王都から辺境自治区へ 5
辺境自治区に入る前に、私たちは自治区に隣接する男爵領を通過しなければならない。一度、そこで馬車を降りてから最終的な準備を整えて、自治区へ赴く手はずとなっている。
「そういえば、ロゼット?」
「うん」
「どうして、ロゼットは私の補佐役になることを承諾したの? こっちとしては、知り合いが一緒で助かるからいいんだけど、あんたにとっては身の危険とかあるし、色々迷惑な話でしょ」
男爵領の手前辺りで、私はふとそんなことを訊いてみた。ガイアンがカルダーンの命令を絶対的に受け入れるのは当然のこととして、ロゼットは一応、理由を付けて断ることもできたはずだ。
するとロゼットは少し考えて答えを言ってくれた。
「まぁ、外交官僚にとって実践経験が積めるし、実際に蛮族がどんな奴らか見てみたいって思ってさ。それに、父にも頼まれたんだよ。お前のことをちゃんと見とけって」
「宰相が?」
私を王妃候補に指名した責任は宰相にもあるから、なんだかんだ心配してくれてるのかな。
「でも、俺はあんたの騎士じゃないからな。そこんとこ忘れんなよ。頭脳で足りないところは、まぁ、助けて差し上げようじゃないの」
「相変わらず可愛くないね。学生時代に酔っ払ったあんたを毎回、自宅まで送ってあげたのは、誰だっけ?」
「今はそんな話してないだろ!」
こうやって軽口を叩ける相手がいるだけ、心の重荷が軽くなる。そうこうしているうちに馬車は男爵領に到着した。
辺境自治区内はギュリドの西域軍の兵士たちによって囲まれており、不測の事態に備えて、男爵領も領兵を動員して厳戒態勢が取られていた。私たちは物々しい雰囲気の中、領主館へ入った。
「王妃候補のシャイラ・ミランドと申します。今夜はお世話になります」
私たちが簡単に挨拶をすると、防具を身に付けた体格の良い男爵は意外と柔らかな口調で言った。
「遠路はるばる、ご足労頂き、さぞお疲れでしょう。気を落ち着かせるのは難しいかとは思いますが、我が領地でしばしお休みください」
「どうもありがとうございます、オスタ卿。早速ですが、食事をしながらで構いませんので、現状を報告していただけませんか?」
「皆様がそれでよろしければ」
というわけで、私たちはそのまま食堂に通された。
レーゼル・オスタ男爵は中年の、いかにも軍人気質が染み付いているような真面目な人で、私が女官の制服姿でやって来たのを見て安心したと言っていた。
「官僚出身と聞いてはいましたが、王妃候補ですから、このような場でもドレス姿でいらっしゃるのではないかと思っていました。分別のある御方で大変よろしい」
オスタ卿の説明によると、自治区に入り込んだ西域軍は二千人ほどで、今のところ自治区の住民や領兵との衝突は起きていない。伯爵公邸が西域軍の本部となり、公爵とその家族が軟禁されているらしい。
「公爵のご家族は何人なのですか?」
「奥方は数年前に他界されていて、ライナさんというお嬢様が一人いらっしゃるだけですよ。ミランドさんよりも少し年下かと思います」
それはとても心細いだろうな。生まれてからずっと辺境自治区で育ってきたのだろうし、緊張した空気には慣れているかもしれないけど、ここまで大きな騒動が発生したのは初めてだから。
「それにしても、ミランドさん、あなたは国王代理です。あなたの承諾があれば、今すぐにでも領軍を辺境自治区へ派遣し、蛮族を蹴散らすことができます。向こうは二千人、我が方が四千五百人。容易く片付くでしょう」
食事が終わると、オスタ卿は私に向かって真剣に提案をしてきた。言外に、なぜ国王は早く国軍を動かして制圧させないのかという批判が含まれていることに、気付かないほど、私は疎くはなかった。
「それはできません。確かに私は国王代理として全権を預かってきました。けれど、それは交渉の使者の役割を果たすためのもので、軍の動員をさせるためではありません。今のところ混乱は起きていませんし、ここで軍事力を投入すれば、住民に大きな被害が出てしまいます。ご理解ください」
「……わかりました。しかしながら、敵側が一気に軍勢を送り込んできたら、防ぐことが途端に難しくなることをお忘れなきよう、お願いしますよ」
オスタ卿は完全には納得していないように見えたけれど、ロゼットが何かあったら黄色い狼煙を上げるので、その時は突入してほしいと頼むと微笑んだ。
そして、翌日、とうとう私たちは辺境自治区へ足を踏み入れることになった。
ひとまずオスタ卿と握手をして別れ、領兵たちに護衛されて境界線上に設けられている関門へ向かう。
「大丈夫ですか、シャイラ様? 私が必ずお守りしますから、あなたは堂々と王妃候補として顔を上げていてください」
ガイアンは不安そうな私を見て、微笑んで励ましてくれた。こんな時でも、ロゼットは何も言わず、無表情で周囲を観察している。
「王妃候補の到着!」
「道を開けろ!」
兜で顔を隠したギュリド兵が次々に大声を上げると、たちまちざわめきと緊張感が増した。ガイアンは私を守るようにして前方を進み、ロゼットは目を細めて敵兵たちに一瞥をくれている。
向こう側から馬が二頭駆けてきた。土埃でよく見えないけれど、ただの兵士ではなさそうだ。
一頭の美しい黒い馬が私たちの前でぴたりと止まり、地面を踏みしめる重厚な音がした。もう一頭の栗毛の馬は少し後方で待機している。
馬から降りたのは、かなり長身で焦げ茶色の髪の男性。私より年上だろうが、若い。武装はしているが、兜は被らず、鋭い眼光を露わにして全体的に陰鬱な雰囲気を漂わせている。鎧の紋章は、高い山に鷲が描かれていて、この人がフェディオン国民ではないことを示していた。
その男は、私を見下ろしながら、低くて深い声で言った。
「あんたが王妃候補か。俺はギュリド王国西域将軍、バルダミア・カイだ」
カイ将軍は不遜にも、私の右手を取ろうとして、自分の手を差し出してきた。私は思い切りその手を払いのけて、精一杯睨みつけてやった。
これが私とカイ将軍の運命が交差した瞬間だった。
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