、と、にべもなくおっしゃられ、いつも強引に居座っておしまいになるのでした。

 とても勉強熱心な方で、センターのパソコン室に篭もっていらっしゃることが多いです。


「狛犬さん。お疲れ様です。……興味、とおっしゃいますと?」


 ぎくり、と内心のこわばりを感じながら、私は尋ねました。

 狛犬さんは、……悪い方ではないのですけれども。ちょっと独特の……個性を……お持ちの方なのです。


「いえ。些細な生活風景から、いっそわかりやすいほど、性格がわかるものだなと」

「とおっしゃいましても。花子ちゃんはあやかしさんですよ」

「そうよ。あんたに何がわかるって言うのよ」


 敵愾心を剥き出しにして言い放つ花子ちゃんに、狛犬さんは、くい、と眼鏡のフレームを押し上げて視線を向けました。

 そして成績優秀、文武両道といった感じの秀麗なお顔にほんのりの苦みを乗せて、おっしゃいます。


「呑気にくつろいでいる人の性格が。手に取るように伺えます。大雑把ざっぱとぶりっこ。相性は悪くないんでしょうね」

「…………!」


 思わず絶句してしまった私をよそに、花子ちゃんはゴングの音を聴いたかのように、威勢良く立ち上がりました。


「誰がぶりっこよ! 第一、それとっくに死語じゃないの!?」

「半世紀以上に渡り、自分のことを女児だと自称し、そう振る舞い続ける図々しさは、パワフルで前向きだと、プラスに言い換えることもできるでしょう。そうして欲しいですか?」

「はあ?」

「ああ、死語を使用したのは、今どきの言葉より伝わりやすいかと踏んで、敢えて、です。知っていますか? 最近ではロリババアという言葉があるようですが」

「うるさい、うるさい! 誰がババアよ! 私がババアなら、あんたなんて救いようがないくらいの老犬じゃないの」

「都市伝説レベルのあやかしふぜいと、尊き方にお仕えする身の寿命とを、同列に語られると、良い気はしませんね」

「うるさい神鴉様の犬のくせに! 先生、狛犬君が犬のくせに暴言吐くー! 上から目線むかつくー!」

「そういう作ったような声音がそもそも聞き苦しい……」

「聞き苦しいって言うな!」


 狛犬さんのオブラートを丸めて捨てたような物言いも、おふたりの口喧嘩も、最早センター名物。

 並んでいると、見目良い兄妹のように見えなくもないおふたりなのですが、そんなことを言えば、双方に厭がられてしまうでしょう。

 空気を読み、言葉を探しつつ、結局は沈黙を守っておりますと、


「可部さんも言い返そうよ! ほんと、失礼なんだから!」


 火の粉が飛んできます。

 実年齢はともかく、外見がひとりだけ成年の私は、見目がこどものおふたりと同じレベルで喧嘩に混ざることもできず、とりあえず、ティッシュに広げたこんぺいとうとともに、狛犬さんに空席をおすすめしました。


「まあまあ。喧嘩はほどほどになさって、おやつ、召し上がりませんか。狛犬さん。ゴールデンウィークにフラワーフェスティバルに行ってきたので、ささやかですがおみやげなのです」

「…………」

「詰め方が雑でセンスのかけらもないのは……お返しする言葉もないところですが。性分でいけませんね。嫁の貰い手がない、と、父や母によく言われます」


 「大雑把」とおっしゃった時の狛犬さんの視線は、こんぺいとうの入った、口を絞れる透明なビニール袋に向いていました。

 そもそも、祭りの屋台で売られてるこんぺいとうの量り売りは、器ごとに三、四色の同系色でまとめられ、『あじさい』『さくら草』『すずらん』『ふじ』『コスモス』『忘れな草』などと、風流な名前がついているものです。

 それをスプーンですくってグラムで買い求める仕様なのですが、今年の私は種類を絞らず、あらゆる色を袋の中に入れようと企んでしまったのです。

 こどもの時にはお小遣いの関係上、叶わなかった夢。

 それが、大人になったがゆえに、実行することができてしまいました。

 その結果、袋の中には、統一感なく色彩が混在することになり、美しいと言える見た目ではなくなってしまったのです。


 なので、狛犬さんのおっしゃりようも、一理あると言えばあるのでした。

 私はのんびりした口調で、笑顔で、ほんのり自虐を混じえつつ、肯定します。

 こいつとは争う価値もない、と相手に思わせることができれば、無用な衝突は、かなりの確率で避けられるものです。

 事なかれ主義は世界を救う……と良いのですが。


 しかし、狛犬さんには多少、釘を刺しておく必要も感じました。


「……でもね、狛犬さん。私が大雑把なのは本当のことですが、花子ちゃんはぶりっこなんかじゃありませんよ。外見も性格も、ぴかぴかに可愛らしいお嬢さんです。ぜひ、その部分だけは謝ってください」

「見た目どうこうではなく、実年齢を考えろ、と言いたいんですが」

「花子ちゃんは、ずっと学校で児童さん達と過ごしていたのですから、姿も心も、女児であり続けるのは必然のことだと思います。それを外部の常識でとやかく言うのは、ナンセンスというものですよ。自分の常識との差異を殊更に言いつのって、相手に自分を責めさせるように仕向けるなんて、徳のある振る舞いとは思えません」

