待ち伏せ

「支配人ーー!!」

従業員はドアを殴るようにノックし、呼び立てられた彼は気を悪くした。

机の上に金貨と銀貨を並べ、売り上げを集計している最中だった。

高級娼館「紫の秘薬館」の経営者兼支配人の男はこの時間に邪魔されるのを最も嫌う。

「どうした?」

ドアを開けもせず彼は尋ねる。

酔漢が暴れているか、あるいは衛兵の抜き打ち調査か。

娼館の従業員が血相を変える時はその2つと相場が決まっている。

「い、い、い、いらっしゃいました!」

「誰がだ?」

やはり衛兵か。調べられる前に時間を稼がねば、と彼は思う。

「ナ、ナーベ様です!最高位冒険者!漆黒のモモン殿の相棒ナーベ様です!」

彼がその言葉を理解するのに3秒ほどかかった。

ジャラララ、と金銀の硬貨が床に落ちる。

「なんだと!」

ドアが勢いよく開き、従業員の顔を打った。

「ぐあっ!」

「ばれたか?ばれたのか?」

悶絶する男に彼は小声で問い詰める。

すべての終わりがやって来たと思ったのだ。

先週、今週と売り上げの最高記録を更新し、ライバル店に差をつけたという達成感が吹き飛んでいた。

「ち、違います……!部屋を貸し出していたのがばれたらしく、そこを調べたいと仰ってます!」

「部屋だと?」

支配人はすぐに何のことか思い出した。

都市内では正規の宿以外は異邦人を宿泊させる商売をしてはならない。宿の質を維持する目的もあるが、よその厄介者や犯罪者を住み着かせないためだ。この娼館は正規の宿ではないが、金さえ払えば1日か2日程度の宿泊を許し、昨日も一人の男を泊まらせていた。

「あいつか。じゃあ、あれはばれてないのか?」

「そ、そうみたいです……」

経営者は安堵した。

(あの客がなにかやったのか?仮眠を取らせていたって建前だが、通じないよな……)

法律上ぎりぎりの言い訳を作っておいた彼だが、相手が相手なので大人しく要求を飲んだほうがいいと即座に判断する。

従業員を連れて1階へ降りると黒い瞳が彼を射抜くように見た。

噂どおりの天上の美貌。そして不似合いな魔術師の格好。

彼女から離れた位置に何人かの娼婦たちがおり、怯えた目で彼を見ている。

(わかってる!お前らは何もしゃべるな!)

