思い違い

襲撃と娼館のぼや騒ぎ、そして誰も知らぬ殺人が起きた翌日。

日は再び山脈の彼方へ沈みかけていた。

ナーベラル・ガンマは焦っていた。

至高の御方は囮捜査という名目で街中を歩くよう命じ、彼女は朝からエ・ランテル中を歩き回って襲撃を待った。彼女からすればゴミ同然の商品を扱う店や酒場にも入り、挙句の果てにソリュシャンから「無防備な状態になれば襲ってくるかも」という暗殺者なりのアドバイスを受けてこの街の公衆浴場さえ利用した。

成果はゼロ。

無駄骨だった。

囮捜査を命じられたからにはその役をこなす事こそ務めと思っていたが、昼を過ぎた頃から自分は思い違いをしてるのではと考え始めた。

(このまま歩き回るだけでいいの?アインズ様は独自に捜査することがあると仰っていた。すでに犯人の目星がついておられるのだわ……。私がアインズ様のお考えに追いつき、何か提言するのを待っておられるのでは?)

ナーベラルはそんな焦りと不安から必死に考えていた。

自分と交際したいとほざく貴族うんぬんの話はやはり関係がないと今では思っている。となると、自分がらみで起きた他の出来事といえば娼館のあれくらいだ。(館の連中を皆殺しにしたい欲求を抑えつつ)あの一件が自分の暗殺と結びつくかを彼女は考えたが、これも見当がつかなかった。

(あの2つは無関係で他に目を向けるべき?でも、何を手がかりに……)

彼女に焦りと困惑が募ってゆく最中、後ろから誰か近づいてくる足音がした。

やっと釣れたか。

彼女はそう思って迎撃の準備をする。

今度こそ自決させないし、逃亡も許さない。

足音は彼女のすぐ後ろまでやってきた。

「あの、ナー……うあああああ!待ってください!」

魔法のターゲッティングをされて小柄の男は慌てた。

「誰?何の用?」

ナーベラルは攻撃態勢のまま聞いた。

先制攻撃をぎりぎりで踏みとどまったのは午前中に身の程知らずの旅行者が話しかけて来たのを勘違いして騒ぎになったためだ。

「僕です!シュラです!昨日、衛兵に状況を話せと貴女に言われた!覚えてないんですか?」

「……ああ、あのワーカーね。で?」

彼女は相手の正体がわかったが、友好的になるはずもない。

「お伝えしたいことがあります。お役に立てばいいんですが……」

彼はきょろきょろ周囲を見てから小声になった。

「襲撃者に魔術師が一人いましたよね?今日になって思い出したんですが、彼と似た人を以前に見た気がするんです」

「……どこで?」

突然やってきた手がかりに彼女は一瞬「都合が良すぎる」と思ったが、この3人が無関係であることは昨日の会話から確定している。聞く価値はあると考えた。

「あの、似てるだけで断言できませんよ?相手が相手なので間違ってたらまずいんです。あくまで似てる気がするってレベルの話で……」

「早く言いなさい、アメンボ。殺すわよ」

ナーベラルは早くも忍耐の限界を迎えた。

「は、はい!間違ってたら本当に申し訳ないんですが、ヒムナル様の屋敷で見たんです」

「誰?」

彼女がまったく知らない名前だった。

「え?知らないんですか?ここの大隊を指揮してるヒムナル様ですよ」

彼の話を要約するとこうだった。

一週間ほど前に大隊長の屋敷を通りかかった彼は魔術師の格好をした男がそこから出てくるのを目撃し、この町では見慣れない同業者だったので不思議に思っていた。その男の顔が襲撃者の魔術師と似ているというのだ。

(兵の指揮官?偽装した二人はそいつから鎧を提供された?可能性はあるわね……)

ナーベラルは相手の話したことを咀嚼する。

この人間の言うことが事実ならヒムナルとやらが敵の仲間であり、捕まえて情報を引き出せばよい。

「そいつの屋敷はどこ?」

「まさか……行く気ですか?」

「どうでもいいでしょう。早く教えなさい。強制的に聞き出してもいいのよ?」

彼女は半ば脅迫して屋敷の場所を聞きだし、そちらの方向へ歩き出す。

「お気をつけて……」

シュラという魔術師の言葉はナーベラルの背中に当たってかき消えた。



大隊の指揮官ともなれば現場上がりの兵卒では届かない地位である。

大隊長ヒムナルの屋敷は高級住宅街にふさわしい豪勢なものだった。軍人はその給与を全て貯蓄してしまう者もいるが、庭の彫像などを見るとヒムナルという男は勤倹尚武というわけではないらしい。

ナーベラルがシャドウデーモンを先行させたところ、ヒムナルらしき男は在宅中であり、他には家族と使用人たち、そして警備兵が二名いた。不審な武装集団をかくまっていれば話は早いが、そんな様子はない。