「…………」

「尊き方にお仕えする、土地の名前と歴史を背負う。狛犬さんは、そういうあやかしさんだからこそ、万人に敬われるような品性や優しさをお持ちにならなければ……。勝手な希望のようですけれども、お姿が常に見え、言葉を扱われる存在になった上は、それらをもって御心と推測するように、人は出来ているのですから。……あの、これも外側から、人間の常識と都合からの話で、恐縮なんですけれど」


 盛大なブーメランだなぁ、と、喋りながら自分にあきれかえってしまうのです。

 あやかしさんにはあやかしさんの常識、あやかしさんなりのお付き合い方法があって、それはきっと、長い歴史や文化の中で必然があって、その形を取ったものです。

 本来は、私などがお説教して良いわけはないのでした。

 立場で相手を見下す、だとか、わざと相手が傷つくような表現を選ぶ、みたいなことに抵抗を感じてしまうのは、私が人間で、日本人で、平成の世に生まれて、教育によって思考を形作られた結果だ、というのは、重々承知しております。

 ただ、あやかしさんは、圧倒的に相互コミュニケーションの下地がありません。

 宮島組など少ない例外を除いて、ずっとバラバラの場所で生活しており、あやかしさん同士で助け合うことも、仲間うちで集まって会話することも、ほとんどなかったようなのです。


 人間を脅かす以外の目的で、言葉を用いることをしてこなかった、あやかしさん。

 思い切りぶつかったら痛い、だとか、人を傷つけたら自分もしっぺ返しをくう、なんてことをまだご存知ない、単なるコミュニケーション初心者のようにも見えるのです。

 人間は、そこに関しては、少なくとも、一日の長がある筈です。

 言葉遣いひとつ、思いやりひとつで避けられたかもしれない衝突を、たくさんの人のたくさんの失敗を、はたまた取り返しのつかない事態をすら、知っているから。

 余計なこととは知りながら、何か、申し上げたい……。

 とは思うのですが。難しいものです。


「やーいやーい。怒られた。んべー」

「可部さん。見てください。花子のこの小憎らしい面。ぼくだけ徳を求められるの不公平じゃないですか?」

「うっ……」

「こいつ、傷ついてなんかいやしません。振りだけですよ」

「そんなことない! ばーか、乙女は繊細なんだから傷つくに決まってんじゃん、ばか犬っ」

「ほら、これだけ言い返してくるんですよ。お咎めなしですか? ぼくだけ差別してないですか?」 

「花子ちゃん。ばか、なんて言ってはいけませんよ」

「何で?」

「何でも、です。言われた方は悲しいですから」


 何だか学校の先生になった気がして、どっと疲れを感じます。

 私達大人は、今、当たり前だと思っていることを、誰に、どう教わって呑み込んできたのでしたっけ……。

 進路は公務員に絞ったので、教員免許は取らなかったのですが、こんなことになると知っていたら取っておいた方が良かったかも。

 そんな、詮ない後悔に駆られます。


 ちょっぴりつらい時間を終わらせてくれたのは、ロビー横の自動ドアが開く音と、一迅の風のように入って来られた、神鴉さんのお姿でした。


「こんにちは。丁度お昼どきにかぶってしまいましたね。すみません」

「神鴉さん。こんにちは」

「どうぞ、お楽になさったままで。近くまで寄ったのと、空き時間ができたので、図書を閲覧させて頂こうと思っただけなのです」

「もちろん、どうぞお使いください。あ、図書室は飲食禁止なのですが、これ、ゴールデンウィークのおみやげです。お邪魔でしたら、お帰りの際に」


 神鴉さんのご登場とともに、狛犬さんと花子ちゃんはぴたりと口喧嘩を止め、お行儀良く背筋を伸ばして、良い子になってくれました。

 感謝しながら、ティッシュペーパーに包んだこんぺいとうをお渡しすると、神鴉さんはこちらが恐縮するくらい心の篭もった、優雅なお辞儀をしてくださいます。

 ああ、こんな、数粒で、そんな。


「ありがとうございます。こんぺいとうは天狗の好物なので、喜ぶでしょう。しかし、今のお若い方もまだこのようなものを召し上がっていらっしゃるんですね」

「確かに、普段はあまり求める機会もないのですが。お祭りの屋台で見かけて、つい……」

「祭りですか」

「はい。連休中、フラワーフェスティバルに行ってまいりました。実は、こどもの頃から、毎年欠かさず行っているのです。県民としては、FFテーマソングの『花ぐるま』を聴かないと5月が始まらないところがあると言いますか……」


 フラワーフェスティバルは毎年5月3・4・5日に行われる、広島県最大級、ゴールデンウィークに絞れば、全国トップ3に入る人出を誇る祭典と言われています。

 1000m以上に及ぶ平和大通りを、100近くのパレード団体や花車、バトントワラーやYOSAKOIパフォーマー達が練り歩き、周囲の緑地帯や平和公園敷地内にお花と屋台、30近くのステージが設けられ、連休中、笑い声と音楽が絶えることはありません。

 8月6日の平和記念式典を『静』の式典、フラワーフェスティバルを『動』の祭典と言う向きもあるようです。

 どちらも、広島で生まれ育った者にとっては、記憶の深いところに根差した、特別な日であるのでした。


「へえ……それほどまでに思い入れのある……。さぞや、良い祭りなのでしょうね」

「大変賑やかなので、神鴉さんのお好みに合うかはわかりませんが。でも、もしご興味がありましたら、来年はぜひ、あやかしの皆さんをお誘いさせてください」

「それは楽しみです」


 神鴉さんはにこやかに応じてくださった後、会釈して、階段奥の図書室の方へ向かわれました。

 その直後のことです。


 ぴしゃん。


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