支配人は目でそう言い、突然の訪問者に愛想よく話しかけた。

「これはこれは。当店の部屋を確認なさりたいとのことですが?」

支配人は精一杯の努力で笑顔を作った。

ここは荒くれ者や貧乏人が来られる場所ではないが、身の程知らずの客は珍しくない。対応するのは慣れているが、今日ばかりは肝が冷えた。

「一番奥の部屋よ。言っている意味はわかるでしょう?見せなさい」

美姫は高々に命令した。

やはり違法なことをしていると承知しているらしく、支配人は全面降伏を決めた。数日の営業停止処分をくらうだろうが、それくらいは許容範囲だ。

「承知致しました。我々も美姫ナーベ様を謀るほど愚かではございません。こちらです……」

支配人は彼女を伴って謎の男の借り部屋へ歩く。

「昨日、部屋を貸してくれと頼まれました。今は留守です。というか、『決して中を消して覗くな。掃除も不要だ』と言って一度出かけたきり戻らないのです」

「どんな客だったの?」

「髭を生やした中年の男です。服装はよくある旅人という感じでした」

「名前は?」

「名乗りませんでした」

「っ……」

ナーベラルの舌打ちが小さく響く。

部屋の前に立つとついてきた従業員が鍵束を取り出し、その一つで扉を開けた。

中には闇が詰まっていた。

「おい、明かりを持って……」

彼がそう言い終える前にナーベラルは躊躇なく闇の中へ入っていった。

残った支配人たちは怪訝な顔を見合わせる。

1秒、2秒、3秒。

4秒後に闇から紅蓮の炎が吹き出した。

「うわああああ!」

「熱ううう!み、水だ!水を持ってこい!」

支配人の命令も従業員たちの反応も早かった。

店舗が密集する都市において失火は重罪。こういう事態に備えて水を張った甕や桶を置いている建物は多く、この館にもある。

しかし、従業員たちがそれらを持ってくる前に部屋の炎は奇術のごとく消え失せた。

煙がくすぶる闇から出てきたのは煤一つない美姫だった。

黄金と宝石でできたものにしか触れたことがないと思わせるほど美しい指は不気味な黒い指輪をつまんでいる。

「だ、大丈夫ですか、ナーベ様?」

「何が?」

「何がって……」

聞き返されて支配人はどう答えたものかわからなかった。

「じゃあ、最後に確かめるわね」

何を、と彼が聞き返すことはできなかった。


人間種魅了チャームパーソン


ナーベラル・ガンマは魅了をかけて支配人を尋問する。

本来なら一般市民に魔法をかけてはならないと命じられているが、今回は後ろ暗い事をしている連中なので衛兵に訴えることはないだろうと至高の御方から許可が出ている(都市の宿泊営業法について彼女はあまり理解していないが)。

わざとらしい愛想笑いをする毛虫のような男たちと白い蛾のような女たちの住む小屋。こんな不愉快な所は用がなければ立ち入りたくもなかった。

ここに来た理由はロケートオブジェクトによって指輪を発見したからだ。

「この部屋を借りた男について何か隠してない?実はあなたが殺し屋の一味だとか?」

それならここにいる人間たちは全員ナザリックの拷問室送りだ。

ナーベラルはそうなることを期待した。

「……いいえ、お答えしたことしか知りません」

相手は目をとろんとさせて答えた。

残念だと感じながら彼女は立ち去ろうとする。

もはやこんな不快な場所に一秒もいたくない。

彼女が歩くと何事かと集まっていた娼婦たちは「ひっ」と声を上げ、道を開ける。

その怯えに少しだけナーベラルは気分がよくなる。

人間から羨望や嫉妬を浴びることが多いが、この反応こそお似合いだ。

しかし、廊下をしばらく進んだ時、彼女は歩みを止めた。

(この蛾たち……どうして私から目を反らすの?)

ここまで怯えさせる理由に心当たりがないことに彼女はやっと気づいた。まるで後ろめたい事でもあるかのようだと。

「そこのあなた」

彼女は支配人を呼んだ。

「……はい、なんでしょうか?」

「なぜ彼女たちは私から目を反らすの?隠してることがあったら全て話しなさい」

その言葉で娼婦たちの顔に死相が出た。

「……はい。仕事で"幻惑の粉"を使っていることを貴女に知られたらまずいからです」

支配人はすらすらと話し始めた。

「幻惑の粉?」

幻影を作って姿を偽る魔法をこめたマジックアイテム。

それはナーベラルも知っている。

「……はい。犯罪に使われる危険があるので作製と所持が規制されています。これを使ってお客の望む姿に偽ることで彼女たちは倍の料金を貰っています」

娼婦たちの体が震え始めた。

対してナーベラルは困惑したままだ。

(犯罪だから隠した?でも、なぜ私にばれたら困るの……?)