「……なるほど。で、どうするつもりだ?」

魔法越しにアインズは聞いた。

ナーベラルは自分なりに考えた作戦を勇気を出して口にする。

「昨日の襲撃について意見を聞きたいという口実で会いに行きます。敵の一味なら私が来たことで動揺し、何らかの反応があるでしょう。シャドウデーモンにそれを観察させます」

「お前にしては回りくどいやり方だな。忍び込んでそいつを魔法で尋問しないのか?」

「それも考えましたが……」

ナーベラルも本当はそうしたかった。

しかし、今回の話がただの勘違いで、大隊長を尋問してシロだった場合は至高の御方が出向いて相手の記憶を消す必要がある。独自に捜査中という偉大なる御方の手を煩わせるのは最後の手段にしたかった。

「確度の低い情報ですので、今はこれでよいかと」

「そうか……。まあ、やってみろ」

「はっ!」

作戦に許可が出たことでナーベラルは安堵した。



「め、面会のご予約はございますか……?」

警備兵は恐る恐る聞いた。

「ないわ」

平然と言うナーベラルに彼は閉口したが、しばしお待ちを、と言って屋敷へ入り、しばらく経つと白髪の使用人がやってきた。

「旦那様がお会いになるそうです。ですが、腰の剣をお預かりさせて頂くことは可能でしょうか?貴女様のご高名は重々承知しておりますが、当家の規則となっておりますので」

腰を低くして頼まれてナーベラルは一瞬苛立ちを感じたが、剣くらいなら問題ないだろうと判断した。

「気をつけて保管しなさい。大事なものよ」

「もちろんでございます」

使用人に案内され、ナーベラルは応接間へ赴く。

「しばしお待ちください。旦那様は身支度を整えております」

細かな細工を施した調度品に囲まれ、恍惚となった接客女中に出された飲み物に手をつけないまま彼女は待つ。

(シャドウデーモンから連絡がないということは今のところ怪しい行動はないということ……)

自分が出て行ったあとで誰かに連絡する可能性もあるが、やはりあの魔術師ゴミムシの勘違いだったのでは。ナーベラルはそう思い始め、小柄の魔術師に殺意が沸く。

その時、扉が開いた。

ひょこっと頭を出したのは大隊長、ではなく5歳ほどの男の子だった。

彼女を見てにっこりと笑う。

人間なら愛らしいと思うだろうが、ナーベラルはただイラつくだけだ。

「何?」

消えろ、と彼女は言おうとしたが、子供はたたっとテーブルの向かい側へやってきて片手を上げた。

その手には白い筒が握られている。

片端には紐がついていた。

ナーベラルはその道具を見たことがあった。

殺戮の道具に少年は手をかける。

「っ――!」

彼女は一瞬の中で考えた。

(魔法で拘束――間に合う?――対策されてたら――剣で腕を斬り落――)

彼女はさきほど使用人に何を預けたのか思い出す。

少年が紐を引く直前、彼女は転移した。



部屋のあちこちからぽつぽつと雫が落ちる。

一度氷結した天井や調度品が再び溶け始めているからだ。

その中で同じように手からぽたぽたと雫を垂らす人形のようなものがあった。

かつて子供だったモノだ。

「錬金術師が作る氷結爆弾にここまで威力はありません。魔法をかけて強化したのでしょう」

検証した兵士は言った。

「そう……」

どうでもいいと思いながらナーベラルは答えた。

すでに日は暮れているが魔法の照明のおかげで高級住宅街は明るさを保っている。大隊長の屋敷には大勢の兵士がやってきて屋敷の者たちを事情聴取していた。

アインズはとりあえず兵の取調べに応じろと命じた。大隊指揮官の息子を殺害したと思われかねない状況だったからだ。幸い、名声を高めたおかげで兵士たちは彼女を疑う様子はなく、むしろ情報を提供してくれる。

(どういうことなの?)

ナーベラルは途方にくれる思いだった。

転移直後に彼女は問答無用でヒムナルに魔法をかけて尋問した。もはやクロ確定だと思ったからである。しかし、シャドウデーモンが不審な行動を発見できなかったことが示すように彼はシロだった。昨日の襲撃もさきほどの攻撃もまったく知らないと言った。使用人と警備兵もまた同様であった。

子供はおそらく魅了にかけられていたのだろうと彼女は考える。幼い人間なら自殺的な行動も簡単な嘘で誘導できる。しかし、屋敷のものが全員シロなら誰が子供に魅了をかけ、特殊な錬金術武器を渡したのか。

(私は何かを見落としてる。でも、何を……)

彼女がそう思ったとき、女の悲鳴が上がった。

見ると部屋に入ってきたばかりの女が凍った死体にすがりついて泣いていた。おそらく母親なのだろう。神官が彼女を慰め、その隣では男がうなだれている。彼がヒムナル大隊長だった。