彼女の中で疑問が渦を巻く。

その渦はぐるぐると動き、泥のような困惑に理解の光が差し込んだ。

「あなたたち……」

氷結地獄の底から響くような声がして周囲の娼婦たちは数歩下がった。

「まさかと思うけど……私の姿は使ってないわよね?」

沈黙がその場所を支配した。

「使ってないわよね?」

もう一度言われて女たちは目配せしあう。

そうだと言え。

誰でもいいから言え。

生き残るために。

それができないのは魅了を使われるとわかっているからだ。

「……あなた、どうなの?」

氷の声が魅了状態の男に向けられた。

「……はい。よく使います。貴女は需要が一番高いですから」

娼婦たちは心の底から支配人を殺したいと思った。

「ち、違うんです!」

「私たちはやりたくなかったわ!」

「支配人に命令されて仕方なかったんです!」

彼女たちは生き延びるために必死に自己弁護する。

実際は給与が上がって喜んだし、富も名声も何もかも所有している贅沢な女をこっそり利用してやることに喜悦を感じることもあったが、それは拷問されても言わないだろう。

「もういい……喋るな……」

ナーベラルの両の手と床の間に白い稲妻が走った。

空気がパチパチと弾け、突風が吹き荒れる。

「ひいいいいいいい!」

「ごめんなさい!」

「許してください!もうしませんから!」

いくつもの悲鳴が風に乗った。

対してナーベラル・ガンマもまた必死に理性と憎悪が戦っていた。このまま激情にかられ、第8位階の魔法で建物ごと消滅させることがまずいのは彼女もわかる。それでも憎悪に援軍が加わり続け、理性の敗色が濃くなった。

このまま激情にかられて皆殺し。

ナーベラルのミスに新たな項目が加わる。

そうなる直前、がしゃりと鎧の音が響いた。

「やめろ、ナーベ」

重厚な声は決して大きくなかったが、悲鳴と雷鳴を塗り潰した。

誰の到着であるか皆が理解した。

ナーベラルも即座に魔法を解除する。

「……畏まり……ました」

血を吐くような懊悩が混ざった声だった。

「どれだけ不愉快かつ理不尽であろうと法は法だ。それはお前たちにもいえる」

黒き鎧の偉丈夫はあたかも一城の支配者ロード・オブ・ア・キャッスルが臣下を戒めるように言った。

「それを破るなら相応の覚悟をしろ。お前たちが違法な商品を使ったことと一人の魔術師の名誉を傷つけたことは報告しておく」

彼はそれだけ言うとナーベラルを連れて退出した。

間違いなく殺されると思っていた女たちはその場にへたり込み、立っているのは魅了効果が継続中の支配人だけだった。



紫の秘薬館からは一瞬炎が上がり、少し間をおいて白い稲光が現れた。

歓楽街でそんなことが起きれば周囲に人だかりができるのは当然だ。

その館から誰もが知る最高位冒険者チームが出てくると驚きの声が上がり、群衆の中から一人の男がその場を離れた。

彼はしばらく歩くと脇道に入り、誰もいないことを確認すると伝言の魔法を使った。

「こちら赤の二番。犬は罠から抜けました」

「そうか」

彼だけに聞こえる声はやはりなと付け加え、それが彼を驚かせた。

「予想されていたのですか?」

「相手は人類最強の一角だぞ。こちらが指輪の探知を予想するように、むこうは罠を張っていると予想する。すでに6人死んだ。俺やお前も死ぬかもしれん。それ自体は構わんが任務は果たせないのは困る」

魔法で会話する相手もまた首領に忠誠を誓っていた。

彼らは全員そうだった。

「恐ろしい敵ですね」

赤の二番は生涯で最大の仕事になると確信した。

モモンとナーベの功績はとてつもないものばかりだ。その一つであるズーラーノーンの討伐では誘拐された市民の救助があまりに早く、ナーベがなんらかの探知魔法を使えると首領は予想した。最初の襲撃班に指輪を持たせたのはそれを見越したうえでの二次作戦だった。