神官は死体の前に座ると治療とは別の祈りを捧げ始めた。


偉大なる神々よ、彼の魂をお導きください。

かの地で安息と安寧をお与えください。

この地で最後までお仕えし、息絶えた者が救済されることをお許しください。


それは違うだろう、とナーベラルは思った。

お前たちに神はいない。

なにしろお前たちは神の顔も名前も知らないのだから。

虫と同じように繁殖するだけだ。

虫なら私たちに踏まれないことでも祈ればいい。

不快さが増してゆく中で脳内に声が響いた。

「ナーベラル、答えなくていいからそのまま聞け」

彼女にとって神の声そのものだった。

周りの目も気にせず、片膝をついて傾聴する。

「お前に情報提供した奴だが本当に敵の仲間ではないのか?もう一度だけ考えてみてくれ」

アインズはそれだけ言って魔法を解除した。

ナーベラルはすぐさま不安になった。

彼女もあの魔術師に誘導された可能性はすぐに考えた。

というより、それがもっとも納得できる答えだ。

しかし、3人が敵の仲間なら昨日襲撃後に話していたことと矛盾する。

「襲撃の犯人は誰か」などと会話するはずがない。

(でも、アインズ様がそう仰ったということは私が間違っているのよ。あの3人は…………3人?)

彼女は唖然とした。

自分は何を間違えていたのか。

「救いようのない愚か者ね……」

周囲はナーベラルの言葉を聞いたが、その意味を問うことはできなかった。

直後に彼女が転移したからだ。



ナーベラルはドアノブを掴む。

鍵がかかっていたが、腕力でこじ開けた。

シャドウデーモンが先行し、部屋がどういう状況かは確認済みだ。

中に入ると血の匂い。

短髪の男と筋肉質の大男が床で絶命していた。

「情報は残さないというわけね……」

怒りと殺意の詰まった声。

単純なことだった。

彼らは襲撃の犯人は誰だろうと話し合ったのだから演技でもない限り3人は犯人の一味ではない。3人全員ならそう考えてよい。

1人だった。

ワーカーのうち無関係だったのは2人だけ。

あの男がこの街に潜むスリーパー。それだけの話だった。

(あの時、魅了をかけていれば……)

ナーベラルは最後に話した時の顔を思い出し、苦しめて殺す方法を何通りか考えた。

「当然だが、逃げていたな」

転移してきたアインズを見て彼女は跪く。

「申し訳ありません!私が愚かな思い違いをしたばかりに!」

額を床につけ、謝罪するナーベラル。

死を命じられれば躊躇なく実行するつもりだ。

自分でも自分が許せなかった。

「よい。謝罪よりこれからどうするかを考えるべきだろう?」

アインズの声に怒りはない。

それが返って恐ろしかった。

「はっ!奴の顔をはっきりと見ているので――」

「ロケートクリーチャーだな?それしかない」

アインズは先を続けた。

生物探知の魔法、ロケートクリーチャー。

ロケートオブジェクトが物品を探知できるのに対してこちらは知っている生物の位置を探知できる。うろ覚えでは使えず、ンフィーレアの時は髪のせいで顔全体が見えないという特殊な事情があったため使えなかったが、今回は使用可能だ。

アインズは巻物を取り出し、ナーベラルに渡す。

彼女はそれを受け取り、少し待つ。

アインズは立ったまま動かない。

「アインズ様、探知魔法へのカウンター対策もするのでは?」

「ちゃんと覚えているようだな」

アインズは満足したように言い、それらの巻物を取り出し始めた。

ンフィーレアの一件とほとんど同じ手順を彼女は繰り返すと最後にロケートクリーチャーを使用する。

「ここは……地下下水道のようです」

クリスタルモニターに映った男を見てナーベラルは言った。

「そうだな……街の外に逃げたと思ったが……ふむ……」

アインズはしばらく沈黙した。

「ああ」

アインズは何かを納得し、うなずく。

「ナーベラル、こいつがここにいる目的はなんだと思う?」

「罠です。探知されるのを見越したうえで私を誘い出そうとしているのだと思います」

「だろうな」

アインズもすぐ同意し、彼女は安堵する。

今までの襲撃と同じだ。待ち伏せし、罠を仕掛け、殺す。

ナーベラルもこれだけ繰り返されれば気づく。

「罠なのだから本来は入らないのが一番だが、これをお前への試験にしたい。ナーベラル、お前は罠を打ち破ってこいつを捕獲することができるか?」

試されているとナーベラルは信じた。

「……はい」

彼女は少し考えて覚悟を決める。

罠を看破し、敵を自決させずに捕獲する。

得意分野ではないが、困難という程度で怖気づくナーベラルではない。

この程度もできないなら死ぬべきだと思った。

「可能です、アインズ様。必ずやこの羽虫を生け捕りにしてご覧に入れます」

「一応聞かせてくれ。どんな手段をとるつもりだ?」

「はっ!念のために―――」

彼女はたった一人の人間相手に普段なら決して使わない方法を伝えた。

臆病とさえいえる手段だ。

「お前にしてはずいぶん慎重だな」

「まずいでしょうか?」

「いいや、少しも悪くないぞ」

アインズは嬉しそうに言った。

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