彼は部屋に罠を仕掛け、能力の全てを注いで隠蔽したつもりだったがナーベには見破られてしまったらしい。

「お前は待機だ。指示以外の行動をとった場合は裏切ったとみなす。いいな?」

「はい」

男は魔法を終了するとセーフハウスに戻ろうとする。

その時だった。

顎に焼けた鉄を突き刺されたような痛み。

ぎゃあ、と彼は叫ぼうとするが声は出なかった。


人間種支配ドミネイトパーソン


激痛に包まれながらも彼は静寂と支配の魔法をかけられたことを理解する。一瞬の呪文抵抗さえ許されない速度だった。

「ようやく一人生け捕りにできた」

不可視の敵は嬉しそうに言った。

「これが歯に仕込んだ毒薬か。ほほう」

空中に浮いているのは彼の下あごだった。

とてつもない力で毟り取られたのだ。

「罠を張って首尾を見届けるのはいいが、ナーベラルが出てきた瞬間に立ち去ったのがまずかったな。空から見ていてお前だけ動きが不自然だった」

(誰だ……こんな奴が仲間にいたのか……)

彼は後悔するも手遅れだった。

モモンとナーベ。その二人に視線を気取られないようにしたが、別働隊、それも超一級の魔術師がいたことは想定外だった。誘導したつもりが逆に利用されてしまったのだ。

「さて、お前はナーベを襲った連中の一味だな?」

その質問に彼は答えられない。

「あっ、怪我を治さないと喋れないよな。静寂も解かないと」

不可視の相手は持っていた下あごを粉砕すると何かを彼に振り掛ける。

激痛が消えたことで治癒ポーションだと理解した。

「さあ、お前はナーベを襲った連中の仲間だろう?」

「はい」

彼の口は意志と無関係に動いた。

「よしよし。で、お前たちはなぜナーベを狙う?」

「知りません。任務の理由は常に伏せられています」

「リーダーは誰だ?」

「首領です」

「首領の名前は?どんなやつだ?」

「名前はなく、私たちは首領としか呼びません。顔や素性も一切知りません」

「なぜそんな奴の下で働く?お前はどういう人間なんだ?」

相手は困惑しているようだ。

「私たちは元奴隷階級であり首領に救出されて暗殺者として育てられました。あの御方に絶対服従を誓っています。教育と訓練を受けた後は地方の町にスリーパーとして潜み、伝言の魔法によって命令が届いた場合のみ集結して暗殺活動を行います」

「今回の作戦における仲間の人数と居場所は?」

「知りません。捕まった場合に備えて私たちは互いに必要最低限の情報しか与えられません。首領だけが全ての情報を持っており、作戦直前になって魔法で指示を出します」

「厄介だな……」

不可視の敵はそう言い、赤の二番も自分が捨て駒であることにほっとした。

情報を流して首領に迷惑をかけずにすむ。

「じゃあ、お前が仲間や首領をおびき出すことはできないのか?不測の事態が生じたとか言って」

「不可能です。命令以外の行動をとれば敵に魔法で操作されたと見なされます。首領はその可能性を最も警戒していますから」

「仮にだが、お前を泳がせておけば首領はいつか接触してくると思うか?」

「いいえ、首領は決して姿を見せないでしょう。ナーベ暗殺が成功しても我々はスリーパーに戻るだけです」

「……はあ」

ため息がもれた。

「じゃあ、お前はいらないな」


心臓掌握グラスプハート


赤の二番という暗殺者は絶命し、地面に崩れ落ちた。

「魅了や支配への対策が徹底してるな。ひょっとして実働部隊は全員こういう捨て駒か?自決は情報の秘匿というより拷問回避だな」

アインズはそう言うと再びため息をついた。

ロケートオブジェクトで指輪を見つけた時に魔法の罠も見つけ、「逆に利用してやるか」と待ち伏せを待ち伏せするという作戦に出たが、敵が情報を持たないという不安が的中した。

「……どうしよう」

極めて弱気な声だった。

「首領というやつを探すしかないよな。どうやって?伝言の魔法でしか接触してこないとなると……街中にシャドウデーモンをたくさん放って……でも、街の外だったら?クソ、顔がわかればどうにでもなるのに……」

ぶつぶつと自問自答した彼はしばらくすると死体と共に転移した。

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